貸本屋七本三八の譚めぐり ~熱を孕む花~

茶柱まちこ

文字の大きさ
49 / 51
終章『花、薫る』

閑話『彼らの旅路の果て』

しおりを挟む
「――きえた」
「? どうしました、紡姫」
 カルテをまとめている秋声の横で、薬の仕分けを手伝っていた紡姫は、作業の手を止めてぽつりと呟いた。
「おとうさん。あのこ、の、はなし、きえた、みたい?」
「消えた? それはどういう――」 
「灯堂リツの譚のにおいが、消えた」 
 病院の同じ部屋で、三八も読んでいた本から顔を上げ、紡姫と同じことをこぼした。秋声は三八の言葉を聞き、今度は訝しげに聞き返す。
「一体どういうことです。彼女の譚が消えたって……」
「そのまんまだよ」
 秋声の疑問に対し、明確に解を示したのは――『鏖殺橋』の毒・藤次だった。
「灯堂リツの譚は、世助によって消去されたのさ。いや、この場合は譚の一部、頭に刻まれていた譚の全てって言うべきなのかね。譚ってのァ頭だけじゃなくて、体にも刻まれるモンだからよ」
「……リツさんの脳内から、故意に記憶を消したというのですか? 世助くんが?」
 そんなことが、人間に可能なのか。秋声は藤次の発言に耳を疑う。
 記憶も含め、譚とは、相手と関わりを持つことで影響を及ぼし合うものだが──得た経験や知識を第三者が自由に書き換えたり、消したりできる代物ではない。
 そんなことが本当にできたのだとしたら──その人はもはやただの人ではない、ということになる。
「藤次。夏目世助は愛子まなご、ということで間違いないのかな」 
「ああ。世助は夢を通して他者の譚に干渉できる、『夢渡ゆめわたり』の力を持った愛子なんだよ」
 秋声は驚きを隠せないといった表情をしている。狐のように細くつり上がった目は、今、珍しく大きく開かれていた。対して、三八はやはり、と腑に落ちたようだった。
「今まで確証がなかったから言わないできたけれど、ここまでくると単なる先天干渉者の領域を超えてしまっているからね」
「もちろん、タダで使えるわけじゃねェ。発動させるには色々と条件がある。今回はたまたま条件が揃ってたから、俺から提案させてもらった」
「条件、ね。それはあれかい、唯助の『心眼』と同じで、情報をある程度揃える必要があるということか?」
「そういうこった」
「じゃ、あ……えっと、おに、の、おにいちゃん?」
 おずおずと声を上げたのは、秋声の足元から顔を出した、紡姫だった。図体のでかい藤次は、内気で臆病な彼女にとっては熊のようなものである。それでも、彼女は勇気を振り絞りながら、たどたどしい言葉で尋ねた。
「よすけ、くん、まなご、だけど……でも、すごく、かわって、る?」
「いい目をしてるじゃねェか。お嬢ちゃん」
 藤次は腰よりも低い位置にある紡姫の頭を撫でる。しかし、小さい頭に対して手が大きすぎるので、傍から見ると鷲掴みにしているようだった。
「変わってるなんてモンじゃねェよ。 俺は立場上、多くの愛子を見てきているが、夏目世助と菜摘芽唯助はかなり特異な存在だぜ。そこにいる七本三八よりもな」
 藤次が紡姫の髪をくちゃくちゃと乱さんばかりに撫でる。しかし、雑な撫で方をされているわりに、紡姫の表情はどこか嬉しそうだ。
 ふうん、と鼻を鳴らした三八が、さらに質問を重ねる。
「君、あの二人について、随分詳しく知っているようだね。それはどうしてだい?」
「答えてやってもいいが、今はまだ言わねえ。物事にも物語にも、最良の時機があるってモンだろう?」
「そう。なら、その時が訪れるのを楽しみに待つとしよう。世助も、そして唯助も、面白い子達だからね。君が鍵を握っているのだとしたら、ここに来たのも譚の運命さだめというやつなんだろう。まったく、譚とは興味が尽きない」
 心底楽しみそうな笑みを浮かべた三八に、藤次は瞠目した。ありえないものを見るような目で――やや軽蔑を含んだ目で、三八をじっと見つめる。
「お前さん、他人の譚を面白いだなんて趣味悪いなァ」
「性分だよ」
「ちょっと待ってください! それでは、リツさんの取り調べは……!」
 ここでいきなり声を荒げたのは、秋声だった。
「無理だねえ。本人が記憶喪失ってなると打つ手なしだ」
「呑気に言っている場合じゃないでしょう! 彼女は法に背いて、禁書の毒を使ってしまったんですよ! それに、暴動事件や蔵書の窃盗についても、やっとここまで漕ぎつけたというのに――」
 なんてことをしてくれたのだ、と秋声は内心、世助を恨みを募らせていた。せっかく見つけた重要参考人を、また記憶喪失にしてしまうなんて。しかも、捜査に関わっておきながら、記憶の消去を阻まなかった――どころか、暗にそれを促した三八に対しては、さらに怒りが湧いている。
「あっははは、残念残念」
 しかし、三八はあっけらかんと笑っている。秋声の苛立ちはますます募った。
 珍しく怒り狂っている彼の頭に、藤次はぽんと手を置いてなだめる。
「まあ、秋声とやら。世助はお姫さんを救いたい一心だったんだぜ。証言ならお姫さんと一緒にいた俺がしてやるから、あんまり咎めないでやってくれねえか」 
「無理です。道理に反する事態を招いてしまっているんですよ。人が蓄積してきた譚をごっそり消すなんて、常軌を逸している!」
 愛子は他者の譚に与える影響が強すぎる。他人を強制的に従わせる三八の『言霊』にしても、明かされるはずのない譚を覗き見る唯助の『心眼』にしても。愛子が便利に力を使いすぎてしまうと、世の道理が破綻する。
 三八という実例を知っている秋声は、その危険性に警鐘を鳴らしていた。
「世の中、正しさだけが正解とは限らねェだろ。世助は確かに道理に反する選択をしたが、間違った選択をしたわけじゃねえ。あのまま灯堂リツを目覚めさせるなんて、散々苦しい思いをしたあの女をまた地獄に突き落とすようなモンだろう。そこにいる七本三八にしたって、世助の立場だったら同じ選択をしただろうから、俺の提案にのった世助を止めなかったんじゃねえか?」
「まあね」
「……っ、貴方って人は!」
 あっさりととんでもないことを認める三八に、秋声は思わず殴りかかりそうになる。すると、それまで状況をはらはらと見守っていた紡姫が、「だめっ!」と叫ぶ。
 秋声の足にひっついていた彼女は一瞬で姿を変え、無数の白い糸になる。そして、一本一本が意志を持ったかのように、彼の体に巻きつき、しゅるしゅると包みこんだ。
「あ、ちょっ、紡姫! なにするんですか!」
 秋声が身につけた白衣の繊維に、禁書・紡姫の糸がつたのように絡まり、秋声の体はそのまま白衣の生地ごと締めあげられてしまう。
「おとうさん、おこる、だめ、なの!」
 あれよあれよという間に、秋声の全身は言うことを聞かなくなり、やがて大きな繭玉のような姿になってしまった。
「ぎゃはははは! オメー滑稽だなァ! 手も足も出せねェってか!」
 芋虫のようにもがいている秋声を前に、藤次は腹を抱えながら笑い出す。秋声はそんな藤次に頭突きのひとつでもくれてやりたいようだったが、体の重心がズレただけで、ごろんと転がってしまう。それを見てますます笑い転げる藤次。
「道理に反したとしても、周りの大人から怒られたとしても、救いたい存在がいた。だから、救った。彼にとってはただそれだけなんだよ、秋声」
 藤次に散々笑われて憤懣やるかたなしだった秋声だが、暴れているうちに怒り疲れてしまったのか、最後には床に転がったまま、呆れ顔で大きな嘆息をついた。
「……むべなるかな、ですか」
「捜査については藤次が協力してくれると言っているのだし、それで十分じゃないか」
「僕たちは良かったとして、警察隊はどう説得するんです」
「それは後から、奥村も交えて考えればいい」
 三八は繭玉のようになった秋声のそばにやって来て、その腹をぽんぽんと叩いた。秋声がそれをムッとした顔で睨みつける。
「リツのしたことは決して許されるものではない。世助がしたことも、決して褒められることではない。君の言う通りだ、秋声。……でも、目を覚ましたあの子たちをそうやって怒鳴りつけては、あまりに可哀想だろう」
 今まで共に過ごしてきた恋人の記憶を、すべて消去する。それは彼にとって、つらく耐え難いことだったに違いない。まさに、断腸の思いでした決断だったのだ。
 だから今だけは──苦痛に耐え抜いて生きてきたリツを、労わってやりたい。世助がリツを守るために下した苦渋の決断を、受け入れてやりたい。
「褒め称えるのではない。ただ、彼らに『頑張ったね』と……そう伝えるくらいは、許してくれないか」
 懇願する三八に対し、大人としてそんなことでいいのかと秋声は睨み続ける。が、やがてそれもやめた。 
「記憶が頭から消えたとしても、刻まれた譚は消えないものだ。消えず、絶えずめぐり続け、彼らの血潮となり、彼らを生かす。生きているのならば、失ったものもまた取り戻せるだろう。だから、きっと大丈夫だよ」 
「持論ですか、それは」
「経験談だよ」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...