貸本屋七本三八の譚めぐり ~熱を孕む花~

茶柱まちこ

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七章『悪鬼羅刹 前編』

その一

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 リツの記憶の手がかりを探る上で、最も強力な助っ人である七本三八との対面がようやく叶ったのは、二人がナナヱたちを連れて越午に帰ったときだった。現在は九月の半ばなので、棚葉町の七本屋を訪ねた日から一ヶ月半は過ぎたことになる。
「君たちが帰ってから数日後を狙って来たのに、まさか台風が直撃していたとはねえ。休暇を長めに取っておいて良かったよ」 
 三八、そして秋声は、二人が藍館島から帰って来れなくなっているその期間に、リツの様子を気にして椿井の屋敷を訪ねていたのだった。
 ナナヱたちとの話し合いを終えた次の日に、世助とリツは応接間にて、訪ねてきた二人と改めて顔合わせをすることになった。
「お会いできて光栄です、七本さん。灯堂リツと申します」
 改めて、リツがスッと手を伸ばす。
「こちらこそ。初めまして」
 三八が伸ばされたリツの手を握り、二人は握手を交わす。三八の隣に立つ秋声は、リツに向かって微笑みかけた。
「体も順調に回復されたようでなによりですね」
「ええ、先生方のおかげですわ。本当に感謝しています」
 旅行中のリツが歳並みの女性らしくはしゃいだり、大胆な行動をとっていたのを見ていた世助は、メイドとして対応している今の彼女との差に驚く。
 世助は椿井家の使用人とはいえ、まだ仕事と私事しじの顔を使い分けることができない。なので、しっかりメイドとしての顔を作っているリツを見て、さすが大人だなぁなどと感心していた。
「先日は本当にすまなかった。火急の用でどうしても店から離れざるを得なかったんだ」
「お気になさらないでください。誰にでもそういう時はありますもの」
「そう言ってもらえると助かるよ」
 堅苦しい挨拶も程々に、と三八はぐぐっと前のめりになり、本題を切り出す。
「君のなくした記憶について、手がかりがないかを小生に見てほしいんだったね」
 それまでにこやかに接していたリツも、話題が切り替わると、きりりと真剣な表情になる。リツは青い石のペンダントを首から外し、三八へ手渡す。
「こちらを。私が保護された当初から所持していたものです」
 真剣な態度のリツとは対照的に、三八はどこかわくわくそわそわした様子で、妖しく輝くペンダントを受け取った。こんな時でさえ人の譚を味わう気満々の三八に、傍から見守っていた世助は内心呆れていた。この男が無類の譚好きなのは以前から分かっていることだが、真面目な場面でこうも浮き足立たれると、面白くないものだ。とはいえ、世助は自分が出る幕ではないと分かっているので、黙っていた。
 三八はペンダントの石を様々な方向に傾け、キラキラ輝くその色を鑑賞したあと、
「ほぉん、海竜珠か」
 と宝石商さながらにズバリと言い当てる。
「ご存知なのですか?」
「ああ。以前、実物を見たことがあってね。こんなところでお目にかかれるとは」
 三八はやや興奮気味に、『海竜珠』という石について熱心に語り出した。
「この宝石は水辺でよく採取できるんだけど、自然下では白っぽい色をしているのに、人が身につけていると少しずつ澄んだ青色に変化していくんだよ。不思議なものだよねえ、人に身につけられる度に輝きを増していく宝石なんて。翡翠ひすいなんかもそうだけど、人間の皮脂を吸収することで変色するそうだよ。逆に長い期間触れられずに乾燥した海竜珠は白く濁って割れやすくなるんだとか。いやぁ、これは浪漫ロマンを感じてしまうねえ。この石にはどれだけの美しい譚が内包されているのか。胸のときめきがおさまらな――あいたぁッ!?」
 リツも世助も、そろそろ三八の話をきちんと聞き取るのは諦めようかと思いかけたところで、秋声の平手がスパァン! と小気味よい音を立てながら、三八の頭に炸裂した。
「貴方の長話など誰も聞いてません。いいからさっさと鑑定してください」
 三八の長い話を聞くのは久々だった。大陽本各地に張り巡らされた電車の線路のように、どこまでも続いていきそうな説明を前にして、リツは絶句していた。こんなに間抜けなリツの顔を見たのは、これが初めてかもしれない。隣の世助は三八の話に唖然としているリツに対し、『うんうん分かるよその気持ち』と密かに相槌を打っていた。
 三八ははいはい分かりましたよと言いつつ、ペンダントを電灯に透かしたり、ふんすんと匂いを嗅いだり、はたまた耳に近付けたりしていた。いつもは嗅覚だけを頼りにする彼だが、今回はモノが珍しいからか、五感の全てを使って譚を感じ取っているようだ。
 世助は自分の胸の鼓動が嫌に鮮明に聞こえてくるのを感じた。遠くの雷鳴がどんどん近づいてきているときのように落ち着かない気持ちだ。リツ本人が失った記憶について不安を抱いていたこともあり、彼としても穏やかに見ていられないのである。なんとも喉越しの悪い沈黙が流れる中、世助とリツは三八の口から言葉が紡がれるのを辛抱強く待った。
 やがて、三八はひとしきりペンダントを調べ終えると、静かに口を開いて問いかける。
「…………世助。君、この石に見覚えはないのかい?」
 リツではなく、世助に問いかける。
 まさか自分が指名されるとは思わず、世助は悪いことをしたわけでもないのに、ぎくっと肩を揺らした。 
「えっ……いや。ない、けど」
 正直に答えたが、覚えがないと問題なのだろうか。あったらあったで、なんて言われるのだろうか。三八の続きの言葉が怖くて、回答もぎこちなくなってしまう。 
 三八は視線をペンダントに向けたまま、右へ左へぐりぐり首を傾げていた。
「なんだろうな、リツに近いにおいもするんだけど、世助っぽいにおいもかすかにする気がするんだよねぇ」
「リツさんの記憶に、世助くんが関与している可能性があるということですか?」
「無きにしも非ず、とも言い難い」
「どっちですか、曖昧な」
 相変わらず訳の分からない物言いをする男だ、と世助は内心で秋声の言葉に同意する。
「君たち、以前にどこかで会った記憶は?」
「……ごめんなさい、思い出せません。世助は?」
「おれも心当たりは無いな」
 というか、リツのような、すれ違えば必ず二度見するような絶世の美女に出会っていたら、世の男性の九割は記憶の片隅には残るはずだ。それほどまでに彼女は印象深い見た目をしているし、ましてリツに一目惚れをしている世助は、過去に彼女と出会っていて忘れるはずがない、と断言する自信がある。
「そうか……ふうむ、これは難題だ。においが薄すぎるし、当人たちが知らないとなると、小生の立場からはなんとも言えんなぁ」
 珍しく三八が困り顔であった。ここまで譚がまったく見えない品には、彼も初めて遭遇したらしい。
「そういえば、唯助くんは以前、そのペンダントの譚を探ろうとしたときに、『拒まれた感じがする』と言っていました」
「その感覚は正しいのだろうね。小生も色々やってはいるが、どうにも煙に巻かれている気がする。特別な条件を揃えないと譚が浮かんでこない代物なのかもしれんなぁ」
 何度も鼻を近づけては首を傾げている三八。その眉間には皺が寄っており、眉尻はきゅっと下がっていた。
「じゃあ、失っている記憶に関する情報は?」
「うん、見えない」
「おぉい!」
 三八は譚を探るのをすっぱり諦めたようで、けろっと笑って返した。唯助の心眼も効かなかったが、まさか三八の嗅覚でもお手上げとは。記憶の断片だけでも掴めるかと期待したけれど、そう都合よくはいかないらしい。大いに当てが外れて、世助はがっくりと項垂れる。
「でも、分からないことはないでもないかな」
「ほんとか!? 何がわかるんだ?」
「君たち、もしかして関係に進展があったんじゃないかな」
「ふがッ!」
「なっ!」
 そんなところに話が波及するとは思わず、驚いた世助は鼻の奥から妙な声を出してしまった。同時にリツも、顔を赤く染めて慌て出す。
 二人の反応が、答えをそのまま表してしまっていた。
「おや、そうでしたか。つまり、この旅行でお二人の仲がよりいっそう深まったという解釈で」
 秋声はまったく同時に赤面した二人を面白がって、にっこにっこと満面の笑顔で拍手する。三八に至っては自分で自分を抱きしめながら、海藻のように身をくねくね動かすものだから、世助にとっては気色悪いことこの上ない。
「いやぁ若いっていいねぇ、瑞々しくって! 心なしか水蜜桃のごときにおいが漂ってくるようだ。小生、嫁が恋しくなってきちゃったなあ」
もみじに先がけ色づいた、といったところでしょうか」
「おちょくるな、色ボケ! あんたらには関係ねえだろ!」
 世助が怒声とともにリツのペンダントをひったくる。リツが身につけていたペンダントから甘い匂いがして、それを三八に嗅がれるなんて、なんだか嫌な気がしたのだ。
 対してリツは、俯いて硬直したままだ。表情は見えないが、耳までが火が噴き出そうなほど赤くなっている。
「まあまあ、とっかかりがないわけじゃない。これは食島でしか採れない鉱石だから、なかなかお目にかかれる代物じゃないよ。それに、海竜珠は神社に奉納されることもあるらしいじゃないか。元々は祭具だった可能性もある」
「さいぐ?」
 あまり耳馴染みのない言葉を、世助は反芻して聞き返した。
「読んで字のごとくだよ。神様をお祀りするときに使う道具さ。当然、祭具には神様にまつわる譚が刻まれる。けれど、神様は神聖なものだから姿を見ちゃいけないし、祭具から神様の譚を覗くのもあまりよろしくない。唯助や小生が譚を見るのを拒まれているのは、神様に怒られたからかもしれないね」
 譚に愛された愛子でもそんなことがありうるのか。ほとんど万能にも近い能力だと思っていた世助は、意外な事実にへえ……と声を漏らした。
「んで、結局そのカミサマとやらが、リツの記憶となにか関係があるのか?」
「ないかもね」
「ないのかよ」 
「でも、あるかもよ」
「どっちだよ!」
 どっちつかずの返答をする三八へ、手刀とともにツッコミをいれる世助。三八はそんな彼をまあまあと窘めながら言った。
「そこから調べてみるというのはどうかな?」
「そこから、って?」
「関連があるのかないのか、だよ。例えば、リツの家がご神職だったのかもしれないし、食島の出身だったのかもしれない。そこをはっきりさせるだけでも違うだろう」
「あ……」
 確かに、その線はアリかもしれない。関係があれば大収穫だし、関係がなかったとしても消去法的に選択肢を絞ることはできる。世助は隣に座っているリツの反応を伺う。 
「そうですね。行動しているうちになにかを思い出すこともあるかもしれないし。無駄足になったとしても動かないよりはいいはず」
「うむ、前向きなのはよいことだ」
 リツがそう言うならば付き合うしかあるまい。次なる目的地は食島だな、と世助は心の中で定めた。
「多忙ですね、貴方がたも」
 話がひと区切りついたところで、秋声が世助の方へおもむろに手を伸ばしてくる。どうしたのかと秋声の手の行先を気にしていると、世助はその原因に気がついた。
「ほら、ここ。気づかなかったんですか?」
 目で確かめて、世助は思わず「げっ」と声を出してしまう。彼が身につけていたジレの肩部分の縫い目が、大きくほつれてしまっていたのである。世助は二人と顔を合わせる前に、制服に着替えてきたのだが、人差し指がすぽっと入りそうなほどの穴が空いてしまっているのに気づかなかったのだ。こんな大きな穴に気づけないなんて、実は相当疲れているのではなかろうか、と彼は思う。
「よければ繕ってあげましょうか」 
「そんな、先生だって忙しいだろ? これくらい自分でできるよ」
 多忙な秋声の手をあまり煩わせるのも、と世助は遠慮するが、三八は
「いいから甘えときなさい。これでもあちこち動きっぱなしの君たちを気遣ってるんだ。それに、秋声は言い出すと聞きやしないからね」
 と口を挟む。秋声もそれには二度頷いた。
「ええ、そうです。ついでですから、リツさんも。他の制服も全部持ってきなさい」
「私もですか?」
「いや、でもさぁ……」
「あぁ、出来についてはご心配なく。針と糸の扱いには並の人以上に慣れていますから」
 さあ、つべこべ言わずに早く持ってくるのです。と言わんばかりに、秋声はぐいぐいと手を出して促してくる。好意にしても、やや強引である。もはや有無を言わせぬ勢いだ。
「ほら、秋声はこうだからさ。ここは差し出しといた方がいいよ」
 三八はそんな秋声に対して、呆れたように肩をすくめる。これはもう大人しく言うことを聞くしかないようだ、と判断した二人は、制服を取りに部屋を後にした。

 *****

「また遠出か……あの二人もなかなか落ち着かないな」
 所変わって、蒼樹郎の書斎にて。休む間もなく次の目的地を定めた世助とリツに同情するように、蒼樹郎はため息をついた。
「修、それなんだが。小生らもちょっと様子を見させてくれないか」
 蒼樹郎は、三八の申し出に「ん?」と怪訝そうに目を細めた。
 三八は書斎の窓の外を見やる。正確には、窓の向こうに見える、縁側をじっと見つめている。
「彼女と世助を二人だけにすると、ちとまずい気がしてね」
 縁側には話し合いを終え、和やかに話している世助とリツがいた。時折顔を赤らめたりもして、なんとも初々しい様子の彼らを見る三八の目は、決して柔らかいものとは言い難い。むしろ、どちらかと言えば、険しいという表現のほうが近い。
「どういうことだ? 彼らは以前から二人きりで行動していたが、今までなにも問題はなかったぞ。根拠を言え」
 まるで善良なリツを危険人物のように扱われた気がして、蒼樹郎はやや不快そうに眉を顰める。しかし、三八の視線の鋭さは少しも和らがない。
「いやね。彼女の譚に、どうにも嫌なモノがまとわりついてる気がするんだ。ペンダントではなく、彼女自身の方からなのかな。不可解なにおいがして」
「馬鹿を言うな。彼女は使用人として真面目に働いてくれている。貴様の感覚だけで物を言うな」
「そう噛みつくんじゃないよ。犬じゃあるまいし」
 三八の手がぽんぽんと犬のように頭を撫でてくるので、面白くない蒼樹郎はそれを叩き落とす。
「万が一のために警戒しておこうというだけです。何もなければそれでいいのですから」
「秋声殿まで何を」
 そびやかされた蒼樹郎の肩に、秋声はそっと手を置く。あくまで穏やかな声で、彼を宥める。
「今は記憶を失って親しい仲かもしれません。ですが、元々はどんな身の上だったか定かでないのです。話を聞く限り、彼女がただの市民だったとは考えにくい」
「世助も小生らの可愛い子だからね。望まぬ結末を避けるためにも、ここは堪えてくれないかな」
 蒼樹郎はしばらく息を荒立たせていたが、二、三度深呼吸を繰り返して、湧いた怒りを抑え込む。そして、三八が見つめ続けていた窓の外へ視線をやり、すぐに背けた。
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