女嫌いの死に急ぎ公爵が唯一愛した人は、呪いで犬の姿に変えられた余命100年のエルフでした。

あまやどんぐり

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2.エルフの森で

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 戦場を駆けている間は、悪夢を忘れることができて、ジーニアスにとっては唯一の憩いのひとときであった。

 敵も味方も関係なく、血が流れて赤黒く汚れる惨状の景色の中で、一人だけ穏やかな心でその場に佇むジーニアスの姿は、幾つもの死線を乗り越えて来たように落ち着きを払っていて、異質だった。

 ジーニアスは、死を恐れていなかった。いつ死んでもいいと思っていたから。
 戦場に足を運んだのは、それが目的でもあった。
 あの悪夢の家に帰りたくなかった。自分をあの家に縛り付けるこの血が、憎くて、悲しくて、遣り切れない思いにさせた。

 あんな家、潰れてしまえばいい。もしくは、自分ではない誰かが後継者になればいいのだ。

 ジーニアスは、前線に出て剣を振るった。傷ついても恐れることなく敵に向かって行った。
 それが勇猛果敢な姿に見えると周りは称賛したが、ジーニアス本人にそんな気はなかった。

 ――そして、その日は来た。待ち望んだ、死を迎える日。

 敵将と相打ちの末、胸を槍で貫かれて出血がひどかった。心臓は逸れたようで、すぐに死に至りはしなかったから、ひどく苦しんだ。
 馬の上で血を垂れ流しながら時折血反吐を吐いて項垂れていると、馬はジーニアスをとある森の中に連れて来た。

 どこからか、鈴の音が聞こえる気がすると、霞む視界に映る柔らかい光。
 冷たくなっていく体を、滑り落ちるように馬の上から地面に降ろすと、そのまま倒れた。
 血の匂いに混じって、草花の匂いが鼻をくすぐった。

 赤黒い景色が、鮮やかな色に変わって、もしかしてここが死の先にある世界なのではと錯覚をした。

「……大丈夫ですか?!」

 人の声が、遠ざかる意識を引っ張った。
 やっと、死ねると思ったのに――霞む目を、声の方に向けた。

「酷い傷……」

 その人がジーニアスの胸に手を当てると、ジーニアスはその手を掴んだ。救助しようとしているのだろうが、もう助からないことを自分が一番理解していたし、必要のない施しだからと、弱々しい力で制止した。

「……て……れ」

「……え?」

「死、な……せ……」

 死なせてくれ、このまま放っておいてくれ。そう頼んだ。
 微かに漏らすように言ったジーニアスの言葉を聞いて、その人は「でも」と引かなかった。

「貴方……苦しんでいるじゃない」

 まあ、確かに苦しい。だけど、それもすぐに治まる。死ねば解放されるものだから、それでいい。

 それでいいのに。

「傷ついた貴方を、放っておけない」

 胸の上に置かれた手から光が溢れてジーニアスの体を包むと、冷たくて寒かった体に温もりが与えられた。

 もう声も出なかった。止めて欲しいのに、言葉に出来なくて、視線だけをその人に向けた。

「……ごめんなさい」

 ぽつりと、大粒の涙がジーニアスの頬に落ちて来た。一粒、二粒……ぼろぼろと雨のように降ってきた。

「ごめんなさい……ごめん、なさ……」

 次第に、霞んでいた視界がはっきりとしてくると、その人は泣いていた。淡いクリーム色の長い髪に、淡い緑の瞳をしたエルフの女性だった。

 ジーニアスに向けて、謝罪を繰り返しながら涙を零すその姿に、なぜか笑みが零れた。
 滑稽だとか、愚かだとか、そんな蔑む気持ちからではなくて、こうやって自分に涙を向ける人がいることが、なんだかくすぐったくて――。


 その記憶を最後に目が覚めると、ジーニアスはエルフの森で横たわっていた。
 槍が貫いて砕けた鎧と、赤黒く汚れた衣に確かに傷があった痕跡が残っているのに、痛みや苦しみは何事もなかったかのように消え去っていた。

 そして、辺りを見渡しても、あのエルフの女性の姿は、何処にもなかった。

 それから戦場に戻ると、自分を探していた仲間に無事であることを歓迎されて、敵将を討った勇者として称賛された。



 あれから3年――あの後、度々エルフの森を訪れたが、彼女に会うことはなかった。
 女嫌いのジーニアスが、唯一会いたいと願う女性。

 会って何をしたいわけでもなく、ただ、もう一度会いたいと思った。

 それと、この森の匂いに包まれると、気持ちが落ち着いて安らぐから、それもあってつい、ここに来てしまう。

 柔らかい光がふわふわと宙を舞っていて、雨も降っていないのに雫が草花にくっついて、その雫が光に反射して散りばめられた宝石のように輝いて、時折何処からか鈴の音が聞こえてくる。
 そんな幻想的な姿を見せる、エルフの森――エルフは、この森の精気を吸うことで怪我や病気で侵された体を回復させる。

 そこに、エルフではないジーニアスが足を踏み入れる。
 種族外の者でも立ち入ることを許される領域内ではあるが、この森には妖精も住んでいて、あまり人間は立ち入らない。
 そこにやって来た珍しい来客に、妖精達が木陰からジーニアスの様子を伺っているけれど、人の目には見えない彼らに気付かずにジーニアスは辺りを見渡しながら歩いていた。

 そんなジーニアスに妖精達は、意を決して助けを求めた。

 ジーニアスには、ただの浮いている光にしか見えず、周りの光と対して変わらない姿なので、彼は気にせず辺りを見渡していた。

 妖精達は相談して、皆で固まって大きな光を作り出そうと決めた。

 ジーニアスの視界の端で、突然大きく光り輝くものが映ると、ジーニアスはあのとき、自分の傷を治した光ではないのかとそこに視線を向けた。

 しかし、そこに彼女の姿はなかった。

 視線の先にある、佇んだ木の根っこの部分に開いている穴があって、そこから微かに生き物の声が聞こえて、近付いて訝し気に覗き込んだ。

 そこには、キュンキュンと小さく弱々しい声で鳴きながら、体を震わせる小さい犬が一匹、穴の中に敷き詰められた草の上で横たわっていた。
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