三人の竜は、囚われ乙女の胸に沈む ― Dragon Heart ―

入鹿なつ

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第1章 いざないの風

9 救いの手

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「君たち」

 背後から声がかけられ、カイルは唇が触れる寸前で身を離し、振り返った。それでやっと我に返ったエフィミアも、慌てて声の方に目を向ける。

(今の、見られて……)

 声の主を目に止めて、エフィミアは凍りついた。見覚えのある黒服の若い男が、そこに立っていた。

 黒い帽子から覗く前髪は磨き上げられたあかがね色――その向こうの嵐の色の瞳と、視線が交わった。
 彼もほぼ同時にエフィミアに気づき、男の目がわずかに見開かれた。

「君は……」

 エフィミアを背中に隠すように、カイルが立ちはだかった。そのまま、目の前に立つ軍人を睨みつける。
 見開かれていた男の目が、即座にすっと細められた。

「彼女をこちらに引き渡せ」

 男の低い声音にひるむことなく、カイルは返した。

「彼女は連れて行かせない」
「それは、我々がどういう者かを知っての行動か?」
「……ああ」

 カイルの返答に、男は片手で顔を覆うようにこめかみをおさえ、ため息を吐き出した。手を下ろしてもう一度ため息をつくと、彼は無言のまま二人の方へ大股に歩み寄ってきた。

 恐れを感じたエフィミアは身を引きかけた。すると男には聞こえないほどの小声で、カイルが囁くのが聞こえた。

「エフィは、おれが守るから」
「カイル……」

 二人がそんなやりとりをしている間に、男が目前まで迫る。二人より頭ひとつ分以上も背の高い彼はカイルを無視して、そのままエフィミアへと手を伸ばした。それをカイルが体を移動させることで阻む。男は無表情に言った。

「どくんだ」

 カイルも負けじと声を低めた。

「エフィを連れて行ってどうするつもりだ」
「それはわたしの知るところではない」
「なら、聞けないね」
「あまり手荒なことはしたくはないのだが……」

 カイルは反射的に身構えた。だが行動は一瞬遅く、気づいたときには体が埃っぽい地面に転倒していた。

「カイルっ!」

 カイルを助け起こそうとしたエフィミアの腕を、最低限の動きでカイルを排除した男の手が捕らえた。

「いやっ」

 力任せに腕を引かれ、エフィミアの体が男の方へとかしぐ。

「エフィに触るな!」

 なんとか上体を起こしたカイルが、叫んで男へと突進した。男は舌打ちしてエフィミアを放すと、わずかに体を引くことでカイルの体当たりをかわした。
 カイルは男にひねられた肘を押さえながら、エフィミアを背にかばって彼と向き合った。

「エフィ、逃げろ」

 カイルが囁きかけ、エフィミアは驚いた。

「カイル、なに言って……」
「くやしいけど、おれじゃあいつにはかなわない。どんなにけんかが強かろうが、やっぱり訓練された軍人じゃあ相手にならない。だから――」

 体を引いた軍人が、不意に動いた。

「逃げろ!」

 叫ぶと同時にカイルの足もとがすくい上げられ、片手足だけで再び地面に組み伏せられた。

「カイル!」
「早く行け!」

 エフィミアは一瞬ためらったが、カイルに強く言われ、迷いを断つように向きを変えて全速力で駆け出した。

「逃がすか」
「行かせない!」

 エフィミアを追おうとする男の脚に、カイルは全身を使ってしがみついた。足止めされた軍人の表情が、不愉快げに険しくなる。

「……しかたない」

 低く呟くと、男の体が回転した。振り払われたカイルが地面を転がる。さらに振り上げられた伸びやかな足が弧を描き、手本のような回し蹴りがカイルの後頭部を襲った。
 わずかな呻きをもらし、カイルはそのまま気を失った。





 エフィミアは駆け戻ってカイルを助けたいのを堪えながら、ルベル山に向かって全力疾走していた。

(カイル、どうか無事で……)

 巻き込みたくないと思っていたのに、結局はエフィミアのことを好きだと言ってくれたカイルをあんな目にあわせてしまった。しかもエフィミアを守って、逃がしてくれて。なにもできない自分がくやしくて、エフィミアは唇を噛みしめた。

 できるだけ人目のないところを選んで駆けていたエフィミアの耳に、甲高い笛の音が届いた。それは長くこだまし、村の隅々まで響き渡る。

 背後で男たちが叫び合うのが聞こえた。さらには竜が低く鳴く声や、羽ばたく音までもが迫りくる。

 エフィミアは夢中で、木々の生い茂るルベルへと駆け込んだ。山へと入ってしまえば、ここからはエフィミアの領分だった。

 物心つく前からここを遊び場にし、この山の恩恵を受けて育ってきた。当然この辺りの山の歩き方、走り方も体が覚えているので、徒歩ではそうそう追いつかれはしまい。

 問題は、彼らが騎竜兵であることだ。こればかりは、できるだけ木々の密集した、竜が着地しにくい、空から地上が見えにくいところを選んで逃げるくらいしか、対処が思いつかなかった。

 あと憂慮すべきは、エフィミアの体力が持つかどうかだ。


 ☫


 暗闇の中で身を凍らせていると、彼女が隠れている枯れ木のすぐ目の前で足音が止んだ。瞬間、彼女は呼吸を忘れた。
 雨音に混じって、二人の男が会話する声が聞こえた。

「まかれたか」
「いや、まだ近くにはいるはずだが。上空から竜でも追っている。そう簡単には逃げられないだろう」
「そうだな」
「もっと先まで行こう」
「ああ」

 会話が打ち切られると再び足音が聞こえ、今度はしだいに遠ざかっていった。

 足音が聞こえなくなり、追手の気配が絶えても、彼女はなかなかから出ることができなかった。寒さと恐怖とで全身が強張り、動けなくなってしまったのだ。暗闇の中で、もはや時間の感覚さえも失われている。

 いつまでもそうしてじっとしていると不意に、ぱしゃん、という不自然に水の跳ねる音が聞こえて、今度は心臓さえも凍りついた気がした。
 ぱしゃん、ぱしゃん、と。規則的に、さっきの足音よりもゆっくりと、それでも確実に、音は彼女の隠れている木へと近づいてくる。

 音が止んだ。の入口が陰り、彼女は目を閉じた。

(見つかった……!)

 彼女が怯えていると、の外から囁きかけてくるのが聞こえた。

「出ておいで。もう、大丈夫だから」

 聞き覚えのある声に、彼女は目を開いた。聞き間違いでないことを確認しようと、彼女は囁く声にじっと耳をそばだてた。

「彼らは遠くに行ってしまった。だから、今の内に」

 の入口から、差し出された手の、白い指先が見えた。

「出ておいで、エフィ」

 彼女は、さっきまでとは別の意味で体が震えてきた。

 固まってしまった体を心の中で叱責し、無理やりに動かして、彼女は木のから這い出た。そんな彼女の肩を、温かいなにかが優しく包む。

 彼女は顔を持ち上げた。そこには輝く白銀と、彼女を見つめる翡翠色の瞳があった。彼女の中でふつりと音を立ててなにかが切れた。目の端に、じわりと涙が浮かぶ。

「助け……助けて……っ」

 彼女は夢中で、目の前の人物が着ている青い布地に縋りついた。応えるように、彼女の背中へと腕が回され、きつく抱き締められる。そのとき、相手が耳元でなにかを囁いたようだったが、彼女の意識はそこで途切れた。

「すまない」
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