上 下
25 / 30

24:ウサギとして

しおりを挟む



 何が起きたのか、サロモネは理解出来なかった。

 突然砂埃が舞い上がったと思ったら、馬車が進み始めた。
 自分達の列の前には、当然アフェクシオンの列が居ると思っていた。
 馬車の窓は小さく、周り全てを見渡せるわけではないのだ。

 街に入ると、初めて見る見事な畑が広がっていた。
 大きいだけでなく、遠目から見ても瑞々しいと判る野菜達。
 遠くに見えるのは果樹園だろうか。
 果物など、ここ最近口にしていない。

 今夜はご馳走な上に、あの清楚な聖女面をベッドで乱れさせ泣かせるのだと、気分が高揚していた。
 その時だった。

 急にサロモネの視界が低くなったのだ。

 座っていたはずなのに、四つん這いになっているのは解った。
 体を起こそうとして手を突き……自分の手が毛むくじゃらになっているのに気付く。焦って窓から外を見ようとしたが、届かなかった。

 何が起こったのかと馬車の扉を開けようとしたが、動物の手なので扉の取手を持つ事が出来ない。
 誰も居ない馬車の中。
 扉を蹴ったり、床の上で飛び跳ねたり、椅子の上で跳ねて窓に手を掛けようとしてみたり、色々試したが全て徒労に終わった。

 このままでは餓死してしまう。
「助けてくれ!」そう叫んだつもりだったが、声が出なかった。代わりにキーッという大きな音が出た。
 それはどこから出てるのか判らないが、とても不快な音だった。



「あぁ、やっぱり中にも居たね」
 暴れ疲れたサロモネが床で寝転がっていると、外側から扉が開けられた。
 呑気な声に怒りが湧いてきたが、また閉じ込められたら困ると、急いで外へと逃げた。
 外に出たサロモネが見たのは、大量のウサギだった。

 どのウサギも怯えて震え、小さくなっている。
 他のウサギより一回り大きなウサギは、怪我をしているのか呼吸が荒く、体を横たえるようにしていた。
「困ったねぇ。聖女様どころかアフェクシオンの人も居ないし、冒険者なら回復薬持ってるかねぇ」
 グッタリとしたウサギを抱き上げた人間は、そのまま街へと歩き出した。

 そこで何かを思い出したかのように振り返る。
「君達は畑の野菜や、果樹園の果物は食べられないよ。牧草や雑草、零れた種から勝手に芽吹いた物は食べられるみたいだけどね」
 畑、果樹園、牧場を順番に指差した人間は、また向きを変えると歩き出した。

 ウサギを抱いた人間が「なぜ街から出られなくなったのかねぇ」と呟いていた事に、サロモネは勿論、他のウサギ達も気付いていなかった。



 まさか、あの人間は俺を本当のウサギだと思っているのか?
 だから畑の作物を食べるなと?
 ふざけるな!!

 サロモネは怒りに任せて畑へと向かった。
 そこで野菜に触れると、ツヤツヤで瑞々しく弾力のある手触りに感動した。
 記憶の中の生野菜は、ツヤがなく水気が抜けたフォークの刺さりが悪いものだった。
 行儀が悪いが、今はフォークも無いし、そもそも手に持てないしな、と大きく口を開けて齧りつき……吐いた。

 口から落ちたのは、どろりと溶けた異臭を放つ茶色い物体だった。

 目の前の野菜は、小さな歯型で齧り取られた跡のある、赤い野菜だ。
 しかしサロモネの足元には、茶色く変色した汚物が落ちている。
 手で触れても大丈夫だが、口に入れた瞬間には腐るのだ。

 何という拷問だろうか。
 今までは食べる物が無くひもじい思いをしてきて、今度は目の前にご馳走があるのに食べられない。
 サロモネは、目の前に広がる広大な畑を眺めた。


 サロモネの横に、一羽のウサギが並んだ。
 同じように畑を眺めている。
 何かを話そうと口を動かしたようだが、何も音が出なかった。
 残念ながらウサギには声帯が無い。
 他の動物のように鳴く事も出来ないのだ。

 せめて猫や犬など鳴ける動物だったら、意思の疎通が出来たのだろうか。サロモネはそう考えたが、考えても無駄だとすぐに諦めた。
 街の入り口へ視線を向けると、数羽のウサギが街の外を見ていた。
 その足元には数滴の血が落ちており、あの運ばれたウサギの血だろう。

 なぜあれほどの酷い怪我を負ったのかと、サロモネも街の入り口へ向かう。
 歩くのではなく跳ねての移動だが、勝手に体が動いて問題無く移動出来ていた。
 その跳ねるサロモネの目の前に、一羽のウサギが割り込んだ。

 人間だった頃ならば、王の前に割り込むなど不敬だ! と怒鳴りつけるところだが、今は何も感じなかったし、そもそも声が出なかった。


 サロモネの前のウサギはクルリと向きを変えると、数歩進んで二本足で立ち上がった。そのまま前足を前に出すようにして倒れ……何も無い空間にもたれるようにして止まった。
 まるでそこには見えない壁があるようだ。

 ウサギは体を起こし、サロモネの方へと向くと四つん這いになり、今度は後ろ足で足元の小石を蹴った。
 跳ね返ってくると思った小石は、そのままてんてんと転がっていった。

 自分達ウサギだけが閉じ込められている。
 サロモネがそう理解するのに、それほど時間は掛からなかった。
 この街には人知を超えた力が働いているのだと、アッロガンテ王国の国民は、身をもって知るのである。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

Liddie Hertz〜講師達は恋をする〜

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:6

婚約者は聖女を愛している。……と、思っていたが何か違うようです。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:11,837pt お気に入り:9,134

貧乏貴族令嬢は推しの恋を応援する

恋愛 / 完結 24h.ポイント:106pt お気に入り:276

小話:ねこちゃんみるく

BL / 完結 24h.ポイント:78pt お気に入り:10

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:19,207pt お気に入り:3,528

乙女ゲーム関連 短編集

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,526pt お気に入り:155

運命の相手は私ではありません~だから断る~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14,413pt お気に入り:983

処理中です...