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三章『花、盛る』
その二
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昼下がりの庭を蝉の声が満たしている。風情ある響きと言われるこの鳴き声も、カンカン照りの炎天下では鬱陶しいことこの上ない。風が吹き抜ける縁側ならばこの鬱陶しさも少しは紛れると思ったけど、今日は殆ど無風だ。それでもじっと待って、ようやく風鈴が鳴ったと思ったら、入ってきた風はぬるくて湿っていて、爽やかさなど皆無だからがっかりする。おかげで朝寝から目覚めても、ずっと汗が止まらなかった。椿井家のお屋敷は山の中にあるから、陽の光も遮られて涼しく感じていたけれど、平地に建つ七本屋はそうはいかない。少し動いてはへとへとになる自分の体に、軟弱さを痛感させられる。
「うう、私ってこんなに体力無かったの……?」
「仕方ありませんよ。リツさんは元々大怪我をして療養なさっていたのですし、体力が落ちるのも当然でしょう。むしろ、三ヶ月でここまで動けるほうがすごいって、世助さんが言ってましたよ」
確かに、かかりつけ医や秋声先生も稀に見る回復力だと驚いていたのは覚えている。けれど、満足に動けないことほどじれったいものはない。椿井家では病み上がりの体に負担がかからないような軽い作業だけ任せてもらっているけれど、一般家庭の家事すらままならないなんて思わなかった。保健係の世助に言わせれば、それも本来ならやらない方がいいらしいけれど。
「そういえば、世助は?」
「リツさんよりも早く起きられて、お掃除を手伝ってくださいましたよ。今は唯助さんと町まで買い出しに行かれています」
「よくこんな暑さで外を歩けるわね……さすが十代だわ」
「あのお二人はとても元気ですからね」
そう言う音音さんも、こんなに蒸し暑い家の中でいきいきと働いている。線の細い体のどこからそんな力が湧いてくるのか、見ている私としては不思議でならない。
「お貸しした浴衣はどうでしょう。大きすぎませんでしたか?」
「平気よ。風通しが良いから、洋服よりも涼しいわ」
私は基本的に洋服を身につけているけれど、この暑さでは汗が服に張り付いて気持ち悪い。音音さんはそんな私に気を利かせて、自分の浴衣を貸してくれた。
けれど、白地に青い朝顔の模様をあしらった浴衣は、私には清楚すぎる。童顔でつり目がちな私よりも、おっとりした雰囲気の音音さんのほうがもっと素敵に着こなせるだろう(そもそも彼女のものなのだから当然だけど)。
「その首飾りも綺麗な青い石ですから、ちょうど浴衣の色と合っていますね」
音音さんは私の胸元を飾る石を見ながら言う。
「それは瑠璃でしょうか?」
「それが、私にもさっぱりなのよね。誰に貰ったものなのかさえ分からなくて」
「左様ですか……でも、真っ青で本当に綺麗。晴れた日の海みたい」
「確かにね」
彼女の言う通り、海のように真っ青なこの石をじっと見つめていると、穏やかな波の音が聞こえてきそうだ。
ふと、蝉ばかりが鳴いていた縁側に、ちりんと音がひとつ立つ。風鈴の音ではない。もっと低い位置から、ささやかに聞こえてきた。
「にゃぁ」
それに続いて、こちらに向かって呼びかけるような――猫の鳴き声。
「あ、鯖ちゃん。今日は一番乗りですね」
「んにゃぁ~」
音音さんがしゃがんだところへ、スキップするような鈴の音がちりちりと近付いていく。足元を見ると、両手で掬い取れそうな大きさの三毛猫が、ちょうど私のすぐ脇をすり抜けていくところだった。
音音さんに到達した子猫は、彼女の手に包まれるまま丸まって、喉をゴロゴロ鳴らしていた。頭や体をなめらかに愛撫するその手つきに、すっかり骨抜きにされているようだ。
勿論、無類の猫好きの私も、そんな可愛らしい光景にはじっとしていられなかったわけで。
「ここ、猫ちゃん飼ってたの? 私も触っていい?」
「ええ、大丈夫ですよ」
音音さんから許可を得るなり、私は彼女の手の中で転がっていた三毛猫の頭を撫でた。大人の猫よりも柔らかい毛の感触が、指先から伝わる。よく見ると左眼には爪で引っかかれたような傷跡があり、耳も少し欠けている。けれど、圧倒的な可愛さの前では、そんな些細な傷など気にもならない。手の中で小さな温もりが蠢いているのがたまらなく愛おしくて、思わず頬を寄せてしまいたくなる。
「は~ぁかわいい、猫ちゃんってどうしてこんなに可愛いのかしら。人間の心をこうまで誑かすなんて罪だわ。可愛くて許されない罪で逮捕しちゃいたいくらい。あぁ、旦那様も猫を飼ってくれないかしら。こんな愛らしい生き物のお世話役なら二十四時間三百六十五日と喜んでするのに。はぁなにこの肉球、触り心地が最高だわ……」
「にゃ、にゃぁ……」
大好きな猫に興奮しすぎて抑えがきかず、気持ちの悪いことばかり口走る私。怒濤の勢いで吐き出される独り言に、心なしか猫ちゃんも引き気味に鳴いている。けれど、音音さんの反応はとても優しいものだった。
「ふふ、リツさんは猫が大好きなんですね」
「えぇ、大好きよ。好きすぎて猫屋敷に住みたいくらい」
「鯖ちゃんもよかったですね。こんなに猫好きな人から撫でてもらえて」
「にゃ~ん……」
音音さんの言葉に一応は同意しているのか、それとも逆に否定しているのか。分からないけれど、多分、音音さんが思うほど猫ちゃんは私に好意的ではない。けれど、その上で大人しく撫でさせてくれてるのなら、随分とお利口な猫ちゃんだ。私は猫ちゃんが逃げないのをいいことに、顔を揉んだり尻尾の付け根を撫でたりした。調子に乗って毛並みに顔を埋めて吸ってしまおうかと頭を過ぎった瞬間、それはやめておけと神様が言ったのか、折良く玄関の戸が開く音が割り込んでくる。
「ただいまぁ」
「戻りましたぁ」
買い出しに行っていた双子の兄弟が帰ってきたのだろう。二人分の足音が私たちのいるところへ近付いてくる。
「あ、リツさん。着替えたんですね」
「似合ってるじゃん。朝顔柄」
二人とも日照りのところを歩いてきたせいか、頬が火照っている。籠を背負った世助は、私の顔の次に手元を見て、猫ちゃんの存在にも気づいたようだ。
「おう、鯖公。出てきてたのか」
ニヤニヤと笑う世助が、ひょいと猫ちゃんの首根っこをつまみ上げた。
「ぶにゃっ!」
「こんにゃろう、姉御とリツに撫でられて鼻の下伸ばしてやがったな、女好きのスケベ猫め」
ぶら下がった猫ちゃんの顎を指で擦りながら、世助はそのもふもふのお腹へ頬をすり寄せていた。ずるい、私が先にやりたかったのに! という言葉はすんでのところで呑み込む。
「久しぶりぃ、鯖公。相変わらず良い毛皮してんなぁ」
「毛皮って言い方やめろにゃぁ!!」
猫ちゃんが世助の頭を肉球で押しのけながら、甲高い声で抗議する。――そう、猫ちゃんが。さっきまでにゃあにゃあ愛くるしく鳴いていた猫ちゃんが、愛くるしい声はそのままに、人の言葉を叫んでいた。
「……今喋ったのって、その子?」
いやいや、そんなはずはないだろう――きっと私の勘違いだ。そう願いながら確認する。けれど、世助はただ一言、「うん」とだけ言って頷いた。
「吃驚しました?」
唯助くんもお茶目そうな笑顔で言ってくる。
ええ、それはもう吃驚しましたとも。汗顔の至りってこういうことよ。まさか、先ほどの私がぺらぺらと喋っていた気持ち悪い言葉の数々を、この子が理解できたなんて。あの時のこの子の反応は引き気味なんてものではなく、完全なるドン引きだったのだ。
猫ちゃんを前に熱暴走を起こしていた頭が急に冴えてしまって、私は一気に恥ずかしくなった。
「こいつは禁書の毒だよ。化け猫だから言葉のやり取りもできるんだ」
「そう……」
それをもう少し早く知りたかった。人語が理解できると知っていれば、少なくともあんなに頭の狂った発言はせずに済んだ。初対面の女にあんな迫られ方をされて、猫ちゃんからしてみればさぞ恐怖を感じたことだろう。この家のどこかに穴があったら蓋を閉めて暫く閉じこもりたい。
「姿だって変えられるんだぜ。ほれ」
恥ずかしさで悶絶する私のことなど気にもしていない世助は、つまみ上げた猫ちゃんをそのままほいっと宙に放り投げる。
「ぎにゃぁあ!?」
「ちょっと!」
あまりのぞんざいな扱いに驚きつつ、私はすかさず猫ちゃんを受け止めようと手を伸ばしていた。
すると、放られた猫ちゃんはくるりと体をねじる。ねじって、空中を一回転したとき――その体はひと回りもふた回りも大きくなっていた。
「わっ!?」
想定以上の重みが、私の両手にのしかかる。子猫くらいの重さを想定して構えていた私の手では当然受け止めきることができず、猫ちゃんは地面に落ちた。……いや、落ちてはいない。きちんと着地していた。
ただし、そこにいたのは子猫ではなく――
「ふしゃ――ッ!! おめー調子に乗ってんじゃにゃーぞ!」
「かてぇこと言いなさんな。ちょっとした挨拶じゃねぇか」
幼い男の子だった。茶色と黒が混じった髪で、欠けた三角の耳を頭の上にのせ、左眼を怪我している、奇妙な姿の男の子が――そこには立っていた。
「猫ちゃんになんてことするのよ! いえ、それ以上に、禁書の毒をそんなふうに扱っていいものなの?」
禁書は本来、気安く触れるのすらはばかられるような存在だ。付喪神が悪いものに変化したような、祟り神のようなものだ。私も禁書と知っていれば撫でるのすら躊躇うところなのに、つまんで放り投げるなんてことをしたら大変な目に遭うのではないかと心配になった。
「大丈夫ですよ、この店の中なら毒たちもほとんど無害です。万一のことがあったら旦那の痛~いお仕置きが待ってますから」
「お仕置き?」
「ケツ叩きの刑に加えて中央図書館に強制送還な」
「ケツ……」
それは痛いというより、屈辱的なお仕置きだ。一体どんな方法を使って、人智を超えた存在たる禁書の毒の尻を叩くのか。気になりはしたけれど、色々話を広げすぎるとキリがなくなってしまいそうだ。
「ちょっと変わってるだろ、ここ。ちゃんと国から許可もらって管理してるから、その点でも心配はないぜ」
「はあ……」
ちょっとどころじゃない。ものすごく変わっている。というか、変だ。禁書を管理している場所が、帝国認可の図書館以外にもあったなんて。しかもそこが個人経営の貸本屋だなんて、信じられない。この国で禁書を扱えるのは、専門の知識を持った禁書管理士だけだ。つまり、ここの主たる七本さんは、取得することさえ大変な禁書管理士の資格を持っているすごい人ということになる。
「んで、こいつは『子猫の嫁さがし』っていう禁書の毒だ。おれらは鯖って呼んでる」
「そういえば、どうして鯖って名前なの?」
「瞳が青鯖みたいな色してるだろ? おっさんが名付けたんだけど」
確かに、じっと見ていると魚屋に並んでいる青鯖のようにも見えてくる。しかし、猫に魚の名前をつけるなんて、なんだか変わった感性の人だ。作家は往々にして変わった人が多いと聞くけれど、彼も例に漏れず変わり者らしい。いえ、もう既に散々聞かされていることだから、そんな感想も何を今更という感じなのだけど。
「にしても、熱烈なラブコールだったにゃぁ」
「うっ」
先ほどまで子猫だった男の子――もとい、鯖ちゃんが茶化して言う。世助も唯助くんも、可笑しそうに笑っていた。
「へえ、ラブコール? 興味深いなぁ?」
「『人間の心をこうまで誑かすにゃんて罪だ~』とか言ってたにゃぁ」
「ほぉ~?」
唯助くんと世助が、にまにまと笑いながら私を見てくる。
「あのリツがねぇ……」
「他にも『可愛くて許されにゃい罪でたいh――」
「や、やめて!! お願いだからそれ以上バラさないで、鯖ちゃん!」
黒歴史確定の小っ恥ずかしい台詞を猫本人の口から暴露されるというまさかの展開を、誰が予想できるだろう。初対面の相手の前である程度の格好はつけるつもりだったのに、思わぬ公開処刑をされて私は取り乱した。
「筋金入りの猫好きだってのは知ってたけど、こりゃぁ相当だなぁ」
しかも、猫につられて道に迷ったことを散々に笑った世助にも、この醜態を知られてしまったのが悔しいことこの上ない。
「忘れて! 今すぐに忘れなさい!」
「へぇ~い」「はぁ~い」
顔のよく似た双子は、笑顔の意地悪さまでそっくりだった。
*****
「はい、お待ちどおさまです」
すっかり日が沈み、鈴虫が鳴き始めたその日の晩。台所からやってきた音音さんは、皆が腰をかけていた縁側の床へどん、と大きな皿を置いた。
「うわぁ! すげー量だなぁ」
「んにゃぁ~!」
先に皿の中身を覗き込んだ唯助くんと鯖ちゃんが歓声を上げる。そこに鎮座していたのは、鮮やかな赤色をした西瓜だった。電灯の光を照り返すほど瑞々しいその姿に、潤いを求めた喉がごくりと鳴る。
「立派な大玉でしたからね。暑い日差しの中で、これを運んでくるのはひと苦労だったでしょう?」
「んなこたねぇよ、これくらい楽勝だ」
「交代しながら運んできたけどな」
「おい、バラすなよ」
世助が唯助くんの肩を肘で小突く。
「でも、この量を食べきれるかしら。ひと切れだってこんなに大きいのに」
もう夕食を食べ終えた後だ。私や音音さんは手のひらよりも大きいひと切れでお腹いっぱいになってしまいそうだし、食べ盛りの双子が残りをすべて食べ切るのもさすがに骨だろう。
すると、世助はすかさず、
「せっかくだし、皆呼んじゃおうぜ」
と言い、縁側の反対側――部屋の奥の方に向かって声を投げかける。
「おーい! 西瓜食べたい奴いるか~?」
一体誰に向かって声をかけているのだろうと首を傾げる間もなく、返答はやってきた。
「あらっ、西瓜? いいわねぇ!」
「おや、なにやら良い匂いが」
「わぁ~! すいかだ、すいかだ~!」
「やった~!」
大人の女性の声、男性の低い声、続いて無邪気な子供たちの声が、世助の呼びかけに反応する。ほどなくして背後の障子がさっと開き、紫陽花色の着物を着た女性と、生成りの袴を着た中年の男性、そして溢れんばかりの子供たちが、津波のような勢いでどうどうと押し寄せてきた。
「え、えぇっ?」
今の今まで、この数の人間がこの家のどこにいたのか。手の早い子供たちは西瓜の大皿を見つけるや否や、嵐のような勢いで西瓜を持って行く。不可解すぎて頭が追いつかない私は、その光景を呆然と見送るばかりだ。
「ありゃ、阿子とミツユキはいねえのか?」
「あの二人はご主人様とお仕事。私たちはお留守番よ」
子供たちが捌けたところで、着物の女性が私の傍に腰を下ろす。既に八割くらい消えた皿に残されていた西瓜をひと切れ取ると、彼女は私に微笑みかけてきた。
「可愛らしい子ね。初めまして、お嬢さん」
「え、ええ……初めまして」
音音さんとはまた違う意味で素敵な雰囲気だった。青すぎず、熟しすぎてもいない、ほどよい艶っぽさを含んだ肌をしている。優しそうな垂れ目といい、仕草の柔らかさといい、まるで旅館の女将さんのような。
「あ……もしかして、貴方が紫蔓さん?」
「あら、知ってたの? じゃあ自己紹介はいらないかしら」
彼女はにっこりと唇の両端を上げる。たおやかさの中に洒落っ気が感じられる笑みだ。
「リツさん、ご紹介しますね。こちらは紫蔓さん。以前は旅館の女将さんとして働いておられた禁書さんです。紫蔓さん、そちらはリツさん、わたくしの新しいお友達ですよ」
「あらまぁ。ご丁寧にありがとうね、音音ちゃん」
「よろしくお願いしま――……ん?」
私は下げかけた頭を上げ直して、紫蔓さんの顔をもう一度見る。
「禁書、さん……?」
「ええ、そうよ。その猫耳の子も、こっちの珱仙先生も、その教え子たちも、みーんな禁書よ」
紫蔓さんのその言葉に私が衝撃を受けたのは言うまでもない――危険物として世間から忌み嫌われている禁書の毒たちが、危険物であるがゆえに帝国中央図書館で厳重に管理されているはずの彼らが、ここでは人と同じように振舞っているのだ。――人と対等に振る舞うことが、自然なこととして受け入れられているのだ。
「面白いだろ?」
私の思考を読んだように、隣にいた世助がにこにこと笑いかけてくる。
「ここは色んな禁書が同居する場所だ。とりわけ自我の強い禁書はこんなふうに出てきたりもする」
勿論、ここだけの内緒だけど。と、世助は口の前で人差し指を立てて付け加えた。
これで納得した――だからあの時、世助は禁書化した絵本が列車から投げ捨てられたことに、あんなにも過敏に反応してしまったのだ。人と同じ空間に存在しているのが当たり前の環境にいたために。
「しかし、驚きました。少し見ない間に、世助くんがこんなにも立派に成長しているとは」
「けっ、よく言うぜ。あんた、去年の今頃、禁書の中におれを引きずり込もうとしたじゃねえか」
世助は手に取った西瓜にかじりつきながら、珱仙と呼ばれたその人をじろっと睨んだ。
「人聞きの悪い。すべて貴方を思っての行動ですよ。しかし、生きることに絶望していた貴方が、まさかこの一年の間に恋人を連れて帰ってくるとは」
「ぶ――ッ!!」
「んぐっ!?」
途端、世助の口から庭に向かって、西瓜の種が散弾銃のように発射された。当然、私も突然の爆弾発言に驚いて、食べていた西瓜の汁がうっかり気道の方に流れて咳き込んだ。
「なッ、は!?」
世助の顔がみるみる赤く染まっていく。その赤さときたら、食べ頃まで熟した西瓜にも負けじといわんばかりで、噴き出す汗もまたそれに拍車をかけていた。
「ちがうちがう!! 誤解だ!!」
「おや、違うのですか? しかし、貴方の心を見るとどうも――」
「あらぁ先生、そこは黙っとくもんよ。言わぬが花って言葉もあるでしょ。ねっ、世助くん」
「だから誤解だっての!」
私が咳き込んで喋れない間に、世助が大慌てで二人を否定する。混乱して頭が回らないのかもしれないが、彼ときたらまともな弁解もできないらしい。
「大丈夫、リツちゃん?」
「だいじょぶ、けほっ、けほ……」
話が変な方向へこじれる前に私が代わりに弁解しなければ。背中をさすってくれる紫蔓さんに無理をしつつ返答する。
「はあ……世助の言う通りよ。私たちはそういう仲じゃないわ。彼は私に協力して、目的を果たすために一緒に行動してくれているだけなの」
「あら、そぉなの?」
「おや」
私の釈明を聞いた紫蔓さんと珱仙先生が、同時に世助の方を見る。二人の視線を受けた世助は、縦方向に力強く首を振った。
「私の記憶を探す手伝いをしてくれているのよ。今日ここに来たのも、その関係で彼に紹介されたからなの。ね、そうでしょう?」
世助がもう一度ぶんぶん頷いたのを見て、二人は私と彼を何度か見比べる。
「……これはこれは、大変失礼を」
「なるほどねぇ、そういうこと」
どうやら誤解はきちんと解けたみたいで、私はふっと胸を撫で下ろす。あらぬ誤解をされると人間、やはり平常心ではいられないようで、私も少し緊張していたらしい。自分の鼓動が少し早くなっていたのに気づいた。
「上手くいくといいわねぇ、ほほほ」
「ええ、ありがとう」
私が紫蔓さんにお礼を言うのに対して、世助はなぜか、くすくす笑っている彼女をじとりと見つめていた。
「うう、私ってこんなに体力無かったの……?」
「仕方ありませんよ。リツさんは元々大怪我をして療養なさっていたのですし、体力が落ちるのも当然でしょう。むしろ、三ヶ月でここまで動けるほうがすごいって、世助さんが言ってましたよ」
確かに、かかりつけ医や秋声先生も稀に見る回復力だと驚いていたのは覚えている。けれど、満足に動けないことほどじれったいものはない。椿井家では病み上がりの体に負担がかからないような軽い作業だけ任せてもらっているけれど、一般家庭の家事すらままならないなんて思わなかった。保健係の世助に言わせれば、それも本来ならやらない方がいいらしいけれど。
「そういえば、世助は?」
「リツさんよりも早く起きられて、お掃除を手伝ってくださいましたよ。今は唯助さんと町まで買い出しに行かれています」
「よくこんな暑さで外を歩けるわね……さすが十代だわ」
「あのお二人はとても元気ですからね」
そう言う音音さんも、こんなに蒸し暑い家の中でいきいきと働いている。線の細い体のどこからそんな力が湧いてくるのか、見ている私としては不思議でならない。
「お貸しした浴衣はどうでしょう。大きすぎませんでしたか?」
「平気よ。風通しが良いから、洋服よりも涼しいわ」
私は基本的に洋服を身につけているけれど、この暑さでは汗が服に張り付いて気持ち悪い。音音さんはそんな私に気を利かせて、自分の浴衣を貸してくれた。
けれど、白地に青い朝顔の模様をあしらった浴衣は、私には清楚すぎる。童顔でつり目がちな私よりも、おっとりした雰囲気の音音さんのほうがもっと素敵に着こなせるだろう(そもそも彼女のものなのだから当然だけど)。
「その首飾りも綺麗な青い石ですから、ちょうど浴衣の色と合っていますね」
音音さんは私の胸元を飾る石を見ながら言う。
「それは瑠璃でしょうか?」
「それが、私にもさっぱりなのよね。誰に貰ったものなのかさえ分からなくて」
「左様ですか……でも、真っ青で本当に綺麗。晴れた日の海みたい」
「確かにね」
彼女の言う通り、海のように真っ青なこの石をじっと見つめていると、穏やかな波の音が聞こえてきそうだ。
ふと、蝉ばかりが鳴いていた縁側に、ちりんと音がひとつ立つ。風鈴の音ではない。もっと低い位置から、ささやかに聞こえてきた。
「にゃぁ」
それに続いて、こちらに向かって呼びかけるような――猫の鳴き声。
「あ、鯖ちゃん。今日は一番乗りですね」
「んにゃぁ~」
音音さんがしゃがんだところへ、スキップするような鈴の音がちりちりと近付いていく。足元を見ると、両手で掬い取れそうな大きさの三毛猫が、ちょうど私のすぐ脇をすり抜けていくところだった。
音音さんに到達した子猫は、彼女の手に包まれるまま丸まって、喉をゴロゴロ鳴らしていた。頭や体をなめらかに愛撫するその手つきに、すっかり骨抜きにされているようだ。
勿論、無類の猫好きの私も、そんな可愛らしい光景にはじっとしていられなかったわけで。
「ここ、猫ちゃん飼ってたの? 私も触っていい?」
「ええ、大丈夫ですよ」
音音さんから許可を得るなり、私は彼女の手の中で転がっていた三毛猫の頭を撫でた。大人の猫よりも柔らかい毛の感触が、指先から伝わる。よく見ると左眼には爪で引っかかれたような傷跡があり、耳も少し欠けている。けれど、圧倒的な可愛さの前では、そんな些細な傷など気にもならない。手の中で小さな温もりが蠢いているのがたまらなく愛おしくて、思わず頬を寄せてしまいたくなる。
「は~ぁかわいい、猫ちゃんってどうしてこんなに可愛いのかしら。人間の心をこうまで誑かすなんて罪だわ。可愛くて許されない罪で逮捕しちゃいたいくらい。あぁ、旦那様も猫を飼ってくれないかしら。こんな愛らしい生き物のお世話役なら二十四時間三百六十五日と喜んでするのに。はぁなにこの肉球、触り心地が最高だわ……」
「にゃ、にゃぁ……」
大好きな猫に興奮しすぎて抑えがきかず、気持ちの悪いことばかり口走る私。怒濤の勢いで吐き出される独り言に、心なしか猫ちゃんも引き気味に鳴いている。けれど、音音さんの反応はとても優しいものだった。
「ふふ、リツさんは猫が大好きなんですね」
「えぇ、大好きよ。好きすぎて猫屋敷に住みたいくらい」
「鯖ちゃんもよかったですね。こんなに猫好きな人から撫でてもらえて」
「にゃ~ん……」
音音さんの言葉に一応は同意しているのか、それとも逆に否定しているのか。分からないけれど、多分、音音さんが思うほど猫ちゃんは私に好意的ではない。けれど、その上で大人しく撫でさせてくれてるのなら、随分とお利口な猫ちゃんだ。私は猫ちゃんが逃げないのをいいことに、顔を揉んだり尻尾の付け根を撫でたりした。調子に乗って毛並みに顔を埋めて吸ってしまおうかと頭を過ぎった瞬間、それはやめておけと神様が言ったのか、折良く玄関の戸が開く音が割り込んでくる。
「ただいまぁ」
「戻りましたぁ」
買い出しに行っていた双子の兄弟が帰ってきたのだろう。二人分の足音が私たちのいるところへ近付いてくる。
「あ、リツさん。着替えたんですね」
「似合ってるじゃん。朝顔柄」
二人とも日照りのところを歩いてきたせいか、頬が火照っている。籠を背負った世助は、私の顔の次に手元を見て、猫ちゃんの存在にも気づいたようだ。
「おう、鯖公。出てきてたのか」
ニヤニヤと笑う世助が、ひょいと猫ちゃんの首根っこをつまみ上げた。
「ぶにゃっ!」
「こんにゃろう、姉御とリツに撫でられて鼻の下伸ばしてやがったな、女好きのスケベ猫め」
ぶら下がった猫ちゃんの顎を指で擦りながら、世助はそのもふもふのお腹へ頬をすり寄せていた。ずるい、私が先にやりたかったのに! という言葉はすんでのところで呑み込む。
「久しぶりぃ、鯖公。相変わらず良い毛皮してんなぁ」
「毛皮って言い方やめろにゃぁ!!」
猫ちゃんが世助の頭を肉球で押しのけながら、甲高い声で抗議する。――そう、猫ちゃんが。さっきまでにゃあにゃあ愛くるしく鳴いていた猫ちゃんが、愛くるしい声はそのままに、人の言葉を叫んでいた。
「……今喋ったのって、その子?」
いやいや、そんなはずはないだろう――きっと私の勘違いだ。そう願いながら確認する。けれど、世助はただ一言、「うん」とだけ言って頷いた。
「吃驚しました?」
唯助くんもお茶目そうな笑顔で言ってくる。
ええ、それはもう吃驚しましたとも。汗顔の至りってこういうことよ。まさか、先ほどの私がぺらぺらと喋っていた気持ち悪い言葉の数々を、この子が理解できたなんて。あの時のこの子の反応は引き気味なんてものではなく、完全なるドン引きだったのだ。
猫ちゃんを前に熱暴走を起こしていた頭が急に冴えてしまって、私は一気に恥ずかしくなった。
「こいつは禁書の毒だよ。化け猫だから言葉のやり取りもできるんだ」
「そう……」
それをもう少し早く知りたかった。人語が理解できると知っていれば、少なくともあんなに頭の狂った発言はせずに済んだ。初対面の女にあんな迫られ方をされて、猫ちゃんからしてみればさぞ恐怖を感じたことだろう。この家のどこかに穴があったら蓋を閉めて暫く閉じこもりたい。
「姿だって変えられるんだぜ。ほれ」
恥ずかしさで悶絶する私のことなど気にもしていない世助は、つまみ上げた猫ちゃんをそのままほいっと宙に放り投げる。
「ぎにゃぁあ!?」
「ちょっと!」
あまりのぞんざいな扱いに驚きつつ、私はすかさず猫ちゃんを受け止めようと手を伸ばしていた。
すると、放られた猫ちゃんはくるりと体をねじる。ねじって、空中を一回転したとき――その体はひと回りもふた回りも大きくなっていた。
「わっ!?」
想定以上の重みが、私の両手にのしかかる。子猫くらいの重さを想定して構えていた私の手では当然受け止めきることができず、猫ちゃんは地面に落ちた。……いや、落ちてはいない。きちんと着地していた。
ただし、そこにいたのは子猫ではなく――
「ふしゃ――ッ!! おめー調子に乗ってんじゃにゃーぞ!」
「かてぇこと言いなさんな。ちょっとした挨拶じゃねぇか」
幼い男の子だった。茶色と黒が混じった髪で、欠けた三角の耳を頭の上にのせ、左眼を怪我している、奇妙な姿の男の子が――そこには立っていた。
「猫ちゃんになんてことするのよ! いえ、それ以上に、禁書の毒をそんなふうに扱っていいものなの?」
禁書は本来、気安く触れるのすらはばかられるような存在だ。付喪神が悪いものに変化したような、祟り神のようなものだ。私も禁書と知っていれば撫でるのすら躊躇うところなのに、つまんで放り投げるなんてことをしたら大変な目に遭うのではないかと心配になった。
「大丈夫ですよ、この店の中なら毒たちもほとんど無害です。万一のことがあったら旦那の痛~いお仕置きが待ってますから」
「お仕置き?」
「ケツ叩きの刑に加えて中央図書館に強制送還な」
「ケツ……」
それは痛いというより、屈辱的なお仕置きだ。一体どんな方法を使って、人智を超えた存在たる禁書の毒の尻を叩くのか。気になりはしたけれど、色々話を広げすぎるとキリがなくなってしまいそうだ。
「ちょっと変わってるだろ、ここ。ちゃんと国から許可もらって管理してるから、その点でも心配はないぜ」
「はあ……」
ちょっとどころじゃない。ものすごく変わっている。というか、変だ。禁書を管理している場所が、帝国認可の図書館以外にもあったなんて。しかもそこが個人経営の貸本屋だなんて、信じられない。この国で禁書を扱えるのは、専門の知識を持った禁書管理士だけだ。つまり、ここの主たる七本さんは、取得することさえ大変な禁書管理士の資格を持っているすごい人ということになる。
「んで、こいつは『子猫の嫁さがし』っていう禁書の毒だ。おれらは鯖って呼んでる」
「そういえば、どうして鯖って名前なの?」
「瞳が青鯖みたいな色してるだろ? おっさんが名付けたんだけど」
確かに、じっと見ていると魚屋に並んでいる青鯖のようにも見えてくる。しかし、猫に魚の名前をつけるなんて、なんだか変わった感性の人だ。作家は往々にして変わった人が多いと聞くけれど、彼も例に漏れず変わり者らしい。いえ、もう既に散々聞かされていることだから、そんな感想も何を今更という感じなのだけど。
「にしても、熱烈なラブコールだったにゃぁ」
「うっ」
先ほどまで子猫だった男の子――もとい、鯖ちゃんが茶化して言う。世助も唯助くんも、可笑しそうに笑っていた。
「へえ、ラブコール? 興味深いなぁ?」
「『人間の心をこうまで誑かすにゃんて罪だ~』とか言ってたにゃぁ」
「ほぉ~?」
唯助くんと世助が、にまにまと笑いながら私を見てくる。
「あのリツがねぇ……」
「他にも『可愛くて許されにゃい罪でたいh――」
「や、やめて!! お願いだからそれ以上バラさないで、鯖ちゃん!」
黒歴史確定の小っ恥ずかしい台詞を猫本人の口から暴露されるというまさかの展開を、誰が予想できるだろう。初対面の相手の前である程度の格好はつけるつもりだったのに、思わぬ公開処刑をされて私は取り乱した。
「筋金入りの猫好きだってのは知ってたけど、こりゃぁ相当だなぁ」
しかも、猫につられて道に迷ったことを散々に笑った世助にも、この醜態を知られてしまったのが悔しいことこの上ない。
「忘れて! 今すぐに忘れなさい!」
「へぇ~い」「はぁ~い」
顔のよく似た双子は、笑顔の意地悪さまでそっくりだった。
*****
「はい、お待ちどおさまです」
すっかり日が沈み、鈴虫が鳴き始めたその日の晩。台所からやってきた音音さんは、皆が腰をかけていた縁側の床へどん、と大きな皿を置いた。
「うわぁ! すげー量だなぁ」
「んにゃぁ~!」
先に皿の中身を覗き込んだ唯助くんと鯖ちゃんが歓声を上げる。そこに鎮座していたのは、鮮やかな赤色をした西瓜だった。電灯の光を照り返すほど瑞々しいその姿に、潤いを求めた喉がごくりと鳴る。
「立派な大玉でしたからね。暑い日差しの中で、これを運んでくるのはひと苦労だったでしょう?」
「んなこたねぇよ、これくらい楽勝だ」
「交代しながら運んできたけどな」
「おい、バラすなよ」
世助が唯助くんの肩を肘で小突く。
「でも、この量を食べきれるかしら。ひと切れだってこんなに大きいのに」
もう夕食を食べ終えた後だ。私や音音さんは手のひらよりも大きいひと切れでお腹いっぱいになってしまいそうだし、食べ盛りの双子が残りをすべて食べ切るのもさすがに骨だろう。
すると、世助はすかさず、
「せっかくだし、皆呼んじゃおうぜ」
と言い、縁側の反対側――部屋の奥の方に向かって声を投げかける。
「おーい! 西瓜食べたい奴いるか~?」
一体誰に向かって声をかけているのだろうと首を傾げる間もなく、返答はやってきた。
「あらっ、西瓜? いいわねぇ!」
「おや、なにやら良い匂いが」
「わぁ~! すいかだ、すいかだ~!」
「やった~!」
大人の女性の声、男性の低い声、続いて無邪気な子供たちの声が、世助の呼びかけに反応する。ほどなくして背後の障子がさっと開き、紫陽花色の着物を着た女性と、生成りの袴を着た中年の男性、そして溢れんばかりの子供たちが、津波のような勢いでどうどうと押し寄せてきた。
「え、えぇっ?」
今の今まで、この数の人間がこの家のどこにいたのか。手の早い子供たちは西瓜の大皿を見つけるや否や、嵐のような勢いで西瓜を持って行く。不可解すぎて頭が追いつかない私は、その光景を呆然と見送るばかりだ。
「ありゃ、阿子とミツユキはいねえのか?」
「あの二人はご主人様とお仕事。私たちはお留守番よ」
子供たちが捌けたところで、着物の女性が私の傍に腰を下ろす。既に八割くらい消えた皿に残されていた西瓜をひと切れ取ると、彼女は私に微笑みかけてきた。
「可愛らしい子ね。初めまして、お嬢さん」
「え、ええ……初めまして」
音音さんとはまた違う意味で素敵な雰囲気だった。青すぎず、熟しすぎてもいない、ほどよい艶っぽさを含んだ肌をしている。優しそうな垂れ目といい、仕草の柔らかさといい、まるで旅館の女将さんのような。
「あ……もしかして、貴方が紫蔓さん?」
「あら、知ってたの? じゃあ自己紹介はいらないかしら」
彼女はにっこりと唇の両端を上げる。たおやかさの中に洒落っ気が感じられる笑みだ。
「リツさん、ご紹介しますね。こちらは紫蔓さん。以前は旅館の女将さんとして働いておられた禁書さんです。紫蔓さん、そちらはリツさん、わたくしの新しいお友達ですよ」
「あらまぁ。ご丁寧にありがとうね、音音ちゃん」
「よろしくお願いしま――……ん?」
私は下げかけた頭を上げ直して、紫蔓さんの顔をもう一度見る。
「禁書、さん……?」
「ええ、そうよ。その猫耳の子も、こっちの珱仙先生も、その教え子たちも、みーんな禁書よ」
紫蔓さんのその言葉に私が衝撃を受けたのは言うまでもない――危険物として世間から忌み嫌われている禁書の毒たちが、危険物であるがゆえに帝国中央図書館で厳重に管理されているはずの彼らが、ここでは人と同じように振舞っているのだ。――人と対等に振る舞うことが、自然なこととして受け入れられているのだ。
「面白いだろ?」
私の思考を読んだように、隣にいた世助がにこにこと笑いかけてくる。
「ここは色んな禁書が同居する場所だ。とりわけ自我の強い禁書はこんなふうに出てきたりもする」
勿論、ここだけの内緒だけど。と、世助は口の前で人差し指を立てて付け加えた。
これで納得した――だからあの時、世助は禁書化した絵本が列車から投げ捨てられたことに、あんなにも過敏に反応してしまったのだ。人と同じ空間に存在しているのが当たり前の環境にいたために。
「しかし、驚きました。少し見ない間に、世助くんがこんなにも立派に成長しているとは」
「けっ、よく言うぜ。あんた、去年の今頃、禁書の中におれを引きずり込もうとしたじゃねえか」
世助は手に取った西瓜にかじりつきながら、珱仙と呼ばれたその人をじろっと睨んだ。
「人聞きの悪い。すべて貴方を思っての行動ですよ。しかし、生きることに絶望していた貴方が、まさかこの一年の間に恋人を連れて帰ってくるとは」
「ぶ――ッ!!」
「んぐっ!?」
途端、世助の口から庭に向かって、西瓜の種が散弾銃のように発射された。当然、私も突然の爆弾発言に驚いて、食べていた西瓜の汁がうっかり気道の方に流れて咳き込んだ。
「なッ、は!?」
世助の顔がみるみる赤く染まっていく。その赤さときたら、食べ頃まで熟した西瓜にも負けじといわんばかりで、噴き出す汗もまたそれに拍車をかけていた。
「ちがうちがう!! 誤解だ!!」
「おや、違うのですか? しかし、貴方の心を見るとどうも――」
「あらぁ先生、そこは黙っとくもんよ。言わぬが花って言葉もあるでしょ。ねっ、世助くん」
「だから誤解だっての!」
私が咳き込んで喋れない間に、世助が大慌てで二人を否定する。混乱して頭が回らないのかもしれないが、彼ときたらまともな弁解もできないらしい。
「大丈夫、リツちゃん?」
「だいじょぶ、けほっ、けほ……」
話が変な方向へこじれる前に私が代わりに弁解しなければ。背中をさすってくれる紫蔓さんに無理をしつつ返答する。
「はあ……世助の言う通りよ。私たちはそういう仲じゃないわ。彼は私に協力して、目的を果たすために一緒に行動してくれているだけなの」
「あら、そぉなの?」
「おや」
私の釈明を聞いた紫蔓さんと珱仙先生が、同時に世助の方を見る。二人の視線を受けた世助は、縦方向に力強く首を振った。
「私の記憶を探す手伝いをしてくれているのよ。今日ここに来たのも、その関係で彼に紹介されたからなの。ね、そうでしょう?」
世助がもう一度ぶんぶん頷いたのを見て、二人は私と彼を何度か見比べる。
「……これはこれは、大変失礼を」
「なるほどねぇ、そういうこと」
どうやら誤解はきちんと解けたみたいで、私はふっと胸を撫で下ろす。あらぬ誤解をされると人間、やはり平常心ではいられないようで、私も少し緊張していたらしい。自分の鼓動が少し早くなっていたのに気づいた。
「上手くいくといいわねぇ、ほほほ」
「ええ、ありがとう」
私が紫蔓さんにお礼を言うのに対して、世助はなぜか、くすくす笑っている彼女をじとりと見つめていた。
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