三人の竜は、囚われ乙女の胸に沈む ― Dragon Heart ―

入鹿なつ

文字の大きさ
5 / 61
第1章 いざないの風

5 逃走

しおりを挟む
 今まで一歩も動く気配も見せなかった兵士たちが、いっせいに散った。よく訓練された素早い動きで、あっという間に二人を包囲する。

 すぐ横に立っていたウィルが、身動きできずにいたエフィミアの腕をとらえた。だがしっかりとつかまれる寸前、エフィミアの体が後ろへと引かれた。入れ替わって前へ出た男の肘がウィルの顔面へ埋め込まれる。

 ぎょっとするエフィミアの耳元で、男が囁いた。

「走れ」
「え?」

 エフィミアが呟いたときには、景色が後ろへと流された。
 待てと怒鳴る声も聞こえた気がしたが、確かなことは言えない。あとは、エフィミアの手を引いて走る、広い背中が見えるばかりだ。

 二人は信じられない速さで走っていた。人間がこんなに速く走れるものとは、エフィミアは知らなかった。木々は瞬く間に背後へと流され、兵士たちをぐんぐん引き離す。

 村にいる同世代の中でエフィミアは足が速い方だが、これほどの速く走ったことはなかった。目の前を走る男が自分よりもかなり足が速いとして、はたして手を引いてもらうだけで、こんなに速くなれるものだろうか。

 疑問が胸をよぎったところで、不意に男の歩がゆるみ、エフィミアの腰に腕が回された。

「飛ぶよ」
「え、ちょっと待……」

 エフィミアが身構える前に、両足は地面を離れていた。

 寄り添う男に抱えられて、地面からふわりと浮くように飛び上がる。そのまま二人は、ひときわ高い木の枝に飛び乗った。それも、本当にひと飛びで、だ。

 肝をつぶすエフィミアを男は抱き寄せて、枝から落ちないように支えた。

「どうなってるの、どうやったらこんな高いところ――」

 なにが起きたのかを問い詰めようとしたエフィミアの口を、男は片手で覆った。

「静かに、じっとして」

 囁かれて、エフィミアは大人しく男の言うとおりに黙った。

 すぐに、落ち葉を踏む複数の足音が聞こえてきた。音がかなり近くなって、恐る恐る木の下を見下ろしてみる。

 二人のいる木の下を、黒服の兵士がひとり走り抜けていくのが見えた。それに続くように、まばらにひとりふたりとエフィミアたちの下を走り過ぎていく。木の枝がうまく張り出して、エフィミアたちの姿を隠していたため、兵士たちが二人に気づくことはなかった。

 兵士たちが行ってしまってからも、二人は用心深くじっとしていた。息をひそめている時間は、あまりに遅く長く感じられた。やがて騎竜兵たちが諦めたろう頃に、男がようやくほっと息をついた。

「もう大丈夫のようだ」

 口を覆っていた手がどけられ、エフィミアはつめていた息を吐き出した。安堵感から脱力するエフィミアに、男がかすかに笑った。

「さて、ずっとこんなところにいて疲れただろう」

 エフィミアは軽く首をそらして男を見た。

「こんな高いところ、降りるのに骨が折れそうね」
「心配いらない」

 彼は言うなり、エフィミアを抱いたまま枝から飛び降りた。

「ええっ……」

 家の屋根よりずっと高いだろう枝から、男はためらうことなく身を躍らせる。あまりのことに、エフィミアは悲鳴が喉の奥に引っ込んでしまった。
 本当に骨が折れてしまうかもしれない。恐怖で目を閉じることさえできず、エフィミアは男にしがみついた。

 突然、おそろしく強い突風が地上から空へと吹き上げた。その風で落下速度が急速にゆるむ。そして地に両足がついたときには、ちょっとした段差から飛び降りた程度の衝撃しかなかった。

 エフィミアはぽかんとすると、ついさっきまでいただろう木の枝を見上げ、それから地面を見下ろした。

「……うそ」

 エフィミアの呟きは男にも聞こえていたはずだが、体を離した彼はなにごともなかったように言った。

「怪我はないかい」

 訊かれて、エフィミアはまだ少し呆然としながら答えた。

「怪我はないけど……」
「それならよかった」

 男はほっとしたように言うと、非の打ちどころのない、飛びきり感じのいい笑みを浮かべた。瞬間、エフィミアの心臓が大きく鼓動し、一瞬にして彼に対するさまざまな疑問を忘れた。エフィミアは顔が熱くなるのを感じて、慌てて彼から顔をそむけた。

「ところで、君はなぜあんなところにいたんだ」

 男はエフィミアのようすに気づかないふうで尋ねた。

「ええっと、薬草をとりに……って、あっ……」

 エフィミアは自分で言って思い出し、今走ってきたと思われる方向を見た。

「どうしよう、籠を置いてきちゃった」
「籠って、これのことかい」

 男を振り返って、エフィミアは驚いた。彼は、とても見覚えのある浅い籠を抱えていた。籠に入っているのは、薬草と、いくらかの山菜と木の実、そしてしめじがひと株。

「そう、それ! いつの間に」
「やっぱり君のものか。この近くに住んでいるのかい?」

 薄く笑んで言った男を見上げ、エフィミアはまただと思った。さっきから彼は、エフィミアの問いにひとつも答えていない。全てをさりげなく受け流されてしまう――優しい笑顔に、誤魔化されてしまう。

「この山の、西のふもとにある村よ」

 エフィミアが答えると、男は一瞬笑みを消し、夜へと移ろいつつある空を仰いだ。木々の合間から残照が差し、彼の白髪が真紅に染まる。

「いつの間にかずいぶん人里まできてしまったんだな……」

 どこか深刻さをはらんだ男の呟きに、エフィミアは首をかしげた。だが彼はすぐにもとの笑みに戻り、こちらを見下ろした。

「村まで送ろう」

 彼の申し出に、エフィミアは一瞬きょとんとしてしまった。

「でも、そこまでしてもらって迷惑じゃあ……」
「そんなことはない。夜に女性のひとり歩きは危険だ。籠はわたしが持って行こう。こんな重いもの、君のような女の子が持つものじゃあない」

 彼はそう言って、籠を抱えなおした。男の人にこれだけ優しくしてもらったことのなかったエフィミアはなんとなく照れてしまい、それを隠すようにほほ笑んだ。

「なにからなにまでありがとう」

 エフィミアが素直に礼を言うと、彼はにこりと笑い返した。

「気にすることはない。それでは、行こうか。真西でいいのかい?」
「ええ」

 エフィミアが頷くと、男は方角を定めて前を歩き出した。

(どうしよう、すごく嬉しい)

 普段よりも速い鼓動に合わせて、エフィミアは足取りも軽く、彼の横に並んで歩いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中

桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。 やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。 「助けなんていらないわよ?」 は? しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。 「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。 彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

【完結】呪いを解いて欲しいとお願いしただけなのに、なぜか超絶美形の魔術師に溺愛されました!

藤原ライラ
恋愛
 ルイーゼ=アーベントロートはとある国の末の王女。複雑な呪いにかかっており、訳あって離宮で暮らしている。  ある日、彼女は不思議な夢を見る。それは、とても美しい男が女を抱いている夢だった。その夜、夢で見た通りの男はルイーゼの目の前に現れ、自分は魔術師のハーディだと名乗る。咄嗟に呪いを解いてと頼むルイーゼだったが、魔術師はタダでは願いを叶えてはくれない。当然のようにハーディは対価を要求してくるのだった。  解呪の過程でハーディに恋心を抱くルイーゼだったが、呪いが解けてしまえばもう彼に会うことはできないかもしれないと思い悩み……。 「君は、おれに、一体何をくれる?」  呪いを解く代わりにハーディが求める対価とは?  強情な王女とちょっと性悪な魔術師のお話。   ※ほぼ同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※

【短編】淫紋を付けられたただのモブです~なぜか魔王に溺愛されて~

双真満月
恋愛
不憫なメイドと、彼女を溺愛する魔王の話(短編)。 なんちゃってファンタジー、タイトルに反してシリアスです。 ※小説家になろうでも掲載中。 ※一万文字ちょっとの短編、メイド視点と魔王視点両方あり。

【R18】熱い夜の相手は王太子!? ~婚約者だと告げられましたが、記憶がございません~

世界のボボブラ汁(エロル)
恋愛
激しい夜を過ごしたあと、私は気づいてしまった。 ──え……この方、誰? 相手は王太子で、しかも私の婚約者だという。 けれど私は、自分の名前すら思い出せない。 訳も分からず散った純潔、家族や自分の姿への違和感──混乱する私に追い打ちをかけるように、親友(?)が告げた。 「あなた、わたくしのお兄様と恋人同士だったのよ」 ……え、私、恋人がいたのに王太子とベッドを共に!? しかも王太子も恋人も、社交界を騒がすモテ男子。 もしかして、そのせいで私は命を狙われている? 公爵令嬢ベアトリス(?)が記憶を取り戻した先に待つのは── 愛か、陰謀か、それとも破滅か。 全米がハラハラする宮廷恋愛ストーリー……になっていてほしいですね! ※本作品はR18表現があります、ご注意ください。

悪役令嬢と氷の騎士兄弟

飴爽かに
恋愛
この国には国民の人気を2分する騎士兄弟がいる。 彼らはその美しい容姿から氷の騎士兄弟と呼ばれていた。 クォーツ帝国。水晶の名にちなんだ綺麗な国で織り成される物語。 悪役令嬢ココ・レイルウェイズとして転生したが美しい物語を守るために彼らと助け合って導いていく。

男嫌いな王女と、帰ってきた筆頭魔術師様の『執着的指導』 ~魔道具は大人の玩具じゃありません~

花虎
恋愛
魔術大国カリューノスの現国王の末っ子である第一王女エレノアは、その見た目から妖精姫と呼ばれ、可愛がられていた。  だが、10歳の頃男の家庭教師に誘拐されかけたことをきっかけに大人の男嫌いとなってしまう。そんなエレノアの遊び相手として送り込まれた美少女がいた。……けれどその正体は、兄王子の親友だった。  エレノアは彼を気に入り、嫌がるのもかまわずいたずらまがいにちょっかいをかけていた。けれど、いつの間にか彼はエレノアの前から去り、エレノアも誘拐の恐ろしい記憶を封印すると共に少年を忘れていく。  そんなエレノアの前に、可愛がっていた男の子が八年越しに大人になって再び現れた。 「やっと、あなたに復讐できる」 歪んだ復讐心と執着で魔道具を使ってエレノアに快楽責めを仕掛けてくる美形の宮廷魔術師リアン。  彼の真意は一体どこにあるのか……わからないままエレノアは彼に惹かれていく。 過去の出来事で男嫌いとなり引きこもりになってしまった王女(18)×王女に執着するヤンデレ天才宮廷魔術師(21)のラブコメです。 ※ムーンライトノベルにも掲載しております。

コワモテ軍人な旦那様は彼女にゾッコンなのです~新婚若奥様はいきなり大ピンチ~

二階堂まや♡電書「騎士団長との~」発売中
恋愛
政治家の令嬢イリーナは社交界の《白薔薇》と称される程の美貌を持ち、不自由無く華やかな生活を送っていた。 彼女は王立陸軍大尉ディートハルトに一目惚れするものの、国内で政治家と軍人は長年対立していた。加えて軍人は質実剛健を良しとしており、彼女の趣味嗜好とはまるで正反対であった。 そのためイリーナは華やかな生活を手放すことを決め、ディートハルトと無事に夫婦として結ばれる。 幸せな結婚生活を謳歌していたものの、ある日彼女は兄と弟から夜会に参加して欲しいと頼まれる。 そして夜会終了後、ディートハルトに華美な装いをしているところを見られてしまって……?

処理中です...