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三章 忌み地と名も無き神

1 愛しさと頭痛

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大神殿地下牢獄。
その中でも最奥に位置する大牢獄は、白い静寂に包まれている。
牢獄のイメージと言えば、薄暗くてジメジメした、ネズミが徘徊する不潔な印象を思い浮かべるが、ここはそんなイメージとは対極にある。

穢れを許さぬ白銀の空間。
廊下を踏み鳴らす足音さえ、その真白さに吸い込まれていくようだった。

ようやく辿り着いた場所で、重厚過ぎる扉が開かれる。
扉に淡く光る魔法陣は、ザッと見ただけでもうんざりする程細かく、中に入る者を閉じ込める絶対の意思を感じた。

この魔法陣を書ききる膨大な魔力、細部に渡って少しの歪みも躊躇いすら無く、その胆力と集中力は、魔力の途切れ目を見当たらせない。
全てを一度で描いている。

ーーーー狂気の沙汰だな。

室の中に一歩足を踏み入れたサジルは、狂気と称した境界線をゆっくりと越えた。




室内は中央にベッドがあるだけで、他には何も無い。
四角く切り取られた石室の様だったが、ここの空間ごと時間の流れを変えているのだろう。
廃人になっては取り調べに差し障ると、魔力回路は切られず、手枷による封じ込めのみだ。お陰で、ベッドに腰を掛ければ、緩やかに吸い取られる魔力の流れを感じる事が出来た。

時の流れが酷く曖昧な空間で、ゆるりと魔力を奪われていく感覚を、終わりの知れぬ時間の中で味わうは、なる程、恐怖を呼ぶだろう。

サジルの背中につと、冷たい汗が流れた。


以前の自分なら、この状況をどう思っただろう。愉快と笑ったかも知れないし、退屈しのぎと、あがらう事もーーーー多分する。多分、と言うのは、この狂気の製作者の技力に、神童と謳われたサジルの敵わぬ片鱗が幾つも見られたからだ。

(この室は作られて二千年以上はゆうに経っている。前大神官のディオンストムではないな)

恐らくは、と片眼鏡の青年が思い浮かんだ。かの君は、過去人間だったと言うから、女神の側近になる前か。

(どんな化け物なんだ、あの陰険眼鏡は)

側近として召し上げられる前、人間だったロウの片鱗。
神として振るうは神力。魔素を弄って魔力を使う時もあるらしいが、人間のそれとは別物だ。

目を凝らせば、ベッドの置かれた場所にも魔法陣が描かれていた。
サジルはそれに、あの時シャークが置いていった大量の札と、似た癖を感じ取る。

(結構ーーーーえげつないよね)

以前と違い、楽しみも、あがらいもしないサジルはベッドに寝転ぶ。

腹も空かず、眠くもならない場所で、瞳を閉じて思い浮かべる少女神。

漠然とした貌にしかならなくても、構わなかった。思う縁も無く、ぼやけた記憶だけが頼りのものでも。

日常に転がる『愛してる』
サジルはこの言葉の持つ意味を、喪う前提で漸く知り得た。
恋心を坂を転がり落ちる石に喩えるならまだ可愛い。崖から豪速で地面にめり込んだ石矢だ。
特筆する切っ掛けがあった訳じゃないのに、人の感情は本当に分からない。
サジルに、全てを捨てて、たったひと目でも姿を見れる可能性を選択させた。
愚かしくて、切なく、愛しい。

(ーーーーお姫様は来るかな)

ただひと目でも会いたいと願ったその時、底から沸き上がった欲望と、暗い声には蓋をする。

お姫様はきっと、サジルには人間として裁かれて欲しいと思うだろうから。

だからその罪を纏う願いは、叶わない方が良いのだ。

目を瞑り、どれ位の時が流れたのか。
ここでは永く感じられても、『外』では数刻の可能性が高い。
護送中に食べた食事から、何も差し入れられていないから、『外』でも腹が空く時間は経っていないと推測された。
狂った時間を過ごすサジルの食事が、果たして支給されるのかは分からないが。

「お姫様が食べていた蒸し饅頭、美味しそうだったな。分けて貰えば良かったな」

そんな事を呟いた所為か、鼻が香りまで思い出した。
白い湯気の立つ饅頭は、柔らかくて、割ると肉汁たっぷりに、ふわふわの生地に染み込んで、かぶりつけば滴る。
いかにも美味しそうに頬張る女神は、幸せを絵に描いた様だった。

ポタリ、と口の端に垂れた感触に、サジルは慌てた。

(ーーーー涎!?でも熱い!?)

目を開けれは、何も無い空間に浮かぶ蒸し饅頭。肉汁が破れた皮から落ちる。

今度は幻覚か、とヤケにリアルなそれに、身を起こせば、有り得ない光景が目の前にあった。

「あるわよ、蒸し饅頭。これはロウの御手製で、これを食べてしまうと、買う気にならないのよね」

あ、ちょっとラインハルト、一口が大きいから無くなっちゃうでしょーーーーとか何とか怒られている、相変わらずな男神が、女神を背後から抱き締めて離さない。
あむ、と饅頭を頬張る女神の手をそのまま掴んで、自らも食べている。饅頭の半分は無くなったと思う。

「•••••ねぇ、その一口ってさ、僕も大きいと思うんだけど?」

「どうせフィアは、この後に黒胡麻を練りこんだこし餡の饅頭も食べるのだから、丁度いい」

「ーーーー•••••」

「サジル、食べないの?食べておけば良かったとか言うから、出してあげたのに」

「ーーーー•••••頂きます」

目の前でイチャイチャする神達を観察しながら、サジルは饅頭を食べる。
心中穏やかではないが、食べ物に罪は無い。
旅の途中で、女神が事ある毎に言っていたから、サジルも何となくそう思う様になった。

一口噛る。口の中に広がる肉汁は、貝柱と茸の出汁が利いていて、陰険腹黒片眼鏡が作ったとは思えない美味しさだ。

女神が桃の形をした饅頭を出した。
ごまの入ったこし餡のうんたらだろうか。

いつの間に出したのか、ラインハルトと呼ばれた男神は、クッションの良さげなソファーに座り、女神を膝に乗せている。

プカプカ浮いているティーポットから、白い茶器に淹れるジャスミン茶の香りが漂う。
じっと様子を見ていたら目があってしまった。

「お前も飲むか?」

知らない人に、まるで天気がいいですね、くらいにどうでも良い加減で聞かれたので、そうですね、と返しておく。

(ラインハルトと言えば西の君、だけどーーーー)

サジルは深く考えるのを放棄した。ロクでも無い、大変に理解がし難い神様理論が大列を組んでいそうだ。

女神が桃の饅頭にかぶりつく。
カプっと。

「ん、あつッ!」

こし餡が熱かったらしく、女神が舌を火傷したようだ。
ティーポットと空の茶器がサジルの前に飛んでくる。自分で淹れろと言うことらしい。
だが、サジルは西の君が、女神の火傷を治す事を優先したに過ぎない事を知っている。

ーーーー自分だってそうするだろうしね。と言うか、愛しい存在意外はどうでも良いのだ。

憚らず、重なる唇。
どうやら舐めて治すらしい。
なる程、趣味と実益を兼ねてる訳だ。

だけど、サジルの前で、ゼロ距離のイチャ付きっぷりを披露しに来たわけでは無いだろう。
ーーーー西の君は分からないが。

サジルは本気で思った。一体何しに来たんだと。
ジャスミン茶を一口すする。
顔を赤くした女神は、漸く離れた唇に息も絶えだえだ。
濡れた口元を拭う西の君は、避難を込めた視線にも動じない。

「で、お姫様は何しに来たの?こんな場所にわざわざ。良く、許してもらえたね」


そう言えば!!と言いそうな顔をした女神にサジルは頭が痛くなった。


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