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第5章 竜の王国
6 心
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不意を打たれて、キスをされたのだと理解するまで時差が生じた。エフィミアは突然のことにただ驚き、気がつけば敷物の上に押し倒されていた。
慌てて押し返そうとしたエフィミアの腕をナーガは払いのけ、寝衣の襟を力任せに両手で押し広げた。薄い絹地が音をたてて脆く裂ける。
エフィミアの両胸が弾み出るなり、彼は口へのキスをやめて膨らみの頂に齧りついた。
「ナーガっ! やめ……っ」
いきなりの強い刺激にエフィミアは息をのんで喉を反らせた。絹を裂く音はやまず、身悶えする間に寝衣の前が開かれて下肢までさらけ出される。彼を止めようとした手は半端に脱げた寝衣で絡めとられて、地面と背中の間に押さえ込まれた。
「ううっ、んぁっ」
肩が軋む痛みにエフィミアが苦しく声を漏らしてもナーガはまるで気を払わず、一声も発しないまま貪るかのような愛撫をやめようとしない。こんなにも乱暴で性急な彼は初めてで、エフィミアは焦り当惑する。
「あっ、ふあぅっ……ナーガ、それ強……ぃひあぁんっ」
いくら荒々しかろうとも、エフィミアの弱い箇所を知り尽くしているナーガの指と舌は、またたく間に淫らな官能の燻りを熾して脚の間を潤ませた。熱を帯びた体は明確に悦び震え、彼に触れられなかった期間の分を埋めるかのように強烈な快楽がエフィミアの意識を呑み込んでいく。
ナーガの手が濡れそぼつ茂みの上を滑った。エフィミアは懸命に脚を閉じたが、敷物まで湿るほど潤ったぬめりが彼の指を招き入れる。秘唇に潜り込んだ指先が敏感な肉芽を探り当てて、エフィミアの中でわずかに溶け残っていた理性までもがついに形を失っていく。
そのとき、寝衣で絡めとられていた片腕をやっと引き抜くことができた。溶け崩れた理性を必死に掻き集めて、エフィミアは自由になった手を振り上げた。
ぱんっ、と頬を張る音が響き渡った。ナーガの動きがぴたりと静止し、頬の赤くなった顔がエフィミアに向けられる。
呆然としたように瞠られた翡翠色の目を睨み据え、エフィミアは彼に対して初めて拒絶の姿勢を言葉にした。
「だめよ、ナーガ。今は、だめ」
ナーガは瞳に傷ついた色を見せて、突き放すように離れた。エフィミアが体を起こして目をやると、彼はこちらに背を向けて座り込んでいた。身を縮めるように背を丸め、消え入りそうな声で彼は言う。
「……すまない。分かっている。分かって、いるんだ……」
「ナーガ……」
小刻みに震えているナーガの背中をエフィミアは見詰めた。その姿はまるで、怯えてうずくまるちっぽけな少年の背中にも見えた。
羽織り直した寝衣の裂け目を掻き合わせてから、エフィミアはナーガの背中に手を伸ばした。
「ねえ、ナーガ……」
「ローリア城だ」
声をかけようとした途端、遮るようにナーガが言った。彼は振り向くと、戸惑うエフィミアと目を合わせた。一瞬前までの怯えた気配は消え去り、彼はもう、涼しい若者の顔をしていた。
「赤き竜の騎士は、ローリア城にいる」
それがアレクスのことを言っているのだと、エフィミアにはすぐに分かった。
「どうしてアレクスがローリア城にいるの? あなたが彼を連れて逃げてくれたんじゃあなかった?」
ナーガは遠くを見詰めるように目を細めて、静かに答える。
「彼は、けりをつけると言っていた」
「けり?」
「彼は真正面から、主君に反するつもりだ」
ナーガの言葉の意味を理解するのに、それほど時間はかからなかった。
「そんな……!」
エフィミアは愕然と目を見開き、言葉と共に勢いよく立ち上がった。
「そんなことをしたら、二人とも傷つくだけだわ」
ぐっと表情を引きしめ、エフィミアは岩屋から出るために駆け出した。だがすぐに、後ろから抱きすくめる形でナーガに動きを封じられてしまい、エフィミアは鋭く叫んだ。
「放してっ。アレクスを止めなきゃ」
エフィミアはもがいたが、ナーガは決して放そうとはしなかった。抱きすくめる彼の手に胸を押さえられ、エフィミアはハッとしてすぐに押しのけようとした。
「ナーガ、だめだって」
「動かないで」
ナーガの囁きに、エフィミアは迷わず反発した。
「だから、だめだったら。今はそんな場合じゃあなくて」
「だからこそ動かないで。少し変な感じがするかもしれないが、すぐに終わるから。もし、痛かったり苦しかったりするようなら言って」
彼がなんの話をしているのかさっぱり分からなかった。だが艶めいたものよりも警告に近い響きを感じて、エフィミアは一度身動きをやめた。
「なんなの?」
警戒を隠さずエフィミアが問うと、ナーガは長身を屈めて頬に吐息を感じる位置まで顔を寄せてきた。
「わたしと呼吸の速さを合わせて。勝手は知っているはずだ」
エフィミアは戸惑いながら、真横にあるナーガの顔を窺った。彼はエフィミアを安心させようとするように、柔らかくほほ笑んでいた。これまで彼が一番よく見せていた表情だ。
だが、記憶にある彼の笑みとはどこか質が違うようにも思われた。なぜかと問われても困るが、もしかしたら今の彼が浮かべているものが本音を隠す誤魔化しの笑みでないことを感じたからかもしれない。
エフィミアは顔を正面に戻すと、頬に感じるナーガの呼吸に少しずつ自分の呼吸を合わせた――彼との交合でいつもしていたことだ。こうして呼吸を合わせて彼の挿入を受け入れると、少しの痛みもなく心身が安らぎに満たされる。
今のナーガがなにをしようとしているかは分からないまま、エフィミアはじっと彼の呼吸音に耳をすませた。
「そのまま動かずに」
ナーガが囁き、エフィミアの胸の辺りがぼんやりと温かくなってきた。彼の手がある辺りを中心に、じわじわと温度を増している気がする。そして、全身がゆるやかに脈打っているような感じ。
強弱の差はあれどその感覚に覚えがあって、エフィミアはハッとした。その瞬間わずかな痛みと、息が詰まるのを感じた。
「息を乱さないで。心を落ち着けるんだ。体が反発する」
「……うん」
ナーガの言葉に頷き、エフィミアは一度大きく深呼吸して動揺を鎮めようと試みた。耳に直接、心地よいテノールが滑り込んでくる。
「それでいい。わたしに体を預けて」
暗示にかかったように、エフィミアはゆるゆると体の力を抜いた。
「――いくよ」
ふわりと浮かび上がるように、胸に触れていたナーガの手が離れた。その動きに合わせて熱を持ったものが皮膚を通り抜けた感じがした。直後、視界が赤く照らされていた。
「え……?」
驚きに呟いたときには、エフィミアの体は開放されていた。振り返れば、すぐそこにナーガが静かに立っている。彼の手の中にある赤い輝きに、エフィミアの目は吸い寄せられた。
薄暗い鍾乳洞の中で、その光はあまりにまばゆかった。鮮烈な赤い光がナーガの白髪を真紅に染め上げ、一帯のいたる場所に濃い影を描き出す。そして感じるのは、確かな拍動。放つ光を波打たせながら、それは規則正しく脈打っていた。
ナーガはその手を、自身の胸へと持っていった。すると、今度は光が見る間にナーガの体に吸い込まれていくようだった。やがてきらめきの残滓さえ消え、鍾乳洞は再び薄闇に包まれた。
エフィミアは夢から覚めた心地で目の前のナーガを見た。彼はゆっくりと自身の胸から手を離したが、そのあとにはただ白いシャツの布地があるだけだった。
「ナーガ、今のは――」
「君にこれを」
エフィミアが疑問を口にしようとするのを遮って、ナーガが両手を差し出した。直前までなにも持っていなかったはずの手の上に、畳まれた衣服が一揃い現れていた。
質素な茶色のスカートに見覚えがあり、エフィミアは目を瞠る。騎竜兵から逃げてナーガに拾われた際に、彼女が着ていたもので間違いない。
驚くエフィミアの手をとって、ナーガは衣服を渡した。
「その格好のままではいさせられない」
あられもなく裂けてはだけた寝衣を差してナーガは言い、エフィミアは受けとった服を胸に抱いて彼の瞳を見上げた。
「……ありがとう」
エフィミアからの感謝に、ナーガは少し困ったように眉尻を垂れてほほ笑んでから背中を向けた。鍾乳洞の出口の方へと歩み去る彼の背を見詰め、エフィミアはつかの間その場に立ち尽くす。
エフィミアはナーガが好き――そのはずだ。彼の傍にいられるだけで嬉しかったし、笑いかけられ、触れられればいつだって胸がときめいた。
つい先ほどの不意の淫行とて内心の嫌悪感はなく、状況が許せばきっと素直に身を委ねていた。
ところが今、エフィミアはナーガにほほ笑みかけられてもなにも感じなかった。いつもならば目が合うだけで早鐘を打っていたろう胸が驚くほど静かだ。自分の中の変化を感じ、両腕で抱えた衣服をきつく握る。
鍾乳洞を出ていくナーガの背が見えなくなると、エフィミアは裂けた寝衣をさっと脱ぎ捨てた。
着慣れた服に身を包むと、エフィミアは急に本来の自分をとり戻した心地がした。短くなってしまった髪は以前のようには編めないけれど、借りものでない服は質素でもよく身に馴染んで、体だけでなく気持ちまで強張りが解けて軽くなったようだった。
靴紐を結び終えると気力がすっかり力をとり戻すのを感じながら、エフィミアはスカートをひるがえして軽快に駆け出した。
薄暗い鍾乳洞を飛び出すと、真昼の明るさに一瞬、目が眩んでエフィミアは足を止めた。眩しさが過ぎれば、先に外へ出ていたナーガの姿が目の前にあった。
まるで白い光の中から急に現れたかのよう思えてエフィミアは軽く目を見開く――けれど、やはり胸の高鳴りは覚えなかった。
目の前のナーガの姿は誰から見ても男性としての魅力にあふれているのに、それ以上のなにかを感じられない。好意の感情はあっても、恋人や想い人に抱くものでなく、気心の知れたごく親しい友や家族といるときと同種のものだ。
エフィミアからの眼差しに含まれる感情の変化にナーガも気づいたようだった。こちらを見詰める翡翠色の瞳が、目蓋を伏せるように細まる。
「その格好が一番エフィらしい」
特別柔らかな声色で言って、ナーガはエフィミアの向かって手を伸ばした。しかしその手は、頬に触れる寸前で動きを止めてしまう。そのまま沈黙したかと思えば、指先をエフィミアの髪に触れたさせただけで彼は手を下ろした。
「君はもう自由だ」
ナーガが囁いて背を向けると、もうその姿は純白の鱗に覆われた美しい竜に変じていた。白竜は首をもたげて、立ち尽くすエフィミアの方を見た。
《乗って。あの騎士と王を止めるんだろう?》
エフィミアは白竜の姿を見詰めていたが、すぐに視線をそらしてうつむいた。体の前で両手を握り合わせて、大きく深呼吸を繰り返す。そしてもう一度顔を持ち上げると、表情を引きしめて力強く頷いた。
「……うん」
エフィミアが背に飛び乗れば、白竜は低くしていた体を起こし大きく翼を広げた。
(アレクス……どうか早まらないで)
もう誰かが傷つくところは見たくはない。エフィミアは強く願った。
慌てて押し返そうとしたエフィミアの腕をナーガは払いのけ、寝衣の襟を力任せに両手で押し広げた。薄い絹地が音をたてて脆く裂ける。
エフィミアの両胸が弾み出るなり、彼は口へのキスをやめて膨らみの頂に齧りついた。
「ナーガっ! やめ……っ」
いきなりの強い刺激にエフィミアは息をのんで喉を反らせた。絹を裂く音はやまず、身悶えする間に寝衣の前が開かれて下肢までさらけ出される。彼を止めようとした手は半端に脱げた寝衣で絡めとられて、地面と背中の間に押さえ込まれた。
「ううっ、んぁっ」
肩が軋む痛みにエフィミアが苦しく声を漏らしてもナーガはまるで気を払わず、一声も発しないまま貪るかのような愛撫をやめようとしない。こんなにも乱暴で性急な彼は初めてで、エフィミアは焦り当惑する。
「あっ、ふあぅっ……ナーガ、それ強……ぃひあぁんっ」
いくら荒々しかろうとも、エフィミアの弱い箇所を知り尽くしているナーガの指と舌は、またたく間に淫らな官能の燻りを熾して脚の間を潤ませた。熱を帯びた体は明確に悦び震え、彼に触れられなかった期間の分を埋めるかのように強烈な快楽がエフィミアの意識を呑み込んでいく。
ナーガの手が濡れそぼつ茂みの上を滑った。エフィミアは懸命に脚を閉じたが、敷物まで湿るほど潤ったぬめりが彼の指を招き入れる。秘唇に潜り込んだ指先が敏感な肉芽を探り当てて、エフィミアの中でわずかに溶け残っていた理性までもがついに形を失っていく。
そのとき、寝衣で絡めとられていた片腕をやっと引き抜くことができた。溶け崩れた理性を必死に掻き集めて、エフィミアは自由になった手を振り上げた。
ぱんっ、と頬を張る音が響き渡った。ナーガの動きがぴたりと静止し、頬の赤くなった顔がエフィミアに向けられる。
呆然としたように瞠られた翡翠色の目を睨み据え、エフィミアは彼に対して初めて拒絶の姿勢を言葉にした。
「だめよ、ナーガ。今は、だめ」
ナーガは瞳に傷ついた色を見せて、突き放すように離れた。エフィミアが体を起こして目をやると、彼はこちらに背を向けて座り込んでいた。身を縮めるように背を丸め、消え入りそうな声で彼は言う。
「……すまない。分かっている。分かって、いるんだ……」
「ナーガ……」
小刻みに震えているナーガの背中をエフィミアは見詰めた。その姿はまるで、怯えてうずくまるちっぽけな少年の背中にも見えた。
羽織り直した寝衣の裂け目を掻き合わせてから、エフィミアはナーガの背中に手を伸ばした。
「ねえ、ナーガ……」
「ローリア城だ」
声をかけようとした途端、遮るようにナーガが言った。彼は振り向くと、戸惑うエフィミアと目を合わせた。一瞬前までの怯えた気配は消え去り、彼はもう、涼しい若者の顔をしていた。
「赤き竜の騎士は、ローリア城にいる」
それがアレクスのことを言っているのだと、エフィミアにはすぐに分かった。
「どうしてアレクスがローリア城にいるの? あなたが彼を連れて逃げてくれたんじゃあなかった?」
ナーガは遠くを見詰めるように目を細めて、静かに答える。
「彼は、けりをつけると言っていた」
「けり?」
「彼は真正面から、主君に反するつもりだ」
ナーガの言葉の意味を理解するのに、それほど時間はかからなかった。
「そんな……!」
エフィミアは愕然と目を見開き、言葉と共に勢いよく立ち上がった。
「そんなことをしたら、二人とも傷つくだけだわ」
ぐっと表情を引きしめ、エフィミアは岩屋から出るために駆け出した。だがすぐに、後ろから抱きすくめる形でナーガに動きを封じられてしまい、エフィミアは鋭く叫んだ。
「放してっ。アレクスを止めなきゃ」
エフィミアはもがいたが、ナーガは決して放そうとはしなかった。抱きすくめる彼の手に胸を押さえられ、エフィミアはハッとしてすぐに押しのけようとした。
「ナーガ、だめだって」
「動かないで」
ナーガの囁きに、エフィミアは迷わず反発した。
「だから、だめだったら。今はそんな場合じゃあなくて」
「だからこそ動かないで。少し変な感じがするかもしれないが、すぐに終わるから。もし、痛かったり苦しかったりするようなら言って」
彼がなんの話をしているのかさっぱり分からなかった。だが艶めいたものよりも警告に近い響きを感じて、エフィミアは一度身動きをやめた。
「なんなの?」
警戒を隠さずエフィミアが問うと、ナーガは長身を屈めて頬に吐息を感じる位置まで顔を寄せてきた。
「わたしと呼吸の速さを合わせて。勝手は知っているはずだ」
エフィミアは戸惑いながら、真横にあるナーガの顔を窺った。彼はエフィミアを安心させようとするように、柔らかくほほ笑んでいた。これまで彼が一番よく見せていた表情だ。
だが、記憶にある彼の笑みとはどこか質が違うようにも思われた。なぜかと問われても困るが、もしかしたら今の彼が浮かべているものが本音を隠す誤魔化しの笑みでないことを感じたからかもしれない。
エフィミアは顔を正面に戻すと、頬に感じるナーガの呼吸に少しずつ自分の呼吸を合わせた――彼との交合でいつもしていたことだ。こうして呼吸を合わせて彼の挿入を受け入れると、少しの痛みもなく心身が安らぎに満たされる。
今のナーガがなにをしようとしているかは分からないまま、エフィミアはじっと彼の呼吸音に耳をすませた。
「そのまま動かずに」
ナーガが囁き、エフィミアの胸の辺りがぼんやりと温かくなってきた。彼の手がある辺りを中心に、じわじわと温度を増している気がする。そして、全身がゆるやかに脈打っているような感じ。
強弱の差はあれどその感覚に覚えがあって、エフィミアはハッとした。その瞬間わずかな痛みと、息が詰まるのを感じた。
「息を乱さないで。心を落ち着けるんだ。体が反発する」
「……うん」
ナーガの言葉に頷き、エフィミアは一度大きく深呼吸して動揺を鎮めようと試みた。耳に直接、心地よいテノールが滑り込んでくる。
「それでいい。わたしに体を預けて」
暗示にかかったように、エフィミアはゆるゆると体の力を抜いた。
「――いくよ」
ふわりと浮かび上がるように、胸に触れていたナーガの手が離れた。その動きに合わせて熱を持ったものが皮膚を通り抜けた感じがした。直後、視界が赤く照らされていた。
「え……?」
驚きに呟いたときには、エフィミアの体は開放されていた。振り返れば、すぐそこにナーガが静かに立っている。彼の手の中にある赤い輝きに、エフィミアの目は吸い寄せられた。
薄暗い鍾乳洞の中で、その光はあまりにまばゆかった。鮮烈な赤い光がナーガの白髪を真紅に染め上げ、一帯のいたる場所に濃い影を描き出す。そして感じるのは、確かな拍動。放つ光を波打たせながら、それは規則正しく脈打っていた。
ナーガはその手を、自身の胸へと持っていった。すると、今度は光が見る間にナーガの体に吸い込まれていくようだった。やがてきらめきの残滓さえ消え、鍾乳洞は再び薄闇に包まれた。
エフィミアは夢から覚めた心地で目の前のナーガを見た。彼はゆっくりと自身の胸から手を離したが、そのあとにはただ白いシャツの布地があるだけだった。
「ナーガ、今のは――」
「君にこれを」
エフィミアが疑問を口にしようとするのを遮って、ナーガが両手を差し出した。直前までなにも持っていなかったはずの手の上に、畳まれた衣服が一揃い現れていた。
質素な茶色のスカートに見覚えがあり、エフィミアは目を瞠る。騎竜兵から逃げてナーガに拾われた際に、彼女が着ていたもので間違いない。
驚くエフィミアの手をとって、ナーガは衣服を渡した。
「その格好のままではいさせられない」
あられもなく裂けてはだけた寝衣を差してナーガは言い、エフィミアは受けとった服を胸に抱いて彼の瞳を見上げた。
「……ありがとう」
エフィミアからの感謝に、ナーガは少し困ったように眉尻を垂れてほほ笑んでから背中を向けた。鍾乳洞の出口の方へと歩み去る彼の背を見詰め、エフィミアはつかの間その場に立ち尽くす。
エフィミアはナーガが好き――そのはずだ。彼の傍にいられるだけで嬉しかったし、笑いかけられ、触れられればいつだって胸がときめいた。
つい先ほどの不意の淫行とて内心の嫌悪感はなく、状況が許せばきっと素直に身を委ねていた。
ところが今、エフィミアはナーガにほほ笑みかけられてもなにも感じなかった。いつもならば目が合うだけで早鐘を打っていたろう胸が驚くほど静かだ。自分の中の変化を感じ、両腕で抱えた衣服をきつく握る。
鍾乳洞を出ていくナーガの背が見えなくなると、エフィミアは裂けた寝衣をさっと脱ぎ捨てた。
着慣れた服に身を包むと、エフィミアは急に本来の自分をとり戻した心地がした。短くなってしまった髪は以前のようには編めないけれど、借りものでない服は質素でもよく身に馴染んで、体だけでなく気持ちまで強張りが解けて軽くなったようだった。
靴紐を結び終えると気力がすっかり力をとり戻すのを感じながら、エフィミアはスカートをひるがえして軽快に駆け出した。
薄暗い鍾乳洞を飛び出すと、真昼の明るさに一瞬、目が眩んでエフィミアは足を止めた。眩しさが過ぎれば、先に外へ出ていたナーガの姿が目の前にあった。
まるで白い光の中から急に現れたかのよう思えてエフィミアは軽く目を見開く――けれど、やはり胸の高鳴りは覚えなかった。
目の前のナーガの姿は誰から見ても男性としての魅力にあふれているのに、それ以上のなにかを感じられない。好意の感情はあっても、恋人や想い人に抱くものでなく、気心の知れたごく親しい友や家族といるときと同種のものだ。
エフィミアからの眼差しに含まれる感情の変化にナーガも気づいたようだった。こちらを見詰める翡翠色の瞳が、目蓋を伏せるように細まる。
「その格好が一番エフィらしい」
特別柔らかな声色で言って、ナーガはエフィミアの向かって手を伸ばした。しかしその手は、頬に触れる寸前で動きを止めてしまう。そのまま沈黙したかと思えば、指先をエフィミアの髪に触れたさせただけで彼は手を下ろした。
「君はもう自由だ」
ナーガが囁いて背を向けると、もうその姿は純白の鱗に覆われた美しい竜に変じていた。白竜は首をもたげて、立ち尽くすエフィミアの方を見た。
《乗って。あの騎士と王を止めるんだろう?》
エフィミアは白竜の姿を見詰めていたが、すぐに視線をそらしてうつむいた。体の前で両手を握り合わせて、大きく深呼吸を繰り返す。そしてもう一度顔を持ち上げると、表情を引きしめて力強く頷いた。
「……うん」
エフィミアが背に飛び乗れば、白竜は低くしていた体を起こし大きく翼を広げた。
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