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続29. 誕生日(安達)
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夜。我々はいつものように、水槽の前に並んで座っていた。床には発泡酒の空き缶と、既に中身の干されたグラスが二つ。
「――そろそろ寝ませんか」
それまでじっと魚を観察していた安達が、こちらを向いて言う。随分前から自分は魚ではなく安達を見ていたため、自然と視線が合った。二人でいることに慣れたせいだろう、見つめられていたことに気づいた安達は、赤くなる代わりに笑みを浮かべる。あたりの光を弾いて輝く、硝子細工の微笑。
「あと十分だけ起きていてくれないか」
時計にちらりと目をやってから、綺麗な微笑に向かってねだる。安達はぱちぱちと二度ほど睫を上下させた。少しして、どうしてですか、と静かな声で問いかけてくる。特にはぐらかす必要もなかったので、自分は短く答えた。
「あと十分でお前の誕生日だからだ」
安達は目を見開いた。今夜祝われるとは思っていなかったのだろう。驚いた顔は、すぐに嬉しそうに綻んだ。
「では、何としても起きていないといけませんね」
危うく抱き寄せてしまいそうになり、自分は彼へと伸びかけた手を、意志の力で空いたグラスの方に軌道修正した。
「片づけてくる」
日付が変わる三分前になると、自分は彼の手を引いて寝室に向かった。ベッドに座らせ、すぐ戻るのでそのまま待っているよう告げる。安達は真面目な表情で肯いた。恐らく実際に大真面目なのだろう。その様子を可愛いと思ったので、目を閉じてくれ、と、当初言うつもりのなかった言葉をつけ加えた。すると安達は真面目な表情のままもう一度肯き、瞼を下ろした。自分は口許を緩めてから、部屋をあとにした。
「まだ目は開けないでくれ」
寝室に戻ったとき、安達は先ほどと全く同じ姿勢と表情でじっとしていた。ゆっくりと彼の許に近づくと、気配が接近していることを察知したのか、少しだけ頭が揺れる。自分は彼のすぐ前に立つと、相手の顔を見下ろした。いつ見ても、この男は感心するほど綺麗な顔をしている。このまま押し倒して唇を奪っても、やはり目を閉じたままでいるだろうか。そんな不埒なことを考えて、自分は自分自身に呆れた。軽く頭を振ってから、リビングのキャビネットから持ってきた小さな包みを開ける。物音だけが聞こえる状況が落ち着かないのか、安達はこくんと喉仏を動かした。もしかしたら、こちらの不埒な考えを敏感に感じ取ったのかもしれない。自分は箱から贈り物を取り出し、彼の手を掴むと、綺麗に骨の浮いた手首にそれを巻きつけた。
「目を開けて」
安達は瞼を震わせた。睫が上がり、青みのある瞳が現れる。
「誕生日おめでとう」
ゆっくりと瞬きをしたのち、彼は自身の手首へと視線を下げた。そして一つ息を吸うと、溜め息をついた。
「…………綺麗ですね。どうもありがとうございます。ずっと大事にします。ずっと」
安達は感嘆の眼差しで贈り物を眺め、自分はそんな安達を満ち足りた気分で眺めた。
「初めて会ったとき、お前の笑顔を見てこれが頭をよぎったんだ」
彼の手を取り、小さな円盤に記された文字列を指でなぞって言う。すると彼は困ったように笑った。なんだか申し訳ない気持ちです、と目を伏せてはにかむ。だが安達が何と言おうと、彼が目に眩しいほど美しく微笑する男だということは覆しようのない事実だった。それで自分は彼の目許に口づけした。
「職場にしていくには少し派手だろうから、休日に出掛けるときにでも着けてくれたら嬉しい」
「……じゃあ、今度の休みは一緒に出掛けましょう」
「楽しみだ」
贈り物を箱に戻すと、我々は眠ることにした。彼の誕生日は始まったばかりであり、焦る必要はないのだ。
部屋の明かりを落とし、ベッドに潜り込む。ものの数分で眠り込んだ相手の背中を撫でながら、週末のことを考えた。自分の隣を歩く、スワロフスキーの腕時計を着けた恋人は、きっと世界中の誰よりも綺麗だろう。彼の匂いと体温を感じながら、自分は祝福された日のための眠りについた。
「――そろそろ寝ませんか」
それまでじっと魚を観察していた安達が、こちらを向いて言う。随分前から自分は魚ではなく安達を見ていたため、自然と視線が合った。二人でいることに慣れたせいだろう、見つめられていたことに気づいた安達は、赤くなる代わりに笑みを浮かべる。あたりの光を弾いて輝く、硝子細工の微笑。
「あと十分だけ起きていてくれないか」
時計にちらりと目をやってから、綺麗な微笑に向かってねだる。安達はぱちぱちと二度ほど睫を上下させた。少しして、どうしてですか、と静かな声で問いかけてくる。特にはぐらかす必要もなかったので、自分は短く答えた。
「あと十分でお前の誕生日だからだ」
安達は目を見開いた。今夜祝われるとは思っていなかったのだろう。驚いた顔は、すぐに嬉しそうに綻んだ。
「では、何としても起きていないといけませんね」
危うく抱き寄せてしまいそうになり、自分は彼へと伸びかけた手を、意志の力で空いたグラスの方に軌道修正した。
「片づけてくる」
日付が変わる三分前になると、自分は彼の手を引いて寝室に向かった。ベッドに座らせ、すぐ戻るのでそのまま待っているよう告げる。安達は真面目な表情で肯いた。恐らく実際に大真面目なのだろう。その様子を可愛いと思ったので、目を閉じてくれ、と、当初言うつもりのなかった言葉をつけ加えた。すると安達は真面目な表情のままもう一度肯き、瞼を下ろした。自分は口許を緩めてから、部屋をあとにした。
「まだ目は開けないでくれ」
寝室に戻ったとき、安達は先ほどと全く同じ姿勢と表情でじっとしていた。ゆっくりと彼の許に近づくと、気配が接近していることを察知したのか、少しだけ頭が揺れる。自分は彼のすぐ前に立つと、相手の顔を見下ろした。いつ見ても、この男は感心するほど綺麗な顔をしている。このまま押し倒して唇を奪っても、やはり目を閉じたままでいるだろうか。そんな不埒なことを考えて、自分は自分自身に呆れた。軽く頭を振ってから、リビングのキャビネットから持ってきた小さな包みを開ける。物音だけが聞こえる状況が落ち着かないのか、安達はこくんと喉仏を動かした。もしかしたら、こちらの不埒な考えを敏感に感じ取ったのかもしれない。自分は箱から贈り物を取り出し、彼の手を掴むと、綺麗に骨の浮いた手首にそれを巻きつけた。
「目を開けて」
安達は瞼を震わせた。睫が上がり、青みのある瞳が現れる。
「誕生日おめでとう」
ゆっくりと瞬きをしたのち、彼は自身の手首へと視線を下げた。そして一つ息を吸うと、溜め息をついた。
「…………綺麗ですね。どうもありがとうございます。ずっと大事にします。ずっと」
安達は感嘆の眼差しで贈り物を眺め、自分はそんな安達を満ち足りた気分で眺めた。
「初めて会ったとき、お前の笑顔を見てこれが頭をよぎったんだ」
彼の手を取り、小さな円盤に記された文字列を指でなぞって言う。すると彼は困ったように笑った。なんだか申し訳ない気持ちです、と目を伏せてはにかむ。だが安達が何と言おうと、彼が目に眩しいほど美しく微笑する男だということは覆しようのない事実だった。それで自分は彼の目許に口づけした。
「職場にしていくには少し派手だろうから、休日に出掛けるときにでも着けてくれたら嬉しい」
「……じゃあ、今度の休みは一緒に出掛けましょう」
「楽しみだ」
贈り物を箱に戻すと、我々は眠ることにした。彼の誕生日は始まったばかりであり、焦る必要はないのだ。
部屋の明かりを落とし、ベッドに潜り込む。ものの数分で眠り込んだ相手の背中を撫でながら、週末のことを考えた。自分の隣を歩く、スワロフスキーの腕時計を着けた恋人は、きっと世界中の誰よりも綺麗だろう。彼の匂いと体温を感じながら、自分は祝福された日のための眠りについた。
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