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創始の村・前(sideジェイラス)
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「創始の村……?」
シオリが不思議そうに言う。
彼女は何も知らない。何も知らずに、疑いもなく俺を信じようとする、稀有な少女だ。
「世界の始まりに、神が世界に降り立ち、人を作ったと言われる場所。その始まりの人々が住んでいたとされる、伝説の中に描かれている村だ」
「さっきの、ルシアの知ってた宗教の?」
「そうだ。同じものだ。俺が生まれたのは、廃れているはずの創始教を崇めている村だったんだ」
水色の瞳が戸惑い揺れている。
「……創始の村」
「そうだ」
「始まりの神の教えを頑なに守っている人たちの村だった。彼らの想いは狂信的で、とても社会に受け入れられていない」
「……監禁?」
「……そうだ。生まれてから抜け出すまで狭い部屋の中に閉じ込められていた」
「そこから抜け出してきたの?」
「そうだ」
見開かれた水色の瞳が俺を映す。
(まるで真実を映す鏡を前にしたときのような気分だな……)
俺はおかしなことを考える。そもそも、どうかしていると思う。ずっと隠して続けてきた俺自身の境遇を語ろうとしている。知った時彼女はどう変わるのだろうか。
けれど、変わらないのではないかと今では思う。
(なぜだろうか……)
心の中に、シオリの笑顔が思い浮かぶ。
親愛を感じさせる彼女の笑顔に、ほっと息を吸えるような気持ちになれた。
彼女を前にすると愛しいと言う感情が無限のように湧き上がってくる。こんな想いを抱いたのは、生まれて初めてだ。
『ジェイラスは穢れてないよ』
彼女は心からそう言っていた。
心には変わらず、僅かな恐怖を抱えている。
話終わった時に、果たして同じことを言ってくれるのだろうか――
ーーーーーー
幼い頃の記憶はとてもぼんやりとしていて、思い出せないことの方が多い。
おそらく当時の俺自身が、物事を正確に認識出来ていなかったためなのであろう。
こういうことだったのだと、すべては後になってから理解することが出来たのだ。
幼い頃、俺はずっと一人きりだった。
ひとけのない部屋の中で一人過ごすだけの日々。人のぬくもりどころか、人の言葉を聞く機会すら少なかった。
白いワンピースを着た細身の女性が数日おきに食料を置いていく。小さな俺はそれを獣のようにむさぼり食った。
そんなある日、乱暴に扉が開くと、大声でわめき散らすようにした男が部屋の中に入ってきた。
ひとしきり怒鳴り散らした後、誰もいないことを理解した彼は、ため息を吐きながら床に腰を下ろした。そうしてすぐそばに、毛布にくるまったぼろ雑巾のような姿をしていたらしい俺を見つけた。
「……お……な……っ?」
彼は何かを言っていたが、俺には理解することが出来なかった。困惑したように俺を見つめる男は、白髪混じりの長い髪と無精ひげに覆われた、みすぼらしい身なりのじいさんだった。
言葉が通じないことを理解すると、彼は舌打ちをしたあと、また怒鳴るようにして部屋を出ていった。
それが俺と、偏屈な魔法使い……ラミアン・リーフとの最初の出会いだった。
それからラミアンは、人の居ない時を狙ったように俺に会いに来ては、獣のようだった俺に言葉を教えた。その最初の過程はあまり記憶が無い。今から思えば、おそらく彼が根気良く時間をかけて、言葉を教え込んだのだろう。
「らみあん」
「そうだ。それが俺の名前だ」
「なまえ」
「人を区別するために付けられたものだ。何、意味なんてない、記号だ。区別は差別とも変わらない。くそ、あいつら見下すようにワシを蔑みやがって……おいお前、名前もないのか?」
「……?」
ラミアンは度々、俺を見つめながら不快そうな表情をすることが多かった。けれどその後で、不思議なほど優しく頭をなでた。
「名前は……まぁ、あってもいい。便利だからな。考えてやる。それより、早く学べ。学は生きる力だ。生きたければ学べ。お前が大人になりたければ……力を付けるんだ」
「まなべ?ちから?」
彼はいつも怒ったような表情でため息を吐いた。
「あいつらはどうしようもないことをしよる。くそっ……!ああ堕ちた体を抱えてなかったらこんなところには居ないのに……」
何もかも分からないままの俺に、彼は厳しい態度で悪態を吐きながらも、一つずつ物事を教え込んでいった。
世話係が居ない時に彼はやってくる。
そうして俺は世話係とは今まで通り何も交流をしなかった。ラミアンに言われていたのもあったが、彼らは俺には関心はないようだった。
だから俺に向き合う人と言えば、それは世界で一人、ラミアンだけだったのだ。
「創始の村?」
「そうだ。ここはそう呼ばれている……そしておそらく、真実創始の村だったところだ」
彼は、王都から来た魔法使いなのだと言った。魔法使いは、魔法を使えてそれを生業としている人のことだと言う。
彼の言うことには、ここは王都から遠く離れた、小さな宗教団体が作った村なのだという。
「宗教」
「そうだ……くそっ!ワシだってこんなところ来たくはなかったんだ。子供までさらって監禁しているなんて思いもしなかった。あいつら性根から腐ってやがる!」
「……」
ラミアンが言うには、俺は監禁されている子供なのだというのだ。
本来なら両親という存在に守られ育つはずの子供が、なんの教育もされず獣のように閉じこめられて育っていたのだ。
「創始の神が言っていたそうだ。世界のために生贄があればいいと。そうすれば人は生きられると」
生贄に選ばれた子が俺だったのだ。
生贄の子は無垢な子。聖なる土地で育った清らかな身体を持つ者。
だが俺にはそれがどう言う意味を持つことなのかも分からなかった。
「ああ……くそ。ワシだって、もう少し上手くやれていれば……あのときに失敗しなければ……今頃王都で華やかに暮らせていたのになあ……!!」
ラミアンはよく、独り言のように怒鳴っていた。そのときの彼は暗く沈んだ瞳をしていて俺の存在を忘れているように思えた。
頭を強くかきむしってから彼は変わらず深いため息を吐く。彼の口元はいつも同じ形に動いた。『○○たい』声を出さずに同じ言葉を繰り返していた。
無意識のように彼は体をかきむしるから、はだけた衣服の隙間から、肌に浮かぶ黒い紋様が見え隠れしていた。俺は不思議と、その紋様は衣服に隠れた彼の体中にあるだろうと思えてならなかった。
「ああ、辛い……苦しい……ああ、あ……」
けれどそうして少しすると、彼はいつも通り穏やかな瞳で俺を見つめて言うのだ。
「……勉強の続きだ」
彼はまるで強い執念を抱いているかのように、俺に学ぶことを強いた。
歪なはずの俺の幼い頃の日々は、それでも穏やかに過ぎた。
狭い部屋の中と、ラミアンと、彼の授業だけが世界の全て。
けれどその情報量は多く、退屈することなどなかった。
言葉を覚えると、彼は俺に常識を教え、最後には彼の知る高度な知識をも伝えようとしていたようだった。
「……魔法は使えぬようじゃな」
「そうなの?」
俺はラミアンが時折使う魔法を見ていたので、彼の言葉に思いの外落胆した。
「ほとんどの人は使えん」
「ふーん」
この頃には俺は普通に彼と意志疎通が出来るようになっていたように思う。彼が俺の返答に面白そうに笑うことも増えた。その頃には彼が現れてから、数年が経っていた。
何が彼をそうさせたのか、俺に学ばせることを止めることはなかった。
当時の俺の容姿は10歳ほどの子供のように見えると彼は言っていた。けれどおそらく、その年齢の子供よりも俺は更に幼かっただろうと思う。言葉を覚えたのも遅く、栄養状態もよくはなかったからだ。
この数年の間にラミアンは急速に年老いたように見えた。白髪混じりだった髪は真っ白になり、肌は皺だらけになった。
長い髪も髭も整えられていない。みすぼらしい老人。
けれど独り言を言うことが減り、瞳には爛々とした輝きが宿っていた。
だから若く幼い俺は、彼との日々はこれからもずっと続くものだと、意味もなく信じていたのだ。
なぜなら俺は人の死というものの概念すらも、正確には知らなかったのだから。
彼との永遠の別れは、ある日突然やってきた。
シオリが不思議そうに言う。
彼女は何も知らない。何も知らずに、疑いもなく俺を信じようとする、稀有な少女だ。
「世界の始まりに、神が世界に降り立ち、人を作ったと言われる場所。その始まりの人々が住んでいたとされる、伝説の中に描かれている村だ」
「さっきの、ルシアの知ってた宗教の?」
「そうだ。同じものだ。俺が生まれたのは、廃れているはずの創始教を崇めている村だったんだ」
水色の瞳が戸惑い揺れている。
「……創始の村」
「そうだ」
「始まりの神の教えを頑なに守っている人たちの村だった。彼らの想いは狂信的で、とても社会に受け入れられていない」
「……監禁?」
「……そうだ。生まれてから抜け出すまで狭い部屋の中に閉じ込められていた」
「そこから抜け出してきたの?」
「そうだ」
見開かれた水色の瞳が俺を映す。
(まるで真実を映す鏡を前にしたときのような気分だな……)
俺はおかしなことを考える。そもそも、どうかしていると思う。ずっと隠して続けてきた俺自身の境遇を語ろうとしている。知った時彼女はどう変わるのだろうか。
けれど、変わらないのではないかと今では思う。
(なぜだろうか……)
心の中に、シオリの笑顔が思い浮かぶ。
親愛を感じさせる彼女の笑顔に、ほっと息を吸えるような気持ちになれた。
彼女を前にすると愛しいと言う感情が無限のように湧き上がってくる。こんな想いを抱いたのは、生まれて初めてだ。
『ジェイラスは穢れてないよ』
彼女は心からそう言っていた。
心には変わらず、僅かな恐怖を抱えている。
話終わった時に、果たして同じことを言ってくれるのだろうか――
ーーーーーー
幼い頃の記憶はとてもぼんやりとしていて、思い出せないことの方が多い。
おそらく当時の俺自身が、物事を正確に認識出来ていなかったためなのであろう。
こういうことだったのだと、すべては後になってから理解することが出来たのだ。
幼い頃、俺はずっと一人きりだった。
ひとけのない部屋の中で一人過ごすだけの日々。人のぬくもりどころか、人の言葉を聞く機会すら少なかった。
白いワンピースを着た細身の女性が数日おきに食料を置いていく。小さな俺はそれを獣のようにむさぼり食った。
そんなある日、乱暴に扉が開くと、大声でわめき散らすようにした男が部屋の中に入ってきた。
ひとしきり怒鳴り散らした後、誰もいないことを理解した彼は、ため息を吐きながら床に腰を下ろした。そうしてすぐそばに、毛布にくるまったぼろ雑巾のような姿をしていたらしい俺を見つけた。
「……お……な……っ?」
彼は何かを言っていたが、俺には理解することが出来なかった。困惑したように俺を見つめる男は、白髪混じりの長い髪と無精ひげに覆われた、みすぼらしい身なりのじいさんだった。
言葉が通じないことを理解すると、彼は舌打ちをしたあと、また怒鳴るようにして部屋を出ていった。
それが俺と、偏屈な魔法使い……ラミアン・リーフとの最初の出会いだった。
それからラミアンは、人の居ない時を狙ったように俺に会いに来ては、獣のようだった俺に言葉を教えた。その最初の過程はあまり記憶が無い。今から思えば、おそらく彼が根気良く時間をかけて、言葉を教え込んだのだろう。
「らみあん」
「そうだ。それが俺の名前だ」
「なまえ」
「人を区別するために付けられたものだ。何、意味なんてない、記号だ。区別は差別とも変わらない。くそ、あいつら見下すようにワシを蔑みやがって……おいお前、名前もないのか?」
「……?」
ラミアンは度々、俺を見つめながら不快そうな表情をすることが多かった。けれどその後で、不思議なほど優しく頭をなでた。
「名前は……まぁ、あってもいい。便利だからな。考えてやる。それより、早く学べ。学は生きる力だ。生きたければ学べ。お前が大人になりたければ……力を付けるんだ」
「まなべ?ちから?」
彼はいつも怒ったような表情でため息を吐いた。
「あいつらはどうしようもないことをしよる。くそっ……!ああ堕ちた体を抱えてなかったらこんなところには居ないのに……」
何もかも分からないままの俺に、彼は厳しい態度で悪態を吐きながらも、一つずつ物事を教え込んでいった。
世話係が居ない時に彼はやってくる。
そうして俺は世話係とは今まで通り何も交流をしなかった。ラミアンに言われていたのもあったが、彼らは俺には関心はないようだった。
だから俺に向き合う人と言えば、それは世界で一人、ラミアンだけだったのだ。
「創始の村?」
「そうだ。ここはそう呼ばれている……そしておそらく、真実創始の村だったところだ」
彼は、王都から来た魔法使いなのだと言った。魔法使いは、魔法を使えてそれを生業としている人のことだと言う。
彼の言うことには、ここは王都から遠く離れた、小さな宗教団体が作った村なのだという。
「宗教」
「そうだ……くそっ!ワシだってこんなところ来たくはなかったんだ。子供までさらって監禁しているなんて思いもしなかった。あいつら性根から腐ってやがる!」
「……」
ラミアンが言うには、俺は監禁されている子供なのだというのだ。
本来なら両親という存在に守られ育つはずの子供が、なんの教育もされず獣のように閉じこめられて育っていたのだ。
「創始の神が言っていたそうだ。世界のために生贄があればいいと。そうすれば人は生きられると」
生贄に選ばれた子が俺だったのだ。
生贄の子は無垢な子。聖なる土地で育った清らかな身体を持つ者。
だが俺にはそれがどう言う意味を持つことなのかも分からなかった。
「ああ……くそ。ワシだって、もう少し上手くやれていれば……あのときに失敗しなければ……今頃王都で華やかに暮らせていたのになあ……!!」
ラミアンはよく、独り言のように怒鳴っていた。そのときの彼は暗く沈んだ瞳をしていて俺の存在を忘れているように思えた。
頭を強くかきむしってから彼は変わらず深いため息を吐く。彼の口元はいつも同じ形に動いた。『○○たい』声を出さずに同じ言葉を繰り返していた。
無意識のように彼は体をかきむしるから、はだけた衣服の隙間から、肌に浮かぶ黒い紋様が見え隠れしていた。俺は不思議と、その紋様は衣服に隠れた彼の体中にあるだろうと思えてならなかった。
「ああ、辛い……苦しい……ああ、あ……」
けれどそうして少しすると、彼はいつも通り穏やかな瞳で俺を見つめて言うのだ。
「……勉強の続きだ」
彼はまるで強い執念を抱いているかのように、俺に学ぶことを強いた。
歪なはずの俺の幼い頃の日々は、それでも穏やかに過ぎた。
狭い部屋の中と、ラミアンと、彼の授業だけが世界の全て。
けれどその情報量は多く、退屈することなどなかった。
言葉を覚えると、彼は俺に常識を教え、最後には彼の知る高度な知識をも伝えようとしていたようだった。
「……魔法は使えぬようじゃな」
「そうなの?」
俺はラミアンが時折使う魔法を見ていたので、彼の言葉に思いの外落胆した。
「ほとんどの人は使えん」
「ふーん」
この頃には俺は普通に彼と意志疎通が出来るようになっていたように思う。彼が俺の返答に面白そうに笑うことも増えた。その頃には彼が現れてから、数年が経っていた。
何が彼をそうさせたのか、俺に学ばせることを止めることはなかった。
当時の俺の容姿は10歳ほどの子供のように見えると彼は言っていた。けれどおそらく、その年齢の子供よりも俺は更に幼かっただろうと思う。言葉を覚えたのも遅く、栄養状態もよくはなかったからだ。
この数年の間にラミアンは急速に年老いたように見えた。白髪混じりだった髪は真っ白になり、肌は皺だらけになった。
長い髪も髭も整えられていない。みすぼらしい老人。
けれど独り言を言うことが減り、瞳には爛々とした輝きが宿っていた。
だから若く幼い俺は、彼との日々はこれからもずっと続くものだと、意味もなく信じていたのだ。
なぜなら俺は人の死というものの概念すらも、正確には知らなかったのだから。
彼との永遠の別れは、ある日突然やってきた。
応援ありがとうございます!
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