貸本屋七本三八の譚めぐり ~熱を孕む花~

茶柱まちこ

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七章『悪鬼羅刹 前編』

その四

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 沈みゆく太陽を脇目に火をおこして魚を釣って貝を採って――と色々やっていたら、空にはいつの間にか星が浮かんでいた。正直、気はあまり休まらないけれど、満天の星空は張り詰めた心をほどよく緩ませてくれる。
 おれとリツは浜辺で手頃な流木に腰をかけ、飯の準備をしながら焚き火に当たっていた。火の傍では、炙られている魚の串が四本、じうじうと音を立てている。皮にはこんがりと焼き目がついており、見た目からして美味そうだった。腹の虫もいよいよか、そろそろかと鳴き始めたところで、試しに炙っていた一本を手に取る。
「そろそろ頃合いかな。ちょっと食ってみるか?」 
 香ばしい匂いが漂ってくるのを確かめて、それをリツに渡した。
 リツは「いただきます」と手を合わせたあと、魚の腹にぱくっとかぶりついた。
「あふぁ、ふっ、おいしい!」
 それまでどこか不安げだったリツは、魚を口にした瞬間、笑みをこぼした。美味そうに齧りついている彼女を見て、おれは安堵する。
 近くにあった串を取り、おれもその腹にがぶりと齧りついてみる。脂で燻された匂い、ほんのり広がる塩気、あつあつでふわふわな身の食感。見事に三拍子揃っている。魚は焼きすぎると身がばさばさして旨味が半減する――というのは、七本屋にいた頃に姉御から教わったことだ。細かな点であの人が焼いたものには遠く及ばないが、それでもこの美味さなら上出来だろう。
「うん、上手くできてる。……って、食うの早いな、リツ」
「だって、お腹が空いてたんだもの」
 おれがふた口目を口にしようとした時点で、リツの持っていた串からは可食部がほとんどなくなっていた。骨までしゃぶる勢いで最後のひと口を食べたリツは、顔をほころばせながらそれを噛みしめている。
「本当、美味しい。ちょうどいい焼き加減だわ」
 一度食べ物を口にして、それまで鳴りを潜めていた食欲が刺激されたのだろう。リツは一本目をあっという間に平らげ、すぐさま二本目に手を伸ばしていた。胸がすくような、実に気持ちのいい食べっぷりだ。
「なんだか、ガキの頃を思い出すな」
 まだじうじう鳴っている魚を頬張りつつ、おれはしみじみと呟いた。
「それって、夏目家に保護される前のこと?」
「うん」
 おれは弟と共にどこかの砂浜へ投げ出されていたときから、夏目家に保護してもらうまで、ずいぶんと心細い思いをした。盗んだ作物を食べたり、やむを得ずそのへんの虫や雑草を食べたり、酷い時は水だけで数日歩き続けたり――今思えばわずか八つという歳でよく生き延びたものだ。
 おれが幼い頃の壮絶な宿無し生活をとつとつと語ると、リツは神妙な面持ちで耳を傾けていた。
「随分過酷だったのね……」
「あぁ、あんな生き地獄は二度とごめんだな」
「もしかして、それで野宿の知識を身につけたの? 食べられる草花とか、湧き水の出る場所とか、すいすい見つけるなって思ったけど」
「そういうこった。もしもに備えてな」
 死の淵をさまようような体験をしたからだろう。おれは夏目家に保護されても安心することはできなかった。夏目家に気に入られなければ、弟もろとも野山に捨てられてしまうかもしれないという恐怖が、常に心のどこかにあったのだ。だから、いざという時に唯助を守りながら生き残れるよう、おれは野宿の知識を身につけて備えていたのだった。
 無駄な知恵は身につけさせない方針を取っていた夏目家で、術本を手に入れるのはなかなか骨だった。『戦場で生き残るための戦略だ』などと言い訳をして、ようやく手に入れた術本から必死に得た知識が、よもやこんなところで役に立とうとは。人生分からないものである。
「でも、あんたも野宿の知識あったじゃん。あんなに手際よく釣竿こさえてくると思わなかった」
 おれは数時間前まで、女性のリツに野宿はきついだろうと思い込んで、あれこれ気を回していた。しかし、それらは杞憂に終わった。リツは食材を手に入れるため、自ら積極的に手を動かし始めたのだ。
 薪になりそうな流木を拾い集め、釣竿をこさえ、食べられる貝まで探してきてくれた。手伝いを依頼するまでもなく、ここまで自発的に戦力になってくれるとは予想外だった。
 そんな彼女を見て、おれはふと思ったことを口にする。
「なあ。これはおれの推測だから、あんまりアテにしなくてもいいんだけどさ。あんた、もしかして帝国の軍人だったんじゃねえの?」
「軍人? どうして?」
 リツは突拍子もない発言に驚いたことだろう。不思議そうに首を傾げているリツに、おれは三つ指を折りながら推測を説明する。
「刀が使える。帝国司書隊の裏事情も知っている。野宿もお手の物。こんな奇妙な三拍子が揃う立場ってなんだろうなぁって考えて、頭に浮かんできたのが『軍人』だったって感じかな」
 術本などの影響で文明が急速に発展し、生活も豊かになった今の時代――おれのような特殊な事情がない限り、野宿の方法を教わるのは軍属くらいだ。それも素人の娯楽程度に教わるのではなく、実地でも難なく実践できるくらいまで叩き込まれる。リツの手さばきは一般人のそれとは明らかに違っていたし、ともすればおれよりも上だったかもしれない。
 帝国司書隊の裏情報を知っていたことについてもだ。帝国司書隊に羨望の目を向ける一般市民には裏の顔など知る由もないが、帝国司書隊に比肩する権力を持つ帝国軍や警察隊、あるいは新聞記者などはその限りではない。
 探偵でもないただの凡人の考えだから、推測が外れている可能性は大いにある。しかし、情報を統合して考えれば、リツの正体はかなり絞られるのではないだろうか。
「軍人、かぁ」
 リツはほんの少しだけ気落ちした様子で俯き、そのままうわ目でおれの顔色を伺った。不覚にもその仕草が可愛いなと感じていたおれに、リツはぽろりとこぼすような小さい声で尋ねてきた。
「……ねえ、世助。もし私の正体が本当に軍人だったら、どうする?」
「どうする、って?」
「だから……自分の恋人が軍人だったら」
 リツの言いたいことが、憂いていることが、おれにはよく理解できなかった。なにをそんなに心配そうに聞く必要があるのか、とおれが頭を捻っていると、リツは気まずそうに付け加えた。
「その、なんていうか、幻滅しない? 軍人なんていかにも泥臭くて、血なまぐさい感じがするじゃない」
「別に?」
 深刻そうな顔をしていたリツは、おれの即答にパッと顔を上げた。豆鉄砲を食らったときの鳩のように目を丸くし、おれを見ている。
「正体が軍人だろうと、リツはリツだろ。それであんたの人となりが変わるわけじゃあるまいし」
 リツと過ごしておよそ半年が経ち、おれは彼女が優しくて真面目な人であることを知った。それだけじゃなくて、仕事以外の場面では茶目っ気もあるし、いつだって自分に自信を持って堂々としている。仮に彼女が本当に軍属だったとして、彼女という譚の見方は確かに変わるかもしれないが、彼女という譚そのものがその瞬間から急変するわけではない。惚れ込んだ女に対する感情は、これからも大きく変わることはないだろう。
 リツはきゅう、と唇を噛んだ。焚き火に照らされて、彼女の瞳に映りこんだ光が、少し揺れて見えた。
「それに、あんたにどんな譚があったとしても、おれはまとめて受け入れるって覚悟を決めてるんだ。……あー、だからなんだ。まあ、安心しろよ」
 言っている最中に気恥ずかしくなってしまい、最後の方はもそもそと小声になった。情けなくもおれはリツの顔を直視できなくて、照れ隠しでそっぽを向く。頬や耳にかけて、ほんのりと痛むくらいの熱さを感じた。
「……ありがと」
 おれにつられたのか、リツもほんのりと顔を赤らめている。
 この状況で浮かれている場合ではないことは重々承知しているが、おれはリツが可愛くてしょうがなかった。いつも自分を貫いて堂々としているリツが、おれに幻滅されないか気にするなんて。なんだかもうそれだけで可愛くないか。真剣に悩んでいる本人には申し訳ないので言わないけれど。
 おれは焚き火の音に耳を傾けて、愛しいリツを抱きしめたい衝動をじっと抑えていた。
「……じゃあ、世助。ついでと言ってはなんだけど、もう一つ不安なことを聞いてくれる?」
「あぁ、構わねえよ」
 おれが返事をすると、彼女はひと呼吸置いてから、先ほどとはまた毛色の異なる不安の表情を見せた。
「さっき、小屋に入ったときのことだけど。私、あのノートの筆跡を見たことある気がするの」
 おれはほとんど反射的に、ぐんっと上半身を前に乗り出す。リツは落ち着かなそうに腕をさすっていた。
「でも、すごく嫌な感じもして。だから、あそこに住んでる人には会いたくなかったの。それで、我儘言っちゃった。ごめんね」
 木々に囲まれた村の中ではなく、離れた浜辺で野宿をする羽目になってしまったことに、リツは少なからず罪悪感を覚えていたのかもしれない。しかし、おれの手を引いてでもその場を離れようとしたのだ。リツはリツなりに、なにか危険を感じたのだろう。その判断は責めるものではない。
 それに直感とは、一見なんの根拠もないもののように思えるが、意外と当たるものである。危険だと感じたなら、回避した方が身のためだろう。
 食事をとって落ち着いていたリツは、再び嫌なことをむし返してしまったようで、自分の体をきゅっと抱きしめるように体を丸めていた。
「……おっさんや秋声先生も何かしら動いているはずだ。あの人たちは必ず助けに来てくれる。それまでは不安かもしれないけど、おれがついてるから。めげないで頑張ろうぜ」
 彼女の不安を少しでも払拭できるように笑顔を作って見せると、リツは柔らかな微笑みで返してきた。
「ありがとうね」
 そして、向かいに座っていたおれの隣までやってくると、ぎゅう、とおれに抱きついてきた。
 不意打ちである。女体の柔らかさが胸板へもろに伝わってきて、甘い肌の香りがしてきて、おれは初めての夜のことを思い出してしまった。
 いかん、いかん。こんなところでリツに手を出すべきではない。緊張感がないにもほどがある。彼女だってそんなつもりでおれに抱きついてきたわけではあるまい。内なる獣を見せるんじゃない、おれ。
「本当に、世助には助けられてばっかりね。貴方の方が年下なのに」
「と、年上とか、年下とか、関係ねえよ。困った時は助け合うもんだろ。ぁあ、あんま気にしすぎるな」
 この場に不似合いなロマンチックすぎる空気に、おれの心臓は悲鳴をあげていた。太鼓の力強い音を聞いている時みたいに、体全体が振動のようなものでビリビリしている。
 やばい。激しく抱きたい。抱きしめるだけじゃ済ませられない気がして恐ろしい。しかし、こんな場所で手を出せばそれこそ彼女から幻滅されかねない、耐えろ、夏目世助。
「世助、真っ赤になってる」
 リツがおれの顔を見て可笑しそうに笑うので、ついへそを曲げてあんたのせいだよ、と言いそうになる。
 おれだけが余裕がないようで、悔しいったらない。なんでリツはこんなにも余裕があるのだろう。照れているのは変わらないはずなのに。
 どこかからかうように笑うリツに意趣返しをしてやりたくなって、おれは羽毛の先で軽く触れるようなキスをリツの額に贈った。
「え?」
 リツはおれの行動を予想していなかったのか、額に触れてぽかんとしていた。
「世助ってそういうことするんだ……」
「するよ。舐めんな」
「別に舐めてないけど」
「やろうと思えばもっとできる」
 おれは謎に勢いづいて、リツにもう一度、ぐいっと顔を近づける。初めてのキスはリツのほうからしてもらったが、今こそおれからキスをする番なのでは、という気がしてならなかった。おいおい、よりにもよって今するのかよ、と咎める自分はどこかに吹っ飛ばしておく。無人島という状況で何を考えているんだと叱りつけてくる自分もいるが、とはいえ、こんなに良い雰囲気になってしまえば大陽本男児たるおれにも下心の一つや二つ湧くというものだ。
「だから、その、き、き……!」
 キスしてもいいですか、と馬鹿正直に聞こうとしたところで――おれとリツを包む空気はぴん、と張り詰めた。
「……どうしたの、世助?」
「……分かってるだろ。あんたと同じだよ」
 リツもおれも、感じ取っていたのは同じものだ――本能的な、嫌悪感。漠然としていながら、確固としてそこに在るもの。
 仮にその正体が獣だというのなら、近づかれる前に速やかに離れるべきなのだが、この感じはどうも獣のものとは違う――通常の野生の獣が人間に向ける、敵意や殺意といったものが感じられないのだ。うろうろと、さまよっている。こちらに対して害意のない、されども無関心とまでは言いきれない、妙な距離感を保ったままの気配。
 喩えるなら、まるで無数の虫が身体中を這っているような感じだ。噛みついたりはして来ないが、どうにも痒くて気持ち悪くてたまらなかった。
「どうなってんだ、この島は……」
 先ほどの奇妙な部屋に、正体不明の不愉快な存在――この地に長く留まるのは危険だ、とおれは直感した。そう判断せざるを得なかった。
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