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懇願

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 一面蒼の煌めく世界だった。
 そんな中にポツンと腰を掛けていて。
 あぁ、これが死後の世界というものなんだなぁと思ったりした。
 先日、夢への計画実現をあまりに強制的に実行し過ぎた私は、元々私の粗相で憤りを感じていたはずの王子に更なる苛立ちを与えてしまい、結果天へ召されることになった。
 そんな私は、生前の『家族のため』って野望に美徳を見出され、なんとか天国行きを決めることに成功して、今に至るというわけなのだ。
 あ~~、本当に天国って最高だな。
 手を伸ばせば飲み物だって食べ物だって掴み放題で。なんなら寝ているだけで、着替えから移動から食事から、全てが叶う最強フィールド。
 当たり前のように、お金に迫られることもなく、時間ですらその概念は曖昧だ。
 凄いぞ、天国! 流石、天国! ずっといたい‼︎
 異様なまでの幸せフェイスを身につけて、口をパカッと開ければ、すかさずスコーンが近付いてくる。私は、かぷっと齧りとって、妖精さんにお礼を言うのだった。
「ありがとうございます。では次はお飲み物を――……って、そんなわけあるか!」
 叫んだ私は、寝転ぶ体勢から飛び起きて。王子の側近さんが用意していた木の実ジュースを手に取った。
 そして隣のカウチソファに身を委ねる王子に訴える。
「おかしい! おかしすぎる! なんだって私がこんなところに⁉︎」
 叫べば、王子が優美な笑みをこちらに向けてくる。
「生き生きとしているな。なるほど、君はこういうのが好みだったのか」
「こういうのってどういうの⁉︎ それがもしサプライズ的な意味なら考え直してくださいね! これは生き生きじゃなくて、焦ってるだけですから!」
「ははっ、やっぱり楽しそうだ」
 私の叫びなんかを軽く笑い飛ばした王子はカップを手に取って、尚も優雅なひと時を続けていった。
「だ、だから……」
 そんな私は、激流に揉まれた小石のように角が取れていき、反抗を飲み込んでは小さくため息を吐いた。
 ダメだ……、話が全く通じない。
 ていうか、本当にここはどこなんだ……。
 ここは確かに天国みたいに綺麗な場所だけど。まるで空にでも浮いているように錯覚するような場所だけど。
 けど、違う! ここは、大きな湖のど真ん中、そこに浮かんだ小島に聳えるお屋敷だ。
 もっと正確にいえば、その二階、大きく開けたバルコニーにちょこんと並ぶカウチソファの上だったりする。
 思い返す私の記憶は、至ってシンプルで。
 謎の苦行の後、あろうことか眠ってしまった私が目覚めた先がここだった。
 朝、小鳥のさえずりと共に目覚めた私は、あれ、お城にこんな部屋あったっけ……? と、やや違和感を覚えながらも、王子に差し出されるがままお水を口にした。
『昨日は随分無理をさせてしまったからね。よく眠っていたよ』
 なんて言葉を鵜呑みにして、あの状況で寝落ちした自分に恥ずかしく『すいませんでした……』なんて消え入りそうな声で答えた私に王子が言ったのは、
『気にしなくていいよ。悪いのは無理をさせた僕の方だ』
 とかいうあまりにも神々しいお言葉。
 アスラもアスラで相当にいい人だったけど、王子は王子で本当に良くできた人間だ。
 そんなことを思いながら『ありがとうございます』ってお礼を伝えていれば、側近さんがやってきて。
『天気が良いので、外での朝食はいかがでしょうか?』
 なんて提案が何故か私に向いてきたので、取り敢えず『是非……』とか答えておいた。
 ベッドからバルコニーまでの短い距離を王子にエスコートされ、着いた先はこのカウチソファ。
 うわ……、外にあるのに革張りだよ。雨とか降るだろうに、お手入れとかどうすんだろ……?
 なんて地味なことを考えて腰を落とせば、そこに蒼の絶景が広がっていた。
 え、お城の裏手とかこんな感じだったっけ……?
 更なる違和感が私にとりつくも、流されやすい私は進められるがままの優雅なモーニングタイムと相成った。
 けれど、ふとした瞬間夢はパチンと消えて。なんとなく見え上げた空に、屋敷の外観を目にしてしまったのだ。
 なんか違う……。フォルムが違う……。
 ここもかなり大きなお屋敷であることは間違いないのだけれど、しかしここはお城のそれとは完全に異なっていた。
 あ、そっか。ここ天国か……。
 そう現実逃避した私の思考が冒頭数百文字。
 けれど、現実を見つめ直した私の焦りがそれ以降。
 なんだこれ……。本当になんだこれ……。
 改めて振り返って更に謎。本当に意味が分からない私は、そんな言葉をひたすら繰り返しては頭を抱えていた。
「ここを少し降りた所に街があるんだ。色鮮やかな建物が立ち並ぶ可愛らしい景観でね、午後はそこを散策するとしよう」
 ソファから腰を上げた王子は私の隣に立ち、なんとも穏やかな口調で計画を練る。
 徐に私の髪に触れるその手には、なにやらふわふわの白いリボンがチラついていて。
 ヒラヒラと揺蕩うその瞬間、陽の光を浴びた白地にキラリと王家の家紋が輝いた。
 あ、これ例のタイだ!
 気が付いた頃には、あっという間に髪に編み込まれ、なんとも言えない気持ちで顔を向ければ、王子は「今日もよく似合っている」と、あまりにキザな言葉を投げ掛けるのだった。
 熱心だよなぁ……とか思いつつ、そろそろ時間が気になる私はひとつ尋ねてみた。
「ところであの、学園へはどれくらいで出発でしょうか? 勝手ながら、本日の一限は剣術の模擬試験がありまして。準備がありますので、一足先に登校させていただければと……」
 しかし、話途中で王子は私から木の実ジュースを奪い去り。すかさず私の手を取った。
 そして、私を立ち上がらせると、
「今日は学園には行かないよ」と。
「……え?」
「今日だけと言わず、今週は学園に行かなくて良い手筈になっている」
「はい?」
「そんなわけだから、心置きなく楽しんでくれ」
 いや! 楽しめるか!
 心で叫んだ私は、慌てて王子を否定する。
「む、無理です! 今日の模擬試験は受けなければ、私は単位を落とします。一つ落とせば即退学なのはイルヴィン・様もご存じですよね?」
 私は剣術が、めっきり苦手だった。
 なんか重いし、当たらないし……。
 だから、授業中の成績は最悪で、せめて授業と試験で参加点を稼がなければならないのだった。
 しかし、王子は尚も朗らかに笑っていて、
「そのことなら問題はない。学園側には、僕から『生徒会による成績不振生徒の校外フォロー』として届出を出してある。勿論、許可は取得済だよ」
 え……、うそ? そんなんで許可出ちゃうの? 王家と学園、癒着激しくない……?
 魔導具だって、なんかすんなり許可されたっぽいし。
 そんな懐疑的な気持ちをモヤモヤ拗らせながら、私はそもそもの話として王子に問いかけた。
「な、なんでそこまでして……。わざわざ学園まで休んでこちらに……?」
 問えば、王子は一寸の迷いもなく、
「昨日話した通りだ」と。
「え……、でもと……」
 あの辺りの記憶は正直曖昧なんだけど、それでも週末って言葉ははっきりと覚えている。
 だから、齟齬がないかの確認だったのだけど……。
「あぁ、週末だ」
 王子はきっぱりと肯定した。
 そして、もうこの話は終わりだと言わんばかりに優雅な笑みで全て封殺すると、私の手を引いてバルコニーの柵へと誘導する。
 狐につままれたように固まる私を差し置いて、空を見上げた王子は切なげにポツリと呟いた。
「ここは、僕の気に入りの中でも特別好きな場所でね。こうして景色を眺めていると、まるで空にただ一人、大した価値もなく揺蕩っているように思えてくるんだ」
 そんな言葉に私は、ちょっとした違和感を感じたりする。
 確かにここは、現実離れした幻想的な場所だけど。けれどここは、人気を極限に取り払った、それこそ鳥の鳴き声と風くらいしか音のない、少し寂しい場所でもあったのだ。
 いつも華やかな場にばかり身を置く王子だからこそ、こういう場所に魅力を感じるのか……?
 ゆっくりと頭を回しつつ、まぁ、空に浮かんでいるみたいっていうのは同じだなぁと、ぼんやり考えていれば、王子は再び私の手を引いた。
 されるがままに振り向いて、思ったよりも王子が近くて慌てて飛び退いた。
「わっ……わわ! すいませんでし――ったぁ⁉︎」
 けれど、すぐさま手を引かれて戻された。しかも、胸元にポスッと抱き留められて、身動きすら封じられてしまう。
 揉み合いになって、抱き合う形になったアスラの時とは訳が違う。
「ああああああの……っ」
 もがいて何とか顔を上に向け、頭ひとつ上方にある王子の瞳に訴える。
「ん?」
 少し鼻にかかったなんとも艶めいた声が落ちてくる。
 いや、『ん?』じゃなくて!
「人、いませんけど!」
「……」
 王子のデフォルトみたいな無表情系薄ら笑いが胸に痛い。無言ですら、私のちょっと浅薄な頭をチクチク突いて来るようだった。
 こいつ、本当に勘悪いなぁ、みたいな。
 え? 言わなきゃ分からない? みたいな。
 なんなら、なに言ってんの? みたいな!
 でも、その通り。私は王子みたいに人間の脳みそ何個も積んでるみたいな高性能は有していない。だからこそ、また恋人のフリ失脚危機に晒されたって無事乗り切れるよう、もしくは華麗に友人枠へと転身できるよう。ひとつひとつ、認識を合わせていかなければならないのだ!
 だから、私は王子のなんとも言えない視線に負けず真っ直ぐ見返した。
 顔の綺麗な人ってなぜか皆んな目力が強いけど、それにだって負けない気合いを眼輪筋にぎゅぎゅっと詰め込んで。
「誰も私たちを見てません!」
「……」
「勿体なくはありませんか⁉︎」
「…………と、いうと?」
「折角ならば、衆人環視の下抱き合うべきではないでしょうか、と言っています!」
 訴えれば王子はさも興味深そうに「なるほど……」と。
 そして、ゆっくり私を留める腕を解いていった。二人の間に爽やかな風が吹き抜ける。
 少し涼しい感じがしたけど、心地良い気持ちだった。
「すまない。それはとんだ失態だった」
「い、いえ……」
 予想外に謝罪を口にする王子に、ちょっと戸惑った。
 あれ? これは私が一歩リードしたパターン……?
 そう思えば、徐々にえもいわれぬ高揚感が湧き上がったりして。
「だ、誰にだって間違えることはありますからね!」
 自然と緩む頬に身を任せ、笑顔で王子にそんなことを言えば、王子はいやに悩ましげに顎に手を当てた。
 え……、そんなにショックなの? とか思う。
 しかし次の瞬間、顔を上げた王子の口からは、とんでもないものが飛んできた。
「いや……確かにそうだな。まさか、君がただの匂わせ好きというだけでなく、敢えて多くに認識される場所にいながら見られぬよう愛を育み、その上で感じる焦燥感に悦びを得る女性だったとは……」
「……え?」
 途端に置いてけぼりになった私は、硬直する。
 聞き間違えだったのかとすら、思ってしまう。
 けれど、王子はそんな私のことなどつゆ知らず、
「あぁ、でも意味が分からない。何故そんな奇怪な行動を……? いや、待て。そもそも意味が分からない女性じゃないか」
 ブツブツと独り言を言ってはやがてひとつの結論へと辿り着くのだった。
 ていうか、待て待て。最後、明らかな侮辱が聞こえたぞ! 
「そうか!」
 まるでこの世の秘宝の場所でも解き明かしたみたいな、王子の快活な声が響き渡る。
 私は果てしなく嫌な予感がした。
 そして、案の定――
「君は背徳感に快楽を得る性癖なのか!」
 最悪な結論が王子の口から飛んできたのだった。
 しかも、晴れ晴れとした笑み付きで。
「んな訳ないでしょう!」
 もう、目の前の人物が『王子様』なんてことは忘れていた。
 気付けば忘れて、叫んでいた。
「なにがどうなればそんな結論になるんですか!」
 しかし、訴える私の傍で、王子は私の顔を見て大層申し訳なさそうな顔で項垂れた。
「今まですまなかった。申し訳ない」
「いや、そんなに謝られると本当にそんな拗れた性癖みたいだからやめてください」
「何を言う、これは完全に僕の分析不十分だ。帰ったら改めなければ」
 ……分析? 改める?
「とにかく僕は自らの失態で君に満足を与えられなかった。故に、挽回の機会を貰いたいのだが」
 そう言った王子は、すかさず私の手を取った。まるで神様に祈るみたいに両手で包み込んで、私に懇願の眼差しを向けてくる。
 うっ……、無駄に良い顔面が私を威圧する!
 私は視線で絆されぬよう思い切り顔を背け、
「ば、挽回とかその前に。そもそも私、そんな拗れた性格じゃないので、そこを分かって貰いたいのですが……」
 はっきりお断りを入れれば、
「頼む。この通りだ」
 強い語勢と消えた王子の手の感触。
 恐る恐る顔を戻してみれば――
「ちょちょちょっと! か、顔を上げてください‼︎」
 あろうことか、稀代の天才王子は頭を下げていた。しかも、深々と。
 こんな、お金目的の貧乏小娘に……。
 ひしひしと苛まれていく、私の清き良心。
 どんどん呵責に押し潰されていって。
「わ……、分かりました。分かりましたからっ!」
 言えば、王子は戴冠式にでも臨むみたいな誇らしげな表情で、
「君に貰ったこの機会、決して無駄にはしない。早速、この後楽しみにしていてくれ。必ずや君に満足を届けよう」
 いや、それ、寧ろ怖いんですけど……。
 そんな言葉をそっと喉の奥に飲み込んで、苦笑いと共にそっと返事した。
「あの……お手柔らかにお願いしますね?」
 その言葉に返事はなく。ただただ、王子は頼もしげな笑みを深めていくのであった。
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