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第1章 警視庁あやかし対策本部~東京編
ドタバタな日常
しおりを挟む「ここに、直筆の署名をいただけないでしょうか!」
「は?」
華やかな桃色の袴を身にまとい、目をらんらんと輝かせた女学生が私の目の前に立ちふさがると、目の前にノートと思しき紙を差し出される。
「私も今、女子学習院で学んでいるんです!九条織葉さん、わざわざ女子学習院をお辞めになって青山女学院高等普通科の入試をご自分で突破した後、卒業されたんですよね!尊敬します、今の女性の自立の時代、九条さんのような生き方に憧れているんです!」
正確には高等普通科だけじゃなくてその後の英文専門科も卒業しているんだけど――こんな見ず知らずの女学生にそんなことを説明しても無意味か。
「まあ、名前を書くくらいなら構わないけど――こんな感じでいい?」
「ありがとうございます!」
ノートにさらさらと署名をすると、彼女は眩しいくらいの笑顔で飛び跳ねた。まあいいや。これだけでそんなに喜んでもらえるなら安いもの。と思ったらそれだけでは終わらなかった。
「九条さん、私もお願いしていいですか?」
「いや、私が先です!」
「ちょっと横入りしないでよ!」
「そっちが横取りしてんじゃないのよ、どきなさいよ」
気づけば後ろには女学生の群れ。はしゃぐ大声とともに押し寄せ、次々とノートやら手紙やらを突き出してくる。さすがにこの数は無理。だって、これから警視庁に行かないといけないんだから。
「ごめんなさいね、急ぐの」
そう言って駆け出すと、背後から声が飛ぶ。
「ああ、待ってください!」
「私だけでも!ちょっとあんたが割り込んだからこんなことになるんでしょ」
「ええっ、髪までつやつや――どうやったらそんなに素敵になれるんですか!」
そんな喧騒が後ろから聞こえてくる。こういうのを黄色い歓声とでもいうのかしら。たいていは女性が男性にするんでしょうけど。
ああ、あの子を先に警視庁に向かわせておくんじゃなかった。こんな時、狐特有の化かしの術でこの女学生たちの目くらましをできたのに。
ただ――この将来に明るい希望しか見ていない女学生らを見て思い出す。この大正デモクラシーの時代、女は男に従属するものじゃない、独立して生きるのよ、そんな強い意気込みで警視庁あやかし対策本部に勤め出していた、あの頃を。もちろん今の自分が嫌いなわけではないけれど、それでも――
そんな感傷に浸っていると、はっと我に返る。そこまで普段なら厄介ではない女の子たちですら今日はこうも手を焼くのだ。となるともっと面倒な奴らが――
「九条織葉嬢」
ぎくっとして声の方向に顔を向けると、いた。
「今日もお美しいですね。そんなに急いで、どこにお出かけですか?」
あの気色の悪い調子。妙に派手な柄の特注背広に身を包んだ、見るだけで虫酸が走る男。
「きゃー東園(とうえん)伯爵よ!」
「麗しい背広がよく似合いますわ!」
私には全く理解できないけれど、この男は女子学生にやたら人気がある。確かに顔立ちだけ見ればそこそこ整っているし、なにより伯爵という身分。普通の女学生なら憧れるのも無理はないのかもしれない。けれど、私にとっては見るたびに吐き気がする存在。悪趣味な背広に、気色の悪い口ぶり。しかも足の長さと身長の比率がどこかおかしいこのちんちくりん男の何が魅力的なのか、本当に私にはわからない。
でも、こいつ今回は使える。
「ああ、織葉嬢!」
彼の呼び声を完全無視して私は走った。細い路地へと身を滑り込ませる。案の定、彼も私を追おうとしたが、そこへ女子学生の群れがなだれ込む。人気の伯爵を前にして、彼女たちは足を止め、歓声を上げる。結果、あいつ自身が人波のせき止めとなり、彼女たちの注意もそちらに集中した。
私はふうっと一息つき、ようやく肩の力を抜いた。が、この日の厄日はまだ終わらなかった。
男たちの方も百花繚乱――いや、これはもう百鬼夜行の域である。
近所の八百屋の青年がいきなり声を張り上げた。
「毎朝キャベツを一玉持っていきますんで、ぜひ僕と将来を!」
差し出されたのは、花束でも宝石でもなく、青々としたキャベツの山。いや、毎日の食生活に野菜は大事だけど、結婚の贈り物が葉物野菜ってどういう発想?
次に、年配の郵便局長がずいずいっと前に出てきて、私の袖を掴む。
「わたしも若い頃はモテたんですよ」
誰も聞いてないのに自分語りを始めるあたり、さすがは郵便局。話の配達は早い。
その後ろからは軍服姿の陸軍士官候補生。額の汗を輝かせながら叫んだ。
「我が祖国の未来のために!どうか、わたしと並んで歩いていただきたい!」
それ告白なの?軍隊の演説なの?まずそこからはっきりさせてから話しかけてね。っていうか陸軍士官学校って全寮制でしょう。平日に学校ほっぽってこんなところにいる時点で祖国とあなたとの未来は暗くない?
ああそういえばこの前こんなのもいた。診察カバンを抱えた初老の医師。
「わたしの心臓が最近どうにもドキドキして――君が原因に違いない!」
――まあ、このおじいちゃんに限っては悪意はなくて、今思えば、知能の高い愛すべきおじいちゃん馬鹿もいた、ってところかしら。
で、気がつけば。
ぎりぎりで彼らをかわしていたはずが、なぜか私はキャベツを抱え、士官候補生から花束まで受け取る。両腕は完全に塞がり、追いついてきた女学生から渡された大量の手紙の山が足元に。
周囲はまだ喧騒の渦。黄色い声と野次と、キャベツの青臭さ。
私は小さくため息をついた。
「これ、持ち帰るのも一苦労よね。署に戻るのに」
*
「指示は以上だ。質問はあるか?」
柴田警部の声が会議室に響いた。机の上には、帝都繁華街の地図が置かれており、横丁に赤い〇が記されている。先日の深夜、あやかしが目撃され、警視庁に通報されたのだ。
地図の横には、ピストルと御符、そして私の御幣――神道の神職が使う武器置かれている。現代の武器といにしえの道具。相反するものが同居するのは、この部署ではいつもの光景だった。
私はキャベツや花束やらを同僚に押し付けてきたばかりだった。今も袖の奥からわずかに青臭い匂いが漂い、石鹸で何度洗っても完全には消えてくれない。まあ、署内はそれでしばらく笑いに包まれていたから、役得と言えば役得か。
「九条巡査部長」
警部が私に視線を送る。
「はい、異論ありません。任務を遂行させていただきます」
短く答えた。私にとっては、単なる日常生活の一部でしかないのだから、一切ためらうことはない。
そんな時、鼓膜に直結するような距離で耳打ちする声がする。
「お嬢、本当にわかってるんでやんすか?」
私は少しイラっときて言い返した。
「私が任務失敗したことあった?あなたは私の役に立つことだけやればいいのよ」
思わず声が大きくなってしまったのか、周りが私を見ると、さっきまで険しい表情だった警部が茶化すように言う。
「おや、また痴話喧嘩かな?朝から九条巡査部長は騒乱がお好きのようで」
張り詰めた空気の会議室に和やかな笑いが生まれた。ただ、私としてはあまり気分はよくないからその和やかさに入ることはできないけれど。
しかし、それからすぐに警部は表情をもとに戻すと、若い巡査へ視線を移した。
「高瀬、お前は九条巡査部長に同行し、現場を学べ。いいな?」
「はい、警部!」
高瀬君は勢いよく立ち上がり、椅子がぎしりと音を立てた。胸を張り、窓ガラスが揺れるほどの大声で答え、片手で大げさに敬礼すると、警部は小さく苦笑いを浮かべた。
「よいか。あやかしというのは姿に惑わされやすいものだ。見た目に同情するな。忘れるなよ」
高瀬君は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに気を取り直して声を張り上げる。
「了解しました!必ず任務を果たします!」
私は彼の反応を見るにつれ、小さくため息をついた。
――彼はわかっていない。
警部の言葉は曖昧に聞こえたかもしれないけれど、そこに含まれている意味はなんとなく分かった。私のこの仕事に対する姿勢が変わってきたのは、そういうところだったから。高瀬君もきっとやってるうちにわかるのだろう。
私は御幣を手に取り、すでに頭の中で任務の流れを描いていた。彼が現場でその意味をどう受け止めるか。きっと私とたどる道は同じだ。
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