三人の竜は、囚われ乙女の胸に沈む ― Dragon Heart ―

入鹿なつ

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第5章 竜の王国

5 脱出

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 近くに感じる白竜の気配に、エフィミアはそわそわと落ち着かず、室内を行ったり来たりしていた。

(ナーガが、ナーガが来てるのに!)

 エフィミアはぐるぐると部屋中を歩き回った末に、どうにか外に出ることはできないものかと、もう何度目になるか分からない扉との格闘を始める。ついに焦れったくなり、目の前の扉を力ずくで蹴破ってやろうかと本気で考え出したときだった。

 開け放したままになっていた窓から一陣の風が吹き込み、扉と向かい合っていたエフィミアの髪と寝衣をひるがえした。

《いたいた》

 耳元をかすめるように声がして、エフィミアは驚きとともに窓の方を振り向いた。幼い少女が深緑色の髪をなびかせて、窓の縁にちょこんと座っていた。

 少女は黄色い大きな瞳でエフィミアを見ると、いかにも生意気な態度で言った。

「とりあえず、無事みたいね」
「シユリー!」

 見知った顔に感激して、エフィミアは思わず叫んだ。シユリーは窓の縁から身軽に床へ降りると、腰に手をあてて咎めるように言った。

「大きな声出さないでよ。誰かに気づかれたらどうするのよ」

 エフィミアは慌てて自分の口を押さえて、背後にある扉の向こうの気配を探った。しばらく気を張り詰めていたが、部屋の外から人の気配は特に感じられず、どうやら気づかれなかったらしいことにエフィミアは胸を撫で下ろした。

「ねえシユリー、ナーガも一緒なんでしょう? ナーガはどこ?」

 エフィミアが向き直って言うと、シユリーは腰に手をあてたまま答えた。

「今場所を知らせたから、焦らなくてもすぐに来るわ。まったくどうしてこう、みんなせっかちなのかしら。つき合ってあげてるこっちの身にもなって欲しいものだわ」

 シユリーは華奢な肩を軽くすくめて見せると、くるりと窓の方に向き直った。

「ほら、もう来たみたいよ。本当にせっかちなんだから」

 エフィミアはシユリーの横を通り過ぎて窓に駆け寄ると、身を乗り出してぐるりと周囲を見回した。そして宮殿の真上の空に、白い竜の姿を見つけた。

「ナーガ!」
「もう、大きな声出さないでって言ってるのに」

 シユリーは不平を言いながらエフィミアの隣に並ぶと、ひょいと窓枠に飛び乗った。

「あたしにつかまって。さっさと行くわよ」
「うんっ」

 差し出された手をエフィミアが迷わずとると、シユリーはそのまま窓から身をおどらせた。体がふわりと風に乗るのを感じて、次の瞬間にはエフィミアは白竜の背にいた。

「ナーガ! よかった、会いたかった」

 エフィミアが感極まって思い切り首に抱きつくと、ナーガが目を細めてほほ笑んだのが分かった。

《わたしも同じことを言おうとした。君が無事でよかった》

 久しぶりに聞いた気がする若者の声に、エフィミアの胸は高鳴った。やはり自分はこの白竜が大好きなのだと再認識する。

 だが感動の再会もつかの間、エフィミアはすぐに我に返って、今もっとも気がかりなことを口にした。

「ねえナーガ。アレクスは? アレクスは無事よね?」

 ナーガは急にふつりと黙り込んだ。彼の態度にいやな予感がして、エフィミアは問い詰めるように言葉を繰り返した。

「アレクスは無事よね?」

 数瞬の間があってから、ナーガは静かに言った。

《彼は生きている》

 その言葉に、エフィミアは胸を撫で下ろした。

「そう……よかった。それで、彼の容態はどんな感じなの?」
《………》

 再びナーガは黙り、またエフィミアの中で不安が掻き立てられた。

「ひどいの?」

 エフィミアは恐る恐る訊いたが、ナーガはやはりなにも言わなかった。さらに問い詰めようとエフィミアは口を開きかけたが、結局それ以上言葉は出なかった。つかまる手にぐっと力を込めると、恐怖にも似た不安を感じながらエフィミアは顔を上げた。

 白竜は迷うことなく、真っ直ぐと東に向かっている。その先には見慣れた景色があり、自然があり、人がいる。それを思った途端、エフィミアの心は明るくなるどころか、濃い影が差した。

(あたし、逃げてきちゃった……)

 ナーガと無事に再会できた感激が強すぎて、連れられるままに来てしまった。だが、今このような形で宮殿を出てしまってよかったのだろうか。

 エフィミアはバランスを崩さないように注意深く、すっかり遠くなったローリア城の方を振り返った。

(どうしよう……)

 深刻な気分になって、エフィミアはつかの間考え込んだ。しかし、もうここまで来てしまったのだ。今から引き返すのもなんだかばからしい気がした。

 それに今のエフィミアにとってはアレクスの安否の方が気がかりであり、ひとまずはそのことだけを考えることに決めた。

 道中、竜の羽ばたく音以外はひどく静かなものだった。エフィミアもナーガも、ほとんど言葉を発しなかったからだ。いつの間にかシユリーもどこかに姿を消している。

 しかしエフィミアはこれからのことを考えるのに一生懸命だったし、ナーガもなにか考え込んでいるようすだったので、別段気にすることはしなかった。

 具体的にどのくらいの距離を飛んだのか、エフィミアには分からなかった。それでも気がつけばローリア城はすっかり見えなくなり、地上は色濃い森に覆われていた。視点を変えるだけで、見慣れているはずのものがずいぶんと違って見える。

 白竜がゆるやかに降下を始めてやっと、少し前まで暮らしていた岩屋の近くであることがエフィミアにも分かった。

 見覚えのある岩壁の前に着地するなり、エフィミアは白竜の背から飛び降りた。そしてすぐさま岩屋に駆け込もうとしたが、岩壁に扉がないことに気づいて立ち止まった。場所が違ったのかとも思い、エフィミアは周囲を見回したが、確かにそこにあるのは見知った景色だった。

 エフィミアはもう一度、扉があったはずの場所を見た。しかしやはり、人が出入りするような扉は影も形もなく、その位置には暗い岩の裂け目があるだけだった。

 すぐ横に人が立ったことに気づき、エフィミアはその顔を見上げた。人型をとったナーガは目を合わせるようにちらとだけエフィミアの方を見たが、無言のまますぐに顔を正面に戻した。
 エフィミアも視線を戻すと、一瞬の逡巡のあとに目の前の薄暗い洞窟へと駆け込んだ。

 洞窟の中の空気は冷えていて、わずかな湿り気を帯びていた。石の地面も素足の指先が痺れそうなほど冷たい。奥に進むにつれて光は薄れ、闇の色が濃くなっていく。清浄な水のにおいが鼻の奥を通り抜けた。

 薄暗い洞窟の一本道を、エフィミアはひたすらに真っ直ぐ進んだ。そして間もなく、広く開けた場所に辿り着いた。

 そこはちょうど洞窟の中でも大きな空洞になっていて、無数のつらら石が垂れ下がる天井はこれまで通ってきた通路よりもずっと高く、床には成長した石筍せきじゅんがいくつも並んでいた。その合間のいたるところに簡素な灯火が置かれており、橙色のたよりない光を振りまいている。

 明らかにほかとは異質な空間に、エフィミアは思わず足をゆるめて大きく首を巡らせた。

 ふと、空間の片隅に茶色い毛皮が敷かれているのを見つけた。近づいて見てみれば毛皮はしっかりとした厚みがあり、人がひとりゆったりと横になるにはちょうどいい具合になっている。その毛皮の敷物のかたわらに、見覚えのあるつばつきの黒い帽子が置かれていた。

(これ、アレクスの……)

 エフィミアは身をかがめて帽子を拾い上げた。

「ナーガ、アレクスはどこ――」

 傍にいるだろうナーガに話しかけながらエフィミアは振り返ったが、途端に言葉が続けられなくなった。
 予想よりもずっと間近にいたナーガに抱きすくめられ、口で口を塞がれたのだ。
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