闇鍋という名の短編集

悠木全(#zen)

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レンタル彼氏

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 今日、私は失恋した。
 好きな人には好きな人がいて、恋が成就したらしい。いつも優しく微笑んで私の話を聞いてくれた彼とは、もう縁がなくなってしまった。
 そりゃ、そうだよね。彼女ができたのに、他の女と二人で会うことを許すはずもないし。もう彼と会えないのだと思うと、胸が張り裂けそうだった。
 それから何日もご飯が食べられなくて、何も手につかなかった私は、ある日、レンタル彼氏のウエブ広告を見つける。なんて胡散臭い話だろうと思いながらも、あまりにも寂しくて、会員登録のボタンを押してしまった。きっと彼以上に素敵な人には出会えないだろうと思いながらも、少しだけ期待する自分がいた。ほんの少しだけど。
 
 そして街中で恋人と歩く楽しそうな彼を見た時、私はもう、どうしようもなく辛くなってしまって、レンタル彼氏をお願いしてしまった。

 待ち合わせは駅前にある招き猫の銅像前だった。失恋してからろくな服を着ていなかった私は、久しぶりにオシャレをして待っていた。優しい色のセーターにチャックのスカート。それに白いコートを着た私は、なんだか惨めな気持ちだったけど、それでも頑張るためにそこにいた。
 だけど、レンタル彼氏らしき人はなかなか現れなくて、時間ばかりが過ぎていった。そんな中、周囲をうろうろと見回すお爺ちゃんがいた。派手なスーツを着て、バラの花を持ったお爺ちゃんは、その辺の人に「うとくひろみさんですか?」と聞き回っていた。
 しばらくぼうっと見ていた私だけど、そのお爺ちゃんの言葉を繰り返す聞くうち、私は青ざめる。なぜなら、有徳うとくひろみは私のことなのだ。お爺ちゃんがレンタル彼氏なのだろう。衝撃を受けた私は、慌てて帰ろうとするけど、その前にお爺ちゃんに腕を掴まれた。

「あなたが有徳ひろみさんですか?」

「……えっと」

 周囲の視線が集まる中、私は否定することができず。小さく頷いた。
 ここで否定すれば、お爺ちゃんは他の人に名前を確認し続けるだろうし、下手したらお巡りさんに捕まる可能性だってあるのだ。だから、私は肯定する以外にほかなかった。
 それからお爺ちゃんは、満足げに頷くと、私にバラの花束を差し出した。

「これは、あなたに似合うと思って用意しました。受け取ってください」

「は、はい」

 流されるままにバラの花を受け取った私は、その後レンタル彼氏ならぬレンタルお爺ちゃんと一緒に近くのファミレスに向かった。どうやらお爺ちゃんはこの街に初めて来たらしくて、お店もよくわからないという。ちなみに私もあえて知り合いのいない遠方を選んだので、土地勘はなかった。

 こうしてファミレスでお爺ちゃんと向かい合って座った私だけど、しばらく沈黙が続いた。なんて言っていいのかわからなかったからだ。レンタル彼氏の相手を選ばなかった私も悪いけど、まさかこんなお爺ちゃんが来るとは誰が思うのだろうか。私が困惑していると、先に口を開いたのはお爺ちゃんだった。

「有徳さんの趣味はなんですか?」

「え? あ、はい。ピアノと、裁縫です」

「それは、素晴らしいですね」

 お爺ちゃんは言いながら、メモをとる。耳に鉛筆を挟む姿を見ていると、うちのお爺ちゃんを思い出して笑ってしまった。すると、お爺ちゃんも笑顔になる。

「初めて笑いましたね。有徳さんは笑った方がお可愛らしいですよ」

「そ、そうですか」

「まあまあ、そんなに硬くならず。気楽にお話ししましょう。それで、どうしてあなたはレンタル彼氏を? やはり、男性と慣れるためでしょうか?」

「いえ……実は最近失恋してしまって。気晴らし——みたいなものです」

 気づくと、スラスラと正直に話していた。どうしてか、このお爺ちゃんはとても話しやすくて、つい本音が出てしまった。だけどお爺ちゃんは相変わらず笑顔で頷きながら、メモを取る。何をそんなに書きたいのだろうか……などと考えていると、お爺ちゃんも自分のことを語り始めた。

 お爺ちゃんは重忠しげただ矢三郎やさぶろうという、なんとも仰々しい名前の人だった。歳は御年七十七歳で、妻子に孫が三人がいるそうな。ていうか、そんな状態でなぜレンタル彼氏なんてやっているのか不思議だったけど、もしかしたら話し相手が欲しいのかもしれない。
 私はお爺ちゃんとしばらく話しているうちに、なんだか失恋の痛みも忘れて談笑している自分に気づいた。とても話上手なお爺ちゃんだから、ときどき笑いながらも、世間話に花を咲かせた。
 けど、そんな時だった。お爺ちゃんは真面目な顔をして、私に頭を下げた。 

「レンタル彼氏がこんなお爺ちゃんで申し訳なかった」

「いいえ。私……こんなに笑ったの久しぶりで、とても楽しいです。ありがとうございます」

「なんと、有徳さんは良い人ですなぁ。今までのお嬢さんは皆、私を見るだけで帰ってしまわれましたが。ここまできちんと会話してくださる方は初めてです」

「そうですよね。最初はびっくりしますよね。でも、私は重忠さんのこと、けっこう好きです」

「ははは、お嬢さんにそう言われると照れますなぁ」 

「じゃあ、今日はもう遅いですし。帰りますね」

「そうですね。では、また明日」

「は?」

「明日もしお時間があれば、同じ場所に来てください」

「……はい。わかりました」

 私は良い気晴らしだと思って、お爺ちゃんに明るく返事をした。お爺ちゃんとまた会うことを嫌だとは思わなかったからだ。けど、その後、とんでもないことが起きた。

 翌日。私はまたオシャレをして招き猫の銅像前で待った。すると、お爺ちゃんはなかなか現れず、変わりに現れたのは爽やかな好青年で、周囲をしきりに気にした後、私を見て手を上げた。
 私が目を丸くしていると、その男の人は私のところに颯爽とやってくる。

「お待たせしました。有徳ひろみさんですよね?」

「あ、あの……どちら様ですか?」

 尋ねると、優しそうな男の人は頭をかきながら苦笑する。

「すみません。うちの祖父が迷惑をかけて。実は俺、重忠しげただ矢三郎やさぶろうの孫で、重忠タツキって言います」

「え? お爺ちゃんのお孫さん? もしかして、お爺ちゃんに何かあったんですか?」
 
 私が心配していると、タツキさんは笑ってかぶりを振った。

「違うんです。うちの祖父にひろみさんの話し相手をするように言われまして」

「え……でも……」

「あの、一日だけ、代わりに一緒にいてもいいですか?」

「……はあ、まあ……お爺ちゃんの頼みなら」

 私がしぶしぶ了承すると、タツキさんはおかしそうな顔をする。

 そしてそれから私たちは一日一緒にいて、幸せな時間を過ごしたのだけど——すっかりタツキさんに気に入られた私は、その後、猛アタックされた上でお付き合いをすることになったのだった。

 これが全てお爺ちゃんの企みだと知った時、私は心底驚いたと同時に、素敵なお爺ちゃんと縁ができたことを幸せに思ったのだった。
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