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誘拐
マルコル2
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シーンという音が聞こえてきそうな沈黙。
残された私といえば、青年を前に非常に気まずかった。
チラリと前を覗く。青年は目を細めて見下ろしていた。笑んでいるわけでもなく、蔑むわけでもなく、私にはその感情が読み取れなかった。
お兄さんの――危険に晒すな。傷どころか、無礼すら許されない――そんな言葉を頼りに声を出す。
口を聞いたくらいで、折檻されることはないだろうと読んでのことだ。
「あ、あのぅ……」
けれど、私が口を開いて間もなく。青年も声を上げた。
ところが、驚くべきことにその様子はあまりにも先のものとは異なっていて。
「あぁ~~、さっきの人怖かったですね! 大丈夫ですか? なにかされませんでした?」
無機質な石の空間に、タンポポみたいな明るい声が響いたのだった。
「――なので、シャーレアのために私は貴女を助けたんです」
「……そ、そうですか」
内心、結構引き気味に。けれど、外面ではヘラヘラと顔を作り上げ。そうして、出した声はちょっと裏返っていた。
二人きりになってから聞いた話。かなり雰囲気が一変したから、そっちに気を取られ、断片的なものしか覚えていなかった。
けれど、大元は一応頭に残っていて。
つまり彼――マルコル・ハーセン――は、シャーレア様が好きなのだということだった。
だから、王子の婚約最有力候補でもあった娘を差し置いて、ちゃっかりその座を奪った私にただならぬ想いを抱くシャーレア様のご家族が、なにやら怪しげなことに手を掛けてシャーレア様まで罰を受けたり、もしくは危ない目にあわないよう、シャーレア様のために私を助けてくれたのだというのだ。
いや、しかし。
「それにしたって、なんでわざわざ天井から登場を……?」
あの絶妙な笑みといい、普通に泣きそうだった。というか、夢に出てきそうだ。
しかし、マルコルはあっけらかんとして。
「私は鍵を持ってないので。ほら、さっきの人に渡してしまっていて」と。
いや、合鍵とかあるでしょうに……。とか思いつつも、気疲れした私は追求を諦めた。息を吐く。
別に、そんなことが知りたいんじゃない。
「ところで……。この先、私はどうなるんでしょうか?」
さっきマルコルは、誘拐について『流れそう』と言っていた。だったら、解放されるはず……だよね?
淡い期待でマルコルを見る。
マルコルはゆらりと頬を緩めると、一切の邪気を払ったみたいな無垢な笑みをこちらへ向けてきた。なんだかそれは、本当に喜びでも感じているみたいで、私には微妙な違和感を感じさせた。
「勿論、ハーデウスの城までお送りするつもりです。けれど、少しだけ私と話をしませんか?」
「……えっ?」
思わず声を上げた私を、マルコルが笑う。本来の性質なのか、その表情は柔らかく、お兄さんに金貨を投げ捨てた時とは別人のようだった。
「ごめんなさい。すぐにハーデウスまで送りしたいんですが、なんせ馬を休ませねばならないもので」
「……な、なるほど」
急いで来たのかな? とか思う。
「だから少し時間を、潰さねばならないと……」
呟けば、マルコルは肯定の笑みを私へ返す。
「で、でも、マルコル様もお疲れだと思いますし。宜しければお気遣いなく、どうぞお休みください」
というか、できればそうして欲しい。
なんとなくだけど、マルコルには緊張の糸を緩めることができなかった。油断ならない、そんな直感が私を突いていた。
もっとも、マルコルだって私に気なんか許してないだろうけど。
「いえ、そんな。自国の者が無礼を働いたうえ、お気遣いまでいただいては私の立場がございません。どうか憐れと思うのなら、是非ケールフォーレ公爵夫人のお慈悲をいただければ、救われるのですが……」
困ったようにマルコルは私を覗いた。
うっ……、この人、自分の顔面の使い方をよく分かってるな……。
まるで捨てられた子犬のようにじっと見つめられ、仕方なく「マルコル様がお疲れでないのなら……」と口にしてしまう。
とはいえ。
「でも、『ケールフォーレ公爵夫人』は誤りですからね!」
ケールフォーレ公爵――王子の持つ爵位のひとつである。
夫人じゃない! 私はまだ決して夫人じゃないんだ!
「けれど、じきにそうお呼びすることになるはずですよね。ハーデウス王国のイルヴィス殿下とご婚約者のミラ様は、たいそう仲睦まじくあられると伺っております」
なんだそれ! そんな噂どっから湧くんだ……。完全なデマじゃないか……。
「互いが互いを想い合い、理想の関係とも」
マルコルは、うっとりと続けて言う。
まさか、憧れでもあるのか……?
変な湯着きて、手枷つきで風呂に入る仲だぞ……?
やめておけと、伝えたかった。
しかし、マルコルは頬をほんのり染めた幸せそうな顔で私に笑んで、
「ミラ様は、イルヴィス殿下のどのようなところをお慕いしておられるのですか?」
なんて、超絶地雷を落としてくる。
勿論、私はちょっと目が泳いで――
「え? え――っと。ん――……」
なにひとつ言葉が出なかった。
ところが、そんな様子をマルコルは大いに勘違い。ソワソワしながら、
「照れておられるのですか?」と。
違う! 断固違う! これ以上、私の闇を抉らないでくれ!
ということで、私はそれとなく話題をすげ替えることにした。
残された私といえば、青年を前に非常に気まずかった。
チラリと前を覗く。青年は目を細めて見下ろしていた。笑んでいるわけでもなく、蔑むわけでもなく、私にはその感情が読み取れなかった。
お兄さんの――危険に晒すな。傷どころか、無礼すら許されない――そんな言葉を頼りに声を出す。
口を聞いたくらいで、折檻されることはないだろうと読んでのことだ。
「あ、あのぅ……」
けれど、私が口を開いて間もなく。青年も声を上げた。
ところが、驚くべきことにその様子はあまりにも先のものとは異なっていて。
「あぁ~~、さっきの人怖かったですね! 大丈夫ですか? なにかされませんでした?」
無機質な石の空間に、タンポポみたいな明るい声が響いたのだった。
「――なので、シャーレアのために私は貴女を助けたんです」
「……そ、そうですか」
内心、結構引き気味に。けれど、外面ではヘラヘラと顔を作り上げ。そうして、出した声はちょっと裏返っていた。
二人きりになってから聞いた話。かなり雰囲気が一変したから、そっちに気を取られ、断片的なものしか覚えていなかった。
けれど、大元は一応頭に残っていて。
つまり彼――マルコル・ハーセン――は、シャーレア様が好きなのだということだった。
だから、王子の婚約最有力候補でもあった娘を差し置いて、ちゃっかりその座を奪った私にただならぬ想いを抱くシャーレア様のご家族が、なにやら怪しげなことに手を掛けてシャーレア様まで罰を受けたり、もしくは危ない目にあわないよう、シャーレア様のために私を助けてくれたのだというのだ。
いや、しかし。
「それにしたって、なんでわざわざ天井から登場を……?」
あの絶妙な笑みといい、普通に泣きそうだった。というか、夢に出てきそうだ。
しかし、マルコルはあっけらかんとして。
「私は鍵を持ってないので。ほら、さっきの人に渡してしまっていて」と。
いや、合鍵とかあるでしょうに……。とか思いつつも、気疲れした私は追求を諦めた。息を吐く。
別に、そんなことが知りたいんじゃない。
「ところで……。この先、私はどうなるんでしょうか?」
さっきマルコルは、誘拐について『流れそう』と言っていた。だったら、解放されるはず……だよね?
淡い期待でマルコルを見る。
マルコルはゆらりと頬を緩めると、一切の邪気を払ったみたいな無垢な笑みをこちらへ向けてきた。なんだかそれは、本当に喜びでも感じているみたいで、私には微妙な違和感を感じさせた。
「勿論、ハーデウスの城までお送りするつもりです。けれど、少しだけ私と話をしませんか?」
「……えっ?」
思わず声を上げた私を、マルコルが笑う。本来の性質なのか、その表情は柔らかく、お兄さんに金貨を投げ捨てた時とは別人のようだった。
「ごめんなさい。すぐにハーデウスまで送りしたいんですが、なんせ馬を休ませねばならないもので」
「……な、なるほど」
急いで来たのかな? とか思う。
「だから少し時間を、潰さねばならないと……」
呟けば、マルコルは肯定の笑みを私へ返す。
「で、でも、マルコル様もお疲れだと思いますし。宜しければお気遣いなく、どうぞお休みください」
というか、できればそうして欲しい。
なんとなくだけど、マルコルには緊張の糸を緩めることができなかった。油断ならない、そんな直感が私を突いていた。
もっとも、マルコルだって私に気なんか許してないだろうけど。
「いえ、そんな。自国の者が無礼を働いたうえ、お気遣いまでいただいては私の立場がございません。どうか憐れと思うのなら、是非ケールフォーレ公爵夫人のお慈悲をいただければ、救われるのですが……」
困ったようにマルコルは私を覗いた。
うっ……、この人、自分の顔面の使い方をよく分かってるな……。
まるで捨てられた子犬のようにじっと見つめられ、仕方なく「マルコル様がお疲れでないのなら……」と口にしてしまう。
とはいえ。
「でも、『ケールフォーレ公爵夫人』は誤りですからね!」
ケールフォーレ公爵――王子の持つ爵位のひとつである。
夫人じゃない! 私はまだ決して夫人じゃないんだ!
「けれど、じきにそうお呼びすることになるはずですよね。ハーデウス王国のイルヴィス殿下とご婚約者のミラ様は、たいそう仲睦まじくあられると伺っております」
なんだそれ! そんな噂どっから湧くんだ……。完全なデマじゃないか……。
「互いが互いを想い合い、理想の関係とも」
マルコルは、うっとりと続けて言う。
まさか、憧れでもあるのか……?
変な湯着きて、手枷つきで風呂に入る仲だぞ……?
やめておけと、伝えたかった。
しかし、マルコルは頬をほんのり染めた幸せそうな顔で私に笑んで、
「ミラ様は、イルヴィス殿下のどのようなところをお慕いしておられるのですか?」
なんて、超絶地雷を落としてくる。
勿論、私はちょっと目が泳いで――
「え? え――っと。ん――……」
なにひとつ言葉が出なかった。
ところが、そんな様子をマルコルは大いに勘違い。ソワソワしながら、
「照れておられるのですか?」と。
違う! 断固違う! これ以上、私の闇を抉らないでくれ!
ということで、私はそれとなく話題をすげ替えることにした。
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