あの時くれた名前~諏訪あやかし記: 神の柱と狐の器

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第4章 - 舞踏会

不快な酔っ払い

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「九条さん、僕と踊っていただけませんか?」

「美しい、今まで見た女性の中で一番だ」

「俺の家はね、公爵家なんだよ。君も華族だけど、俺と結婚すれば上には皇族しかいないはずさ」

 だから何?

 こういう奴らがだるいから出たくないのよ、「上流階級」が集まるパーティなんて。

 いつも来ている和服と同じ緋色のドレスを選んだ。見慣れているから選んだだけ。別に自分をよく見せようとかそういう気は全くない。

 でもやたらと男は絡んでくる。こういうのはうわべだけよく断ると勘違いする奴が多いから、最初はきっぱりと断っていた。でもあまりにも量が多いので無視するようになると、案の定勘違いどもが勢いづいて一層アプローチを強くしてくる。

「お嬢、踊んないんでやんすか」

 耳元で甘くささやいたのは、十代の少女――ではなくて、水色のドレスを着て人間に化けたお銀だった。

 日本人にはふつうあまりいない、ゆるく波打った濃い亜麻色の髪をなびかせ、瞳はお銀が持つ元の琥珀色をやはり濃くしたもので化かし、一見すると外国人のようにも見える少女。けれど、顔立ちはやはり純日本人の長細い切れ目に柔らかい鼻で、髪の色も瞳の色も、そこまで薄くない。日本人にもそれくらいいるかな、と思えなくもないというわけ。要するに、怪しまれないぎりぎりのラインを攻めてこの子は遊んでいるのだ。

 彼女のおかげで、私への邪魔なアプローチが多少和らいでいるのは事実で、そこは感謝している。でも、わざわざこんなことしないで外で待ってればいいのに。

 お銀の化かしにすっかり騙された男たちは、我先にと争うように彼女を踊りに誘い、というか本当に争って胸ぐらをつかみあう男たちもいる。馬鹿ねえ。この子狐なのよ。

 女たちですらすっかり騙されて、扇子で口元を隠しながらひそひそ声で噂話をしている。普通、ああやって男から気を引きすぎるとどうしても妬みを買ってしまうのだけれど、お銀があまりに華族の令嬢役にはまっているものだから、誰も対抗心を燃やそうとしないくらい。代わりに、

「どこの家のお嬢様かしら」

 なんて探り合っているようだ。

「生きることは楽しまないといけやせんからねえ、お嬢。こうして人間の男を手玉に取っておちょくるのも悪くないでやんすよ。なんか昔を思い出すでやんす、人間を化かして遊んでたあの頃」

 そうお銀がニヤニヤ笑いながら心底この状況を楽しんでいるかのような話をしていたその時、私たちは異変を感じた。

「お願いです、やめてください」

 一人の若い娘が懇願するように言う声が聞こえる。その声の方向を見ると、酔った軍人が左腕で彼女の肩を掴んでいた。それだけではなくて、もう一方の右手は彼女の腕を撫でまわすように動かしながら触っているのだ。

 私は頭に血が上って彼女の方に向かう。あれ――でもあの子、どこかで見たことがあるような気もした。ああそうだ。今は淡い緑色のドレスを着ているから気づかなかったけれど、華やかな桃色の袴が脳裏によみがえる。あのキャベツ事件が起きた日だ。あの時、最初にサインを要求してきた女子学習院に通う学生だった。

「なあ、お嬢ちゃん。今夜は、将来の偉大な将軍様と遊ぼうや。俺はなあ、陸軍大学校卒だ。将来は大将になる男だぞ。今のうちに俺のもんになっときゃ、幸せになれるんだよ。ぎゃはは!!」

 典型的なカス帝国陸軍人。態度がでかくて、意味もなく声が大きくて、こうやって自分が偉いと勘違いして周りに迷惑をかける奴ら。

 この国では、特に日露の戦争以降、軍人はずいぶん尊敬される対象になってしまった。その結果として、特に将校はこういう横暴な奴らが全国各地で暴れまわり、しかもそれを取り締まるはずの憲兵は結局陸軍の一部署でしかない。自分たちの仲間である陸軍人を、こまごまとした問題に関してはまともに取り締まりをしないのだ。要するに、こいつらはやりたい放題している割に、周りの民衆は報復を恐れて手出しできないから、余計に付け上がって調子に乗る。結果として、もはやこの手の陸軍将校はこの国の癌と呼ぶべき存在にまでなっていた。

「ちょっとあんた、いい加減にしなさいよ!」

 私は警官。こんな時に立ち向かえないなら、自分から辞職を申し出るわ。

「なんだてめぇ――」

「陸軍大学校だか何だか知らないけど、あんた本当に気持ち悪い。こんな若い女の子に絡んで、恥ずかしくないの?」

「なんだとこの小娘が!」

 怒号とともに血走った眼が私を捉える。私も負けじと睨みつけるけど、ふと男の表情が変わった。酒と傲慢さに濁ったその眼が、今度は別の欲望に染まる。

「お前――お前の方が、もっとかわいいじゃねぇか――今まで見た女の中で、一番だ。今夜、俺と一緒にいてくれるなら、さっきの無礼は水に流してやるよ」

 にやりと歪んだ下卑た笑いの中には、一切の理性のかけらもない。男はそう言うとさらにわめき出した。

「俺たち軍人は国家を守ってるんだぞ!女は男を支えて当然だろうが!特にお前みたいな美人は、俺たちの欲望を受け止める義務があるんだよ!ぎゃははっ!」

 そう言いながら酒臭い息の顔を近づけながら、奴は私の腕を掴む。

 ──カス野郎。

 私は即座に動いた。体重を流すように受け流し、手首を極める。細いヒールと長い裾が足さばきの邪魔をするけれど、子供のころから叩き込まれた体は自然と動く。くるりと一回転してそのまま足を絡めて体を崩すと、奴は地面に叩きつけられた。

「いい加減にしなさい!」

 私は声を張って押さえつけた男に言い放った。

「軍人だから何なの?尊敬っていうのはね、行動で自然と得ていくものなの。陸軍将校だから無条件で敬われるはずないでしょう。恥を知りなさい、このクズ!」

「おいコラァ、何してくれてんだよこのアマ――痛てえ、痛てえよう!」

 男は顔を真っ赤にして痛みにうめくと、なおも吠えた。

「お前――俺はなあ、じきに高官になる男だ。こんなことをしてタダで済むと思うなよ!」

 そんな脅しに私はおびえたわけではなく、組み敷いた手を緩めることはなかった。

 ――けれど正直言えば、鬱陶しかったのも事実。

 こんな痴漢野郎は当然本来ならさっさと逮捕すればいい。実は現行犯なら逮捕は警察官である必要すらないの。でも、今回に関してはそう簡単にもいかない事情がある。さっきも言ったように、こいつは皆から恐れられている陸軍将校だってこと。

 もしこいつが「私が先に手を出した」という嘘の証言を陸軍に報告したなら?こいつがマスコミにその嘘を流して「将校に暴力を振るった女警官」という見出しを作らせたら?こいつが陸軍将校であればなおさら、軍内でも新聞でも、証言をないがしろにするわけにはいかない。となればむしろ私の方が不利になってしまう。

 私は、できるだけこの小物に対してそうした不安を悟らせないようにしたけれど、私の中でぐるぐると回る思考の渦は止まってくれなかった。

「そこまでだ村口大尉」

 背後から低い男性の声が聞こえた。穏やかなのだけれども、どこか鋼のような硬質さのような響きもある声だった。

「一般市民に対する迷惑行為だ。自重しろ愚か者が」

 私は彼の登場でつい男へ締め付ける手を緩めてしまい、奴は言葉を放った男性の方に食って掛かるように歩み寄る。

「何だてめえは!俺が誰だかわかってるのか!」

 私も声の方向へ振り返ると、そこには丸眼鏡をかけた精悍な顔立ちの陸軍軍人がいた。この男と同じ軍服を着ているはずなのに、こいつのような不潔さ、傲慢さは一切なく、たたずまい、所作、すべてが洗練され、それでいて体から放つ威厳がある割には偉そうな雰囲気は全くなかった。

 私が彼の存在感に圧倒されていると、不思議なことに、この軍人も表情がみるみる変わっていく。

「お、お前――」

 丸眼鏡の軍人は一歩前に出ると、男はたじろぐ。

「私は憲兵ではないからな。今すぐ非を認め、この場を立ち去るなら、不問にしてやってもいい。ただ忘れるな。憲兵に命令を下すのは、私たち軍務局であり、統制派であると。もし拒むなら――わかっているな」

 私も周りの人たちも、彼の迫力に押されて何も言葉を発せなかった。村口と呼ばれたこの酔った軍人も、硬直してしまっている。

「永田、お前確か、ドイツに駐在しているはずでは――」

 私は驚いて丸眼鏡の軍人の顔を見た。少なくともその苗字は、シスター・セシリアの話に出てきた軍人の名前と同じだったから。

「名目上はな。だが今のこの国の惨状を前にして、のんきに海外で駐在武官などやっていられるわけがない。ましてや、お前のような軍人が内部から国を腐らせているとなればなおさらな。特に――」

 丸眼鏡の軍人は眼光鋭く村口を睨みつけた。

「諏訪に異変があるとの情報を受け取ったならばなおさらな」

 その声は穏やかながらも、温かさは全くない。もはや酔いが完全に冷めたであろう村口は、狼狽と恐怖でぶるぶると震えているのが手に取るようにわかるが、それでも口だけは動かそうとしているようだった。

「国賊どもの犬が!貴様なぞ単に時流に乗っているだけで、俺と同じ階級ではないか」

 虚勢を張ることで丸眼鏡の軍人を威圧しようと努力しているのは伝わってくるけれど、残念ながら周囲の私たちも含め、失笑もののレベルで空威張りなのがはっきりと見て取れた。

 丸眼鏡の軍人は今一度一歩村口へ歩みを進めると、奴は体を面白いくらいにびくつかせた。もはや勝負はついたと村口自身も思ったのだろうか。立ち上がってホコリを払う仕草をすると、せめて最後の見栄を張ろうとするかのように、丸眼鏡の軍人を見下ろすように吐き捨てた。

「貴様のような調子に乗った者は、ろくなものではない最期を迎えるのがオチだ。せいぜい覚悟しておけ」

 かすれた声をひねり出すと、村口は踵を返した。だがその背筋は、最初の威圧とは似ても似つかない。酔いも威厳もすっかり抜け、よろめく足取りで舞踏会会場を後にする。

 参加者の誰かが笑った。その笑いは瞬く間に会場に広がり、村口を嘲笑してとどめを刺しているかのようだった。

 私は淡い緑色のドレスを着た女学生に近づき、そっと声をかけた。

「もう大丈夫、怖かったわね。あなたは立派だったわ」

 これで感動の一件落着、かと思いきや。女学生が私の胸のあたりに抱き着いたのだ。

「九条さん!やっぱり私の憧れは本物でした。これはもしや愛?あの時道端であなたのサインをもらったのもやはり運命だったのかもしれません。あぁそうだ、最近わたくし、西の宝塚歌劇団にハマっておりますの!九条さんを見てると、歌劇団男役の方のような美しさと凛々しさが入り混じった印象を受けます――あ、これから私と一緒に踊るのはいかがですか?それと――」

 何か肌に寒気を感じ、私は女学生が喋り散らして我を忘れているのを見計らってその場から距離をとった。彼女はまだうっとりと惚けたまま話し続けている。私は人がどういう趣味を持っていようと偏見は持つ気はないし、尊重するつもり。でもごめんなさい、私にそういう趣味はないの――そう思って一旦会場を後にしようと思った私の目の前に、あの精悍な丸眼鏡の軍人がたたずんでいた。

 彼は私と目が合うと、深々と頭を下げる。

「先ほどは彼を抑えるのにご協力いただき、誠にありがとうございました。そして心よりお詫び申し上げます。我々軍人は、一般市民を守らなくてはならない立場でありながら、あのように世間様にご迷惑をかけてしまうとは――」

 雰囲気、たたずまい、仕草から見て、きっと彼はエリートコースの軍人だ。にもかかわらず低姿勢で謝る彼をみて、私は思わずふっと笑う。そして確信した。彼こそが、シスター・セシリアの話に出てきた軍人、永田鉄山であると。

「いえ、こちらこそ助かりました。おかげで私も面倒なことに巻き込まれずに済みましたし。陸軍将校さんにもまともな方がいらっしゃるんだなって感心していたところなんですよ」

 私がそう言うと、永田大尉はまた軽く頭を下げて、会場を後にした。



人間に化けたお銀
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