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別荘の日々 XⅥ
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「お前たちの、食に対する情熱にちょっと感動してな。思い出したんだ」
「俺は栗が大好きなんだよ」
「そうなんですか」
「特に栗ご飯がな。去年はお前たちの肉バカに付き合ってたから、外でしか食えなかったけどな」
みんなが笑う。
「俺は一歳から、横浜の市営住宅に住んでいたんだ。一つの棟を割って、二つの家族が住んでいる、というな。まあ、金が無い人間が住んでいたんだよ」
横浜市緑区。
その山の上に市営住宅があった。
俺は一歳で言葉を話し、歩けるようになっていた。
近所の同い年の子の家に遊びに行っていた。
そいつはまだ話せなかった。
三歳になると、近所の家に突入していく。
よく行ったのは、俺にお菓子をくれる家。
年寄りの家が多かった。
俺は戦争の話が好きで、よくせがんだ。
特に日露戦争の旅順攻略に従軍したという、桂木さんというお年寄りの家。
そこで乃木将軍の話を聞くのが大好きだった。
桂木さんは、両足が無かった。
旅順でロシア兵の機関銃に撃たれて失ったらしい。
それを自慢にされていた。
息子さんがいて、その人も俺を可愛がり、よくバイクの陸王に乗せてくれた。
五歳になると、俺に陸王の運転を教えてくれた。
まあ、当時は子どもが車を運転するのも珍しくはなかった。
もちろん近所の中だけであったが。
俺はお袋が作ってくれる栗ご飯が大好きだった。
住宅街を抜けるとすぐに山であり、栗の木は幾つもあったが、山栗は大して美味くねぇ。
今思えば農家が世話していたのだろう栗の林があり、そこの栗は大粒で美味かった。
俺は五キロ圏内で、どこの栗が美味いのか不味いのか、すべて把握していた。
一番美味い栗は、幼稚園の中にあった。
六歳で初めて幼稚園に通うようになり、落ちていた栗を持ち帰り、俺は「栗ソムリエ」として、その栗の素晴らしさに打たれた。
その幼稚園では、園児に自由な行動を勧めていた。
多くの時間が、園児の好き勝手に任せている。
絵を描く奴、粘土を捏ねる奴、泥団子をひたすら作る奴もいた。
俺はタイヤを門の近くに積み上げることをやっていく。
三段まではなんとかなった。
しかし1メートルにもならない。
俺は30センチほどの板を渡し、その上を転がす方法を編み出した。
先生が大層褒めてくれた。
五段も積むと、ようやく園を囲む塀の上に昇れるほどになった。
俺はその隣に三段を積む。
準備ができた。
「明日もやるから、壊さないでね」
俺は先生たちに頼んだ。
早朝。
俺は桂木さんの家に忍び込む。
陸王のキーの場所は分かっていた。
エンジンを掛け、スタンドを外し、俺は疾走した。
幼稚園の塀に陸王をたてかけ、塀をよじ登る。
犬の吼え声がした。
敷地内に住む、園長の飼っているセントバーナードの「ゴン」だ。
巨大な犬だった。
太い鎖に繋がれているので、園児たちは近づかなければ大丈夫だった。
俺は急いで栗の木に登り、熟した栗を袋に詰め込む。
30個もの栗の実を手に入れ、俺はタイヤへと走った。
ゴンの吼え声に起きてきた園長が出てきた。
もの凄い勢いで鎖を引っ張っていたのを見て、首が締まるのを恐れたのだろう。
鎖を外して手に持って宥めようとしている。
当然のように、ゴンが走り出し、鎖は園長の手から抜けた。
俺が三段のタイヤに昇った時、ゴンがすぐ後ろに迫った。
飛び掛るゴンを避け、ゴンは五段のタイヤに突っ込む。
タイヤが崩れる。
俺は転がろうとするタイヤに咄嗟に飛び乗り、そのクッションで塀に飛びつく。
間一髪だった。
塀から飛び降り、俺は陸王で逃げ去った。
ゴンの吼え声と、俺の名前を叫ぶ園長の声が聞こえた。
「すごいですねぇ、相変わらず」
亜紀ちゃんがため息をもらす。
「タカトラは、悪いことをさせたら世界一よね」
響子が酷いことを言う。
六花は勝手に冷蔵庫から持ち出したハイネケンを飲み、どこからかピーナッツまで用意していた。
美味そうに飲み、幸せそうな顔をしていた。
「それで、栗はどうなったんですか?」
皇紀が続きを聞きたがった。
「ああ、それな。犯人が俺だということは、もうバレバレなんだよ。でもな、当時は電話がねぇ」
「エッ?」
「まだ、電話を引いている家は、ほとんどなかったんだ」
「そうなんですかぁ!」
「俺の隣の家にはあったけどな。住宅街でも、半分も引いてなかったと思うぞ」
響子が意味が分からない、と俺を見ている。
「だからな、その日は腹が痛いと言って、幼稚園を休んだ。それで朝と昼を我慢して、夕方に栗ご飯が食べたいとお袋に言ったんだよ」
「ワルですねぇ!」
「お袋は心配していたけど、やっと食べたいと言ったから、喜んで栗ご飯を作ってくれた」
「ああ、電話がないから、犯行がバレてないと」
「そういうことだな。俺は腹いっぱいに最高に美味い栗ご飯を食べ、翌日に一切がバレて盛大に叱られた、ということだな」
「「「「「「……」」」」」」
「あ、なんだよお前ら! なんで黙ってんだ!」
「だってタカさん。昨日までのお話と、あまりに次元が違いすぎて」
亜紀ちゃんが残念そうな顔で言う。
「きょうこ、ガッカリ」
「エェッー!」
双子が「ワル過ぎよね」「ひくわー」とか言い合っている。
「ええ、君たちには三日間肉を出しません!」
「「「「ギャー!」」」」
「タカさん、良いお話ありがとうございました!」
「とても勉強になりました!」
「タカさん、ダイスキ!」
「タカさん、ハーは泣いてます!」
こいつらぁ。
その翌年に園長先生は亡くなり、園は閉鎖された。
建物が壊され、更地になった場所に行くと、栗の木は切り倒されて無くなっていた。
あのゴンはどうなったのだろうか。
あの日の栗ご飯以上のものを、それ以降も食べていない。
「俺は栗が大好きなんだよ」
「そうなんですか」
「特に栗ご飯がな。去年はお前たちの肉バカに付き合ってたから、外でしか食えなかったけどな」
みんなが笑う。
「俺は一歳から、横浜の市営住宅に住んでいたんだ。一つの棟を割って、二つの家族が住んでいる、というな。まあ、金が無い人間が住んでいたんだよ」
横浜市緑区。
その山の上に市営住宅があった。
俺は一歳で言葉を話し、歩けるようになっていた。
近所の同い年の子の家に遊びに行っていた。
そいつはまだ話せなかった。
三歳になると、近所の家に突入していく。
よく行ったのは、俺にお菓子をくれる家。
年寄りの家が多かった。
俺は戦争の話が好きで、よくせがんだ。
特に日露戦争の旅順攻略に従軍したという、桂木さんというお年寄りの家。
そこで乃木将軍の話を聞くのが大好きだった。
桂木さんは、両足が無かった。
旅順でロシア兵の機関銃に撃たれて失ったらしい。
それを自慢にされていた。
息子さんがいて、その人も俺を可愛がり、よくバイクの陸王に乗せてくれた。
五歳になると、俺に陸王の運転を教えてくれた。
まあ、当時は子どもが車を運転するのも珍しくはなかった。
もちろん近所の中だけであったが。
俺はお袋が作ってくれる栗ご飯が大好きだった。
住宅街を抜けるとすぐに山であり、栗の木は幾つもあったが、山栗は大して美味くねぇ。
今思えば農家が世話していたのだろう栗の林があり、そこの栗は大粒で美味かった。
俺は五キロ圏内で、どこの栗が美味いのか不味いのか、すべて把握していた。
一番美味い栗は、幼稚園の中にあった。
六歳で初めて幼稚園に通うようになり、落ちていた栗を持ち帰り、俺は「栗ソムリエ」として、その栗の素晴らしさに打たれた。
その幼稚園では、園児に自由な行動を勧めていた。
多くの時間が、園児の好き勝手に任せている。
絵を描く奴、粘土を捏ねる奴、泥団子をひたすら作る奴もいた。
俺はタイヤを門の近くに積み上げることをやっていく。
三段まではなんとかなった。
しかし1メートルにもならない。
俺は30センチほどの板を渡し、その上を転がす方法を編み出した。
先生が大層褒めてくれた。
五段も積むと、ようやく園を囲む塀の上に昇れるほどになった。
俺はその隣に三段を積む。
準備ができた。
「明日もやるから、壊さないでね」
俺は先生たちに頼んだ。
早朝。
俺は桂木さんの家に忍び込む。
陸王のキーの場所は分かっていた。
エンジンを掛け、スタンドを外し、俺は疾走した。
幼稚園の塀に陸王をたてかけ、塀をよじ登る。
犬の吼え声がした。
敷地内に住む、園長の飼っているセントバーナードの「ゴン」だ。
巨大な犬だった。
太い鎖に繋がれているので、園児たちは近づかなければ大丈夫だった。
俺は急いで栗の木に登り、熟した栗を袋に詰め込む。
30個もの栗の実を手に入れ、俺はタイヤへと走った。
ゴンの吼え声に起きてきた園長が出てきた。
もの凄い勢いで鎖を引っ張っていたのを見て、首が締まるのを恐れたのだろう。
鎖を外して手に持って宥めようとしている。
当然のように、ゴンが走り出し、鎖は園長の手から抜けた。
俺が三段のタイヤに昇った時、ゴンがすぐ後ろに迫った。
飛び掛るゴンを避け、ゴンは五段のタイヤに突っ込む。
タイヤが崩れる。
俺は転がろうとするタイヤに咄嗟に飛び乗り、そのクッションで塀に飛びつく。
間一髪だった。
塀から飛び降り、俺は陸王で逃げ去った。
ゴンの吼え声と、俺の名前を叫ぶ園長の声が聞こえた。
「すごいですねぇ、相変わらず」
亜紀ちゃんがため息をもらす。
「タカトラは、悪いことをさせたら世界一よね」
響子が酷いことを言う。
六花は勝手に冷蔵庫から持ち出したハイネケンを飲み、どこからかピーナッツまで用意していた。
美味そうに飲み、幸せそうな顔をしていた。
「それで、栗はどうなったんですか?」
皇紀が続きを聞きたがった。
「ああ、それな。犯人が俺だということは、もうバレバレなんだよ。でもな、当時は電話がねぇ」
「エッ?」
「まだ、電話を引いている家は、ほとんどなかったんだ」
「そうなんですかぁ!」
「俺の隣の家にはあったけどな。住宅街でも、半分も引いてなかったと思うぞ」
響子が意味が分からない、と俺を見ている。
「だからな、その日は腹が痛いと言って、幼稚園を休んだ。それで朝と昼を我慢して、夕方に栗ご飯が食べたいとお袋に言ったんだよ」
「ワルですねぇ!」
「お袋は心配していたけど、やっと食べたいと言ったから、喜んで栗ご飯を作ってくれた」
「ああ、電話がないから、犯行がバレてないと」
「そういうことだな。俺は腹いっぱいに最高に美味い栗ご飯を食べ、翌日に一切がバレて盛大に叱られた、ということだな」
「「「「「「……」」」」」」
「あ、なんだよお前ら! なんで黙ってんだ!」
「だってタカさん。昨日までのお話と、あまりに次元が違いすぎて」
亜紀ちゃんが残念そうな顔で言う。
「きょうこ、ガッカリ」
「エェッー!」
双子が「ワル過ぎよね」「ひくわー」とか言い合っている。
「ええ、君たちには三日間肉を出しません!」
「「「「ギャー!」」」」
「タカさん、良いお話ありがとうございました!」
「とても勉強になりました!」
「タカさん、ダイスキ!」
「タカさん、ハーは泣いてます!」
こいつらぁ。
その翌年に園長先生は亡くなり、園は閉鎖された。
建物が壊され、更地になった場所に行くと、栗の木は切り倒されて無くなっていた。
あのゴンはどうなったのだろうか。
あの日の栗ご飯以上のものを、それ以降も食べていない。
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