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第4章 - 舞踏会
罪
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白狐稲荷神社に帰ってくると、満月が社を照らしていた。
夕方から始まった晩餐会、もはや現場は大混乱となって続行不可能、しかも混乱の原因となって暴れたのが主催者の九条是孝ということで、父は警察の取り調べを受けている。
帰り際、
「あの由緒ある九条家の旦那様がご乱心なられるなんて――噂によれば、娘の外国人彼氏を受け入れられなくて暴れたらしいわよ」
などと人々は口々に父の陰口を言っていたという。まあでもあの石頭の父にはいい薬となっただろうし、ちょっといい気味だ。
さて、くだらない茶番はもう終わったし、あとは白楼と語り合って楽しい夜を過ごそう、そんな風に思って私は鳥居をくぐると――何かがおかしい。一足早く帰り着いていたお銀と白楼の様子が変なのだ。白楼は俯きながら黙っているし、一方でお銀は私の方をずっと睨んでいる。
「二人とも、どうしたの?」
お銀はため息をついて右足で体をかく。
「やっぱり――思い出さなかったでやんすね、お嬢」
訳が分からず問いただそうとすると、お銀に制止される。
「あの舞踏会はお嬢の父上が親分を討つために画策したってのは確かにありやす。けれど名目上は女工を救うための慈善事業。たんまり寄付金は集まったのでやんす。あっしが期待していたのは、お嬢があの舞踏会を通して、人助けの重要性を学ぶこと、そして――」
お銀の目は、真剣だった。私をそんな目で睨んだことなんてなかったのに。
「過去の罪を思い出してもらうことでやんした」
恐る恐る、私は聞き返す。
「私の――罪?」
お銀は白楼の方に向きなおす。
「さあ親分、見せておくんなせえ。お嬢が過去にしたことを。そのせいで親分まで巻き込まれてしまったことを」
強い口調でせかすお銀に対して、白楼は明らかに気乗りしていない様子だった。
「本当にやるのか、お銀。俺は別にそこまでする必要はないと思うんだけどな」
「いいえ、親分。あっしの存在意義は、主人を成熟した人間になるための卵にすること。ですが直輝の坊ちゃんと違い、お嬢はまだ自らが未熟であることの自覚すらしてねえ。そんなお嬢には、はっきりとわからせてやる必要があるでやんすよ」
お銀が白楼にそう強く言うと彼は苦虫を嚙み潰したような顔をしつつ、腕をさっと伸ばす。すると、目の前は急にレンガ造りの建物になった。ところどころに桜が咲き、花びらが風景に彩を添える。
これは――青山女学院だ。私が普通科に通っていたころの。
私は、学生服の襟を整え、校舎の階段を駆け下りていた。陽射しが柔らかく、襟に差し込むように吹き込む風が心地よかった。
うきうきと春の陽気を楽しみながら駅の周辺まで歩きながらお気に入りのお菓子屋さんに寄る。こんがりと焼けた焼き菓子は甘い香りを漂わせ、上がった気分をより一層高揚させてくれた。これをつまみながら友達と楽しい話をすれば、今日の放課後も最高になるはず。
そんなことを考えながら駅の近くまで歩くと、ふと視界に異質なものが写る。まさかあやかしか――と思って目を凝らすと違う。
物乞いだった。
駅の階段横に座っていたが、薄汚れた服のまま立ち上がると、私に近寄ってくる。正直、御幣を振って寄らないようにしたいほど気分が悪く、不快だった。近くに来るとより彼の汚さがはっきりと見える。肌には薄く垢が残り、靴の底は裂けていた。彼は懇願するような目をして私に言う。
「お願いします。ほんの少しで結構ですので」
彼は私が持つ焼き菓子の袋に目をやる。
「あなたが手に持ってるその菓子でも、三日は生きられる。一つでいい。恵んでくれませんか」
私は彼の臭い――汗と土ぼこりが混ざった鼻につくようなにおい、これだけでもう最悪の気分だったけれど、それよりも彼からは別の臭いがした。敗北の臭い。もはや彼はこの世界において全く役に立っていないのだ。年も取っているし、明るい未来が全く見えない。私は思った。要するにこの人は、ぼーっと生きてきたからこうなったのだ。
「あなたの待遇って自業自得なんじゃないですか?」
私の足はもう駅の方へ向いていた。
「この国では、地位も名誉も努力すれば手に入るんです。きっとあなた、若いころに努力をされなかったんですね。勉強もせず、職業訓練もせず、そんなことしてるから家がなくなるのよ。自分が悪いのに、人にこうやって何かを恵んでもらう。恥ずかしいとお思いになりません?」
校舎と同じく立派なレンガで作られた駅が見えると、私は堂々と中に入る。これが私。自ら入試を受けて学校に入り直し、立派に勉強して、放課後は楽しい友人たちと語り合う。ちょうどお友達も何人か駅に着いたみたいで、私は笑顔で迎えた。帰りは恋の噂話に近くで見た美青年、そんな明るい話題で笑い合い、将来の夢を語り合って大きく盛り上がった。
「大丈夫ですか?」
あの物乞いに視点が移る。彼に声を掛けていたのは修道女――シスター・セシリアさんだった。そうだこの日だった。上諏訪から東京の青山女学院まで出向いて来た奏さんに会ったのは。
「神様はいかなる方もお見捨てになりません。さあ、どうぞお食べになって」
そう言ってパンをセシリアさんが物乞いに渡す。しかし彼は、それに手をつけず、彼女に問う。
「これからあなたは、どこに向かいますか?」
「?私は上諏訪の修道院から来ていますので、そこへ帰りますけれど」
その言葉を聞くと、彼は奏さんにすがって懇願した。
「どうかお願いいたします。私も一緒に、上諏訪へ向かわせてください」
たったそれだけのやり取りしかなかった。けれど、奏さんはすべてを悟ったかのような悲しみの表情をしていた。
列車の汽笛が鳴る。諏訪湖と山々の稜線が見える。上諏訪だ。
「もし気が変わったら、いつでも修道院においでください。道は一つではありませんから」
セシリアさんの言葉に深く頭を下げる物物乞いの男性。進み行く男性に、セシリアさんが言葉をかけた。
「あなたに――『神』の救いがあらんことを」
急激に場面が移り変わる。ここだ。白狐稲荷神社になったのだ。
「あなたが魂に救いを与えると言われる、お稲荷様ですか?」
白楼が、いつもの縁側に座っている。その先にいるのは――さっきの物乞いだった。相変わらず身なりは汚れていたけれど、何かが違った。
目だ。私と対峙してた時の目は、絶望に満ち溢れていた。けれど彼の目は今、むしろ希望が灯っている。
「どうか――私に救いを与えてください。今、私には名があります。でも、それは何の意味もなかった。ただの記号でした。私は新しい名前がほしい。清められた魂として、生き直せるような――」
彼は白楼の下にひざまずいた。すると白楼は目を閉じて――かすかに眉間にしわを寄せた。あれ――白楼ってこんな表情するんだ。ずいぶん意外だった。だって私はてっきり、彼が人に新たな名前を与えて魂を抜くとき、いつものようにゆったりと笑いながらやっているのだと思っていたから。
やがて白楼はいつもの笑顔に戻ると、彼の額に手をかざし、再び目を閉じた。
「新たな名を与える――その名は、寂光(じゃっこう)。この名を以て、汝の魂、ここに解き放たれん」
その瞬間だった。男の身体から、光が立ちのぼった。それは色とも呼べない色――あの時、白楼と初めて会った時に見た色だった。青とも銀ともつかず、朝日にも似た温もりと、月光にも似た冷たさをあわせ持っていた。あたかも、この世に存在しないはずの記憶が形を成したような――透き通った、清らかで、この世に存在するものの中で最も美しい光。そして魂は空へと昇っていった。
私は感じた。彼は今、一番清々しい気持ちで空へと昇っていく。それと同時に――見えてしまった。彼の苦難にまみれた人生が。
生家はいつも厳しかった。錆びた家の屋根には雪が積もり、暖を取るための薪はなかった。成長すれば仕送りのために汽車に揺られて上京し、汗と油の臭いが充満する工場で働き、ひび割れた彼の手は家族を養う金を封筒で包んだ。
突然戦争が始まった。冬の満州は故郷よりもはるかに寒く、足の親指は凍傷で動かなくなった。びっこひく足でも戦争は止まってくれない。何人もの仲間とロシア人が大空を仰いで転がる。
除隊後に自分の家族ができた。けれど学もなく、不自由な足でできる仕事はわずか。その日限りの土木作業手伝いをし、妻とせき込む子供の寝顔を見て明日も頑張ろうと決意を新たにする。
しかし次の日、子供は栄養失調で亡くなっていた。葬式を終えて仕事に出かけて帰ったその日、妻の体は家の梁に首からぶら下がっていた。
仕事はいつしか若い人に奪われていき、ついに稼ぎはなくなった。そしてあの駅の階段脇。私が通りかかった。彼は迷った。けれど人生で一度だけ、物乞いをした。けれど彼は言われた。
『あなたの待遇って自業自得なんじゃないですか?』
そして白楼に会った。今彼の魂には救いの手が差し伸べられ、完全に自由となったのだ。
表情なんてわからないはずなのに、魂となった彼は、笑っているのがわかった。
眼下には、諏訪の地が広がっていった。川は銀糸のように輝き、山々は神々の布が皺を寄せたかのように連なり、諏訪湖は鏡のように空を映していた。そして、飛翔した空で、彼は魂に会った。妻と子の。彼ら三人はともにこの美しい景色を眺め、心を打たれていた。三人はついに満足し、さらに高くへ飛んで行った。
突然映像が消えた。
やはり俯いたままの白楼。そして、お銀は私を射抜くように見つめていた。
「これで思い出しやしたか?」
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