三人の竜は、囚われ乙女の胸に沈む ― Dragon Heart ―

入鹿なつ

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第4章 騎士の忠義

11 飛来

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 三人が濃い熱の余韻から抜け出すまで、いくらか時間が必要だった。流れ落ちた汗と欲のしずくが寝具に吸いとられ、ゆっくり火照りが冷めていく。

 ルーファンスの腕が垂れ下がり、エフィミアがアレクスの胸へと倒れ込んだ。握っていたものを反射的に放してアレクスが両腕で抱きとめると、触れた彼女の背中にぬめりを感じた。ルーファンスの二度目の吐精が、彼女の肌に白く飛び散っていた。

 荒い呼吸音しか聞こえない静寂を、低い笑い声が破った。

「今のは悪くなかった」

 呟きを聞きつけて、アレクスはまだはっきりしない頭をようよう持ち上げる。目の前に座るルーファンスは深くうつむいていて表情がよく見えない。乱れて垂れた長髪の隙間から、口角がかすかに上向いているのだけは窺える。

 ルーファンスはうつむいたままシーツをつかみ、ひどく億劫そうな動作で自身の萎えた性器と掌をぬぐい始める。緩慢な動作でズボンの前を留めを終えたところで、若き王はやっとアレクスの方へ顔を向けた。青い瞳はほのかな熱の残滓ざんしで潤んでいたが、唇の微笑は平時に見せる淡いものだった。

「竜王の心臓をわたしに移したら彼女はもういらないと思っていたけれど、こうしてアレクスと共有できるなら、このまま置いておこうか」

 思いついたように言ったルーファンスの声色も平素のもので、アレクスの意識を冴えさせた。腕の中で目蓋を伏せてぐったりとしているエフィミアを、ルーファンスの嗜虐的な眼差しから守るように抱き直す。

 ルーファンスに刃向かったとがでアレクス自身が罰せられるのは受け入れられる。しかしこれ以上エフィミアの尊厳を踏みにじられることに口を閉ざしてはいられない――占める感情の多くが、蹂躙に加担している罪悪感に起因していたとしても。

「陛下――」

 いさめる言葉をアレクスが口にしようとしたところ、強く扉を叩く音によって邪魔をされた。

「陛下はこちらにいらっしゃいますか」

 衛士らしき声による扉越しの呼びかけは、切羽詰まった響きがあった。水を差される形で呼ばれたルーファンスは、鼻白んだような不機嫌さを眉間に浮かべて扉の方を睨みつけた。

「なんの用だ」

 苛立ちを隠さないルーファンスの声に、扉の外で一瞬怖気づいたような気配があってから返答があった。

「急報です――白竜が現れました」

 瞬間、ルーファンスの顔から感情が消えた。

 白竜出現の報にアレクスはもちろん驚いたが、それ以上になぜだか途方に暮れたようなルーファンスの横顔に意識が引きつけられた。直前まで纏っていた威圧的な邪気も悪意も消え去り、わずかに開いた唇が急に何歳も幼くなった印象を抱かせる。

 かつての臆病な幼馴染みの姿をそこに見た気がして、アレクスはルーファンスから目を離せなくなった。

 だがそれはつかの間のことで、視線を戻したルーファンスの碧眼には興奮の光が宿っていた。外に向けて答える声も上機嫌にはずむ。

「分かった。すぐに行く」

 扉の向こうの人物は承知すると、すぐさま駆け去っていった。扉の外から人の気配が遠ざかるなり、ルーファンスは声をたてて笑い出した。

「今の聞いたね――おもしろくなってきた」

 身を滑らせるようにベッドから降り立って、ルーファンスは素早く身なりを整え始めた。シャツの釦を留め直す背中を見て、アレクスも我に返り慌ててシーツをたぐり寄せる。

 アレクスはまずは自分の身より先に、エフィミアの体をシーツでぬぐった。べたつく喉元や背中、脚の間まであらかた拭きとってから、彼女の着るものを探したがすぐには見つけられず、ひとまずそのままシーツを巻きつけて体を肩まで包んでやる。

 エフィミアは少しも抵抗をしなかったものの、くるまったシーツの首元をつかんでいる手に震えがあった。申しわけなくもあまりじっくり時間をとっていられる場合でなく、アレクスは軽く彼女の手をさすってやっただけで、急いで自分の衣服を掻き集めた。

 アレクスがシャツの前を留め終えたときには、ルーファンスは着衣を整え終えて、放り出されていた剣も腰に帯びていた。

「一緒に来い」

 威圧的に言い放って、ルーファンスがベッドの外から腕を伸ばした。アレクスが止めに入る前にエフィミアの腕がつかまれ、ベッドから床へと引きずり下ろされる。そのまま足もとの覚束ない彼女の腕を引っ張って強引に立ち上がらせ、力ずくで扉の方へと引っ立てていく。

 やっと上着の袖を通せたアレクスが引き止めようとしたときには、裸身にシーツだけを巻きつけた姿のままエフィミアは連れ出され、扉が閉まった。

 状況の急転により熱の余韻はすっかり冷め、アレクスも急ぎ見苦しくない程度に身なりを整えて、赤毛をひと掻き撫でつけながら部屋を飛び出した。

 完全に普段の思考力をとり戻した彼は、すぐにはルーファンスたちを追わずに竜舎の方角へと駆けた。目まぐるしく巡る思考の中でエフィミアを気がかりに思う一方で、白竜の現れた意味と、この事態に自分のとるべき行動を素早く見極める。

 騎竜隊長として対白竜の指揮を執らねばならないが、愛騎セスは今、重症で飛ぶことができない。

 別の竜に乗ったとして、はたしてどれだけの飛行が可能か。あるいは地上で指示を出して、飛行中の指揮を別の者に任せるべきか。

 そうして自分の為すべきことを頭の中で高速で整理しながら、アレクスは同時に一つの可能性を見出していた。

 白竜が現れた理由はほぼ確実に、竜王の心臓を宿しているエフィミアのためであるはずだ。ならば――

(エフィを逃がせるかもしれない)

 これは間違いなく王の意に反し、裏切りを意味することだ。アレクスの中に葛藤はあっても、エフィミアを救うためには躊躇できない。ルーファンスの怒りと罰をすべて引き受ける覚悟はできていた。

 贖罪しょくざいになるとは思っていない。ただエフィミアの身を案じ、アレクスは宮殿の廊下を駆けた。


 ☫


 エフィミアはルーファンスに右腕をつかまれて、ひたすらに広い廊下を引きずられるように進んでいた。消耗しきった膝は震え続けていて、転ばぬように足を前に運ぶのも精一杯だ。長く引きずる裾を素足で何度も踏んでつんのめりながら、なけなしの尊厳を守る一枚のシーツだけは片腕で必死に押さえつけた。

 煌々と輝くシャンデリアがいくつも吊された廊下を何度も折れ、階段を下ってはまた上った。見知らぬ場所に、ルーファンスがどこに向かっているのかエフィミアには皆目検討もつかない。屋内が明るすぎて窓ガラスが鏡面となり、外のようすもさっぱり見えなかった。

 やがて辿り着いた無骨な扉をルーファンスが開いた瞬間、風を感じた。なびいたシーツの隙間から夜気が入り込んできて、肌を舐める冷たさに体が強張る。

 エフィミアが連れてこられたのは、宮殿の前面にある広い露台だった。そこには軽装の兵士が幾人も集結していた。露台のふちには用途の分からない大きな装置がいくつも並び、明々と燃え上がる篝火かがりびがそれらを濃い陰影とともに照らし出している。

 紫紺の空には爪のように細い三日月とあえかな星が輝き、眼下にはローリアの家々からもれる光が散りばめられていた。

 駆け寄ってきた兵士と短いやりとりをすると、ルーファンスはそのままエフィミアを東側のふちまで引き立てた。装置の間をくぐり抜けると、正面にこんもりとした木々の黒い影の向こうから飛来する白い姿がエフィミアの目にも分かった。

 わずかな月と星の光で神秘的に輝くその姿は、この場の喧騒に似つかわしくないほど優雅だった。

 星空を包まんとするように広げられた純白の翼を認め、エフィミアは反射的に叫びをあげた。

「来てはだめ、ナーガ!」
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