34 / 34
エピローグ 現代
夏休み
しおりを挟む「やっぱり、また来てないじゃん。直輝のやつ」
先に鳥居をくぐって境内に入った詩織が、軽く眉をひそめながら辺りを見回す。空は澄み渡った真夏の青で、白い雲が高く流れていた。白狐稲荷神社の境内では、蝉の声が一斉に鳴く。
「今朝やっと通販で届いたんだよ?諏訪大社の『短刀ペンダント』。これって三か月待ちだよ、三か月!今日はいい日になると思ったのに、あいつムカつく!」
詩織が胸元のチェーンをそっと押さえる。細い銀鎖の先に、小指ほどのミニチュア短刀が揺れていた。鍔には狐の刻印。なんだか気恥ずかしい。
隣で奏が、ふわりと笑う。
「うらやましい。私、抽選三回も落ちたのに――。でもまあ、直輝くんはいつも通りだよ。きっと自分の世界で時間が流れてるのよ、いつも」
「男子ってほんとこう。なんでいつも遅れるわけ?」
「鉄山くんは来てるじゃない」
「え、それは男子っていうか鉄山くんは例外でしょ?漫画のキャラみたいに勉強もスポーツも何でもできちゃうし。まあ私のタイプじゃないのが惜しいけど」
詩織の茶化しに、鉄山ははにかみながら笑った。
「名前のプレッシャーもあるんだ。永田鉄山から取られたから、本家本元に恥じないようにしないと」
「え――本当にそんなふうに考えて生きてるんだ」
詩織の目が少し驚いたように丸くなる。
「私はよくある名前だから、自分が名前に何か背負ってるなんて思ったことはなかった」
「まあでも」
眼鏡の奥で笑みを絶やさない鉄山は続ける。
「詩織っていう名前、明治・大正の頃は上品で聡明な響きだったらしいよ。詩を織る――知性と美しさを重ねる、まさに詩織ちゃんにぴったりな名前だと思うけどな」
「なにそれ口説いてんの?高校生になったからって中学生に手を出しちゃダメだよ?」
「詩織!やめなさいってば、鉄山くん困ってるでしょ!」
俺は思わず微笑んだ。
「――あれ?」
ふと詩織があたりを見渡す。
「直輝がいないのに気を取られてたけど、言い出しっぺもいないじゃん」
「ああ、彼女は直輝を探しに行ったみたいだよ」
鉄山の何気ないつぶやきに、詩織はより一層眉間にしわを寄せる。
「もうほんとあいつ、人に迷惑かけて、最低!」
そのとき、境内の奥から声がした。
「いやあ、今日もいい天気だなー。絶好の行楽日和ってやつだね。こんな日に出かけられるのは本当に運がいいよ君ら。って、痛てえっ!」
現れたのは直輝。片腕を押さえて飛び跳ねている。後ろを、竹刀を振り上げた詩織が追いかけていた。
「何が行楽日和よ!また遅刻して!また人に迷惑かけて!またまたまたって、バカじゃないの!」
「おい、やめろって!いくら剣道中体連一位だからってなんで竹刀なんか持ってんだよ!」
「神聖な場に不敬な人間が来るのをシバくために持ち歩いてんのよ!」
「詩織、やめなってば!」
慌てて仲裁に入る奏と鉄山。その様子は、いつもの夏と同じ光景。
やがて、その騒がしさの中から、ふっと声が響いた。
「やっぱり行き違っちゃったみたいね」
彼女はいつの間にか神前に立っていた。全員が、その声に自然に動きを止める。
「詩織、その馬鹿はたぶん一生治らないよ。体力使うだけ無駄じゃない?」
「――ほんとそうね」
詩織が竹刀を下ろす。
「せっかくの夏休みなんだから、気持ちよく始めなきゃね」
詩織がそう言うと、織葉の胸に抱かれていた銀色の姿がさっそうと駆けていく。すると、直輝に近づいて足にすり寄った。
「おーお銀!今日も来たか。会いたかったぞー」
そう言って直輝はそれを抱きかかえる。
「お銀?何でそんな名前なの?」
「銀色の狐だからお銀さ。いい名だろ?」
「なんか安直――」
「お銀ちゃん、いい名前ね!私はお稲荷様の剥製に似てたから『お稲荷ちゃん』って勝手に呼んでたけどねー」
「お姉ちゃん、なんかそれも安直――っていうか織葉、またお供え物にバナナとおやき?いつも思うんだけど、お稲荷様食べ合わせ悪そうじゃない?」
夏らしい爽やかな笑い声が広がる。みんなそう思うよね。でも俺はそれが好きなんだよ。
一通り話がすんだあと、みんなは俺の下に集まった。
「九条織葉です。お稲荷様」
その言葉とともにみんな背筋を伸ばすと、織葉は俺を見つめた。
「この剥製、なんか生きてるみたいで苦手なんだよな。妙に生々しいっつーか」
「せっかくいい雰囲気なんだから黙りなさいよ」
詩織の蹴りにひるんだ直輝は押し黙ると、織葉は続けた。
「昔からこの場所には、私たちの時間が流れていて。ここに来るだけで、安心して、笑えて、思い出が重なっていきました。これからも、きっとそうです」
織葉は振り返り、みんなに頷く。
「だから――今日から始まるこの夏も、どうか、最高のものになりますように」
全員で、二礼二拍手一礼。
蝉の声が、夏の空へ高く昇っていった。琥珀色に輝く太陽、黄金に輝くひまわりがみんなの後ろに見える。もうこの時点で、この上なく美しい夏の社に立っているだけで、俺がいなくても君らの夏休みは最高だよ。
それでも――俺は叶えるよ。あの時叶えられなかった君らの夢を、今。
最高の夏休みをあげるよ。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎
倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。
栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。
「責任、取って?」
噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。
手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。
けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。
看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。
それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
