あの時くれた名前~諏訪あやかし記: 神の柱と狐の器

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エピローグ 現代

夏休み

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「やっぱり、また来てないじゃん。直輝のやつ」

 先に鳥居をくぐって境内に入った詩織が、軽く眉をひそめながら辺りを見回す。空は澄み渡った真夏の青で、白い雲が高く流れていた。白狐稲荷神社の境内では、蝉の声が一斉に鳴く。

「今朝やっと通販で届いたんだよ?諏訪大社の『短刀ペンダント』。これって三か月待ちだよ、三か月!今日はいい日になると思ったのに、あいつムカつく!」

 詩織が胸元のチェーンをそっと押さえる。細い銀鎖の先に、小指ほどのミニチュア短刀が揺れていた。鍔には狐の刻印。なんだか気恥ずかしい。

 隣で奏が、ふわりと笑う。

「うらやましい。私、抽選三回も落ちたのに――。でもまあ、直輝くんはいつも通りだよ。きっと自分の世界で時間が流れてるのよ、いつも」

「男子ってほんとこう。なんでいつも遅れるわけ?」

「鉄山くんは来てるじゃない」

「え、それは男子っていうか鉄山くんは例外でしょ?漫画のキャラみたいに勉強もスポーツも何でもできちゃうし。まあ私のタイプじゃないのが惜しいけど」

 詩織の茶化しに、鉄山ははにかみながら笑った。

「名前のプレッシャーもあるんだ。永田鉄山から取られたから、本家本元に恥じないようにしないと」

「え――本当にそんなふうに考えて生きてるんだ」

 詩織の目が少し驚いたように丸くなる。

「私はよくある名前だから、自分が名前に何か背負ってるなんて思ったことはなかった」

「まあでも」

 眼鏡の奥で笑みを絶やさない鉄山は続ける。

「詩織っていう名前、明治・大正の頃は上品で聡明な響きだったらしいよ。詩を織る――知性と美しさを重ねる、まさに詩織ちゃんにぴったりな名前だと思うけどな」

「なにそれ口説いてんの?高校生になったからって中学生に手を出しちゃダメだよ?」

「詩織!やめなさいってば、鉄山くん困ってるでしょ!」

 俺は思わず微笑んだ。

「――あれ?」

 ふと詩織があたりを見渡す。

「直輝がいないのに気を取られてたけど、言い出しっぺもいないじゃん」

「ああ、彼女は直輝を探しに行ったみたいだよ」

 鉄山の何気ないつぶやきに、詩織はより一層眉間にしわを寄せる。

「もうほんとあいつ、人に迷惑かけて、最低!」

 そのとき、境内の奥から声がした。

「いやあ、今日もいい天気だなー。絶好の行楽日和ってやつだね。こんな日に出かけられるのは本当に運がいいよ君ら。って、痛てえっ!」

 現れたのは直輝。片腕を押さえて飛び跳ねている。後ろを、竹刀を振り上げた詩織が追いかけていた。

「何が行楽日和よ!また遅刻して!また人に迷惑かけて!またまたまたって、バカじゃないの!」

「おい、やめろって!いくら剣道中体連一位だからってなんで竹刀なんか持ってんだよ!」

「神聖な場に不敬な人間が来るのをシバくために持ち歩いてんのよ!」

「詩織、やめなってば!」

 慌てて仲裁に入る奏と鉄山。その様子は、いつもの夏と同じ光景。

 やがて、その騒がしさの中から、ふっと声が響いた。

「やっぱり行き違っちゃったみたいね」

 彼女はいつの間にか神前に立っていた。全員が、その声に自然に動きを止める。

「詩織、その馬鹿はたぶん一生治らないよ。体力使うだけ無駄じゃない?」

「――ほんとそうね」

 詩織が竹刀を下ろす。

「せっかくの夏休みなんだから、気持ちよく始めなきゃね」

 詩織がそう言うと、織葉の胸に抱かれていた銀色の姿がさっそうと駆けていく。すると、直輝に近づいて足にすり寄った。

「おーお銀!今日も来たか。会いたかったぞー」

 そう言って直輝はそれを抱きかかえる。

「お銀?何でそんな名前なの?」

「銀色の狐だからお銀さ。いい名だろ?」

「なんか安直――」

「お銀ちゃん、いい名前ね!私はお稲荷様の剥製に似てたから『お稲荷ちゃん』って勝手に呼んでたけどねー」

「お姉ちゃん、なんかそれも安直――っていうか織葉、またお供え物にバナナとおやき?いつも思うんだけど、お稲荷様食べ合わせ悪そうじゃない?」

 夏らしい爽やかな笑い声が広がる。みんなそう思うよね。でも俺はそれが好きなんだよ。

 一通り話がすんだあと、みんなは俺の下に集まった。

「九条織葉です。お稲荷様」

 その言葉とともにみんな背筋を伸ばすと、織葉は俺を見つめた。

「この剥製、なんか生きてるみたいで苦手なんだよな。妙に生々しいっつーか」

「せっかくいい雰囲気なんだから黙りなさいよ」

 詩織の蹴りにひるんだ直輝は押し黙ると、織葉は続けた。

「昔からこの場所には、私たちの時間が流れていて。ここに来るだけで、安心して、笑えて、思い出が重なっていきました。これからも、きっとそうです」

 織葉は振り返り、みんなに頷く。

「だから――今日から始まるこの夏も、どうか、最高のものになりますように」

 全員で、二礼二拍手一礼。

 蝉の声が、夏の空へ高く昇っていった。琥珀色に輝く太陽、黄金に輝くひまわりがみんなの後ろに見える。もうこの時点で、この上なく美しい夏の社に立っているだけで、俺がいなくても君らの夏休みは最高だよ。

 それでも――俺は叶えるよ。あの時叶えられなかった君らの夢を、今。

 最高の夏休みをあげるよ。
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