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第4章 - 舞踏会
Shall we dance, lady?
しおりを挟む私は永田大尉が部屋から出ていくその余韻に浸っているなか、耳を疑う声が鼓膜に届いた。
「九条織葉嬢」
ちょ――ちょっと待って。なんかこの展開、見たことあるんですけど。さっきの百合にハマっていそうな女学生も確かキャベツ事件のあったあの日にサインを求めてきた。となるとそこにいるのは――
「今日もお美しいですね。そんなになって、誰かをお探しですか?」
あの気色の悪い調子。いつもなら妙に派手な柄の特注背広に身を包んだ、見るだけで虫唾が走る男。今日はさすがに正装の燕尾服だからあんな奇妙な背広は来ていないだけだいぶマシではあるけれど、やはり胴体と足の比率がどこかおかしいちんちくりんなのは変わらない。あの日、昼間は私に声を掛けてきたあげく、夜には御幣ではたかれて気を失った、東園伯爵だった。
「いやあ、おかしいですね。確かこの前、路地の一角であなたにお会いしたような気がするんですが、どうもその後の記憶がございませんで――けれど私は夢の中で見たのです。あなたが女神のように私を救っていただけたと。きっと私たちの関係は運命なのでしょうね」
こいつ馬鹿なの?天然なの?あの時、股間に盛大なしみをつくって伸びていたこと忘れてるなんて。
「さあ、一緒に踊りましょう!私たちの運命を祝して。きっと皆も祝福してくれますよ」
勝手に運命を決めるな!お前と踊るわけない――と言いたいところなのだけれど、あいにくそう強く突っぱねられない事情がある。理由はもちろん、さっきのカス軍人のせい。いくら私が警官で、しかも永田大尉が事をきれいに収めてくれたとは言え、お上品ぶっている人間たちの前で暴力を働いた、それ自体は事実。私はこの場で、できるだけお行儀良く振舞わなくてはならなくなったのだ。そんな中でこいつの申し出を強く断れば、「やはりあの女は暴力的だった」などという噂が流れ、結果として陸軍軍人の件すら罪に問われる可能性が出てくる。
となれば。踊るしかない。こいつを見るだけでも鳥肌が立つのに、踊るなんて吐き気がするけれど、この際仕方がない。なにもこいつとの時間が永遠に続くわけでもない。短いダンスをして、あとは別の部屋にでも行けばいいのだから。
私は意を決して東園が差し出した手を取ろうとしたその時。
肩に触れる感触があった。振り向けば――銀の髪をきっちり後ろになでつけて後ろに流した、長身の美しい青年がたたずんでいた。漆黒の燕尾服と対照的に、輝くような白のシャツに細い蝶ネクタイ。髪はいつもと全く同じ色のまま、しかも瞳の色までも、お銀のようなかすかな琥珀色に変えているわけでもなく、いつものように月光のごとく輝く琥珀色だった――さすがに頭の上の大きな耳は人間のものにしてたけれど。
もちろん私も仰天した。けれどこの部屋にいた誰もが驚愕していた。人間に化けたお銀でさえも口を開けて呆然としている。それはそう。日本人しかいないこの場で、長身で色白、銀髪の男性なんていう、どう考えても外国人男性にしか見えない男が急に部屋に入って来たかと思えば、私の肩に手をかけていたのだから。
――白楼。なんであなたせめて髪と瞳を黒にして周りを化かさなかったの、浮きすぎで目立っちゃうじゃない。別の部屋に彼を連れて行って私がそう問い詰めようとしていたその時、白楼が口を開いた。
“Lady Kujo, may I have the honour of this dance(九条様、私と踊っていただけますか)?”
私の頭はクエスチョンマークだらけになった。ただ周囲はそこまで驚いていない。外国人と見られる男性が英語をしゃべっていても全く気にならないのだから。でも私はそうはならない。だって今まで白楼が英語を話していたことなんてないもの。
でも私はそこで、以前白楼が話していたことを思い出す。
『キリスト教ってやつ?前にここに来た人の中にも、それを信じてる人がいてさ。その人の頭を、ちょっとだけ覗かせてもらったんだ』
そうだ、白楼は人の頭の中を覗くことができるんだ。ならきっと、私が英文専門科で学んだ英語も頭の中から読み取って、自分のものにしてしまっているに違いない。
そうとわかれば私はこの状況を利用することにした。
“Of course, Lord Count. It would be my very great pleasure to dance with you this evening(もちろんです、伯爵。今宵、あなたと踊れることをとても光栄に思います).”
“The pleasure is entirely mine, my lady. Pray, grant me your hand(こちらこそ光栄です、九条様。さあ、手をお貸しいただけますか).”
とっさに白楼を伯爵だという設定にさせてもらった。当然、東園への嫌がらせ。ああいう上流階級というのは、話せるかは別にして英語の教養はあるはずで、“Lord Count”くらいは聞き取れているはず。要するにあなたと同じ階級の貴族よ、という嫌味になるわけ。
私の策略どおり、東園は打ちひしがれていた。こいつ、顔だけは悪くないけどスタイルは最低だし、美しさのすべてが白楼に負けている。きっと外国人貴族と私がすでに親しい関係だと勝手に勘違いした彼は、いい大人なのに大声で泣きだしながら会場を去っていった。
私は白楼と顔を見合わせてぷっと笑いあう。
私はそっと白楼に手を差し出す。白楼は私の手を取ると、予想外に強く私をリードしていった。不思議に思ってついていったその先は、会場のど真ん中。
“Let us do so where all can see us, my lady (どうせなら目立ちましょう).”
そう言う白楼の腕は、心地よく私の腰に添えられ、もう片方の腕は私の手を引き上げるように高く掲げられた。
最初の数ステップで、彼は完璧にダンスを習得しているということが分かった。私は少し呆れる。まさかダンスのやり方まで私の頭の中から抜き出しているなんて。
私が一歩下がれば、白楼は一歩前に進む。私が回れば、彼もそれを受けて滑らかに私を回転させ、ドレスの裾はふわりと宙を舞った。
彼のリードに不安感は一切なかった。すべての体重を預けても、全く揺るがない信頼感がある。
"It would be unforgivable to allow such a beautiful lady to stumble in front of so many eyes, would it not (大勢の聴衆の前で最高に美しい淑女を転ばせてしまうなんて許されないでしょう)?”
“Flattery will avail you nothing, my Lord Count(お世辞なんか何もなりませんよ、伯爵).”
そう言いながらも、私はつい口元をほころばせてしまう。
そうして私たちはダンスを続けていたのだけれど、急に白楼が耳元で囁きかける。
「俺たちのこれは、つがいになったフリみたいなものだろう?」
急に母国語で話しかけられ、白楼の感情が直に伝わるような感覚を覚えた。
「どういうこと?」
「俺は前にも言ったよね」
その言葉に、私はあの時白楼が言った言葉を思い出す。お銀が私と白楼が一緒になったらいいとはやし立てたあの時、白楼が言った言葉。
『もちろん織葉が気にしなければ全く問題ないよ』
私は耳まで赤くなるのを自覚した。まさか彼は――
「今返事を聞きたい」
彼はそう言うと、突然、私の唇に顔を寄せてきた。
鼓動が跳ね、心臓が自分のものでないようなほどうるさい。彼の美しい顔を眺めながら、私は自分の気持ちと向き合わなければならなくなった。そしてその答え――正直に言おう、私は白狐稲荷神社に来てから、彼に惹かれていた。お銀に茶化されてつい否定してしまったけれど、もう私は自分の感情に抗えなかった。
でも、ここでもうキスなんて――とっさの出来事に私が戸惑っていると、はっとある事実を思い出した。
彼はもう、私の頭の中を隅から隅まで覗いている。英単語や文法、ダンスの所作――私の彼に対する想いまで、含めて。彼への好意は隠し通せるものではなく、筒抜けだったのだ。
なら、もう。私は観念して、身を任せることにしよう。
人とあやかし、そんな恋が許されるのか。ましてあやかしを退治する血筋の神職が――冷静に考えればそんな問題は山積みだ。けれど、今はそんなこと考えたくない。
私は目を閉じて、唇を彼の唇に寄せていった。
「きゃあーーー!!!」
唇がまだ触れ合わないところで、私は目を開ける。先ほどの女学生がまた叫んでいるのだ。まさか、あのカス軍人、また彼女に手を出したか、と思ったけれど、どうも視線の先はそうではない。その先にいたのは。
燕尾服は身に着けているものの、それに似つかわしくない御幣を握り、青白い光を放とうとしている――父、是孝だった。私は本能的に感じた。あの方向は、白楼の方を向いているのだと。
私はドレスの中に隠し持っていた携帯用の小型御幣を抜いて、白楼の前に立ちふさがる。やっぱり念のため持ってきておいてよかった。私は父が放った青白いあやかし退治の光を御幣で弾き飛ばすと、会場のシャンデリアが落ち、場内にいた参加者はお銀を除いてすべて逃げていった。お銀はこの事態におろおろするばかり。それはそうだ。自分の親分である白楼を攻撃する者は敵として普通なら認識するが、かと言ってその男は主人である私の、良く見知っている父でもあるのだ。
「ちょっとお父さん!私が外国人と付き合うのがそんなに気に入らないの!?」
私はそう叫んで父を睨みつけると、父は勝手にまごついてごにょごにょと話し出す。
「いや――もちろんそれ自体はいいんだけど――ただうちは結構伝統ある家庭だから――日本人の方がなじみやすいんじゃないなーなんてお父さん思っちゃったりするんだけど――」
私たち二人はそんな様子を白い目で眺める。
「って違うわ!お前な、その男が外国人なんかではなく、邪悪な妖狐であることは、この千年の伝統を持つ我が家の血でバレバレなのだ!」
――やっぱりそうか。この舞踏会の本当の目的もよくわかった。
父は、私が妖狐である白楼と仲良くしていることを、おそらくお銀からの報告で知っていたのだ。でも彼は典型的に頭の固い神職。あやかしとみればすべて退治すべきという考えを持った原理主義者だった。そこで考えた。慈善事業にかこつけてパーティを開く。母は純粋に心が清い人だからお金も出すし、私がパーティに出席するのも正論で説得するはず。そこでパーティに引きずり出された私とともに、きっと一緒についてくるはずの白楼をその場で退治する、こんな流れだろう。
あまり私は父が好きではないし、今父がやろうとしていることも気に入らない。白楼はどう考えても退治すべきあやかしなんかじゃないから。けれどこの作戦はよくできている。何せ、白楼を力の源泉となる神社から出せば、彼は本気を出すことができない。せいぜい化かしの術を使えるくらい。すべての力を戦闘に回すことができないのだ。
父は再度御幣を構えて光を集める。
「織葉、よく考えよ。確かに、この妖狐は無理やり魂を奪うことはしないかもしれん。だがな――たとえ人生が惨めに思える者であっても、それで終わりだと決まったわけではない、そうは思わんか?」
いつも口うるさいだけの父。なのに、今日の父は母の言葉のような説得力があった。
彼は言う。人生というのは、いつか好転する可能性はある。試練を経ることも、偶然に救われることもある。けれど、ひとたび白楼に魂を抜かれてしまったら、その可能性は経たれてしまう。二度とないそれは果たして慈悲であると言えるのか、と。
「――でも」
正直言って、返す言葉が見つからずに詰まってしまった私は、別の話題にする変えることで父に反論するしかない。
「私たちの家が『諏訪神職の末裔』だなんて話、全部嘘でしょう?何で京都藤原家の末裔『九条家』が諏訪の出自なのよ。要するに私たちの家系図なんて全部嘘。なら、私も父さんも、あやかし退治の宿命なんてないんじゃない?」
「それは表層にすぎん、織葉」
今日の父はいつも見ていた父とはやはり違った。というより、もしかすると父も本来は理知的な人間だったのではないかと見まがうほどだった。
「我らの出自は、諏訪の一族。その傍流であるという系譜は、地元民の口伝でも残されているからな。文献は偽造できても、人の言い伝えはできん。確かに京都藤原家に連なる『九条』であるのはおかしいのは誰でもわかる。だがな、実は明治維新の際に幕府側についた大祝諏訪家と違い、我が家、傍流『諏訪』家は裏切って新政府側についた。そのおかげで、政府側の藤原家から『九条』の姓を賜り『諏訪』を捨て、今に至るのだ」
父の顔は御幣から輝く青白い光に照らされる。
「よって我らは、この邪悪なあやかしを退治する宿命なのだ!」
再び放たれる光。私は再び御幣でそれを払おうと動こうとしていたその時。
私の目の前には白楼がいたのだ。白楼はあの素早い動きでいつの間にか私の前に立ちふさがっていたのである。そうなれば。白楼はあの光を直撃しているはず。もちろんそんなことで倒れる白楼ではないとは思うけど、神社から離れて弱っている彼のことがとっさに心配になったのだ。
しかし――結果は私の想像の斜め上を行っていた。白楼は無傷だったのだ。
彼は半ばあきれ顔になっている。
「君――すごく弱いね。織葉の親とは思えないな。少なくとも織葉がやってたら火傷くらいはしていたよ」
そう言いながら父に一歩一歩近づいていく白楼。
「う――いや――来るな、来るなあ化け物が――あひゃあ!」
何度も光の束を白楼に送るのだけど、まるで鏡で反射した光を当てているかのように、白楼の姿が明るく照らされるだけで全く効果がない。ついに父のもとにたどり着いた白楼は、あっさりと首を打って父を気絶させたのである。
白目をむいて泡をふく父。私も少し唖然とした――あそこまで弱いなんて。
「さっきこの男の頭の中も覗いたんだけどさ」
白楼は私に向き直ってふっと笑う。
「彼は婿養子で、誰も知らないような下級神職の末子だったんだってさ。諏訪家千年の歴史を持つのは、君のお母さんの血筋だね。だから君の強さは母譲りってことになるのかな」
すべてが納得いった。
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