さくらの剣

葉月麗雄

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遊郭阿片事件編

遊郭阿片事件四

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ここは夢も希望もないありんす国。

大門をくぐり抜けて外の世界に出るなんて一生叶わない夢なのかも知れない。
遊女の平均寿命は二十二歳だったと言われている。
無事年季を終えて吉原から出られた遊女などほんのひと握り。

落籍(らくせき)〔見請け〕されて出られる人もまたひと握り。
大半は人知れずこの遊郭の中で病気か過労でその生涯を閉じる事になる。

「わっちもその一人になりんすかね。最後は投げ込み寺行きでありんしょうね」

朝霧はそんな事を何年も考えている。

投げ込み寺とは不浄の死を遂げた遊女を投げ込む寺の事で、犬や猫を葬るのと同じ扱いにする事で地獄へ落ちないようにするとか祟りがないようにする意味合いがあったと言われている。

「しかし遊女には遊女の意地がありんす。わっちは会いにきてくれた主(ぬし)さんに朝霧大夫という遊女に出会えた事を生涯語り継げるようにお相手する。それが遊女という仕事の誇りでありんす」

朝霧は江戸を代表する商人の一人であった材木問屋上州屋の大旦那に寵愛されていた。
大旦那は必ず朝霧を身請けすると約束してくれたが、この遊郭でそんな話しはそこいらじゅうに転がり落ちている。
甘い言葉に騙されてお金だけ奪い取られ、絶望感から自害する遊女も少なからずいたのだ。

朝霧の身請けをするには八百から千両は必要と言われたが上州屋ならそれくらいの金子、造作もなく用意出来るであろう。
大旦那には既に妻と子供も居たので、本家に入る事はなく妾として別邸で暮らす事になるが、それでも遊女にとっては申し分ない条件であった。

朝霧は大旦那を信頼してはいたが、やはり本当に身請けされて大門をくぐり抜けるまでは安心する事は出来なかった。

朝霧が身請けされて店を出るという事は店の大夫が一人減るというだけの話ではない。
次のお職が誰になるのか。それ以下の役はどう入れ替わるのか、玉屋の中で遊女たちの地位が大きく動く事にもなるのである。

⭐︎⭐︎⭐︎

「朝霧姐さん、昨夜はありがとうございました」

「何も桜花はんを助けるためにしたわけではござりんせん。あの長安先生はわっちのおゆかり様〔馴染みの客〕であんなんす。それだけでありんすよ。まあ、武左(ぶざ)〔威張り腐っている客〕で少しばかりイラッとしたのも確かでありんす。

出来れば会いたくない相手ではあんなんすが、金払いのいい上客で無下に断ると店の売り上げとわっちの借金返済にも関わるから嫌でもいい顔しとるんよ」

「朝霧姐さん、あの長安という医者について何か知っている事はありませんか?」

「桜花はんはどうして長安先生の事を知りたいんでありんすか?」

朝霧にじっと見つめられて桜は一瞬答えるのに躊躇するが、ここで大岡越前の御庭番が先に潜入していたのが役に立った。

「実は少し前にここで働いていたお松さんは私の親しくしていた友人だったんです。それが突然行方がわからなくなって。それでお松さんの手掛かりを掴むために芸者としてここに来たんです」

半分は嘘だがまるっきりの嘘ではない。
桜がそう言うと朝霧はそれを信じてくれたようだ。

「お松はんは確か足抜けして自害したと霧右衛門はんから聞かされなんしたけど、わっちにはお松はんが足抜けするとは思えんでありんす。やはり何か裏がありんしょうね」

「朝霧姐さんにも心当たりがあるんですか?」

桜に聞かれて朝霧はため息を一つついて話しを始めた。

「半年前の事でありんす。わっちの禿であったおふじが何者かに手をかけられたでありんす」

「手をかけられたとは?」

「おそらく殺されたんでありんしょうな。霧右衛門はんは足抜けした罪で折檻して死なせてしまったと言いなんしたが、お松はん同様におふじも足抜けするとはわっちには考えられんでござりんす」

桜は朝霧の話しをしばらく黙って聞いていた。

「霧右衛門はんは前々から何か怪しい事をやっているとわっちは睨んでおりんした。おふじは頭の良い子でありんしたので、わっちと同じ事を思っていたのかもしれんすが。。そして殺されたと思われる日の夜、その日も長安先生は来店しなすったので何かを見なんしたんでしょうな」

「何かとは?」

「おそらく裏で取引している御禁制の品でありんしょうな。長安先生も当然それに一枚噛んでおるんでしょう。あの羽振りの良さは霧右衛門はんと連んでなければ考えられんでござりんす」

「御禁制の品。。」

桜は阿片を思い浮かべたが流石にそれをここで口に出す事は控えた。

「桜花はん、あなたはその歳で相当な修羅場をくぐり抜けて来たお人ですな。わっちはこの吉原で長年色んな人を見ておりんすので、人を見る目はそこそこあると思うておりんす。あなたは只者ではないとわっちの心がそう伝えてくるのでありんすよ」

「朝霧姐さん。。」

「言えない理由がござりんしょうからあえて聞きはしませぬ。わっちはおふじの仇をうちたいんでありんす。危険は覚悟の上でありんすよ」

朝霧はそう言って桜の前から立ち去って行った。

「平田長安におふじちゃんの件。この二つが無関係とは思えない」

⭐︎⭐︎⭐︎

三味線の弦を買い替えるため、桜は昼見世が終わった七つ〔夕方4時ころ〕に揚屋町に向かって歩いていたが、途中で突如四人の男たちに囲まれた。

「桜花だな。ちょいとばかり顔貸してもらうぜ」

男の一人が桜の手を引っ張ろうとした瞬間、桜が逆にその手を取りねじ上げる。

「て、てめえ」

「源心、私の刀を」

桜がそう言うと屋根つたいに忍びよってきた源心が刀を桜に投げ渡す。
桜はタン!と飛んで刀を受け取ると素早く抜刀して腕を掴んできた男の頭を峰打ちする。
悲鳴を上げて倒れる男と驚く他の男たち。

「この程度の事、想定済みだよ。お前たち誰に頼まれて私を狙った?」

桜の問いに残る三人の男たちは刀を抜いての回答をして来た。

「お前たち程度なら桜流抜刀術を使うまでもない。稽古の練習台にしてやるからかかってきな」

男たちは刀を振るうが、鍛え上げられた御庭番の桜の前になす術なく全員峰打ちであっけなく倒された。

「源心、こいつらをしょっ引いて調べてくれない」

「わかった。後は任せろ」

「おおかた紅玉の差し金だろうね。この程度の下っ端調べても尻尾は掴めないだろうけど、何もしない訳にもいかないからね」

源心の手配により、この男たちは吉原内の面番所ではなく、南町奉行所に連行された。


桜が源心を見送って再び揚屋町に向かおうとする足をぴたりと止めた。
一連の騒動をずっと見ていた影に気づいていたからだ。

「見ていたんですね、朝霧姐さん。。」

桜が振り向くとそこには朝霧が立っていた。

「桜花はん、あんたやっぱり隠密だったんでござりんすね。それも相当な凄腕の」

桜は朝霧がいた事には途中で気がついていた。
だが、あの場面では降りかかる火の粉は振り払わねばならず、見られるのは覚悟の上であった。
おそらく朝霧は桜がただの芸者ではない事を薄々気がついていたであろう。
桜もまた朝霧が密かに楼主霧右衛門を探っているのであろう事は薄々わかっていた。

「わっちはあんたの事、誰にも話すつもりはござりんせん。そのかわりおふじの仇を取る手伝いをして欲しいでありんす」

「朝霧姐さんにとっておふじちゃんは大切な子だったんですね」

「わっちの実の子のような子でありんした。あの子がいなくなってわっちは心の中に隙間が出来たようでござりんす。さぞ無念でありんしたろう。せめてわっちが仇を取っておふじのお霊前に報告してやりとうござりんすよ。桜はん、ちょっと長くなりんすが、わっちの昔話を聞いておくんなし」
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