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誘拐

マルコル2

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「そ、そんなことより……。マルコル様はシャーレア様といかがですか? 良い雰囲気とか、ちょっと悩みとか――」
 そこまで言ってハッとする。
 マルコルの表情が、呆然としたものに変わったのがきっかけだ。私は、シャーレア様の言葉を思い出したのだ。
『実はわたくし、イルヴィス様をお慕いしておりましたの』
 ……やってしまった。
 自分の身を守るのに必死で、なんと鬼畜な所業を……。
「あ、あの……」
 咄嗟に取り繕おうと声を出す。けれど、すぐにマルコルの柔和な笑みでいなされた。
「大丈夫ですよ。シャーレアの想いは知っておりますから」
 マルコルはそっと顔を逸らして前を見る。それがやたらと、胸を突いた。
「もしかして、シャーレアから聞きましたか? このところ、留学に胸を沸かせて、よくハーデウスへ通っていると聞いているので」
「あ……、えっと」
「お気になさらず」
「……はい」
 渋々白状すれば、マルコルはくすりと笑った。
 表情は見えないけど、大天使に心を打たれる人はその人だって健気なんだ……、とか思ってしまう。
 そんな私に追い打ちを掛けるように、マルコルは更なるひたむきさを見せつけた。
「でも、私は諦めていないんです。想いって通わせるものではなくて、伝えるものだと思っていますので」
「それは……」
 両想いじゃなくても良いということ? とは、聞けなかった。聞けばマルコルの想いを踏み躙る、そんな気がしたのだ。
 あらゆる言葉を呑み込んで、私は口を開いた。
「シャーレア様を……。その、愛しておられるのですね」
 マルコルは相変わらず前を向いたままだった。けれど、横顔から口角が上がっているのが見えた。
「ええ、なによりも」
 ひとときの静寂が訪れる。
 こんな一途な想いを聞いた後で、なにを話せばいいのか分からなかった。私はそんなにも深く人を想ったことがない。というより、恋というものがよく分からなかった。
 ドキドキとしたり、赤面したりはするけれど、それは生理的というか反射的というか。マルコルやシャーレア様のように、『相手を想う』という経験はなかった。
 どういう気持ちなんだろうか――
 そんな好奇心だけがぼんやりと浮かんでいた。
「……そういえば、話は戻りますが」
 そう切り出したのはマルコルだった。こちらに顔を向けていて、何故か少し強張っていた。
「はい?」
「先ほどのイルヴィス殿下とのお話ですが……」
 うっ、地雷……。とは思いつつ、マルコルの話を聞いた私は無碍に出来なかった。
「な、なんでしょうか……?」
「どのようなところをお慕いしているのか、参考としても是非お聞きしたいなと思いまして」
 参考――そうか、マルコルが好きなシャーレア様は王子のことが好きだったから……。
 これを言われては、答えようもない。とはいえ――
「あの、ごめんなさい。理想を壊してしまうようですが、私もよく分からないんです」
「……よく分からない?」
「はい。というより、私も愛されているというわけではないので、参考にはならないかと」
 言えば、マルコルは再び呆然とした表情を浮かべる。
「…………愛されているわけではない、とは?」
「他に想われている人がいる、とまでは分かりませんが。マルコル様がシャーレア様へ向けられるお気持ちとは異なるものだと思います」
 情欲に駆られて遊ばれてます、自称愛する人ならきっと沢山います、とは流石に言えなかった。
「……」
 マルコルは暫く押し黙っていた。
 遊び人というのは隠したけど、一途なマルコルのことだから思うところが色々とあるのだろう。
 きっとマルコルは、ライバルが消えてガッツポーズを取るような人間ではないだろうから。
 少し経ってから、マルコルが重々しく口を開く。その表情は、少し心許ないものだった。
「ミラ様は……、イルヴィス殿下と楽しく過ごされているのではないのですか?」
 その言葉に、これまでの記憶が走馬灯のように蘇る。
 縛られたり、縛られたり、追いかけられたり。そして、ことごとく登場が不気味だった……。
「…………そうですね。ここだけの話ですが、日々理解に苦しんでいます」
 言い終えてから、「身分差もありますし」と付け加えておいた。
「……一応、お尋ねしますが、ミラ様はイルヴィス殿下のことを――」
 多分、この先は『好いておられますか?』だと予想する。だから、私は先手を打ってかぶりを振った。
 マルコルは、深く息を吐いた。
 なんだか、ごめんなさいという気持ちになってくる。
「世の中、上手くいきませんね……」
 マルコルが膝へ頭を埋めながら呟く。私も、小さく息を吐いた。
「お互い辛いですね」
「…………まったく」
 暗く重い空気だった。息をするのも苦しくなるほどに、マルコルは顔を埋めたまま微動だにしなかった。
 耐えかねて声を上げる。馬がどれほどで回復するのか分からないけれど、この雰囲気が長く続くのはちょっと辛かった。
「あ、あの……!」
 声を掛ければ、ゆったりとマルコルが顔を上げる。
「はい」
 声すら重くなっていた。
 さっきのタンポポみたいな声はどうしたんだ……。
 私は、頭からシャーレア様の自己紹介を引っ張りだして――
「メ……メンテルタ王国いえば、カラハル魔鉱山などが有名ですが、他にもおすすめの名所はありますか?」
 問えば、さして気乗りのしていなさそうな声色が返ってくる。
 その瞳は虚空を見つめていた。
「やっぱり、ルイブ海を望むケーフのサンシェールビーチかな」
 正直、メンテルタ王国の地理を殆ど知らない私には、マルコルの言葉は呪文のようだった。
 けれど、聞いた手前その答えを無駄にするわけにはいかない。なんとしても、有効活用してこの場を繋がねば。
「ビ、ビーチですか! さぞ綺麗なんでしょうね!」
「……まぁ、そこそこかな。海鮮料理はなかなかのものだけど」
 うぅ、重い。重過ぎる。
 おすすめだというのに、とか……。
「ええっと、ちなみに海鮮というのは――」
「海老」
 先回りして答え投げられた。
 ていうか、なんだ。マルコル、人格変わってないか……? 異様に冷たいぞ⁉︎
 急降下したマルコルの機嫌を不安に思いつつ。私の頭には、ピチピチとした赤色が浮かんでくる。
 ふむ、海老か……。
「あ、あの……。こんな状況でいうのもなんですが、素敵な景色というのは気晴らしになりますよ」
 例えば、美味しいお食事とか。キラキラした海鮮とか。
 別に行きたいわけじゃないけど。食べたいわけじゃないけど!
 私がふるふる頭を振っていれば、マルコルと目が合った。
「…………食べたいの?」
「い、いえ……」
 そんな、まさか。
 マルコルが改める。
「あっ……、見てみたいんですか? 景色」
 取り敢えずこくこくと頷いておいた。
 マルコルのため、マルコルのため。
 見定められるように、マルコルが私を凝視する。無表情が恐ろしい。
 そして、ままあって。
「……まぁ、いいか。では、行ってみますか?」
 マルコルは呆れたように笑っていた。私も、少し頬が緩む。空気が動いた気がした。
「あっ、でも王子……。いや、イルヴィス様対策は大丈夫ですか?」
「…………え?」
 若干緩んだマルコルの顔から、再び笑みが消え去った。
 あれ、おかしなこと言ったかな? 一応、助けてくれる身だけど、シャーレア様のお家の事情もあるし、少しでもバレない方が良いのかと思ったんだけど……。
 とはいえ、それをいうなら寄り道なんてしないのが一番だ。だけど、それには一旦目を瞑り。
「えっと……、マルコル様の技量や体制を疑ってるわけではないのですが。でも、あの人は、特位魔導具とかを容易に出動させてくるような方なので。その一応……、念の為に、と!」
「……」
 マルコルは、相変わらず固まっていた。
 あ、そっか。王子は対外的には、紳士なんだっけ!
 驚かせちゃったかな、と心配になってくる。
「あ……、あは、あはは……。だ、大丈夫ですよ!」
 グッと拳を握り締める。それを膝の横まで持ち上げた。
「逃げる時は、全力でご協力致しますから! 頑張りましょう!」
 言い終えて、拳を上げる。
 何故か再び重くなりかけた空気を持ち上げるように。精一杯気合いを込めていった。
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