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新しい対価は一分間のキス
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「実は私、先日社長と神尾君が立ち話をしているところに行きあっていまして……」
もそもそと告白して、ちらりと神尾君を見る。
「すみません。会話も少し、聞こえました。知っていていいことなのか分からなくて黙っていましたが、その時耳に挟んだ仕事の内容が、今回手元に来た仕事と関係していると思って」
図星を突かれたような神尾君の顔色から推察が間違っていなかったことを確かめると、私は先を続けた。
「あの、勝手な憶測なんですが……神尾君は何か、社長の願いを特別に叶えてあげたい理由があるんじゃないですか。だから現状の仕事量の中では難しい案件も引き受けたし、背に腹を変えられず、私に仕事の一端を任せたのかなって」
神尾君の瞳の色が、光の加減で金色に見える。
琥珀色の瞳をまっすぐに見つめて、私は一生懸命説明した。
「もしそうなら、今回の仕事は神尾君にとって大切な仕事です。だから私、どうしてもやり遂げたかったんです」
「──俺にとって大事なことだから頑張った、と」
神尾君の問いかけにこくこく頷いて答える。
「神尾君の役に立ちたかったんです。役に立てそうな仕事を回してもらえたことも嬉しかったし」
だけどそれで周りに迷惑をかけてしまうなら、意味がない。
しょんぼり言葉を切ると、ふいに神尾君の手が支えていた私の背中を引き寄せた。
「う、わ」
ぎゅ、と抱きしめられてびっくりする。
何事かと戸惑っていると、耳元で神尾君の声が言った。
「まだお礼を言ってませんでした」
ありがとうございます、と神尾君が続ける。
「正直、助かりました。自分でやっていたら、きっと間に合わなかった」
そうしてそっと体を離すと、神尾君がぽつりと打ち明けた。
「社長は──高嶺さんは、俺の血の繋がった父親です」
「えっ」
ち、父親?
明かされた事実に驚いて、私は神尾君をしげしげと眺めた。
似ているだろうか。よく分からない。
そもそも社長の顔なんてまじまじと見たことがないから、二人をうまく比較できなかった。
私の視線にその身を晒したまま、神尾君が口を開く。
「戸籍上は縁がありません。認知したい、という高嶺さんを、母が突っぱねました」
ぽつぽつと語られた内容は、神尾君の半生についてだった。
「ご存知の通り、俺には狛犬の血が引き継がれています。家系でいうなら母方の血縁で、それでももう、ほとんどの人が普通の人間と変わらないものとして生きています。俺の母も変化したことはないと言っていました。姿を変える者でも瞳の色が変わるとか、爪が伸びるとかその程度で、俺のように全身が獣化するほど強い神聖を持つ者は少ないんです」
どんなに微かな違いでも、違うものは目立つ。
「俺たちのように『混じった人間』は、奇異の目で見られたり、新興宗教のシンボルに押し上げられそうになったり、まあ、色々とやっかいな事柄に巻き込まれやすいんです。高嶺さんはよき理解者でしたが、母は慎重だった。自分の産む子がどんな特異性を持っているか分からないから、と求婚には応じなかったようです」
ちょうどその頃、高嶺社長の起した会社が軌道に乗り始めたこともあり、神尾君のお母さんは、一方的に身を引いたのだという。
その彼女を追いかけ、説得し、土下座に泣き落としまで使ってなんとか譲歩を引き出したというのだから、社長の方も情熱がすごい。
「結婚を前提に、子どもをつくる。その子が普通の子だったら、入籍する。もし特異体質を継承していたら、母一人で育てていくと」
「なにもそこまで……」
「俺もそう思います」
ちょっと笑って、神尾君がどこか遠くを眺めた。
「結局、生まれた子は全身獣化するような特異体質だった。今でこそ変化を制御できますが、子どもの頃はうまくできなくて、泣いたはずみで変化したり、くしゃみ一つで耳が出たり、ひどく不安定でした。高嶺さんは、それでも入籍を、せめて認知を望みましたが、母は頷かなかった。約束通り、一人で俺を育て上げたんです」
深刻になった私の表情に気づいたのか、神尾君が「誤解しないで」と付け加える。
「両親はずっと仲が良かったですよ。母は俺が七つの時に死にましたが、生きている間は頻繁に高嶺さんとも交流がありました。その後は俺と似たような特異体質の子どもがいる親戚の家で育てられて。母の遺志を尊重した親戚の計らいで高嶺さんとは疎遠になってしまいましたが、毎日賑やかで、寂しくはなかったです」
母との死別、父との疎遠。子どもにとって大きな出来事を、もう消化したことだ、と穏やかに語る声には嘘がなかった。
「まあでも、郷愁がなかったとは言いません。就職活動先にこの会社を入れたのも、高嶺さんの存在があったからです。今更息子として接して欲しいと思ったわけではありませんが、一社員として会社の役に立てたらいいな、と思って」
ずいぶん長いこと会っていなかったこともあり、神尾君は高嶺社長が自分を認識できるとも思っていなかったようだ。
しかし。
「入社後、ふとすれ違った時に言われたんです」
──お母様によく似た顔立ちになりましたね。
それでも、二人はプライベートの交流を深めたわけではなかった。
おそらくは、一社員として会社に貢献したいという意思を汲んでくれたのだろう、と神尾君が解釈する。
あの日、社長に肩を叩かれた神尾君がふと浮かべた表情を思い出して、私は胸が切なくなった。
あれはきっと、父親に対する思慕や敬愛がにじみ出たものだったのだ。
もそもそと告白して、ちらりと神尾君を見る。
「すみません。会話も少し、聞こえました。知っていていいことなのか分からなくて黙っていましたが、その時耳に挟んだ仕事の内容が、今回手元に来た仕事と関係していると思って」
図星を突かれたような神尾君の顔色から推察が間違っていなかったことを確かめると、私は先を続けた。
「あの、勝手な憶測なんですが……神尾君は何か、社長の願いを特別に叶えてあげたい理由があるんじゃないですか。だから現状の仕事量の中では難しい案件も引き受けたし、背に腹を変えられず、私に仕事の一端を任せたのかなって」
神尾君の瞳の色が、光の加減で金色に見える。
琥珀色の瞳をまっすぐに見つめて、私は一生懸命説明した。
「もしそうなら、今回の仕事は神尾君にとって大切な仕事です。だから私、どうしてもやり遂げたかったんです」
「──俺にとって大事なことだから頑張った、と」
神尾君の問いかけにこくこく頷いて答える。
「神尾君の役に立ちたかったんです。役に立てそうな仕事を回してもらえたことも嬉しかったし」
だけどそれで周りに迷惑をかけてしまうなら、意味がない。
しょんぼり言葉を切ると、ふいに神尾君の手が支えていた私の背中を引き寄せた。
「う、わ」
ぎゅ、と抱きしめられてびっくりする。
何事かと戸惑っていると、耳元で神尾君の声が言った。
「まだお礼を言ってませんでした」
ありがとうございます、と神尾君が続ける。
「正直、助かりました。自分でやっていたら、きっと間に合わなかった」
そうしてそっと体を離すと、神尾君がぽつりと打ち明けた。
「社長は──高嶺さんは、俺の血の繋がった父親です」
「えっ」
ち、父親?
明かされた事実に驚いて、私は神尾君をしげしげと眺めた。
似ているだろうか。よく分からない。
そもそも社長の顔なんてまじまじと見たことがないから、二人をうまく比較できなかった。
私の視線にその身を晒したまま、神尾君が口を開く。
「戸籍上は縁がありません。認知したい、という高嶺さんを、母が突っぱねました」
ぽつぽつと語られた内容は、神尾君の半生についてだった。
「ご存知の通り、俺には狛犬の血が引き継がれています。家系でいうなら母方の血縁で、それでももう、ほとんどの人が普通の人間と変わらないものとして生きています。俺の母も変化したことはないと言っていました。姿を変える者でも瞳の色が変わるとか、爪が伸びるとかその程度で、俺のように全身が獣化するほど強い神聖を持つ者は少ないんです」
どんなに微かな違いでも、違うものは目立つ。
「俺たちのように『混じった人間』は、奇異の目で見られたり、新興宗教のシンボルに押し上げられそうになったり、まあ、色々とやっかいな事柄に巻き込まれやすいんです。高嶺さんはよき理解者でしたが、母は慎重だった。自分の産む子がどんな特異性を持っているか分からないから、と求婚には応じなかったようです」
ちょうどその頃、高嶺社長の起した会社が軌道に乗り始めたこともあり、神尾君のお母さんは、一方的に身を引いたのだという。
その彼女を追いかけ、説得し、土下座に泣き落としまで使ってなんとか譲歩を引き出したというのだから、社長の方も情熱がすごい。
「結婚を前提に、子どもをつくる。その子が普通の子だったら、入籍する。もし特異体質を継承していたら、母一人で育てていくと」
「なにもそこまで……」
「俺もそう思います」
ちょっと笑って、神尾君がどこか遠くを眺めた。
「結局、生まれた子は全身獣化するような特異体質だった。今でこそ変化を制御できますが、子どもの頃はうまくできなくて、泣いたはずみで変化したり、くしゃみ一つで耳が出たり、ひどく不安定でした。高嶺さんは、それでも入籍を、せめて認知を望みましたが、母は頷かなかった。約束通り、一人で俺を育て上げたんです」
深刻になった私の表情に気づいたのか、神尾君が「誤解しないで」と付け加える。
「両親はずっと仲が良かったですよ。母は俺が七つの時に死にましたが、生きている間は頻繁に高嶺さんとも交流がありました。その後は俺と似たような特異体質の子どもがいる親戚の家で育てられて。母の遺志を尊重した親戚の計らいで高嶺さんとは疎遠になってしまいましたが、毎日賑やかで、寂しくはなかったです」
母との死別、父との疎遠。子どもにとって大きな出来事を、もう消化したことだ、と穏やかに語る声には嘘がなかった。
「まあでも、郷愁がなかったとは言いません。就職活動先にこの会社を入れたのも、高嶺さんの存在があったからです。今更息子として接して欲しいと思ったわけではありませんが、一社員として会社の役に立てたらいいな、と思って」
ずいぶん長いこと会っていなかったこともあり、神尾君は高嶺社長が自分を認識できるとも思っていなかったようだ。
しかし。
「入社後、ふとすれ違った時に言われたんです」
──お母様によく似た顔立ちになりましたね。
それでも、二人はプライベートの交流を深めたわけではなかった。
おそらくは、一社員として会社に貢献したいという意思を汲んでくれたのだろう、と神尾君が解釈する。
あの日、社長に肩を叩かれた神尾君がふと浮かべた表情を思い出して、私は胸が切なくなった。
あれはきっと、父親に対する思慕や敬愛がにじみ出たものだったのだ。
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