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第17話
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街への帰り道は、行きよりも少しだけ短く感じた。
同じ道を歩いているはずなのに、足取りが軽いせいか、空の色まで明るく見える。
(あの灰色の狼……強かったな)
廃小屋の屋根から飛びかかってきた魔獣の姿が、まだ脳裏に焼きついている。
ほんの少しでも判断が遅れていたら、牙が喉に食い込んでいたかもしれない。
(でも……今度は、ちゃんと見えてた)
初めて森で狼型の魔獣に襲われたときは、ただがむしゃらに剣を振るうことしかできなかった。
だが今回は違う。
《超記録》が攻撃を記録し、その動きが頭の中で形になっていた。
(何度も狙いを変えてくる癖。踏み込みの深さ。跳びかかる瞬間の足の向き……)
記録したパターンを意識したことで、相手の次の動きが読めた。
それはただの偶然ではない。
少しずつ、自分が進んでいると実感できる変化だった。
門が見えてきたとき、門番と目が合った。
昨日と同じ人だ。
ライトの姿を認めると、彼は口元をほころばせ、ひょいと片手を上げた。
「おう、新人。今日も無事にご帰還だな」
「はい。依頼、終わりました」
「顔つきが変わってきたぞ。いい感じだ」
軽口まじりの言葉なのに、胸の奥が温かくなる。
「ありがとうございます」
短く答えて街へ入ると、昼下がりの喧騒が一気に押し寄せてきた。
パン屋の香ばしい匂い、露店の呼び声、子どもの笑い声。
全部がどこか心地よくて、ライトの口元が自然と緩む。
(依頼を終えて帰ってくる時の街って……こんなに明るく見えるんだな)
それは、つい少し前まで知らなかった景色だった。
ギルドの扉を押し開けると、いつものように中は賑わっていた。
酒場スペースで笑い声が上がり、依頼板の前には数人の冒険者が集まっている。
「ライトさん!」
受付のカウンターから、明るい声が飛んできた。
ミィナが身を乗り出すようにして手を振っている。
「おかえりなさい!」
「ただいま戻りました。報告を……」
「はいっ、どうぞ!」
ミィナの前に立ち、依頼書と簡単なメモを差し出す。
廃小屋の場所、周辺の様子、獣の痕跡、そして灰色の魔獣を討伐したこと。
頭の中で整理した内容を一つずつ伝えていく。
「廃小屋の中には……古い道具と木片だけでした。でも、黒い毛が落ちていました。たぶん魔獣かと」
「黒い毛……」
ミィナが真剣な表情でメモに目を通す。
ライトは続けた。
「それから、小屋の屋根から灰色の狼のような魔獣が飛びかかってきました。普通の狼より筋肉が発達していて、牙も長かったです。攻撃を受けて、動きだけ記録して……なんとか倒しました」
「ひとりで、ですか?」
「はい」
ミィナの目が大きく見開かれた。
「ちょっとお待ちください!」
彼女は奥へ小走りに消え、しばらくしてからひとりの男性を連れて戻ってきた。
四十代ほどだろうか。
がっしりとした体格に、深い色のマント。
鋭い眼差しの奥に、どこか落ち着いた温かさを宿した男だった。
「ライト、だったな?」
落ち着いた低い声。
ライトは背筋を伸ばす。
「はい。ライトです」
「俺はこの街のギルドマスター、グランだ。話は聞いた。廃小屋の調査依頼を受けていたのはお前だな?」
「はい。灰色の魔獣も、僕が……」
「ふむ」
グランはライトの全身を一度、静かに眺めた。
じろじろ見るというより、怪我の有無や疲労を確かめているような視線だった。
「目が死んでないな」
「え?」
「恐怖で固まってる目じゃないってことだ。ちゃんと危険を見て、考えて、ここまで帰ってきた目だ」
突然の言葉に、ライトは思わず瞬きをした。
どう返せばいいのか分からず視線を落とすと、グランは少しだけ笑ったようだった。
「ミィナ、報告書と照らし合わせろ。廃小屋周辺の魔獣情報も確認だ」
「はい!」
ミィナが慌ててメモを揃え、他の紙と照らし合わせていく。
「灰色の狼の魔獣って……もしかして、前に別の冒険者さんが手こずってたやつじゃ……」
「可能性は高いな」
グランは腕を組み、短くうなずいた。
「ここ最近、廃小屋周辺で家畜が襲われたって話がいくつか上がっていた。犯人はそいつだろう」
「じゃあ、ライトさんが……?」
「そうだな。街の外の小さな厄介者をひとつ片付けてくれたわけだ」
グランは改めてライトを見る。
「お前、ランクは?」
「まだ一番下の見習いです」
「スキルは《記録》だったな?」
「はい。でも、最深部で死にかけた時に《超記録》に変わって……敵の攻撃とか、魔法を受けると記録できるようになりました」
グランの目がわずかに細くなった。
「それでこの結果か。面白いな」
その一言に、ライトの心臓がどきりと鳴る。
“面白い”という言葉は、これまでは自分には向けられないものだと思っていた。
お荷物で、足手まといで、役に立たない存在。
それが自分だと、勝手に決めつけていた。
「勘違いするなよ」
グランの声が、ライトの思考を引き戻す。
「お前のスキルが立派だと言っているわけじゃない。スキルなんてのは、生まれた時点で配られた札みたいなもんだ。良くも悪くも、どうしようもない」
「……はい」
「だが、その札をどう使うかは自分で決められる。お前は少なくとも、雑に投げ捨てたりせず、しっかり握って工夫してる」
グランは穏やかに笑った。
「そういう奴は、ギルドとして大事にしたい」
ライトの胸が、きゅっと締め付けられた。
今まで聞いたことのない種類の言葉だった。
(大事に……したい?)
自分が、そんなふうに言われる日が来るとは思っていなかった。
「勘違いするなって言ったそばからなんだがな」
グランは肩を竦めた。
「お前が今後どうなるかはお前次第だ。だが少なくとも、今日の働きは十分評価に値する。胸を張れ」
「……ありがとうございます」
絞り出した声は少し震えていた。
グランはうなずき、ミィナに視線を向ける。
「ミィナ、ライトの報告書はしっかり保管しておけ。今後の調査にも役立つ」
「はい!」
「それから、今後この廃小屋周辺の依頼が出る時は、必ずこいつの報告を参考にしろ」
「分かりました!」
横でやり取りを聞いていた数人の冒険者たちが、ひそひそと声をあげた。
「今の新人がやったのか?」
「あの灰色の狼、前にうちのパーティ追い返されたぞ……」
「記録スキルって聞いてたけど、そんなにやれるもんなのか」
視線を感じて、ライトの頬が少しだけ熱くなる。
居心地が悪いわけではない。
むしろ、自分の存在が誰かの話題になっていることが不思議だった。
(俺の名前が……ここに残るんだ)
それは、心のどこかでずっと欲しかったものだったのかもしれない。
「ライトさん、報酬の準備ができました!」
ミィナが袋を差し出す。
いつもより少し重い。
「魔獣討伐の分と、周辺被害の原因特定の加算が含まれています。それから……」
「それから?」
「ギルドマスターからの、個人的な上乗せだそうです。『よくやった。飯でも多めに食え』って」
ライトは思わず袋を見下ろした。
「こんなに……?」
「ライトさんの働きが、それだけ大きかったってことですよ」
ミィナの笑顔は、ただ事務的に仕事をこなしている人のそれではなかった。
心から嬉しそうに見える。
「これからも……無理はしてほしくないですけど、ライトさんが頑張る姿、応援させてくださいね」
「……はい。ありがとうございます」
自然と頭が下がった。
ギルドを出るころには、太陽は少し傾き始めていた。
街を歩きながら、ライトは報酬袋の重みを確かめる。
(俺が、やったから……もらえた重さなんだ)
誰かについていくだけではなく、自分で選んで、自分で戦って、自分で勝ち取った対価。
その事実が、胸の奥に静かに染み込んでいく。
通りの片隅では、昨日の少年が木の枝を振り回しながら遊んでいた。
ライトに気づき、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん! 今日も帰ってきた!」
「ただいま」
「また剣、見せて!」
「……今度、時間があるときにな」
「約束だよ!」
少年がそう言って笑う。
誰かに期待されるという感覚は、まだくすぐったい。
けれど嫌ではなく、むしろ心地よいざわめきだった。
(俺のことを……見てくれてる人がいる)
そう思うと、不思議と背筋が伸びる。
宿に戻って部屋に入り、扉を閉めると、ようやく静かな空気が胸の奥まで届いた。
ベッドに腰を下ろし、ゆっくりと深呼吸をする。
「……疲れたな」
けれど、それは悪い疲れではなかった。
全力で動き切ったあとの、心地よい余韻だ。
荷物から例の指南書を取り出す。
数日前に買ったまま、まだほとんど読み込めていない。
(今までは、読む時間が惜しいって思ってたけど……)
今のライトには、この薄い本がとても頼もしい味方に見えた。
基礎体力の鍛え方、剣のフォーム、敵の観察のコツ。
ページをめくるたびに、自分のやってきたことと繋がっていく感覚がある。
(……ちゃんと、積み重ねていける)
そう確信できた。
窓の外では、夕焼けがゆっくりと夜へと変わりつつある。
空が暗くなるほど、部屋の中の灯りがやさしく輝き始めた。
(いつか……あいつらと再会することになるのかな)
勇者パーティの顔が、ふと頭に浮かぶ。
最深部の冷たい視線。
置き去りにされた瞬間の、足音の遠ざかる音。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
(あの時の俺は……何もできなかった)
だが、今は違う。
《超記録》を手に入れ、自分の足で依頼をこなし、ギルドマスターから名前を呼ばれた。
(いつかきっと、堂々と前に立てるようになりたい)
心のどこかで、見返したいという想いは確かに燃えている。
その火を、決して消さないように。
焦がしすぎないように、胸の奥で静かに守る。
「明日も……頑張ろう」
小さな声でそう呟き、ライトは本を閉じた。
今日積み上げたものが、必ず明日の自分を助けてくれる。
そう信じながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
新しい一日が、また静かに近づいてきていた。
同じ道を歩いているはずなのに、足取りが軽いせいか、空の色まで明るく見える。
(あの灰色の狼……強かったな)
廃小屋の屋根から飛びかかってきた魔獣の姿が、まだ脳裏に焼きついている。
ほんの少しでも判断が遅れていたら、牙が喉に食い込んでいたかもしれない。
(でも……今度は、ちゃんと見えてた)
初めて森で狼型の魔獣に襲われたときは、ただがむしゃらに剣を振るうことしかできなかった。
だが今回は違う。
《超記録》が攻撃を記録し、その動きが頭の中で形になっていた。
(何度も狙いを変えてくる癖。踏み込みの深さ。跳びかかる瞬間の足の向き……)
記録したパターンを意識したことで、相手の次の動きが読めた。
それはただの偶然ではない。
少しずつ、自分が進んでいると実感できる変化だった。
門が見えてきたとき、門番と目が合った。
昨日と同じ人だ。
ライトの姿を認めると、彼は口元をほころばせ、ひょいと片手を上げた。
「おう、新人。今日も無事にご帰還だな」
「はい。依頼、終わりました」
「顔つきが変わってきたぞ。いい感じだ」
軽口まじりの言葉なのに、胸の奥が温かくなる。
「ありがとうございます」
短く答えて街へ入ると、昼下がりの喧騒が一気に押し寄せてきた。
パン屋の香ばしい匂い、露店の呼び声、子どもの笑い声。
全部がどこか心地よくて、ライトの口元が自然と緩む。
(依頼を終えて帰ってくる時の街って……こんなに明るく見えるんだな)
それは、つい少し前まで知らなかった景色だった。
ギルドの扉を押し開けると、いつものように中は賑わっていた。
酒場スペースで笑い声が上がり、依頼板の前には数人の冒険者が集まっている。
「ライトさん!」
受付のカウンターから、明るい声が飛んできた。
ミィナが身を乗り出すようにして手を振っている。
「おかえりなさい!」
「ただいま戻りました。報告を……」
「はいっ、どうぞ!」
ミィナの前に立ち、依頼書と簡単なメモを差し出す。
廃小屋の場所、周辺の様子、獣の痕跡、そして灰色の魔獣を討伐したこと。
頭の中で整理した内容を一つずつ伝えていく。
「廃小屋の中には……古い道具と木片だけでした。でも、黒い毛が落ちていました。たぶん魔獣かと」
「黒い毛……」
ミィナが真剣な表情でメモに目を通す。
ライトは続けた。
「それから、小屋の屋根から灰色の狼のような魔獣が飛びかかってきました。普通の狼より筋肉が発達していて、牙も長かったです。攻撃を受けて、動きだけ記録して……なんとか倒しました」
「ひとりで、ですか?」
「はい」
ミィナの目が大きく見開かれた。
「ちょっとお待ちください!」
彼女は奥へ小走りに消え、しばらくしてからひとりの男性を連れて戻ってきた。
四十代ほどだろうか。
がっしりとした体格に、深い色のマント。
鋭い眼差しの奥に、どこか落ち着いた温かさを宿した男だった。
「ライト、だったな?」
落ち着いた低い声。
ライトは背筋を伸ばす。
「はい。ライトです」
「俺はこの街のギルドマスター、グランだ。話は聞いた。廃小屋の調査依頼を受けていたのはお前だな?」
「はい。灰色の魔獣も、僕が……」
「ふむ」
グランはライトの全身を一度、静かに眺めた。
じろじろ見るというより、怪我の有無や疲労を確かめているような視線だった。
「目が死んでないな」
「え?」
「恐怖で固まってる目じゃないってことだ。ちゃんと危険を見て、考えて、ここまで帰ってきた目だ」
突然の言葉に、ライトは思わず瞬きをした。
どう返せばいいのか分からず視線を落とすと、グランは少しだけ笑ったようだった。
「ミィナ、報告書と照らし合わせろ。廃小屋周辺の魔獣情報も確認だ」
「はい!」
ミィナが慌ててメモを揃え、他の紙と照らし合わせていく。
「灰色の狼の魔獣って……もしかして、前に別の冒険者さんが手こずってたやつじゃ……」
「可能性は高いな」
グランは腕を組み、短くうなずいた。
「ここ最近、廃小屋周辺で家畜が襲われたって話がいくつか上がっていた。犯人はそいつだろう」
「じゃあ、ライトさんが……?」
「そうだな。街の外の小さな厄介者をひとつ片付けてくれたわけだ」
グランは改めてライトを見る。
「お前、ランクは?」
「まだ一番下の見習いです」
「スキルは《記録》だったな?」
「はい。でも、最深部で死にかけた時に《超記録》に変わって……敵の攻撃とか、魔法を受けると記録できるようになりました」
グランの目がわずかに細くなった。
「それでこの結果か。面白いな」
その一言に、ライトの心臓がどきりと鳴る。
“面白い”という言葉は、これまでは自分には向けられないものだと思っていた。
お荷物で、足手まといで、役に立たない存在。
それが自分だと、勝手に決めつけていた。
「勘違いするなよ」
グランの声が、ライトの思考を引き戻す。
「お前のスキルが立派だと言っているわけじゃない。スキルなんてのは、生まれた時点で配られた札みたいなもんだ。良くも悪くも、どうしようもない」
「……はい」
「だが、その札をどう使うかは自分で決められる。お前は少なくとも、雑に投げ捨てたりせず、しっかり握って工夫してる」
グランは穏やかに笑った。
「そういう奴は、ギルドとして大事にしたい」
ライトの胸が、きゅっと締め付けられた。
今まで聞いたことのない種類の言葉だった。
(大事に……したい?)
自分が、そんなふうに言われる日が来るとは思っていなかった。
「勘違いするなって言ったそばからなんだがな」
グランは肩を竦めた。
「お前が今後どうなるかはお前次第だ。だが少なくとも、今日の働きは十分評価に値する。胸を張れ」
「……ありがとうございます」
絞り出した声は少し震えていた。
グランはうなずき、ミィナに視線を向ける。
「ミィナ、ライトの報告書はしっかり保管しておけ。今後の調査にも役立つ」
「はい!」
「それから、今後この廃小屋周辺の依頼が出る時は、必ずこいつの報告を参考にしろ」
「分かりました!」
横でやり取りを聞いていた数人の冒険者たちが、ひそひそと声をあげた。
「今の新人がやったのか?」
「あの灰色の狼、前にうちのパーティ追い返されたぞ……」
「記録スキルって聞いてたけど、そんなにやれるもんなのか」
視線を感じて、ライトの頬が少しだけ熱くなる。
居心地が悪いわけではない。
むしろ、自分の存在が誰かの話題になっていることが不思議だった。
(俺の名前が……ここに残るんだ)
それは、心のどこかでずっと欲しかったものだったのかもしれない。
「ライトさん、報酬の準備ができました!」
ミィナが袋を差し出す。
いつもより少し重い。
「魔獣討伐の分と、周辺被害の原因特定の加算が含まれています。それから……」
「それから?」
「ギルドマスターからの、個人的な上乗せだそうです。『よくやった。飯でも多めに食え』って」
ライトは思わず袋を見下ろした。
「こんなに……?」
「ライトさんの働きが、それだけ大きかったってことですよ」
ミィナの笑顔は、ただ事務的に仕事をこなしている人のそれではなかった。
心から嬉しそうに見える。
「これからも……無理はしてほしくないですけど、ライトさんが頑張る姿、応援させてくださいね」
「……はい。ありがとうございます」
自然と頭が下がった。
ギルドを出るころには、太陽は少し傾き始めていた。
街を歩きながら、ライトは報酬袋の重みを確かめる。
(俺が、やったから……もらえた重さなんだ)
誰かについていくだけではなく、自分で選んで、自分で戦って、自分で勝ち取った対価。
その事実が、胸の奥に静かに染み込んでいく。
通りの片隅では、昨日の少年が木の枝を振り回しながら遊んでいた。
ライトに気づき、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん! 今日も帰ってきた!」
「ただいま」
「また剣、見せて!」
「……今度、時間があるときにな」
「約束だよ!」
少年がそう言って笑う。
誰かに期待されるという感覚は、まだくすぐったい。
けれど嫌ではなく、むしろ心地よいざわめきだった。
(俺のことを……見てくれてる人がいる)
そう思うと、不思議と背筋が伸びる。
宿に戻って部屋に入り、扉を閉めると、ようやく静かな空気が胸の奥まで届いた。
ベッドに腰を下ろし、ゆっくりと深呼吸をする。
「……疲れたな」
けれど、それは悪い疲れではなかった。
全力で動き切ったあとの、心地よい余韻だ。
荷物から例の指南書を取り出す。
数日前に買ったまま、まだほとんど読み込めていない。
(今までは、読む時間が惜しいって思ってたけど……)
今のライトには、この薄い本がとても頼もしい味方に見えた。
基礎体力の鍛え方、剣のフォーム、敵の観察のコツ。
ページをめくるたびに、自分のやってきたことと繋がっていく感覚がある。
(……ちゃんと、積み重ねていける)
そう確信できた。
窓の外では、夕焼けがゆっくりと夜へと変わりつつある。
空が暗くなるほど、部屋の中の灯りがやさしく輝き始めた。
(いつか……あいつらと再会することになるのかな)
勇者パーティの顔が、ふと頭に浮かぶ。
最深部の冷たい視線。
置き去りにされた瞬間の、足音の遠ざかる音。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
(あの時の俺は……何もできなかった)
だが、今は違う。
《超記録》を手に入れ、自分の足で依頼をこなし、ギルドマスターから名前を呼ばれた。
(いつかきっと、堂々と前に立てるようになりたい)
心のどこかで、見返したいという想いは確かに燃えている。
その火を、決して消さないように。
焦がしすぎないように、胸の奥で静かに守る。
「明日も……頑張ろう」
小さな声でそう呟き、ライトは本を閉じた。
今日積み上げたものが、必ず明日の自分を助けてくれる。
そう信じながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
新しい一日が、また静かに近づいてきていた。
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