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登場人物紹介
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九条織葉(くじょう・おりは)
華族(子爵家)の出身で、諏訪大社の神職の家系から分かれた、あやかし退治の力を受け継ぐ傍流に生まれた女性。容姿端麗で教養も備え、全国の妖怪退散を目的とする「警視庁あやかし対策本部」に勤務しており、当時としては珍しく経済的に自立していたことには満足していた。しかし一方で、東京で弱いあやかしを一方的に退治するだけの日々には次第に虚しさを覚えてもいた。
そんな折、長野・上諏訪に棲む「厄災の王」という強大な妖怪を討伐せよとの命が下り、彼女は自らの血筋のゆかりのある地・諏訪へ向かう。だが、その「厄災の王」こと妖狐白楼が決して邪悪な存在ではないと悟ったとき、彼女はその力と心をどう向けるべきか、深い苦悩に直面するのだった。
正義感が強く目の前の悪を見捨てては置けない反面、過去には極めて傲慢な面もあり、家を持たない貧しい者への施しを断った過去を持つ。絶望したその貧者は白楼の下へと赴き、白楼に新たな名前を与えられて魂を身体から切り離されたことを白楼が見せる幻から思い知らされ、愕然とする。使い魔であるお銀はその事実を織葉が忘れて生活しているのを彼女の罪であるとずっと捉えており、女工救済慈善舞踏会の参加などもすべて織葉にそのことを思い出させるための策であった。
後述の村口大尉により白楼が衰弱して失踪したのち、お銀が代わりに織葉を導くが、生命力が落ちたお銀は妊娠している姿を織葉にさらけ出す。死に瀕し、もはや自分はこれから死ぬことを幻で見たとお銀は口にするが、織葉は全力で出産の手助けをする。織葉のお銀への献身的な行動で織葉は成長し、お銀とつながれていた後述の赤い糸が切れる。元気な子供たちを生んだのち、お銀は亡くなってしまうが、彼女の生きていた証を残すためにその体を持ち去って即製の剥製にする。その後、危険を承知で村口と妖怪たちが占拠する諏訪の地へと再び足を踏み入れて白狐稲荷神社の瓦礫の中に隠すと、未熟であった自らの過去への決別をお銀の剥製の前で誓い、村口たちへの再起を図る。
白楼(びゃくろう)
「厄災の王」と呼ばれるほどの力を持つ狐のあやかし。かつては自由に生きる妖狐であったが、あるとき気まぐれに一人の幼い娘を助けたことから、その子である諏訪大社の神職によって白狐稲荷神社の神として祀られることになった。
「厄災の王」の名に引けを取らない強大な妖力があり、妖怪以外の生き物に「新たな名を与える」ことで魂を肉体から離すという強大な力も宿す。魂は清らかな心を保ったまま新たな場所へ旅立つため、それは必ずしも苦しみを伴うものではない。しかも白楼は、この力を自ら望んだ者にしか決して行使しなかった。一方で、その凶悪とも呼べる力を持ちつつも、神となってからの白楼はあらゆる生き物をいとおしく思う存在へとも変わり、凶悪さと慈愛という相反する性格を有するあやかし兼神と変貌したのだった。
織葉をはじめ、彼と出会った者たちはみな、この二面性を前にして心を揺さぶられることになる。この後に記す葛城直輝、シスター・セシリア、詩織、永田鉄山・諏訪忠誠もまた、かつて白楼と深い仲であった。なお、お銀とは同じ狐のあやかしで、元々長く諏訪に住んでいたという縁から、直輝や織葉の使い魔となる前から仲が良かった。
ちなみに、「白楼」という名は、前述のかつて助けた人間の娘によってつけられた。生き物に名前を与えて魂を抜く割には、自らが人間のように名前を持つという発想がなかった彼は、何百年と名を持たずに生きていたが、ついに名を与えられることになる。しかし、名前をもらったその娘自身の名前については生前に聞くことができず、白狐稲荷神社を作った諏訪大社の神職である彼女の息子を通じて、ようやくその名前を聞くことができた。
彼は織葉と最初に会ってその名前を聞いた途端、驚いた表情を見せる。その後も何かと織葉に親しくしていたが、それはあたかも彼女と会うずっと前から織葉のことを知っているかのような振る舞いだった。
お銀(おぎん)
織葉の使い魔である銀色の狐。
かつては人を化かしてはからかう、いたずら好きの悪い狐だったが、ゴンさんと呼ばれる神職に懲らしめられ、命を助けられる代わりに未熟な人間を助ける使命を与えられた。その呪いにより、主人となる人間とお銀は赤い糸で結ばれ、主人が「成熟するための卵」から一人前へと至る瞬間に、その糸が切れる仕組みになっている。以来、諏訪の用水路を開拓した英雄・坂本養川をはじめ、多くの主人の成長を見届け、葛城直輝を育て上げたのち、最後の主人として織葉のもとに仕えることになる。
狐ゆえに化かしの術に長けており、女工救済慈善舞踏会では美しい娘へと化けて華族の男たちを翻弄した。
織葉の使い魔として彼女を助ける一方で、織葉が貧者を見殺しにした過去を強く記憶しており、それこそが織葉の罪だと考えている。そのため、織葉が自らの努力だけで今の地位にあると思い込む傲慢さをいかに崩すかを思案し、白楼の力を借りて、織葉に罪の記憶を突きつける幻を見せる。
村口大尉による白狐稲荷神社襲撃の際には、弱った白楼に代わって織葉を安全な道へと導くが、御柱祭の折に結んだ恋の結果身ごもった子が、ついに生まれる時を迎えてしまう。化かしの術の副作用として、自らの死を予感する夢を見ていたお銀は、覚悟を決めていたものの、織葉の献身的な介抱により心から安堵する。
織葉の行動によって、最後まで二人を繋いでいた赤い糸は静かに断たれ、お銀は笑顔のまま息を引き取る。織葉は、その生きた証を残すためにお銀の体を持ち去り、即席の剥製としてこの世に留めることを選ぶ。
葛城直輝(かつらぎ・なおき)
江戸時代には諏訪・高島藩の藩士であり、家老まで務めた名家に連なる葛城家の次男として生まれる。しかし明治維新後、葛城家はすべての特権を失い、戸籍にはただ「士族」と記されるのみとなった。
兄・誠司はすべてにおいて優秀で、陸軍将校となったことで諏訪家からの援助を受け、その資金で家族を養い、江戸時代以来の使用人たちも解雇せずに済んでいた。だが日清戦争で誠司が戦死すると、家はたちまち困窮する。直輝は一念発起して諏訪郡宮川村(現在の茅野市)にある私塾「大同義塾」にて猛勉強の末に陸軍士官学校に合格、やがて憲兵となって、辛うじて葛城家への援助は諏訪家から続けられた。
実は、お銀が織葉使い魔となる前、主人は直輝だった。彼自身は、自分が遊び人の未熟な人間だと自覚しており、陸軍士官学校に合格して「成熟するための卵」になった際も未熟であった自分を恥じ、お銀をねぎらった。しかし、当のお銀としては、今までの主人の中で最も立派な人間であったと考えている。
その後、親友であり密かに想いを寄せていた村瀬詩織が遊郭へ売られ、やがて邪悪な芸者「紫音」として指名手配される。直輝は上層部から紫音殺害命令を受けるが、なおも生きたまま確保しようと試み、剣を交える。しかし詩織の圧倒的な剣の腕前により刀をはじき飛ばされ、追い詰められた直輝は、自らを斬ろうとする詩織に対し、やむなく銃の引き金を引いてしまう。
死の間際、詩織=紫音から諏訪家由来の短刀を託された直輝は、やがて憲兵少佐に昇進。独自に何らかの動きをしている最中に九条織葉と邂逅し、白楼とお銀に会ったのちに白楼と一線を交えるも、その後は行方知れずとなる。
シスター・セシリア(村瀬奏=むらせ・かなで)
直輝の親友の一人で、詩織の姉。おっとりと優しく、誰に対しても博愛的に接する性格だが、いざという時には強い意志で行動する芯の強さを秘めている。妹の詩織ほど華やかな美貌ではないものの、器量は優れていた。
しかし生活の困窮によって詩織が身売りされると、俗世に絶望し修道院へ入り、シスターとして生きる道を選ぶ。実は織葉とは東京で一度会っており、直輝と白楼の関わりを探りに来た織葉に対し、直輝の過去を語った人物でもある。
紫音(村瀬詩織=むらせ・しおり)
直輝の親友の一人で、奏の妹。幼いころから直輝の父・葛城誠一郎が開く剣術道場を憧れの眼差しで見つめていた。男子のみを門下に迎えていた道場だったが、彼女に剣を握らせてみたところ、誠一郎は天才的な才を見抜く。例外として門下に入門を許し、しかも月謝を取らずに育て上げた。詩織はすぐに実力を伸ばし、男子をも退け、道場で敵う者のない存在となった。
やがて諏訪湖畔で剣を振っていた彼女は、元高島藩主にして当時の諏訪大社宮司、諏訪忠誠と出会う。忠誠は、諏訪家に伝わるあやかし退治の短刀を自ら扱えぬまま抱えていることを告げ、半ば強引に詩織へ託した。だが、詩織もまた善良な白楼を斬ることはできず、その刀の使い道に迷い続けた。剣の才を持つ者として諏訪家の正義を継ぐべきか、それともただ迷いを抱えたまま歩むのか――彼女は忠誠と同じ岐路に立たされていた。
そんな中、村瀬家は困窮し、ついに父が娘を遊郭に売る決断を下す。最初に名乗り出たのは姉の奏であったが、人買いはより華やかな詩織に高値をつけ、結局は彼女が売られることとなった。詩織は忠誠へ助けを求める手紙を送るが、忠誠は危篤で応えられず、代わりに弁護士から届いた返書は冷酷なものだった。彼女の願いを退けるばかりか、短刀を詐取したのではないかという疑いまでかけられたのである。
すべてが打ち砕かれた詩織は、諏訪忠誠より受け継いだ短刀の使い道を決める。それは、人間そのものを邪悪な妖怪とみなし、この国を根底から斬り倒すことだった。剣だけではなく頭も切れた詩織は、やがて芸者「紫音」と名乗り、上客を欺いて国家や軍の機密を蓄え、脅迫により得た資金を蓄えて反社会勢力の頭となった。
だが最期は、逮捕に向かった直輝と、その盟友・永田鉄山の策により追い詰められる。激闘の末、直輝の手によって討たれた紫音=詩織は、息絶える間際に諏訪家伝来の短刀を直輝へ託したのだった。
永田鉄山(ながた・てつざん)
陸軍大尉にして、陸軍エリートコースである、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校をすべてストレートで卒業、その後の軍務に関しても誰一人追従を許さない生粋の天才。陸軍内では秩序を重視する「統制派」に属し、派閥の若手リーダーとなっている。
諏訪郡上諏訪町生まれ。幼少時は諏訪郡宮川村にある私塾「大同義塾」で直輝とともに学んでおり、直輝に陸軍士官学校試験突破のための戦略を教えた結果、直輝は見事合格した。ただし、彼自身は父の死をきっかけとした陸軍幼年学校入学準備へ向けて東京へ向かったために、直輝の合格には立ち会えなかった。
上京後は出世街道をたどり、中尉任官の折、直輝の幼馴染・詩織をめぐる事件が発生する。直輝がしくじることを予想した鉄山は、前もって詩織の本拠地である遊郭の周りに兵を忍ばせ、直輝が窮地に陥った際には敵を掃討。直輝が本案件を被疑者である詩織を討伐するという手柄を作ることで、直輝の予備役編入処分案を無効にして彼の軍人としての地位を守った。
のちに大尉に昇進すると、憲兵を所管する軍務局へ転じ、名実ともに統制派の若手中枢へと昇り詰める。上の階級でさえ一目置く実権を握るに至るが、市民生活へ奉仕するいたって謙虚な軍人としての生活を続けた。織葉が後述の村口大尉ともめ事を舞踏会で起こした際も、村口を威嚇して退かせ、事を収めた。
諏訪忠誠(すわ・ただまさ)
諏訪の政治・宗教を担ってきた諏訪氏の血統にして、のちに宗教を司る大祝(おおほうり)家から独立した武家諏訪家の当主となり、両家を統べる立場にあった人物。その武家諏訪家が治めた諏訪湖のほとりの藩である高島藩の元藩主でもあった。剣の腕は国元でも都でも名の知れた達人で、人となりは温厚篤実。高島藩政では良政を敷き、また祖父に著名な老中・松平定信を持つ系譜も手伝って、やがて幕府老中へと昇った。
あやかし退治をつかさどる大祝諏訪家より伝来した、諏訪大社に伝わるあやかし退治の短剣を全諏訪家当主として受け継いだ。しかし、彼も白楼に会ったことで、彼の強大な妖力を目の当たりにしつつも、命をいつくしむ白楼の優しさを前にして、短刀を用いて彼を成敗するはずの諏訪家の役割を果たせずにいた。しかし、白楼が悩める人々に名前を与えて魂を抜いてしまい、結果的には自らが治める高島藩に住む人命が失われていく現実に、使命と慈悲のはざまで苦悩し続けた。結局その苦悩を抱えたまま幕府の事実上の最高権力者、老中として任につくものの、幕末維新の際には新政府軍への対処を誤り、老中を罷免。隠棲を望むも、国家神道の制度化に伴い諏訪大社宮司へ推挙される。
その諏訪大社宮司の任期が切れて休暇を楽しんでいたさなか、自らの剣を超えるとも思える太刀筋をしていた詩織の剣の稽古を偶然目撃したのち、半ば一方的に諏訪家伝来のあやかし退治の短刀を詩織に託す。
その後、詩織が遊郭に売られようとした際に助けを求めた人物でもあったが、運悪くその時の彼は病で危篤であり、あえなくそのまま息を引き取った。
村口栄太郎(むらぐち・えいたろう)
陸軍大尉で、永田鉄山と陸軍士官学校・陸軍大学校の同期。乱れた民主政治を暴力で正そうと考える危険思想を持つ「皇道派」に属し、永田鉄山が属する統制派と敵対関係にある。プライドが高く性格は横柄そのものであり、酔った挙句に女工救済慈善舞踏会で女子学生に絡んで織葉に取り押さえられたことを根に持っている。白楼の妖力が諏訪一帯の妖異の暴走を抑えていることを看破し、白狐稲荷神社が信仰を介して白楼へ生きる力を供給している構図に目を付け、織葉への復讐も兼ねて同神社を破壊。白楼を大きく弱体化させた結果、彼が失踪してしまう原因を作った。その後は、自ら率いてきた兵力とともに、暴走した諏訪の妖怪たちを利用して諏訪に駐留を続け、諏訪一帯に事実上のクーデターによる軍事政権を築いている。
蛇目の妖狐(へびめのようこ)
かつてお供のあやかし二体とともに白楼を襲った、蛇に似た目を持つ雌の妖狐。
華族(子爵家)の出身で、諏訪大社の神職の家系から分かれた、あやかし退治の力を受け継ぐ傍流に生まれた女性。容姿端麗で教養も備え、全国の妖怪退散を目的とする「警視庁あやかし対策本部」に勤務しており、当時としては珍しく経済的に自立していたことには満足していた。しかし一方で、東京で弱いあやかしを一方的に退治するだけの日々には次第に虚しさを覚えてもいた。
そんな折、長野・上諏訪に棲む「厄災の王」という強大な妖怪を討伐せよとの命が下り、彼女は自らの血筋のゆかりのある地・諏訪へ向かう。だが、その「厄災の王」こと妖狐白楼が決して邪悪な存在ではないと悟ったとき、彼女はその力と心をどう向けるべきか、深い苦悩に直面するのだった。
正義感が強く目の前の悪を見捨てては置けない反面、過去には極めて傲慢な面もあり、家を持たない貧しい者への施しを断った過去を持つ。絶望したその貧者は白楼の下へと赴き、白楼に新たな名前を与えられて魂を身体から切り離されたことを白楼が見せる幻から思い知らされ、愕然とする。使い魔であるお銀はその事実を織葉が忘れて生活しているのを彼女の罪であるとずっと捉えており、女工救済慈善舞踏会の参加などもすべて織葉にそのことを思い出させるための策であった。
後述の村口大尉により白楼が衰弱して失踪したのち、お銀が代わりに織葉を導くが、生命力が落ちたお銀は妊娠している姿を織葉にさらけ出す。死に瀕し、もはや自分はこれから死ぬことを幻で見たとお銀は口にするが、織葉は全力で出産の手助けをする。織葉のお銀への献身的な行動で織葉は成長し、お銀とつながれていた後述の赤い糸が切れる。元気な子供たちを生んだのち、お銀は亡くなってしまうが、彼女の生きていた証を残すためにその体を持ち去って即製の剥製にする。その後、危険を承知で村口と妖怪たちが占拠する諏訪の地へと再び足を踏み入れて白狐稲荷神社の瓦礫の中に隠すと、未熟であった自らの過去への決別をお銀の剥製の前で誓い、村口たちへの再起を図る。
白楼(びゃくろう)
「厄災の王」と呼ばれるほどの力を持つ狐のあやかし。かつては自由に生きる妖狐であったが、あるとき気まぐれに一人の幼い娘を助けたことから、その子である諏訪大社の神職によって白狐稲荷神社の神として祀られることになった。
「厄災の王」の名に引けを取らない強大な妖力があり、妖怪以外の生き物に「新たな名を与える」ことで魂を肉体から離すという強大な力も宿す。魂は清らかな心を保ったまま新たな場所へ旅立つため、それは必ずしも苦しみを伴うものではない。しかも白楼は、この力を自ら望んだ者にしか決して行使しなかった。一方で、その凶悪とも呼べる力を持ちつつも、神となってからの白楼はあらゆる生き物をいとおしく思う存在へとも変わり、凶悪さと慈愛という相反する性格を有するあやかし兼神と変貌したのだった。
織葉をはじめ、彼と出会った者たちはみな、この二面性を前にして心を揺さぶられることになる。この後に記す葛城直輝、シスター・セシリア、詩織、永田鉄山・諏訪忠誠もまた、かつて白楼と深い仲であった。なお、お銀とは同じ狐のあやかしで、元々長く諏訪に住んでいたという縁から、直輝や織葉の使い魔となる前から仲が良かった。
ちなみに、「白楼」という名は、前述のかつて助けた人間の娘によってつけられた。生き物に名前を与えて魂を抜く割には、自らが人間のように名前を持つという発想がなかった彼は、何百年と名を持たずに生きていたが、ついに名を与えられることになる。しかし、名前をもらったその娘自身の名前については生前に聞くことができず、白狐稲荷神社を作った諏訪大社の神職である彼女の息子を通じて、ようやくその名前を聞くことができた。
彼は織葉と最初に会ってその名前を聞いた途端、驚いた表情を見せる。その後も何かと織葉に親しくしていたが、それはあたかも彼女と会うずっと前から織葉のことを知っているかのような振る舞いだった。
お銀(おぎん)
織葉の使い魔である銀色の狐。
かつては人を化かしてはからかう、いたずら好きの悪い狐だったが、ゴンさんと呼ばれる神職に懲らしめられ、命を助けられる代わりに未熟な人間を助ける使命を与えられた。その呪いにより、主人となる人間とお銀は赤い糸で結ばれ、主人が「成熟するための卵」から一人前へと至る瞬間に、その糸が切れる仕組みになっている。以来、諏訪の用水路を開拓した英雄・坂本養川をはじめ、多くの主人の成長を見届け、葛城直輝を育て上げたのち、最後の主人として織葉のもとに仕えることになる。
狐ゆえに化かしの術に長けており、女工救済慈善舞踏会では美しい娘へと化けて華族の男たちを翻弄した。
織葉の使い魔として彼女を助ける一方で、織葉が貧者を見殺しにした過去を強く記憶しており、それこそが織葉の罪だと考えている。そのため、織葉が自らの努力だけで今の地位にあると思い込む傲慢さをいかに崩すかを思案し、白楼の力を借りて、織葉に罪の記憶を突きつける幻を見せる。
村口大尉による白狐稲荷神社襲撃の際には、弱った白楼に代わって織葉を安全な道へと導くが、御柱祭の折に結んだ恋の結果身ごもった子が、ついに生まれる時を迎えてしまう。化かしの術の副作用として、自らの死を予感する夢を見ていたお銀は、覚悟を決めていたものの、織葉の献身的な介抱により心から安堵する。
織葉の行動によって、最後まで二人を繋いでいた赤い糸は静かに断たれ、お銀は笑顔のまま息を引き取る。織葉は、その生きた証を残すためにお銀の体を持ち去り、即席の剥製としてこの世に留めることを選ぶ。
葛城直輝(かつらぎ・なおき)
江戸時代には諏訪・高島藩の藩士であり、家老まで務めた名家に連なる葛城家の次男として生まれる。しかし明治維新後、葛城家はすべての特権を失い、戸籍にはただ「士族」と記されるのみとなった。
兄・誠司はすべてにおいて優秀で、陸軍将校となったことで諏訪家からの援助を受け、その資金で家族を養い、江戸時代以来の使用人たちも解雇せずに済んでいた。だが日清戦争で誠司が戦死すると、家はたちまち困窮する。直輝は一念発起して諏訪郡宮川村(現在の茅野市)にある私塾「大同義塾」にて猛勉強の末に陸軍士官学校に合格、やがて憲兵となって、辛うじて葛城家への援助は諏訪家から続けられた。
実は、お銀が織葉使い魔となる前、主人は直輝だった。彼自身は、自分が遊び人の未熟な人間だと自覚しており、陸軍士官学校に合格して「成熟するための卵」になった際も未熟であった自分を恥じ、お銀をねぎらった。しかし、当のお銀としては、今までの主人の中で最も立派な人間であったと考えている。
その後、親友であり密かに想いを寄せていた村瀬詩織が遊郭へ売られ、やがて邪悪な芸者「紫音」として指名手配される。直輝は上層部から紫音殺害命令を受けるが、なおも生きたまま確保しようと試み、剣を交える。しかし詩織の圧倒的な剣の腕前により刀をはじき飛ばされ、追い詰められた直輝は、自らを斬ろうとする詩織に対し、やむなく銃の引き金を引いてしまう。
死の間際、詩織=紫音から諏訪家由来の短刀を託された直輝は、やがて憲兵少佐に昇進。独自に何らかの動きをしている最中に九条織葉と邂逅し、白楼とお銀に会ったのちに白楼と一線を交えるも、その後は行方知れずとなる。
シスター・セシリア(村瀬奏=むらせ・かなで)
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しかし生活の困窮によって詩織が身売りされると、俗世に絶望し修道院へ入り、シスターとして生きる道を選ぶ。実は織葉とは東京で一度会っており、直輝と白楼の関わりを探りに来た織葉に対し、直輝の過去を語った人物でもある。
紫音(村瀬詩織=むらせ・しおり)
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やがて諏訪湖畔で剣を振っていた彼女は、元高島藩主にして当時の諏訪大社宮司、諏訪忠誠と出会う。忠誠は、諏訪家に伝わるあやかし退治の短刀を自ら扱えぬまま抱えていることを告げ、半ば強引に詩織へ託した。だが、詩織もまた善良な白楼を斬ることはできず、その刀の使い道に迷い続けた。剣の才を持つ者として諏訪家の正義を継ぐべきか、それともただ迷いを抱えたまま歩むのか――彼女は忠誠と同じ岐路に立たされていた。
そんな中、村瀬家は困窮し、ついに父が娘を遊郭に売る決断を下す。最初に名乗り出たのは姉の奏であったが、人買いはより華やかな詩織に高値をつけ、結局は彼女が売られることとなった。詩織は忠誠へ助けを求める手紙を送るが、忠誠は危篤で応えられず、代わりに弁護士から届いた返書は冷酷なものだった。彼女の願いを退けるばかりか、短刀を詐取したのではないかという疑いまでかけられたのである。
すべてが打ち砕かれた詩織は、諏訪忠誠より受け継いだ短刀の使い道を決める。それは、人間そのものを邪悪な妖怪とみなし、この国を根底から斬り倒すことだった。剣だけではなく頭も切れた詩織は、やがて芸者「紫音」と名乗り、上客を欺いて国家や軍の機密を蓄え、脅迫により得た資金を蓄えて反社会勢力の頭となった。
だが最期は、逮捕に向かった直輝と、その盟友・永田鉄山の策により追い詰められる。激闘の末、直輝の手によって討たれた紫音=詩織は、息絶える間際に諏訪家伝来の短刀を直輝へ託したのだった。
永田鉄山(ながた・てつざん)
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諏訪郡上諏訪町生まれ。幼少時は諏訪郡宮川村にある私塾「大同義塾」で直輝とともに学んでおり、直輝に陸軍士官学校試験突破のための戦略を教えた結果、直輝は見事合格した。ただし、彼自身は父の死をきっかけとした陸軍幼年学校入学準備へ向けて東京へ向かったために、直輝の合格には立ち会えなかった。
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のちに大尉に昇進すると、憲兵を所管する軍務局へ転じ、名実ともに統制派の若手中枢へと昇り詰める。上の階級でさえ一目置く実権を握るに至るが、市民生活へ奉仕するいたって謙虚な軍人としての生活を続けた。織葉が後述の村口大尉ともめ事を舞踏会で起こした際も、村口を威嚇して退かせ、事を収めた。
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その諏訪大社宮司の任期が切れて休暇を楽しんでいたさなか、自らの剣を超えるとも思える太刀筋をしていた詩織の剣の稽古を偶然目撃したのち、半ば一方的に諏訪家伝来のあやかし退治の短刀を詩織に託す。
その後、詩織が遊郭に売られようとした際に助けを求めた人物でもあったが、運悪くその時の彼は病で危篤であり、あえなくそのまま息を引き取った。
村口栄太郎(むらぐち・えいたろう)
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そのほかに外伝も綴りました。
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