闇鍋という名の短編集

悠木全(#zen)

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祭の散り際

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 祭囃子まつりばやしと提灯が彩る道を横切る軽やかな影。
 おさげを振り乱して走るのは、浴衣を着た十代後半の少女だった。
 今日は大好きな人との待ち合わせ。
 絶対に遅れないと心に誓ったにもかかわらず、時間はとっくに過ぎていた。
 待ち合わせの場所にはもういないかもしれない——不安がよぎりながらも、少女はあきらめずに彼を探した。今日を逃せば、またしばらく会えなくなるのだから。

「いた、ただしさん!」

「……恭ちゃん」

 気づけば一時間も遅れていた。それでも待ってくれた彼を見て、恭子は安堵と同時に申し訳なさでいっぱいになる。
 彼の性格からして、おそらく約束の時間より前から居たに違いない。何時間待っていたのだろう。匡は少しくたびれた顔をしていた。

「ごめんなさい……遅れてしまって」

「大丈夫だよ。今日一日はちゃんと君のために空けてるわけだし」 

「本当にごめんなさい」

 何度も頭を下げる恭子を見て、自分よりも二回りは年上の匡は、にこやかに手を差し出した。
 自分よりも大きな手を見て、恭子は固唾をのむ。
 手を繋ぐのは嬉しい。だが誰かに見られでもしたらと思うと怖くなって断った。
 すると匡は勘違いして、

「相変らず恭子ちゃんは恥ずかしがり屋だなぁ」

 などと苦笑する。
 まるで子供扱いだ。実際、親と子供くらいの差があるのだが。
 恭子は恭子で子供扱いされても、そんなに気分が悪いとも思わなかった。
 匡といるだけで満足なのだ。

「今日は亜紀あきも来たいと言って暴れたけど、たまには二人にさせてくれと言っておいたよ」

「亜紀ちゃんも大人になったのね」

 恭子が言うと、匡は苦笑する。

「大きくなるのは早いよね」

「もう小学生だっけ?」

「そう、もう小学生。なのに、いつまでも『恭ちゃん、恭ちゃん』って言ってるよ」

「嬉しいけど、そろそろお友達のほうが良くなるのかな。自分が小学生の時ってあまり思い出せないけど」

「そうだね。僕もあまりにも昔のことすぎて思い出せないな——でも、恭子ちゃんと出会った時のことは、今も鮮明に覚えているよ。僕の前で転んで、イチゴ柄の——」

「もう、忘れてよ!」
 
 匡が悪戯っぽく笑うと、口元に軽く皺が浮かんだ。
 穏やかな人だった。口喧嘩になっても、いつも丸く収めてくれた。
 優しい空気に満ちた人。彼がいる場所には不思議と人が集まって、そして恭子もその一人だった。
 手を繋いで歩くことは出来ないけれど、恭子はこっそり匡の背中のシャツを少しだけ掴んで歩く。昔よりも少しだけ丸くなった背中に、年月を感じていた。
 恭子と匡は、露天には目もくれず他愛のない話をしながら歩く。

 彼のとなりにいるだけで、恭子は満たされるのを感じていた。

 だがそんな時、ふいに匡の携帯電話が鳴った。
 匡は着信表示を見て怪訝な顔をする。

「なんだろう、姉さんからだ」

「出ていいよ」

 匡は携帯電話を耳に当てて、話し込む。その間、恭子は暇つぶしに露店のお面を見ていた。
 かかっているのは、どれも知らないキャラクターばかりで、苦笑してしまう。
 毎年、夏の終わりの祭にくると、少しずつ変わってゆくそれには、恭子の知っているお面はもうなかった。
 なんだか寂しくなって、知らないお面たちから目をそらすと——少し離れた場所にいた匡が、恐い顔をしていた。
 不穏な空気を感じ取った恭子は、匡が通話を切るなり話しかける。

「どうしたの?」

「亜紀がいなくなったんだ」

「亜紀ちゃんが? それは大変じゃない!」

「きっとここに来たかったんだと思う。僕は一度帰ってくるよ」

「ならあたしは、祭の中を探すわ」

「ああ、頼むよ」

 幸せな雰囲気は霧散し、緊張感が漂う。
 恭子はまだ小学校に上がったばかりの亜紀を探すため、そこらじゅうをくまなく探した。
 匡の家まではそれほど遠くないもの、今は夜で、祭で明るい分、薄暗い死角も多く、何が起こるともわからない。
 七歳の亜紀が怖い思いをしているかと思うと、気が気でなかった。

「こういう時、匡さんみたいに電話を持てればいいんだけど」

 恭子は苦笑するもの、その目は必死だった。
 どうせなら、最初から亜紀も呼んでいれば良かったと思う。
 いつもなら自分から匡に頼んで連れてきてもらうのだが、周囲が恭子のことをあまり良く思っていないこともあり、あえて亜紀を置いてきてもらった。
 小さな亜紀は恭子に懐きすぎていた。
 恭子は亜紀が足を止めそうな露店をひとつひとつ回り、何度となく亜紀に似た子供に声をかけそうになって——顔を見た瞬間にがっかりした。
 だが恭子はふと亜紀の行きそうな場所を思い出す。
 学校帰りに亜紀がいつもこっそり寄り道する場所。それを思い出し、恭子は今度こそ祈るような思いで、露店の道を駆け抜けて——神社の境内けいだいにある年輪を重ねた御神木ごしんぼくの前にやってくる。
 
「亜紀ちゃん……」

 亜紀は御神木にもたれかかって眠っていた。その手には白い画用紙を握りしめられている。
 まだ幼い寝顔を見て、恭子が溜め息をこぼしていると——匡もやってきた。
 亜紀の内緒の寄り道は、匡にも筒抜けだったらしい。

「……起きろ、亜紀」

「まだ寝かせておこうよ」

 亜紀を起こそうとする匡をたしなめるように見ると、匡は少しふくれっ面をする。

「亜紀のおかげで、僕たちのデートが台無しになったんだよ? 叱らないといけない」

 そんな意地悪なことを言う匡だが、その顔はいつもの優しい顔だった。
 祭が終わる前に起こしてあげたいのだろう。
 恭子も門限があり、いつまでも祭にいるわけにはいかないのだが——亜紀が起きる前に帰れば、きっと恨まれることだろう。

「……もう、仕方がないな」

 匡のわざとらしいふくれっ面に、恭子は破顔する。

「亜紀ちゃん、起きて。恭子だよ」

 恭子が優しく撫でると、亜紀はパチリと目を覚まし、飛び起きる。
 周囲の心配をよそに、亜紀は元気そのもので声をあげた。

「恭ちゃんだ!」

「こら亜紀。駄目だろ、一人でこんなところに来ちゃ」

 匡が叱ると、亜紀は匡にそっくりな顔で膨れる。

「……だって、伯母ちゃんが駄目だって言うんだもん。恭ちゃんは亜紀に会いたくなかった?」

「そんなことないよ。私も亜紀ちゃんに会いたかった」

「良かった。ねえ見て。私、絵を描いて、県で賞を貰ったんだよ! これを恭ちゃんにあげたかったんだ」

 亜紀は白い画用紙を広げて、恭子に見せつける。そこには、匡と亜紀と恭子の三人の姿があり——銀賞のシールが貼られていた。

「うわあ、ありがとう、亜紀ちゃん!」

「よく描けてるよな。さすがは僕の娘だ」

「すごいでしょ?」

「ああ、凄い凄い。じゃあ、せっかくだから三人で祭を回るか?」

「……ごめんなさい、匡さん、亜紀ちゃん。……私、そろそろ帰らないといけないんだ」

 幸せな雰囲気を台無しにするのは心苦しいながらも、恭子が告げると——案の定、亜紀は泣きそうに顔を歪めた。

「ええ! もう行っちゃうの? せっかく会えたのに、一緒に歩いてくれないの?」

「ごめんね。門限がとても厳しいの」

「……恭子ちゃん、今日はごめんね」

 申し訳なさそうな匡に、恭子は残念な気持ちを隠して笑顔を作る。

「ううん、ありがとう。とても楽しかったよ」

 亜紀はその後ダダをこねて亜紀にしがみついて離さなかったもの、匡と喧嘩をするうちに寝てしまった。
 匡はそんな亜紀を背負い、恭子に「また」と言って、神社の階段をおりて行く。
 恭子は一人になった境内で、亜紀の白い画用紙を広げる。その絵は、亜紀がくれたものだった。そして恭子はそのタイトルを見て苦笑する。


 タイトルは————ママとパパと私。


 恭子は寂しい気持ちになるもの、何度も振り返りながら階段をおりる匡にそっと手を振った。
 本当は匡に言うべき事があって、亜紀を呼ばなかったのだが——結局は最後まで言うことが出来なかった。
 今日くらいは楽しい気持ちで一緒にいたかった。

 なぜなら今日はお盆。一年に一度、恭子の我儘が許される日であり、今日は家族に会える最後の日でもあった。
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