友人の距離

たいら

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友人の距離

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「あの……先生……この間はすみませんでした」
 コーヒーの香りが充満するカフェの中をカップルやサラリーマンが談笑している。  
 店は観葉植物を仕切りにして客同士が見えにくくなる絶妙な配置にされており、その中を歩く店員の動きも無駄がなくスムーズだ。
 僕は効率というものがあまり好きじゃないけれど、効率とは人を悩まさないためにあるのだと今さらどうでもいいことに気が付いた。
「何が?」
 僕はやっと向かいに座る編集者の問いに答えた。僕より三歳若い編集者は眼鏡のツルを触りながら聞いた。 
「いえ、やっぱり怒ってます? この前余計なことを言ってしまって。すみませんでした」
 編集者の男は僕に頭を下げてくれた。
 それで思い出した。この間のことか。そう言えば悩める僕に書くことをしばらく休んだ方が良いと忠告をくれたのだ。
「いいんだ。君の言う通りだよ。僕は今休むべきなのかもしれない。頭の整理もしなくちゃいけないし……」
 若い編集者はおしぼりで額の汗を拭きながら聞いた。
「え、あの、何かあったんですか?」
「…………」
 こんなこと人に言えるわけがない。親友を振ったのに何故か振られたような気分だとは。
 あれからずっと考えている。僕はどうすればいいのかと。
 要は僕が彰を受け入れられるかどうかなのかもしれない。
 どこまで彰を受け入れられるか。彰がどこまで僕に求めるのか。僕はそれをどこまで受け入れられるのか。
 心と体。
 ……その両方。
 僕が黙ってしまったので焦ったらしい。若き編集者はさっきより大きな声で、
「先生はもっと自分に自信を持たれた方がいいと思います。先生のことが好きな読者はちゃんと先生のこと待ってますから」
と言った。
 熱意ある意見に、いつもなら茶化した言葉を返してしまう僕も何故か今日は素直に答えてしまった。
「ありがとう」
 若き編集者は心底驚いてくれた。たしかに僕は今休んだ方が良いだろう。





 小説のことも彰のことも同時に悩んでいてはどちらも進まない。
 どちらかをまず解決しなければ。僕はそう決心し、彰の住むマンションへ向かった。
 しかし30代になっても人の家の前でインターホンが押せなくてかれこれ一時間もウロウロすることになるとは。……情けない。
 近所の人に怪しまれないかと心配しもう帰ろうかと臆病風に吹かれているとエレベーターの音が鳴り、突然彰が現れた。
 肩に大きな鞄を持ちコンビニの袋を手にぶら下げている。
「征……」
 彰も僕を見つけて立ち止まり目を見開いた。
「あっ!……ご、ごめん。急に来て。あっ! 仕事だったよな。そ、そうだよな。ごめん」
 僕はみっともなく焦ってしまった。完全な挙動不審者だ。
 気を取り直したのか、彰は僕の横を通り過ぎてドアの前まで歩き、何も言わずポケットから取り出した鍵でドアを開けた。
 僕はそのままドアが閉まることを覚悟したが、彰はこちらを向き、
「どうぞ」と言った。
 彰の部屋に入るのは久しぶりだ。
 靴を脱ぎ彰の後に付いて部屋に入る。
 彰はドサッと鞄を床に下ろしリビングにある黒い布地のソファに座った。僕も隣に座る。
 僕らの間には人が一人座れそうな距離が空いていた。
 そしてそこには静かで冷たい空気が流れている。今まで何も思わなかったその距離を僕は寂しいと感じているのだ。
 彰が今何を考えているかわからなくて怖くなった。さっきからずっと無表情だ。
「ペットボトルのお茶しかないけど飲むか?」
 彰が立ち上がりかけたので僕はそれを制した。
「いや、いい」
 彰が僕の顔を見てから座り直す。
 僕はギュッと拳を握った。ずっとここに来るまで考えてたんだ。彰に何を言おうかと。
「彰……」
 僕は決心を固める。
「彰、僕は……」
 でも彰はこっちを見てくれない。視線を床に落としたままだ。
 僕は立ち上がり、彰の前に立った。
 彰は驚き僕を見上げた。僕はさらに近づき彰の肩に手を乗せた。
「なに?」
 彰が怪訝な顔をする。
 彰の顔を近くで見た。
 この前会った時よりも少し痩せた気がする……。顔色も良くないし無精髭も彰らしくない。固い髭に触れるとチクチクした。彰がさらに驚いた顔をした。
 そっと両手で彰の頬を包んだ。
 するとさっきまで言おうとしていた言葉を忘れてしまった。
 小説家のくせに咄嗟にうまい言葉が出てこないなんて。
 見つめ合う彰の目には僕の決心が見えているだろうか?
 僕は意を決して、そっと顔を近づけた。口の端にした小さなキスに彰は動かなかった。
 くっつきそうな程の至近距離で僕らは見つめ合うと今度は首に手を回し、長く、唇を合わせた。
「どうして?」
 両手で彰の右手を握る僕の手を見ながら、彰は唇を震わせ泣きそうな顔をしている。
「お前がそんなことしなくていいのに……」
 なんでそんな辛そうな顔をするんだろう……?
 胸がまた締め付けられる。
「僕が決めたことだよ。これは我慢じゃない。お前がどこまで僕に求めているかわからないけど、僕はお前に応えてやりたいんだ。その……僕のできる範囲で……友人として……」
 彰がこれで満足できるかはわからないけれど、だけどもう二度と彰の手を振り払って傷つけるなんてことはしたくなかった。





 それから僕は週に一度ほど彰の家に行くようになった。
 もともとなんだかんだで月に二度は食事をしていた仲だったんだ。それほど回数が増えたわけじゃない。それにこのくらいは友人なら普通だろう。
 僕らはソファに並んで座りテレビを見ながら手を繋ぐ。
 最初は彰の方が緊張しているように見えたけれど、だんだん慣れてきたのが指の温かさからわかる。
 彰の視線に気付いて見ると表情で僕を求めているのがわかった。
 僕らはそっと顔を近づけ、キスをした。軽く何度も重ねる優しいキス。こんな仲になっても僕らはまだ親友だ。
 彰が求めるものを僕は返してやりたいし、彰と穏やかな時間が過ごせるならそれでいい。
 彰が傷つくのは辛いだけだ。
 こんな時間が長く続いて欲しいと、本当にそう思った。



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