三人の竜は、囚われ乙女の胸に沈む ― Dragon Heart ―

入鹿なつ

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第3章 空虚の王

2 監禁

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 アレクスが竜舎に入ると、彼の愛騎は野菜や肉の切れ端を熱心にぱくついていた。

 石壁の高い位置に設けられた窓から差し込む光は朱色を帯び、竜の赤い鱗をより鮮やかに染めている。木の格子を抜けてアレクスが歩み寄れば、気づいた小竜はすぐに食事を中断し、主人を歓迎するように顔を持ち上げた。

「食事の邪魔をしてしまったようだな、セス」

 話しかけながら喉を撫でてやると、セスと名づけられた若い竜は黄色い目を細めて低くぐるぐると鳴いた。素直な反応を返す愛騎に、アレクスの表情も自然とゆるむ。

 彼が竜舎にやってきたのは竜に乗るためではない。昨日は長距離飛行をしたため、今日一日は竜たちを休ませる予定だ。竜舎に足を向けたのは、彼にとって幼いころからの習慣とも言えるものだった。

 王室付きの従僕の子として産まれたアレクスは、年が一番近いという理由で三歳のときに王太子ルーファンスの遊び相手としてこの王宮に連れてこられた。

 王太子はすぐにアレクスに懐いた。成長しても王太子はアレクスを放そうとせず、常に傍に置きたがった。アレクスにとっても、まるで弟ができたような気がして、王太子と過ごすときはそれなりに楽しかった。

 だが、王太子の近くにいる彼を、利用しようとしない者はいなかった。何人もの着飾った大人が彼に近づき、王太子に近づこうとした。彼に好意的に話しかける大人は皆、笑顔を取り繕っていても、腹の中は真っ黒だった。聡い子供だったアレクスは彼らを無視し続けたが、やがて嫌気が差した。

 そんなときに、この場所を見つけた。騎竜兵のほかに出入りする者のいない竜舎は、ひとりになるにはうってつけの場所だった。竜に対する好奇心も、アレクスをこの場所へと向かわせた。そして、まだ子竜だったセスと出会った。

 アレクスは竜舎の地べたに座り込むと、セスの体に自分の体をもたせかけた。セスは主人に気を遣い、彼の邪魔にならないよう赤い翼をたたみ直した。一頭ごとに区切られた竜舎の小部屋は、二人だけが共有する、穏やかな空気で満たされる。

 アレクスは体内に蓄積した疲労感を吐き出すように息をついた。連日続く竜王捜索の任務が疲労の主な原因ではあったが、それ以上に、王宮にいるとそれだけで息が詰まる。

 王宮内において破格の早さで昇級した彼には、どうしても陰口がついて回る。

 王太子のお気に入りだから――何度その言葉を耳にしたか分からない。アレクス自身、それを完全に否定する気はなかった。

 だがその裏に、彼のたゆみない努力があることを、人々を知らない。そしてすべてがルーファンスの傍に居続けるための努力であり、騎竜隊長の地位はその結果でしかないことを知っているのも、彼だけだった。だが――

 アレクスは、突然現れた怪しげな占い師が嫌いだった。彼がルーファンス以外の他人に対しこのようなはっきりした感情を持つことは珍しい。

 ルーファンスは占い師に肩入れしているが、素性もなにも分からない彼女を、とてもではないが信用できないとアレクスは考えていた。唯一分かっている名前も、本名かどうか怪しい。

 しかし、アレクスが占い師に敵対する一番の理由は、最近ルーファンスがアレクスよりも彼女を傍に置くようになったことにあった――ようするに、アレクスは拗ねているのだ。ルーファンスの隣という自分の定位置を、突然横からとられてしまったことに。

 アレクスは、ふと自嘲ぎみに笑った。それに気づいたセスが首をひねって顔を向けてくる。その額を撫でてやりながら、アレクスはひとりごちた。

「わたしも、まだまだ子供だな」

 アレクスを励ますように、セスがぐるぐると鳴いた。


 ☫


 ぼすん、と鈍い音をさせ、エフィミアは寝衣姿でベッドに倒れ込んだ。長々と息を吐きながら寝具にゆっくりと体を沈み込ませる。

 なにもすることのない退屈さというものを、身に染みて感じた一日だった。

 正午の少し前、退屈しのぎに部屋を出て王宮内でも探検してみようと思い立った。
 本意でなかったとはいえローリア城など簡単に立ち入れる場所ではない。入った理由はさて置き、またとない機会だと考えたのだ。

 だが出入り口の扉には外から鍵がかけられていた。それでも諦めずにノブをいじくり回し、こぶしで扉を叩いていたら、部屋の外にいた見張りに叱られてしまった。それでようやく、エフィミアは自分が監禁状態にあることを知った。

 部屋から出ることはかなわず、かといって考えること以外にすることもなく、話し相手もいないというのは、どうにも耐えがたいものだった。

 だから夕食後に歳上と思しき女官が尋ねてきたときには、エフィミアはやっと話し相手が現れたかと少しばかり喜んだのだ。ところが彼女はお湯を用意するなり、あっという間にエフィミアを素っ裸にした。

 体を拭くなら自分でやる、とエフィミアは焦って抵抗した。が、女官は頑固にも聞き入れず、いくらかの取っ組み合いの末、エフィミアは彼女に身を任せるしかなくなった。

 とは言っても指の間や足のつけ根まで他人の手でくまなく拭き上げられるのは、やはり恥ずかしい。さらには温めた香油を無遠慮な掌で胸も尻も構わず全身に擦り込まれては、狼狽えずにいられない。

 女官の手を逃れてやっと寝衣を着たときには、エフィミアは羞恥やら妙な火照りやらですっかり疲労困憊になっていた。
 もしやこれから毎日こんなことをされるのではと勘ぐる。

 できればそれは御免こうむりたいとは思いつつも、香油の潤いと甘い香りを纏った肌に絹の寝具が触れると、これまで以上に滑らかな気持ちよさがあった。磨いた素肌に直接着せられた寝衣の感触は、わずかのザラつきもなく、まさしく極上品だ。

 しかし細いリボンで留められた襟ぐりは肩が出るほど広く、純白の布地は胸の先端の尖りのみならず色濃さまで分かりそうなほどの薄い。軽く滑らか過ぎる肌触りはあまりに頼りなく、なにも着ていないのと変わらないような心地がする。

 さりとてこの姿で人前に出ようというのではないし、そもそも部屋からは出られないのだ。まだ少し早い気はするが、今夜はもう寝てしまおうと決めて、エフィミアは枕を抱えた。

 その矢先だった。

 来訪を知らせるノックもなく、部屋の扉が開かれた。ベッドに倒れ込んだまま、エフィミアは反射的に顔だけ上げて扉の方を見た。また騎竜隊長がきたのだと思った彼女は、そこに立つ見知らぬ若者を目にして反応に困った。

 彼はエフィミアと目が合うと、ちらとだけ笑みを浮かべて部屋に入り扉を閉めた。

 若者は無言のまま、エフィミアのいるベッドへと優雅な動きで歩み寄ってくる。エフィミアは寝具から体を起こすと、心奪われたように彼に見入った。

 本物の金髪というものを、エフィミアは初めて見た。背中まである真っ直ぐな髪の、極細の一本一本が灯火の中で淡い光を放っている。

 儚げな、という表現がいかにもぴったりとくる男性だった――多分、男性で合っていると思う。

 歳はエフィミアとそう変わらない印象だが、若者は同年代くらいの男性たちと比べてやや小柄だった。身長もエフィミアよりほんの少し高いかどうかだろう。

 それでも、すらりとした手足は均整がとれていて、ベルトを締めた胴は折れそうなくらいに細い。女性的な造りの面差しの中で、澄んだ青の瞳が真っ直ぐエフィミアをとらえている。

 若者はベッドに座り込むエフィミアを見下ろせる位置までくると、こちらに向かって手を伸ばした。エフィミアは驚いて身を引いたが、彼はしっかりとエフィミアの手首をつかんだ。若者の肌は、エフィミアのものよりずっと白い色をしていた。

 その細腕のどこにそれだけの力を秘めているのか、彼はそのままエフィミアを引き寄せ、鼻先が触れ合うかどうかの位置まで顔を近づけた。

「放して……!」
「逃げるな。大丈夫、今日はなにもしない」

 若者は見惚れるほど綺麗で、背筋が凍るほど冷たい笑みを浮かべた。

「……あなた、誰?」
「ルーファンス」

 彼の口から出た思わぬ名前に、エフィミアは数度まばたいた。

「そんなまさか。だってあなた、まだ……」

 若者は笑みを深め、涼やかな目元を細めた。

 エフィミアの体はいつの間にか寝具の上に押し倒されていた。若者の薄い肩から金糸の髪がさらさらと滑り落ちる。

「若すぎるって言いたい? そんなの直系の王家の血さえ持っていれば関係ない。わたしが今のドラディア国王だ」

 愕然として、エフィミアは若者――ルーファンス王の碧眼を見詰めた。

「だから、誰もわたしに逆らってはいけないんだ。もちろん、君も」

 ルーファンスが細い指の背でエフィミアの頬をなぞる。彼の吐息を間近に感じて、エフィミアは息をのんだ。

 彼の目からはなんの感情も読めない。ただ極地の氷のように冷たい青があるだけだ。

 ルーファンスは身を低くしてエフィミアの耳元に口を寄せた。

「君には利用価値がある。その身をもってわたしに協力してもらう――それを言いにきた」
「……あたしに、どうしろと?」

 なんとか発した声は、思いのほか震えていた。耳に息を吹きかけるようにルーファンスが笑う。

「竜王をおびき出す餌になってもらう」
「餌?」
「竜王は必ず心臓を取り戻しに現れる。そこを生け捕り、心臓をわたしの体に移させる」

 エフィミアは横目で、ルーファンスの顔を確認した。

「それまで、大人しくしていろと言いたいの?」

 ルーファンスが、またくすりと笑った。

「そうだね、それもあるけど――」

 ルーファンスはわずかに体を浮かせてエフィミアの顔を覗き込むと、いきなり唇に唇を押しつけた。
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