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五話 幻影の狭間で
しおりを挟むその日もカフェはいつもと同じように忙しかった。常連客たちが談笑し、新しいお客さんがメニューを眺めている。私はエプロンを直しながら、笑顔でお客様に応対していた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
慣れた手つきでトレイを持ちながら、次々と注文をこなしていく。働き始めたばかりの頃は失敗ばかりだったけれど、少しずつこの環境に慣れてきた。そんな自分に少し自信を持ち始めていた――その時だった。
「まあ、これは驚いたわ。あのエリザベートがこんなところで働いているなんて」
背筋が凍るような声が聞こえた。振り向くと、そこにはセレナとその取り巻きの女性たちが立っていた。彼女の整った顔には冷笑が浮かび、その視線には嘲りの色が滲んでいる。
「セレナ……」
私は驚きと困惑の入り混じった声を漏らした。彼女はかつての友人――いや、友人と呼べるような関係ですらなかったのかもしれない。セレナはいつも私に対して優越感を示し、時にそれがあからさまな嫌がらせに変わることもあった。
「エプロン姿がお似合いね。あの優雅なエリザベートも、ついに庶民の仲間入りってわけ?」
セレナの言葉に、取り巻きたちが笑い声を上げる。私は拳を握りしめたが、ここは職場だ。感情を表に出してはいけない。私はぎこちない笑顔を作りながら答えた。
「ご注文を伺います。何になさいますか?」
「ふふ、そうね……。じゃあ、高級な紅茶でもあるのかしら? それとも、庶民が飲む安物のコーヒーしかない?」
セレナはわざとらしくメニューを見ながら、私を一瞥した。その態度に、取り巻きたちの笑い声がさらに大きくなる。私は喉の奥に込み上げる言葉を飲み込みながら、冷静を保とうとした。
「申し訳ありませんが、当店ではこだわりのコーヒーを提供しております。お好きなものをお選びください」
セレナは満足そうに笑みを浮かべながら、わざとらしい声で言った。
「じゃあ、一番安いコーヒーでいいわ。それがあなたにふさわしいでしょう?」
言葉の棘が胸に突き刺さる。私は何も言い返せず、ただ「かしこまりました」とだけ返し、カウンターへ向かった。背中越しに聞こえる笑い声が、嫌でも耳に残る。
コーヒーを淹れていると、セレナの声が再び耳に届いた。
「ねえ、覚えてる? 昔はどれだけ豪華なパーティーを開いていたか。でも、今のあなたはその残りカスよね。ああ、哀れだわ」
取り巻きたちはそれに同調し、嘲笑を繰り返す。私はなんとか平静を装い、トレイにコーヒーカップを載せた。だが、カップを持つ手が震えているのが自分でも分かった。
「お待たせしました。こちらがご注文のコーヒーです」
セレナのテーブルにコーヒーを置くと、彼女はわざとらしくカップを見つめた。
「まあ、なんて薄汚れた手かしら。このカップ、汚れてないでしょうね?」
その瞬間、耐えきれない何かが胸の中で弾けそうになった。だが、言葉を飲み込んだのは、その場にあるもう一つの存在だった。
「おい、何をしてる」
低く、鋭い声が響き渡った。振り向くと、カフェの入り口に立っていたのはルカだった。仕事の時間になった彼が入店してきたのだ。彼の目はセレナたちを鋭く捉えている。
「ルカ……」
私は思わずその名を呼んだ。ルカは私に近づきながら、セレナたちに冷たい視線を向けた。
「どういう状況だ?エリザベートが何かしたのか?」
その言葉にセレナは一瞬たじろいだが、すぐにいつもの媚びたような表情を作った。
「まあ、ルカじゃない。久しぶりね。何もしてないわ。ただ、昔の友達同士でおしゃべりしていただけ」
セレナは甘えた声でルカに擦り寄ろうとした。しかし、ルカは一歩後ずさりし、その手を振り払った。
「嘘をつくな。お前たちが何を言ってたかくらい、ここにいる全員が聞いてるだろうが」
彼の厳しい声に、セレナの顔が強ばる。取り巻きたちは怯えたように目を伏せた。
「エリザベートはここで真面目に働いてる。お前らが勝手に騒ぎを起こしてるだけだろ」
ルカのその言葉に、私は胸が熱くなるのを感じた。自分のことを理解してくれている人がここにいる――それだけで、どれだけ心が救われたことか。
「ルカ、いいの。私は――」
私は彼を止めようとしたが、ルカは静かに首を振った。
「お前は何も悪くない。お前にこんなことを言う権利がある奴なんて、どこにもいない」
セレナはその言葉に顔を歪めたが、周囲の視線に耐えきれなくなったのか、急に席を立った。
「行くわよ」
そう言い捨てて、彼女は取り巻きたちを引き連れ、カフェを後にした。
静けさが戻った店内で、私はふとルカの方を見た。
「……ありがとう」
「別に礼を言われることじゃない。お前があんな奴らに何か言われてるのを、見てられなかっただけだ」
ルカは照れくさそうに言うと、カウンターに向かった。その背中を見つめながら、私は心の中でそっと呟いた。
「私には……ちゃんと味方がいるんだ」
それは、セレナたちの嘲笑を打ち消すような、強い決意の芽生えだった。
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