三人の竜は、囚われ乙女の胸に沈む ― Dragon Heart ―

入鹿なつ

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第5章 竜の王国

3 終焉の始まり

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 ナーガはアレクスに背中を向けながら言葉を続ける。

「これ以上、わたしのエゴで彼女を傷つけたくはない――それにわたし自身も、そろそろ力の限界がきている」
「わたしも連れて行け」

 アレクスは勢いよく立ち上がろうとしたが、燃えるような熱に腹部を貫かれて呻き、その場にうずくまった。そんなアレクスに、足を止めて振り返ったナーガは冷めた視線を寄越した。

「まともに動くこともできないくせに。今の君になにができる。無理をしても傷を悪化させるだけだ。エフィはわたしがとり返す」

 痛みに荒い息を繰り返しながら、アレクスは真っ直ぐナーガを見据えた。

「分かっている。彼女のことで今のわたしにできることはない。だが、連れて行ってくれ。わたしは、けりをつけなくてはいけない」

 わずかな間のあと、ナーガは面白がるように笑った。

「主君に正面から刃向かうつもりか」
「ああ――ルーファンスはわたしが止める。いや、もっと前にわたしが止めなくてはいけなかったんだ。そのことにやっと気づいた……手を、離してはいけなかったんだ」

 ふっと息をもらして、ナーガは笑いをおさめた。

「分かった、いいだろう。おいで、すぐに出る」

 ナーガが軽やかに向きを変え、アレクスは傷の痛みを堪えながら上着をつかんで立ち上がった。

 石灰質の壁に縋りながら、アレクスは前を進む白銀を追いかけた。鍾乳洞の床は所々水がたまっている場所もあり滑りやすい。深手のアレクスが歩くには正直厳しくはあったが、間もなく外の明かりが見えた。

 外に出ると、やはり見覚えのある深い森が続いていた。独特の冷えた空気から、まだ日が出て間もない時間であることが分かる。木々の葉は季節的に、すっかり色づいていた。アレクスは今出てきた岩の裂け目を窺うように一瞥して、すぐに正面に顔を戻した。

「シュリ」

 不意にナーガが呼ばわると、どこからともなくふらりと、先ほども見た深緑色の髪の少女が現れた。そして成り行きを心得たようすで言った。

「あたしは、なにをしたらいい?」

 ナーガが答えた。

「ローリア城の構造は、頭に入っているね」
「ええ、問題ないわ」
「エフィの居場所はすぐに分かるか?」
「たぶん大丈夫」
「それなら、ローリア城に着きしだい、シュリはすぐにエフィのところへ行って誘導をしてくれ。わたしもすぐに行く」
「エフィの居場所なら、わたしが知っている」

 アレクスが会話に割り込むと、ナーガはゆっくりと振り向き抑揚なく静かに言った。

「エフィのことで君にできることはないと、君は自分で言ったはずだ。こちらは問題ない。君は自分が成そうとしていることに集中していろ」

 はっきりと拒絶されて、アレクスはしばらくナーガと目を合わせていたが、後ろめたい心地なってすぐに顔をそむけた。

「分かっている……出すぎたことを言った」
「あやまることはない。エフィを心配する気持ちはわたしも同じだ」

 ナーガはさわやかに言うと、大きく翼を広げた。彼の姿はいつの間にか、人間の若者から白い竜へと変じていた。見ればその横で、深緑色の小竜が同じように翼を広げて飛ぶ準備をしている。

《乗れ》

 白竜が言い、アレクスは決意を込めた瞳で頷いて、大きな竜の体に手をかけた。

《しっかりとつかまっていろ。途中で落ちてもそのまま置いていく行くと思え》

 明らかに不要と分かっていながらあえて口にしたらしいナーガの忠告に、アレクスは不敵っぽく口の片端を上げた。

「わたしを誰だと思っている」

 アレクスが言えば、ナーガが愉快げに笑ったのが分かった。

《いつも君が乗っている竜と同じに思うなよ。わたしはわたしの好きに飛ばせてもらう》
「のぞむところだ」

 白竜に跨がって体勢をつくると、アレクスは低めた声で言った。

「あとひとつだけ訊きたい」
《なに?》
「なぜわたしを助けた」

 つかの間沈黙があって、白竜は呟くように答えた。

《君の中にわたしの力が残留していた……君が死ねば、きっとエフィは泣く》
「――そうか」

 それきり、王宮に着くまで二人の間で言葉が交わされることはなかった。互いが互いに、もはやその必要性がないと判断したからだ。それぞれ向かう先は、ただひとつなのだから。

 竜は空を駆ける。ひたすらに真っ直ぐ。彼らの信念が向かう、その先へと。


 ☫


 ベッドの上でうずくまっていたエフィミア・リードは、前触れなく顔を上げた。そのまま緩慢な動きで周りを見回す。しかし人が来たようすもなく、部屋の中もいつもと変わらない。ただ、エフィミアの中でなにかが騒いでいる。

 ベッドから滑り降りると、エフィミアは足の向くまま窓辺へと移動した。大きく窓を開け放てば、冷えた空気が室内へと流れ込んでくる。薄い寝衣一枚の体が凍えて、襟から覗く肩を無意識に抱く。アレクスがいなくなって以降、着るものはこの寝衣しか与えられていないので、碌に羽織れるものもない。

 外に見えるのは、広大な庭園と、きらめくローラ川、赤いローリアの街並み。いつもとなにひとつ変わらない景色。それなのに、エフィミアはなぜか、違う、と思った。

(こっち側じゃあない)

 エフィミアは西向きの窓に背を向け、反対側にある壁をじっと見詰めた。無意識に胸へと手を持っていけば、自身の確かな鼓動が掌に感じられる――胸の辺りが、熱い。

「……ナーガ?」


 ☫


 さわさわと波紋が水面を渡るように、扉の向こうの喧騒がルーファンスのところまで伝わってきた。ゆるやかに目を開けば、きらびやかな玉座と、紋章の刺繍された大きなタペストリーが視界に収まった。

 室内を満たす血臭が鼻につく。だがルーファンスは気にしなかった。服についた血も、もうとっくに乾いている。

(来た、かな?)

 予感を裏づけるように、入口の大扉を叩く音が広間に響いた。

「入っていいよ」

 大扉に背を向けたままルーファンスが立ち入りを許すと、すぐに扉の開く音と人が入ってくる気配がした。

「失礼いたします。ルーファンス陛下……」

 入ってきた人物が息をのんだのが分かった。当たり前だろうと思いながら、ルーファンスは緩慢に振り返った。立ち尽くす衛士に向かって、ルーファンスはあどけない動作で首をかしげた。

「どうかした?」

 衛士は恐る恐るルーファンスを見ると、その姿に再び息をのんだようだった。

「陛下、これは……一体、なにが……」

 ルーファンスと衛士の立つ位置のちょうど中ごろに、血にまみれたサーランド公爵の遺骸が死んだときそのままに転がっていた。

 ルーファンスはそれを見やって、今さらその存在に気づいたかのように、ああ、と頷いた。

「気にしなくていいよ」

 言ってから、それは無理だろうと自分で思いつつ、ルーファンスは笑みさえ浮かべて衛士を見た。

「それで、なんの用?」

 衛士は顔を青くして逡巡していたが用件はきちんと伝えるべきと判断したらしく、正しく跪いて声を震わせながら言った。

「先刻、東の方角からローリア城へと向かってくる白竜の姿を確認しました」
「ふぅん……それで?」

 さして興味もなくルーファンスが気のない反応をすると、衛士は戸惑ったように歯切れが悪くなった。

「それで、その……どうなさいますか。また捕らえればよいのでしょうか」

 ルーファンスは仕草だけで考えるふりをして、適当に返した。

「放っておいていいよ。もういらないから」
「はあ、しかし……」

 戸惑い顔の衛士に向かって、ルーファンスは動作で下がるように示した。しかしいつまでたっても衛士は下がらず、仕方なくルーファンスは声に出して命じた。

「下がれ」

 少しの間のあと、衛士はなにか言おうとして口を開いたが、ルーファンスが睨みつけると、結局なにも言わずに立ち上がって一礼し大扉に手をかけた。

「あ、そうそう」

 扉が閉まる寸前にルーファンスが言うと、衛士は一度動きを止めた。

「今日は誰もここに来ないように言っておいて。近づくことも許さない。いいね?」

 ルーファンスは無造作に命じ、衛士は震えの残る声で、かしこまりましたとだけ言って大扉を閉じた。

 またひとりになったルーファンスは玉座の方に向き直り、優雅な動作で遥かな天井を仰いだ。そして、久しぶりに穏やかな気持ちでほほ笑んだ。

「やっと、終わる」
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