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一章『迷い猫の愁い』
その五
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「リツ!! あんたなに下着晒してんの!? しかも今それすら取ろうとしてなかった!?」
最後の一人を思い切り殴り倒した世助は首がもげそうな勢いで私の方へ振り返り、これから大地震でも起こすつもりなのかと言わんばかりのものすごい剣幕で怒鳴った。
「だって、ああでもして動揺を誘えばすぐ片付くと思ったから」
私は自分にできる一番有効な手段を用いて世助を助けたつもりだし、世助は男の気が完全に逸れた隙をついて渾身の一撃を食らわせたのだ。ここは連携技が上手くいったのだと、むしろ賞賛するべきではないのかしら。
「だとしても女がそう易々とスカートの下を見せんじゃねえ!! 恥ずかしいだろうがッ!!」
世助は顔を真っ赤にして怒っているけれど、正直そこまでカンカンになる理由が私には分からなかった。別に彼のズボンをいきなり下ろして気を引いたとかいうわけでもないのに。第一、易々と見せたなんて心外だ。私だって恥ずかしかったし、それを我慢することで世助が有利になるのならその方がいいと思ったのだ。
「くっそ……変な汗が出ちまったじゃねえか」
「どうして? 貴方は一回も見てないじゃない」
「そういう問題じゃねえんだよっ」
世助はどっと疲れた顔をしながら、地面に伏せたまま気絶した男のそばにしゃがむ。
よく見ると、彼はごそごそとなにかを探るような動きをしていた。どうやら、男の所持品を調べているらしい。
「ええと、これが盗んだ本かな。多分、こっちが禁書で……お、あったあった」
彼が最後に男の胸ポケットから探し当てたのは、手のひらにちょうどよくおさまる大きさの手帳だった。それを開いて中身を読むと、世助は納得したように頷く。
「あぁ、やっぱ禁回部の奴か。第三部隊所属――ってことは、管轄は東北だよな。わざわざ管轄外で売りさばいてたのか」
「禁回部って、禁書回収部隊のことよね。帝国司書隊で唯一国から戦闘を認められている、精鋭揃いの部隊」
「そう。こいつ、やっぱり優秀だったんだなぁ」
道理で手下たちよりも数段強かったわけだ。この男の動きは、手下たちがけしかけてきたような付け焼き刃の喧嘩殺法ではなかった。れっきとした武術――軍隊と同様の訓練を日頃から受けている禁回部らしい、完全にものにされた動きだった。
しかし、それを前にしても恐れをなすことなく、世助は立ち回っていた。帝国司書隊の禁書士以上に洗練された動き、さらには状況を冷静に分析する知性――年若い彼が旦那様から護衛を任されているのも、ますます頷ける。
「とりあえず通報しなきゃだけど……お遣いどうするかなぁ」
「大丈夫よ、世助。目的地はさっきの食堂からそんなに離れていないから、お遣いは私一人で行ってくるわ」
「あぁ、うんありが――えぇ!?」
お礼を言いかけて、なかなか大仰に驚く世助。その後、彼は困惑気味に私に聞いてきた。
「いや、あんたついさっき襲われたばっかりだろ。一人で行けるのかよ?」
「平気よ。ここから抜け出せれば、あとは地図を読んで行けるから」
「いや、そういう意味じゃなくてな……」
私は彼の言いたいことが分からず、首を傾げる。
「危ない奴らに襲われてたんだぞ? 普通もっと取り乱さないか? 怖かったり、不安だったりしねえの?」
「……別に?」
「マジかよ。すげえ肝っ玉してんな、あんた……」
というか、そうしないと困る。お客様をお待たせするわけにはいかないし、かといって警察隊が来るまで男たちから目を離すこともできない。必然、世助は動けないということになるのだから、お遣いは私が行くしかない。私は合理的に判断しただけだ。
「まあ、確かにその方が助かるっちゃ助かるんだけど……」
「お気遣いありがとう。でも平気よ。向かうついでに警察に通報してくるから、到着するまで見張りお願いね」
「は、はーい……」
*****
私がお客様に忘れ物を届け終わると、世助は既に身柄の引渡しを終えて、表通りを歩いていた。身柄の引渡しがそんなに早く終わるだろうかと思ったので、合流した彼にどうしてここにいるのかと尋ねてみると、「到着した警察隊に犯人が連行されたのを見届けてから、こっそり抜け出してきた」という答えが返ってきた。
「いいの? 勝手に逃げるようなことして」
「仕方ねえよ、事情を聞かれたら厄介だ。特に警察はいけねえ。あいつらに聞かれたことに嘘はつけねえし、それでおれの身分が丸裸にされりゃ蒼樹郎さんにも迷惑がかかっちまう。あんたも、蒼樹郎さんが警察嫌いなのは知ってるだろ?」
「まあ、それは確かに知ってるけど……」
「だから最低限の情報だけ伝えてトンズラしてきた」
「……よくそんなことができたわね」
一体どんな手を使って警察隊の隙をついたのか……いや、彼のことだから、多分小細工なんてする必要もなく、身体能力だけで逃げてきたのだろう。あの戦いぶりを見た後なら、警察を撒くのも容易に想像できる。
「しっかしまあ、蔵書の窃盗に転売か。主犯格が現役の禁書士だって知れたら、新聞でも大騒ぎになるんじゃねえの」
仕事を終えた世助はようやくと言わんばかりに、腕を上げて大きく伸びをする。
「いえ……帝国司書隊は自分たちの不手際をそう容易く公表しないと思うわ。新聞社とは黒い繋がりがあるとか、そんな噂を聞いたことがある」
「マジで? ……奥村総統、すげー律儀な人なんだけど、隠蔽とかすんのかなぁ」
「さあ。今の総統のことは分からないけれど、ああいう外道に堕ちた禁書士は以前からちらほらいたらしいわよ。摘発されてもすぐに揉み消していたみたいだけど」
「ふーん……」
三代目の総統は就任したばかりだから、方針がどう変わっていくかは分からない。しかし、今現在の帝国司書隊が一枚岩というわけではないのは事実だ。激しい内部分裂が起きてから三十年ほど経った今も、隊の中には派閥が存在するという噂だし、組織の体制そのものに不満を抱いている者も少なくはない。察するに、先ほどの禁書士もそのうちの一人だったのだろう。
「……あんた、電車に乗ったことがないほど世間知らずなのに、なんで帝国司書隊の裏事情にはそこそこ詳しいんだ? 普通、一般市民がそんな情報持ってるか?」
世助が訝しげに首を傾げる。言われた私もそういえば、と首を傾げた。
「さあ。なんとなく知っていた、としか」
そして、知っていた情報が口をついて出たとしか言いようがない。
けれど、世助の言う通りだ。私はどうしてこんな情報を持っているのだろう。冷静に考えてみると不思議だ。彼が訝しげな表情を浮かべるのも道理だろう。
「帝国司書隊の関係者だったとか? それとも新聞記者?」
「分からない。……でも、どっちの言葉もピンと来ないわね」
「んーそっか……ま、いいか。ちょっとずつ思い出していけば、そのうち分かるだろうさ」
世助はそう言って、まるで電球がつくかのような早さで、パッと表情を明るく切り替える。
「そういえば、私からも聞いていいかしら」
「おう、なんだ?」
「貴方、どうして私があそこにいるって分かったの? かなり入り組んだ路地だったと思うのだけど……」
正直、私は助けは期待できないと思って行動していた。あんな危ない奴らが溜まり場に選んでいるくらいだし、少し騒ぎを起こしたところで表通りからでは何も聞こえないだろう。だから、私がなんとか表通りに脱出して助けを求めるしか、方法はないと考えていたのだ。
「ああ、それ。蒼樹郎さんが持たせてくれてた栞が教えてくれた」
「栞って、これのこと?」
私は胸のポケットからお守りを取り出す。確か、あの禁書士もこれを指して『栞』だと言っていた。
「そうそう。栞のお守りが発動すると、もう片方の栞にも報せが入るんだよ。で、おれは栞が教えてくれた場所に行っただけ。そこであんたが囲まれてたってわけ」
「へえ……」
お洒落な彫刻を施した金属の板にしか見えないのに、雷が起こったり、通信ができたり、随分と不思議な代物だ。あの禁書士が高価なものだと言っていたのも納得できるし、旦那様は私の安全のためにこんな貴重なものを持たせてくれたのだ。これはますます大事にしなければ、と栞のお守りを胸ポケットに戻した。
「にしても、あんた随分と奥まで連れ込まれてたな」
「え?」
「怖かっただろ? おれが来るまでよく耐えたな」
「え……」
……どうやら彼は、私が男たちに連れ込まれたものだと勘違いしているらしい。普通はあんな危険な連中の領域に自ら踏み入ってしまったとは考えないだろうし、それは自然な思考といえる。
「吃驚したぜ、あの人数に囲まれても戦おうとするなんてさ。すげえ度胸あるんだな、リツは」
「え、ええ、まぁ。栞のおかげで戦えるのを思い出したからね」
……どうしよう、本当は私が首を突っ込んでしまったのだと言いたいのだけど。しかし、理由が理由なので、私はなかなか言い出せなかった。猫を愛でたいがために追いかけていたら、いつのにか路地裏に迷い込んでいたなんて、いくらなんでも恥ずかしすぎる。
「本当に悪かった。おれが財布忘れるなんてヘマをしなければ、あんたの側を離れずに済んだのに」
「それは違うわ! 油断したのは私よ。貴方にお説教する資格なんてなかったのに……」
さらに勘違いをした世助は、私を一人にした自分が招いたことだと思い込んでしまっていた。だが、彼の失敗と私の失敗はまた別の話だし、忘れ物をするくらいは仕方のないことだ。もしこの状況を招いた元凶が責められるとするならば、それは私の方なのだ。
「いやいや、気にすんなって! おれはリツのお説教があるから助かってるんだぜ」
「そうなの?」
「おう。リツは何が悪いかはっきり指摘してくれるからな。そりゃ叱られてるときは面白くねえけど、結局おれのためになることだし、説教があるおかげで気をつけられてるんだしさ。だからそう気に病むなよ」
私はてっきり、彼には煙たがられているものだと思っていた。手に触れられるのも少し嫌なようだし、女性と外出なんて仕事とはいえやりにくいだろう。説教の度に嫌そうな顔をする彼がそんなふうに考えていたなんて、意外だった。
「まあでも、路地裏はマジで気をつけろよ。いくらあんたが戦えたって、狙われる可能性があることに変わりはねえんだ。人攫いは女子供をまず狙うし、一人の時はなおさらだ」
「……」
世助の人の良さを見ていると、だんだんこの状況が申し訳なくなってくる。気遣いはできるし、お説教にお礼を言うし、騒ぎを起こしても嫌な顔一つしないで心配してくれるし、注意も促してくれるし――ここまでいい子な世助が自分を責め続けるのでは、あまりにも彼が可哀想だ。私は、大きくなっていく自分の罪悪感に耐えきれなくなった。
「あ、あのね、世助」
「ん? どした?」
「………………実は、その……」
「おう」
私は湧き上がる羞恥心を押し殺し、意を決して白状した。
「…………………………本当は私、連れ込まれたんじゃなくて――猫を追いかけてて、迷い込んでたの」
「………………。え、……猫?」
さすがの世助も、これには目を丸くしていた。豆鉄砲を食ったような彼の表情を見て、ますます恥ずかしくなってくる。
「猫を追いかけて? いつの間にか迷い込んでた、ってこと??」
「……そうみたい……」
「それであんなところまで入ったの? 猫を触りたくて?」
もう詳しく説明するのも恥ずかしくて、私は頷きだけで返事をした。しばしの間、沈黙が流れる。
「……ふ、ふふっ、ふへへっ、ははははははっ!」
唐突に、世助がお腹を抱えて笑い出す。しかも、通りのど真ん中を歩きながら、大きく口を開けて。
「ちょ、ちょっと……!」
「あっはははははは!! なんだそれ! あ、あんたみたいな人が、猫を追っかけて……ふへ、そ、そんなことあんのかよ! あっははははははっ!」
「なっ、そんなに笑わなくてもいいじゃない!」
「いや悪ぃ悪ぃ! でも……んっふふ、ふへへへっ!」
「もう、そんな変な笑い方して! さっさとお屋敷に帰るわよ!」
「ふへへ、へぇい」
いつまでも笑い続ける世助の肩を引っぱたきつつ、私は駅までずんずん歩き出した。けれど、彼が笑い飛ばしてくれたおかげか、怒涛の一日を過ごした疲れは軽くなっていた気がした。
一章『迷い猫の愁い』・了
最後の一人を思い切り殴り倒した世助は首がもげそうな勢いで私の方へ振り返り、これから大地震でも起こすつもりなのかと言わんばかりのものすごい剣幕で怒鳴った。
「だって、ああでもして動揺を誘えばすぐ片付くと思ったから」
私は自分にできる一番有効な手段を用いて世助を助けたつもりだし、世助は男の気が完全に逸れた隙をついて渾身の一撃を食らわせたのだ。ここは連携技が上手くいったのだと、むしろ賞賛するべきではないのかしら。
「だとしても女がそう易々とスカートの下を見せんじゃねえ!! 恥ずかしいだろうがッ!!」
世助は顔を真っ赤にして怒っているけれど、正直そこまでカンカンになる理由が私には分からなかった。別に彼のズボンをいきなり下ろして気を引いたとかいうわけでもないのに。第一、易々と見せたなんて心外だ。私だって恥ずかしかったし、それを我慢することで世助が有利になるのならその方がいいと思ったのだ。
「くっそ……変な汗が出ちまったじゃねえか」
「どうして? 貴方は一回も見てないじゃない」
「そういう問題じゃねえんだよっ」
世助はどっと疲れた顔をしながら、地面に伏せたまま気絶した男のそばにしゃがむ。
よく見ると、彼はごそごそとなにかを探るような動きをしていた。どうやら、男の所持品を調べているらしい。
「ええと、これが盗んだ本かな。多分、こっちが禁書で……お、あったあった」
彼が最後に男の胸ポケットから探し当てたのは、手のひらにちょうどよくおさまる大きさの手帳だった。それを開いて中身を読むと、世助は納得したように頷く。
「あぁ、やっぱ禁回部の奴か。第三部隊所属――ってことは、管轄は東北だよな。わざわざ管轄外で売りさばいてたのか」
「禁回部って、禁書回収部隊のことよね。帝国司書隊で唯一国から戦闘を認められている、精鋭揃いの部隊」
「そう。こいつ、やっぱり優秀だったんだなぁ」
道理で手下たちよりも数段強かったわけだ。この男の動きは、手下たちがけしかけてきたような付け焼き刃の喧嘩殺法ではなかった。れっきとした武術――軍隊と同様の訓練を日頃から受けている禁回部らしい、完全にものにされた動きだった。
しかし、それを前にしても恐れをなすことなく、世助は立ち回っていた。帝国司書隊の禁書士以上に洗練された動き、さらには状況を冷静に分析する知性――年若い彼が旦那様から護衛を任されているのも、ますます頷ける。
「とりあえず通報しなきゃだけど……お遣いどうするかなぁ」
「大丈夫よ、世助。目的地はさっきの食堂からそんなに離れていないから、お遣いは私一人で行ってくるわ」
「あぁ、うんありが――えぇ!?」
お礼を言いかけて、なかなか大仰に驚く世助。その後、彼は困惑気味に私に聞いてきた。
「いや、あんたついさっき襲われたばっかりだろ。一人で行けるのかよ?」
「平気よ。ここから抜け出せれば、あとは地図を読んで行けるから」
「いや、そういう意味じゃなくてな……」
私は彼の言いたいことが分からず、首を傾げる。
「危ない奴らに襲われてたんだぞ? 普通もっと取り乱さないか? 怖かったり、不安だったりしねえの?」
「……別に?」
「マジかよ。すげえ肝っ玉してんな、あんた……」
というか、そうしないと困る。お客様をお待たせするわけにはいかないし、かといって警察隊が来るまで男たちから目を離すこともできない。必然、世助は動けないということになるのだから、お遣いは私が行くしかない。私は合理的に判断しただけだ。
「まあ、確かにその方が助かるっちゃ助かるんだけど……」
「お気遣いありがとう。でも平気よ。向かうついでに警察に通報してくるから、到着するまで見張りお願いね」
「は、はーい……」
*****
私がお客様に忘れ物を届け終わると、世助は既に身柄の引渡しを終えて、表通りを歩いていた。身柄の引渡しがそんなに早く終わるだろうかと思ったので、合流した彼にどうしてここにいるのかと尋ねてみると、「到着した警察隊に犯人が連行されたのを見届けてから、こっそり抜け出してきた」という答えが返ってきた。
「いいの? 勝手に逃げるようなことして」
「仕方ねえよ、事情を聞かれたら厄介だ。特に警察はいけねえ。あいつらに聞かれたことに嘘はつけねえし、それでおれの身分が丸裸にされりゃ蒼樹郎さんにも迷惑がかかっちまう。あんたも、蒼樹郎さんが警察嫌いなのは知ってるだろ?」
「まあ、それは確かに知ってるけど……」
「だから最低限の情報だけ伝えてトンズラしてきた」
「……よくそんなことができたわね」
一体どんな手を使って警察隊の隙をついたのか……いや、彼のことだから、多分小細工なんてする必要もなく、身体能力だけで逃げてきたのだろう。あの戦いぶりを見た後なら、警察を撒くのも容易に想像できる。
「しっかしまあ、蔵書の窃盗に転売か。主犯格が現役の禁書士だって知れたら、新聞でも大騒ぎになるんじゃねえの」
仕事を終えた世助はようやくと言わんばかりに、腕を上げて大きく伸びをする。
「いえ……帝国司書隊は自分たちの不手際をそう容易く公表しないと思うわ。新聞社とは黒い繋がりがあるとか、そんな噂を聞いたことがある」
「マジで? ……奥村総統、すげー律儀な人なんだけど、隠蔽とかすんのかなぁ」
「さあ。今の総統のことは分からないけれど、ああいう外道に堕ちた禁書士は以前からちらほらいたらしいわよ。摘発されてもすぐに揉み消していたみたいだけど」
「ふーん……」
三代目の総統は就任したばかりだから、方針がどう変わっていくかは分からない。しかし、今現在の帝国司書隊が一枚岩というわけではないのは事実だ。激しい内部分裂が起きてから三十年ほど経った今も、隊の中には派閥が存在するという噂だし、組織の体制そのものに不満を抱いている者も少なくはない。察するに、先ほどの禁書士もそのうちの一人だったのだろう。
「……あんた、電車に乗ったことがないほど世間知らずなのに、なんで帝国司書隊の裏事情にはそこそこ詳しいんだ? 普通、一般市民がそんな情報持ってるか?」
世助が訝しげに首を傾げる。言われた私もそういえば、と首を傾げた。
「さあ。なんとなく知っていた、としか」
そして、知っていた情報が口をついて出たとしか言いようがない。
けれど、世助の言う通りだ。私はどうしてこんな情報を持っているのだろう。冷静に考えてみると不思議だ。彼が訝しげな表情を浮かべるのも道理だろう。
「帝国司書隊の関係者だったとか? それとも新聞記者?」
「分からない。……でも、どっちの言葉もピンと来ないわね」
「んーそっか……ま、いいか。ちょっとずつ思い出していけば、そのうち分かるだろうさ」
世助はそう言って、まるで電球がつくかのような早さで、パッと表情を明るく切り替える。
「そういえば、私からも聞いていいかしら」
「おう、なんだ?」
「貴方、どうして私があそこにいるって分かったの? かなり入り組んだ路地だったと思うのだけど……」
正直、私は助けは期待できないと思って行動していた。あんな危ない奴らが溜まり場に選んでいるくらいだし、少し騒ぎを起こしたところで表通りからでは何も聞こえないだろう。だから、私がなんとか表通りに脱出して助けを求めるしか、方法はないと考えていたのだ。
「ああ、それ。蒼樹郎さんが持たせてくれてた栞が教えてくれた」
「栞って、これのこと?」
私は胸のポケットからお守りを取り出す。確か、あの禁書士もこれを指して『栞』だと言っていた。
「そうそう。栞のお守りが発動すると、もう片方の栞にも報せが入るんだよ。で、おれは栞が教えてくれた場所に行っただけ。そこであんたが囲まれてたってわけ」
「へえ……」
お洒落な彫刻を施した金属の板にしか見えないのに、雷が起こったり、通信ができたり、随分と不思議な代物だ。あの禁書士が高価なものだと言っていたのも納得できるし、旦那様は私の安全のためにこんな貴重なものを持たせてくれたのだ。これはますます大事にしなければ、と栞のお守りを胸ポケットに戻した。
「にしても、あんた随分と奥まで連れ込まれてたな」
「え?」
「怖かっただろ? おれが来るまでよく耐えたな」
「え……」
……どうやら彼は、私が男たちに連れ込まれたものだと勘違いしているらしい。普通はあんな危険な連中の領域に自ら踏み入ってしまったとは考えないだろうし、それは自然な思考といえる。
「吃驚したぜ、あの人数に囲まれても戦おうとするなんてさ。すげえ度胸あるんだな、リツは」
「え、ええ、まぁ。栞のおかげで戦えるのを思い出したからね」
……どうしよう、本当は私が首を突っ込んでしまったのだと言いたいのだけど。しかし、理由が理由なので、私はなかなか言い出せなかった。猫を愛でたいがために追いかけていたら、いつのにか路地裏に迷い込んでいたなんて、いくらなんでも恥ずかしすぎる。
「本当に悪かった。おれが財布忘れるなんてヘマをしなければ、あんたの側を離れずに済んだのに」
「それは違うわ! 油断したのは私よ。貴方にお説教する資格なんてなかったのに……」
さらに勘違いをした世助は、私を一人にした自分が招いたことだと思い込んでしまっていた。だが、彼の失敗と私の失敗はまた別の話だし、忘れ物をするくらいは仕方のないことだ。もしこの状況を招いた元凶が責められるとするならば、それは私の方なのだ。
「いやいや、気にすんなって! おれはリツのお説教があるから助かってるんだぜ」
「そうなの?」
「おう。リツは何が悪いかはっきり指摘してくれるからな。そりゃ叱られてるときは面白くねえけど、結局おれのためになることだし、説教があるおかげで気をつけられてるんだしさ。だからそう気に病むなよ」
私はてっきり、彼には煙たがられているものだと思っていた。手に触れられるのも少し嫌なようだし、女性と外出なんて仕事とはいえやりにくいだろう。説教の度に嫌そうな顔をする彼がそんなふうに考えていたなんて、意外だった。
「まあでも、路地裏はマジで気をつけろよ。いくらあんたが戦えたって、狙われる可能性があることに変わりはねえんだ。人攫いは女子供をまず狙うし、一人の時はなおさらだ」
「……」
世助の人の良さを見ていると、だんだんこの状況が申し訳なくなってくる。気遣いはできるし、お説教にお礼を言うし、騒ぎを起こしても嫌な顔一つしないで心配してくれるし、注意も促してくれるし――ここまでいい子な世助が自分を責め続けるのでは、あまりにも彼が可哀想だ。私は、大きくなっていく自分の罪悪感に耐えきれなくなった。
「あ、あのね、世助」
「ん? どした?」
「………………実は、その……」
「おう」
私は湧き上がる羞恥心を押し殺し、意を決して白状した。
「…………………………本当は私、連れ込まれたんじゃなくて――猫を追いかけてて、迷い込んでたの」
「………………。え、……猫?」
さすがの世助も、これには目を丸くしていた。豆鉄砲を食ったような彼の表情を見て、ますます恥ずかしくなってくる。
「猫を追いかけて? いつの間にか迷い込んでた、ってこと??」
「……そうみたい……」
「それであんなところまで入ったの? 猫を触りたくて?」
もう詳しく説明するのも恥ずかしくて、私は頷きだけで返事をした。しばしの間、沈黙が流れる。
「……ふ、ふふっ、ふへへっ、ははははははっ!」
唐突に、世助がお腹を抱えて笑い出す。しかも、通りのど真ん中を歩きながら、大きく口を開けて。
「ちょ、ちょっと……!」
「あっはははははは!! なんだそれ! あ、あんたみたいな人が、猫を追っかけて……ふへ、そ、そんなことあんのかよ! あっははははははっ!」
「なっ、そんなに笑わなくてもいいじゃない!」
「いや悪ぃ悪ぃ! でも……んっふふ、ふへへへっ!」
「もう、そんな変な笑い方して! さっさとお屋敷に帰るわよ!」
「ふへへ、へぇい」
いつまでも笑い続ける世助の肩を引っぱたきつつ、私は駅までずんずん歩き出した。けれど、彼が笑い飛ばしてくれたおかげか、怒涛の一日を過ごした疲れは軽くなっていた気がした。
一章『迷い猫の愁い』・了
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