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第一章•帝国編

9話◆聖女ディアナンネ。昨夜は何も無かった事に。

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夜が明け、目を覚ましたリリーは困惑していた。


見知らぬ美しい金髪の男性が、つやっつやな顔色で鼻唄混じりに茶を淹れている。


「まずい。」


茶をすすりながら文句を言う割に、妙に機嫌のいい、この世の頂点だという創造神様…。


テーブルの上に顔を乗せ両腕はダランと下に下がり、生ける屍のようになっているディアーナ様。



━━ 私が気を失ってる間に、一体何が!?━━



「おや、リリーさん目が覚めましたか。」


ジャンセンはリリーを呼び、テーブルにつくよう促す。


「貴女の事について、この馬鹿娘に教えてあげて下さい。」


「は、はい…。
私は…私の本当の名は…リリーではありません。」



テーブルについたリリーは、言い辛そうに目を伏せる。



「信じて貰えないかも知れませんが…

私はディアナンネ…なのです。」



「「マジで!?」」



ディアーナとレオンハルトが大きな声を揃えた。



「ちょっと!聞いた!?ディアーナ聞いた!?

マジで居たよ!ディアナンネ!俺が作ったんじゃなかったわ!」



「あっはっは!ごめんね!ディアナンネ!
私、何度も残念な名前だと思ってしまっていたわ!
ちゃんと、居たのにね!」



テンションの上がる二人を尻目に、ジャンセンはニヤリと唇の端を上げて笑う。



「いいえ、私は人々の信仰が具現化したもので…聖女ディアナンネを愛する人々の想いから生まれました…
けど…この名前に何かあるんですか…?」



リリーがジャンセンに目をやり再びディアーナ達の方に目を向けると、ディアーナは拳を振り上げており、金髪の男は床の上にダウンしていた。



「やっぱりディアナンネを生み出したのはレオンだったんかい!
間違った名前で定着されとるやないか!」



怒りの余り、言葉がおかしくなっているディアーナに、リリーがおろおろし出す。



「ど、どういう事ですか…?」



「聖女ディアナンネは、うちの馬鹿娘のディアーナの名前から生まれているんだよ。
うちの馬鹿息子のせいで、何だか面白い名前になってしまってるけど。まぁ、ザマァミロだね。」



ジャンセンはまずい茶をすすりながら笑っている。



「まぁ、名前の元が馬鹿娘でも、今はちゃんと聖女ディアナンネという存在が生まれているワケだし、いいんじゃない?
神様なんて、ところ変われば名前も扱いも変わる場合もあるんだからさ。
…それより、君が人として具現化した理由、あの子でしょう?」



ジャンセンの目が妖しく光る。


唇の端が上がり、神を慈悲深い存在だというならば、余りにもかけ離れた表情を見せる。


「えっ…ええ…私は…彼が皇太后の肉体の一部と魔力を奪ってこの世に生まれた時に…
皇太后リリアーナの僅かな魔力と、国と息子を守りたいという想いから生まれました…その時の私はまだ、肉体を持ってませんでしたが。」



「そんな事…あるの?師匠。」



ぐったりしたレオンハルトの胸ぐらを掴んだディアーナが尋ねると、ジャンセンは笑う。



「知らない。でも、あったから目の前に居るんだろ?彼女は。
楽しいねぇ…人の想う力が起こす奇跡なんて、たかが知れてると思っていたけど、これは面白い。」



ディアーナは少し悲しい顔をする。

ジャンセンが楽しいと言ってる奇跡は、皇太后の命を失って起こった奇跡だ。

彼女がそれを望んだ訳ではないのに。



「…ディアーナ、言い訳にも慰めにもならないが、この世界と、この世界に生きる人間の基を造った私にも、今この世界に生きる人の運命は僅かしか動かせない。
そして皇太后は、私を越える大きな力によって、そうなる必要があったんだよ。これからを動かすために。」



「分かるのだけどね…私も、レオンと永遠を生きる今の私のために、何度も死んだ身だから…でも、必要だったからと犠牲に選ばれてしまったなんて…」



前世の私達の死を重ねて、その犠牲があって今の私がある。だから、今の私が過去の前世の自分たちに「かわいそう」なんて思うのはおこがましい。だけど…



「……私は…彼のようにすぐに肉体を持てなかったので、最近になって、やっと動けるようになりました。
…バクスガハーツの皆さんの信仰が集まって、やっとこの身体に…。でも…私には彼を制する魔力も力も無いのです…。」


リリーの言葉を聞きながら、ディアーナがジャンセンの方に目を向ける。



「ねえ、師匠!リリーがディアナンネだってのは分かったけど、ロージアは何者?」



「彼は…言うなれば、寄生虫ですかね…」



ジャンセンは楽しそうに、嬉しそうに口角を上げる。



「私の造った箱庭で、観察しようと飼育していた蟻の巣に、いつの間にか蝶のサナギが居て…どんな蝶が羽化するんだろうと楽しみにしていたら、蝶のかわりに蜂が出て来る。……その、予想を裏切られる感じが楽しいのですよね…。」



ディアーナとレオンハルトは、ほくそ笑むジャンセンを遠巻きに見ている。



━━━意味わからんし、こわっ!━━━




「彼は、瘴気から生まれた魔物達の…凝縮された魔物とでもいいますか…
魔物の中の魔物、キングオブ魔物、めっちゃ魔物。」



「親父、あんた、テンション上がり過ぎて…言葉がなんかおかしくなっている。」


レオンハルトがボソッと呟く。



「私の造った、この世界に初めて生まれた魔王とでもいいますか…ふふふ…
私が造ったのでなく、勝手に生まれたんですよ…?
楽しいですねぇ…ふふふ…」



ディアーナとレオンハルトは滅多に見ない、超ゴキゲンなジャンセンから距離を取る。



━━━こっわ!!━━━



「多分アイツ、ディアーナの様子を見に来るぞ。
昨夜の記憶が消えているかの確認に。
一旦、城に戻った方がいいな…。」



レオンハルトがディアーナの方を見て言えば、ジャンセンが頷く。



「そうだね、姫さんにはこの教会と教会の前に居た場所を繋ぐ転移魔法を貸しておくよ。
……リリーさんは、このまましばらく此処に居たらいい。」



「それでは、ミーナやビスケを守れません!
私、彼女達を無事にこの村に返すと約束しているのです!」


ジャンセンはテーブルの上で指を組んでチラリとレオンハルトに目をやる。


「馬鹿娘にご執心なロージア君が彼女達を何とかする気は、もうないと思うけどね。
オフィーリア、リリーのかわりに城に行って守ってやりなさい。」



「俺が城に行くのは構わないが…アイツの面見たらプチっとしたく……」



「すれば?上の毛と下の毛が無くなって良いなら。」



ジャンセンとレオンハルトの会話の意味が分からないディアーナは、首をかしげる。



「レオンハルト。
私の新しいオモチャをあっさり壊さないで戴きたい。」


「魔王かも知れない奴をオモチャ扱いかよ…。」


仄暗いオーラを立ち上らせジャンセンが笑う。

レオンハルトは大人しくオフィーリアの姿になり、ディアーナを抱き締めた。



「親父が俺を全身永久脱毛したがっている…。怖い…。」



「………全身ツルツルなレオン……?…見たいかも…」



「なっ!絶対にヤダからな!」



「うるさい!さっさと行け!!」



抱き合ったまま始まった言い争いを遮ってジャンセンが二人を強引に城に転移させる。





ディアーナ達は、王城のディアーナの部屋のベッドの上に転移した。

乱れたままのベッドを見てオフィーリアが顔をしかめる。



「…あのとき…アイツに組み敷かれそうなディアーナを見た時…
アイツの首をはねてしまいたかった。
…よく思いとどまれたと思うよ、自分でも…。」


ディアーナはレオンハルトの激しい嫉妬が嬉しい自分に申し訳無さを感じつつ、オフィーリアの頭を撫でた。



「心配させて、ごめんなさい…レオン。
あなただけの私なのに…。」



「その言葉を…聞けただけで俺は…。」



オフィーリアはディアーナの唇に指を這わせ、口付けをしようと顔を近付ける。



「オフィーリアの顔とキスなんか出来るか!やめろ!」



ディアーナはオフィーリアの顔を無理矢理押し返した。

自分がオフィーリアになってる事、忘れてないよね!?

それでも構わないと!?

今さら思うのも何だが、こんな変態女に婚約者を取られたのね!私!



私がプレイしていたゲームのヒロイン、ど変態でした!








オフィーリアにはリリーとしてミーナ達を任せ、ディアーナは一人で中庭のベンチに座っていた。



ハムスターのように両頬を膨らませて。



「またブドウ?」



ロージアは、今日はディアーナから距離をとった場所に転移して姿を現した。



「んんぁ、今日はサクランボ。」



無理矢理口に詰め噛むもんだから、唇の端から血のように赤い汁が垂れている。



「誰も取らないのに、なぜ一度に口に詰め込むのかな…君は…。」

ロージアはゆっくりディアーナに近付くと、親指でディアーナの唇の端から垂れるサクランボの汁を拭う。



「…昨日は…ごめんね…我慢…出来なかった…。」



「…我慢出来ないほど嫌だったのね…わたくしの方こそ…追い掛け回して、ごめんなさいね…
あなたの鼻の穴に、どうしてもブドウを詰め込みたかったのよ…」



昨夜の話ではなく、昨日の話をするディアーナを、ロージアがジッと見詰める。


昨夜の記憶を無くしているらしいディアーナに、ロージアはホッとしているような、それでいて切ない、泣きそうな顔をした。


「ディアーナ…僕が皇帝になった方がいいって…ホントに思う?」


「思うわよ?ミーナもビスケも賛成していたじゃない。」


「だったら僕が皇帝になったら、僕の奥さんになってよ!」



ディアーナは固まった。

色々予想外過ぎて。


胡散臭いロージアが、何かを企んで言うのならば納得もいったのだが…
目の前に居るロージアの、泣きそうな、懇願にも近いプロポーズにディアーナは首をかしげる。


「……マジ惚れ?…私に?…魔王かも知れないロージアが?…ん~…」


「優しくする!怒らせない!ブドウも鼻に詰めさせてあげるから…だから…だから…」



いや、ブドウは置いとこうか!

鼻に詰めるのを許可されたから夫にするとか、おかしいだろ!



泣き出したロージアは、まるで幼い子供のようだ。



「あ…まだ5歳なんだっけ…」



ディアーナはロージアの頭を撫で回し始めた。



「よしよし、泣くな泣くな!男の子でしょ!」



「僕…僕は…ディアーナが…!」



「それは、まだ早いな!
わたくしが、どうこうの前に考えなきゃいけない事がたくさんあるでしょ?
この国が、人が、どれだけヒドイ事をしているか、されているか、皇帝ならば考えなきゃいけない。」



いや、魔王ならば、ヒドイ事をする為に生まれたんだっけ?
ロージアは…ん~…どうしたもんか…。



考えながらグリグリグリグリ力任せにロージアの頭を撫でていたせいで、ロージアの頭が摩擦によりボンバー状態になっていた。



難しい事を考えるの、キライだわ!

なるように、なぁれ!あは!



「とりあえず、奥さんになるのは保留!
拐われた人達は帰してあげて、売られた人達も買い戻せるなら買い戻して…
聖女の御子なら、出来るわよね?」


ロージアは泣き顔のまま、ディアーナから目を逸らす。



もう、どうしても戻してやれない少女達が居る。



継ぎはぎの、ディアナンネの材料にされた少女達。



「……頑張ってみるよ……」



ロージアはディアーナに顔を見せずに、その場から消えた。



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