貸本屋七本三八の譚めぐり ~熱を孕む花~

茶柱まちこ

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二章『童女遊戯』

その一

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 周囲には明かしていないが、おれはリツに一目惚れしていた。それまで一目惚れの経験がなかったおれでもはっきりそうだと分かる、いやむしろそうだとしか言いようのないくらいのゾッコンぶりだった。あんなに綺麗な女を、おれは今まで見たことがない。真っ白な象牙をつやつやになるまで磨いて、そこに紅や墨を挿して作った人形のような――人間を作っている神様がいるとしたら、それはもう丹精込めて作ったのであろう造形だった。不謹慎すぎて口が裂けても言えないが、おれは保護した直後のリツを看病する度に、その寝顔に見とれていた。リツが目を覚ます日までその顔を見続けて、気づけばすっかり心を掴まれていたのだ。
 整いすぎるあまり人間味がないあの美しさに触れていると、ぞわぞわと胸騒ぎがする。憚らずに言うなら、いっそ怖いくらいだと表現したほうがいいのかもしれない。それなのに、どうしても目を離せないし、心も離れられないような……とにかく、リツにはそんな不思議な魅力があった。

 そんな彼女に、あの制服は頂けない。
 ――おれのこの一人語りをもし仮に聞いている奴がいたとしたら、きっとそいつはおれに対して『いきなり何を言ってるんだこいつ』と訝しく思ったことだろう。
 そんなことを言う奴はぜひとも彼女のメイド姿を見てほしい。見られないなら想像して欲しい。黒髪パッツンの巨乳美女が、胸元ぱっつんぱっつんのシャツを身につけ、短いスカートの下から太腿を大胆に晒している姿を。どうだ、想像しただけで目を逸らしたくなるだろう。ならないならそいつは女に対する興味が薄いか、もしくはただの変態だ。後者はいずれ女を凝視した挙句に女性陣からコテンパンに非難される運命にあるので、男として最低限の品性をしっかり養っておいた方がいい。
 ともかくこの困った制服、上から下まで全部リツが好きで着ているものらしいから非常にやりづらい。蒼樹郎さんはよくあれの着用を許可したものだ。しかもあれを常日頃から見ていても動揺しないなんて。秋声先生みたいな無関心タイプではないだろうし、つまり蒼樹郎さんはムッツリ助平野郎なのか。おれは二人のように平然と振る舞うだけでもひと苦労だ。スカート丈が絶妙なところを攻めていて脚がちらちら見えるし、ウエストもきっちり絞られているから驚異的な胸が強調されちゃってるし、ハラハラしてしょうがない。単に趣味で選んだ結果たまたまああなったのか、それともあの凶悪ボディの持ち味をしっかり理解した上で選んだのかは知らないが(おれは前者だと思っている)、あんなアブナイ衣装を屋敷のメイドに着せるのはどうなのか。おれは意識的に目をそらしておかなければ、うっかり注視したりして屋敷の女性陣から助平野郎の烙印を押されてしまうだろう。
 いや、そもそもだ。おれはこんなことばかりぐるぐる考えている時点で紛れもない変態だ。ああそうだ、認めよう。もはや否定しようもない事実から目を背け続けるよりはずっと潔いだろう。そうだと思わせてくれ。同じ変態なら女に迷惑をかけず、欠片の不快感も抱かせない変態紳士でありたいとおれは考えているのだから。その気概は誰か評価してくれないか。

 先日、リツと二人で電車に乗ってお遣いにいったときは、緊張しすぎて大小様々なポカをやらかしにやらかした。中でも特筆すべき最大のポカは、電車が揺れた弾みでリツの胸に思いっきり触ったことだろう。いや、もう触ったどころか掴んだ。めちゃくちゃ柔らかい感触がしたし。あまつさえおれはその場でまともな謝罪ができず、被害を受けた側であるリツに気を遣わせたのだ。
 リツは失敗を連発するおれにほとほと呆れていたことだろう。せめて彼女を犯罪者の集団から救出したことで多少マシな評価になっていることを祈ろう。別に得点稼ぎをしたくて助けたわけじゃないけど。
 この日以来おれは、遅くとも棚葉町に行く日までにはリツと行動することに慣れておこうと決心した。いつまでもこの調子ではリツに余計な心配ばかりかけてしまうし、なにより、おれの恋心が最悪の形で露見することだけは避けたい。もう既にバレている弟の唯助ならともかく、おっさんあたりに見抜かれてしまった場合が一番厄介だ。それこそ根掘り葉掘り真の髄まで、猪が畑の芋を片っ端から掘り返すがごとく、おれの譚を暴こうとしてくるに違いない。おれの精神はポッキリ逝くどころか踏み潰されたチョークのように粉々になることだろう。そんな有様はさすがのおれも見るに堪えない。

 おれはしけた海のような激情を常に胸中に秘めながらも、今日まで『自分は彼女のこと何とも思ってないですよ』的な顔で振舞ってきた。初めてリツとお遣いに行った時から、彼女と二人きりで外出という状況に少しずつ自分を慣らしたから、肩の力を抜いて行動することも多少できるようになったと思う。幸い、彼女の胸に触るなどという不運な失敗も起きていない。
 棚葉町に滞在する明日明後日が峠だ。リツと共に棚葉町に行き、唯助やおっさんの前で動揺しないよう自然に振る舞うだけだ。それさえ乗り越えてしまえば、リツへの恋心を第三者から悟られるという最悪の展開を回避することができる。おっさんの力を借りて彼女の記憶の手がかりを入手したら、越午に戻って分析だ。よし、なんとか乗り切るぞ、おれならできる。おれは出発当日の自室で、鏡を前に自分の頬を叩いた。勢い余って赤く腫れた。

 *****

 消灯した列車の車窓からは星がよく見える。今夜寝泊まりしている寝台車両で、リツは寝台に腰をかけた状態で起きていた。もう深夜だから、周りの乗客は疲れて眠っている。おれは周囲に迷惑がかからないよう、声を潜めてリツに聞いた。
「大丈夫か? 眠れないのか」
「平気よ。少し目が覚めただけ」
 リツは口ではそう言っているが、どう見ても平気だとは思えない。寝台列車に乗るなんて初めてのことだし、体力のあるおれでも多少の疲れが出てくる。まして、リツは病み上がりだ。長旅に向けて体を少しずつ慣らしてきたとはいえ、まだまだ本調子とは言えない。途中で休憩を挟んではいるものの、疲労の濃さは明らかだ。
「少し外の空気に当たってくるか? 気分が楽になるかもしれねえし」
「ええ、そうする」
 おれはリツが転ばないように手を差し出す。すると、リツは不思議そうにおれの手と顔を交互に見ていた。
「どうした?」
「いいえ、なんでもないの。ごめんなさい、苦労をかけて」
 リツはなぜかおれの顔色を伺うようにしながら、ゆっくり掴まって立ち上がった。……もしかして、おれは知らないうちに彼女になにかしてしまったんだろうか。
「気にすんな。これでもあんたの保健係だ。足元に気をつけろよ」
 好きな女の手に触れた動揺を隠しつつ、おれは微笑を浮かべる。リツはそれを見て少し安心してくれたのか、同じような笑顔で返してくれた。おれの心の荒波は伝わらずに済んだようだ。

 乗降口までやってきて外に出ると、辺りの景色は濃紺にすっかり沈み込んでいた。遠くの畑に目を凝らすと、昼間の日差しで高々と伸びまくった里芋の葉たちが並んでいるのが見える。元気よく成長する植物も、この夜闇の中では、まるで薄気味悪い生物が宙に向かって手を伸ばしているようだった。次々に通り抜けていく畑の景色を見送りつつ、おれは巻き起こる風のほんの一部を吸い込む。煙の臭いが多少混じってはいるが、箱詰めの息苦しい車内よりはいくらか気分が晴れる。
「……うん、風が気持ちいい」
「そうか。体を冷やさないようにな」
夜明かりの中にぼんやり浮かんだリツの顔を見る。ただでさえ白いリツの肌が、この闇の中では透き通って見える。下手をしたら幽霊みたいで、綺麗と言うよりもなんだか危うい。
「寝台列車って案外寝心地悪いのね。座ったまま寝るよりはずっと楽だけど」
「だな。おれももう少し寝心地いいもんだと思ってた。畳で直に寝るよりもひでえや」
「でも、旦那様だってこの出費は大きかったでしょう。切符を二人分も用意してくれたんだから、ちゃんと感謝しないと」
「確かにな」
 出資した蒼樹郎さん本人から具体的な金額は聞かされていないが、駅の中にあった料金表を発見した時は、その桁に思わず二度見した。少なくとも、おれが今少しずつ貯めている小遣いを全額吹っ飛ばしても払いきれないことは間違いない。同じ車両の乗客だって、見た目からして明らかに金持ちだとわかるし、美人のリツはともかく、元々田舎者のおれは自分が浮いている気がしていたたまれなかった。
「おれなら三等車でも良かったんだけどな。列車は越午から藤京に行くので慣れてるし」
「私は貴方も一緒にいてもらいたいわ。訳ありで病院に行けない私が万が一体調を崩したとき、頼れるのは貴方だけだもの」
「……。ま、まあ、そりゃあそうだけど」
 リツは医者見習いのおれを信用してくれているのだろう。頼れるとか一緒にいて欲しいとかいうのは決してじゃない。勝手に都合よく勘違いするな、おれ。
 ……とはいえ、おれはあくまで知識を仕込まれただけの素人だ。今も頑張って勉強はしているけれど、資格もなければ実践経験にも乏しいし、ましてや秋声先生に弟子入りさえ果たしていない。厳密に言えば、まだ医者見習いですらないのだ。
「おれが対応できる範囲にも限界はあるから、無理はするなよ。少しでも不安に感じたら、酷くなる前に言ってくれ」
「ええ、分かった。心強いわ」
 そう言って、リツはほんの少しだけ微笑んだ。
 生きた人形みたいに綺麗な笑顔だった。まっすぐ切りそろえた黒髪の波も、吸い込まれるような牡丹色の瞳も、全部が綺麗で思わず見とれてしまう。
「……どうしたの?」
「え、あぁ、別に。なんでもねえんだ」
 まずい、少し見とれすぎた。おれはさっと目をそらすが、リツの視線はおれの方に向きっぱなしだ。ものすごい見られてる。
「大丈夫? さっきから反応が少し鈍い気がするのだけど」
「そ、そんなこたぁねえよ」
「そう? 私が言うのも変だけど、貴方も無理はしないのよ。起きてたってことは、貴方もよく眠れてないんでしょう?」
 はい、そうです。おれは心の中で勢いよく首肯する。寝台の寝心地以前に、おれは緊張で一睡もできなくなっていた。旅の疲れで眠くなるどころか、逆に興奮してギンギンに冴えてしまっている。すぐ向かいの寝台に好きな女がいるだけでこんなふうになるとは思わなかった。昼間は肩の力を抜いて行動できていたはずなのに、一晩同じ車両で過ごすことになっただけでこうも心境に違いが出るとは。
「良ければ、眠くなるまでここで駄弁ってる?」
「それはいいけど、何を話せばいいんだ?」
「そうね、例えば……これから行く棚葉町のこととかかしら。観光地として人気があるんでしょう? おすすめのお店とか知らない?」
「んー棚葉町についてか……おれあっちで遊んでたわけじゃねえからな」
「あら、そうなの?」
 おれが棚葉町で生活していたのはたった半年だ。ふらふらとそのへんを散策することはあったが、観光地として有名な中心部の店にはほとんど行ったことがない。それに、あの時は『七本屋』という貸本屋の手伝いで、他の本屋へお遣いに行ってくることが大半だったから、おれが知っている棚葉町の店といえば九割が本屋だ。女が喜ぶような場所なんて全く知らなかった。
「じゃあ、貴方自身の譚は? 昔の思い出譚とか」
「おれの? んなもん聞いたって面白かねえぞ」
「特別面白くなくたっていいのよ。それに、この前食堂でした電車の会話みたいに、記憶を辿る糸口がまた見えるかもしれないでしょ」
「糸口ねえ……」
 確かにリツも、かつてのおれや唯助と似た特殊な環境下にいた可能性はある。そこから辿れる糸口もあるかもしれないというリツの考えも理解できる。けれど、棚葉町に来る前の自分の譚を語ることはあまり気が進まないというのが正直なところだ。それまで置かれていた道場の環境なんて、当時はなんとも思ってなかったけれど、今思えば異常も異常だ。人様に聞かせられるものじゃないし、出てくるのは唾棄すべき汚点ばかりだ。
「言いにくかったら無理には聞かないけど……」
「いや、棚葉町にいたころの話ならいいぜ。それなら暇つぶしにも丁度いいだろうしな」
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