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デビューの夜
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社交界デビューの夜会、私は踊り疲れて、壁に背中をつけた。
長いように思えた夜会も今夜デビューした令嬢たちが、ラストダンスを王太子フェルディナンド様と踊ったらお開きのはず。
シメオン兄さんにエスコートされて入場してから、ずっと挨拶に次ぐ挨拶、自己紹介をし続けて、兄さんたち縁のある男性とのダンスばかりすることになって、すっかり疲れてしまった。
ずれ落ちてしまった二の腕まである白い長い手袋を直すと、近くにあったテーブルの上に置かれたグラスを取ろうと手を伸ばした。
けれど、私が取ろうとしたグラスを誰かが先に取って、大きな手で渡してくれる。
目を巡らせれば、近衛騎士服が見えた。
……これは……。
「ありがとう。ジャンポール」
鋭く黒い目をさらに細めながら、ジャンポールは私の顔を見た。
彼は正式な近衛騎士服を着ていることからわかる通り、今は仕事中なのだろう。物々しく帯剣もしているし……周囲へ放つ圧のようなものも強い。
「……ニーナ嬢。今夜が君の社交界デビュー日だとは、知らなかったな」
「手紙を返してなくて、ごめんなさい。最近はこのデビュタントの準備でずっと忙しくて」
私は手紙を貰っていたにも関わらず、返せていなかった彼に素直に謝った。
クルーガー男爵家に帰った私に、ジャンポールからの手紙は届いてはいたけれど、ドレスの支度やダンスの練習、社交界でのマナーの復習などで時間がなくて全く返せていなかったのだ。
「ハサウェイ様は、今夜はお仕事ですか?」
「ジャンポールで構わない。さっきもそう呼んだだろう?」
彼の嬉しそうな顔に、私ははっと手を口元に置いた。
つい、癖で名前を呼んでしまった。異性を名前で呼ぶなんて、彼と親しい関係を周囲にアピールしているようなものだ。
「あの……ここにジャンポール様がいらっしゃるということは、ラウル殿下も来ていらっしゃっているんですよね?」
それと……同僚の近衛騎士マティアスも、来ているということだろうか。出来るだけ会いたくない。
もしかしたら、彼は今夜は非番なのかもしれないけれど、確かジャンポールとマティアスの二人は、仕事ではいつも組んでいたはずだ。
「デビュタントたちとのラストダンスは王太子だけでは大変だからな、いつもラウル殿下も手伝って踊ってるんだ。知らなかったか?」
自分も冷たい飲み物が入ったグラスに口をつけると不思議そうに私の顔を見た。
「ええ。私も最後にフェルディナンド殿下と踊るものだと思っていました。ラウル殿下なら顔を知っていますし、想像していたほど緊張しなくてすむかもしれません」
ここまで緊張していたのが、力が抜ける。
ダンスを踊っている時に王太子の足を踏んだなら、それこそ伝説のデビュタントになって、ある意味ではとても有名になってしまう。
そんな心配をしなくても良かったと、肩を竦めて笑った。
「……踊らないか、ニーナ嬢。せっかくのデビューの夜だ。踊り疲れているなら、遠慮するが」
緊張しつつ、目の下を赤くして踊りに誘う人の顔を見て私は微笑んだ。
「もちろん。お誘いありがとうございます」
慣れた様子でそつなくダンスを踊るジャンポールを見て、前の時間軸では見れなかった彼に驚いた。
照れ屋で言葉が少ない人だとは思っていたけれど、貴族で嫡男だと言うし……公の場ではこんな、堂々とした態度なんだ。
「ジャンポール様は……ダンスがお上手なんですね」
「……仕事上必要だったので、必死で練習したんだ。正直に言えば、あまり得意ではない」
私と踊り終わりのお辞儀をして、苦笑したジャンポールは私の手を取ってダンスフロアから出た。
「ニーナ……彼は?」
「あ……ヴァレールお兄様。彼はジャンポール・ハサウェイ様。メイヴィス様の婚約者、第二王子ラウル殿下の近衛騎士です」
踊っている時から見ていたのか、私たちがここへ来るのを待っていたかのように、ヴァレール兄さんは現れた。
そして、私の隣に居るジャンポールを、値踏みかのように目を眇めた。
「ジャンポール様……私の二番目の兄、ヴァレールです」
「よろしく。妹がお世話になっているようで……」
「こちらこそ、はじめてお目にかかります」
「ところで、ハサウェイ殿には婚約者はいらっしゃるのか?」
「兄さんっ……」
私の非難めいた視線と言葉を軽くいなして、ヴァレール兄さんはジャンポールへ視線を合わせた。
「いいえ。そちらの方面には、私はとんと疎く、これから探す予定です」
「ならば、この妹はどうだ。わが妹ながら、美しく気立ても良いし、教育も行き届いている」
「……願ってもないことですが」
ジャンポールは、私の顔をちらっと見た。
片手を口に当てて、気まずそうだ。知り合いの女の子とただ踊っただけなのに、迷惑でしかないわよね。
「兄さん、もういい加減にして。ジャンポール様も、お仕事中だから」
私はジャンポールを急かすようにして、背中を押した。彼も短く挨拶を交わすと、颯爽と去っていった。
「お前……社交界デビューの意味を知っているか? 求婚者を募って、より良い縁談を纏めるためだぞ」
「だからと言って……あんなにまで、縁談について明け透けに言うなんて。妹が恥ずかしいです」
「貴族的なのは、まだるっこしいだろう。婚約者のいない将来有望な近衛騎士を、ここで逃す手はない」
「でも……ジャンポール様は」
「心配するな。あの男がお前に気があるのは、ただ踊っているところを見ていても良く分かった」
それを聞いて、私は頬にカッと熱が集まるのを感じた。ヴァレール兄さんは得意げな顔だ。
「ジャンポール……ハサウェイ伯爵の嫡男か。これは願ってもいない、良い縁談になりそうだな?」
長いように思えた夜会も今夜デビューした令嬢たちが、ラストダンスを王太子フェルディナンド様と踊ったらお開きのはず。
シメオン兄さんにエスコートされて入場してから、ずっと挨拶に次ぐ挨拶、自己紹介をし続けて、兄さんたち縁のある男性とのダンスばかりすることになって、すっかり疲れてしまった。
ずれ落ちてしまった二の腕まである白い長い手袋を直すと、近くにあったテーブルの上に置かれたグラスを取ろうと手を伸ばした。
けれど、私が取ろうとしたグラスを誰かが先に取って、大きな手で渡してくれる。
目を巡らせれば、近衛騎士服が見えた。
……これは……。
「ありがとう。ジャンポール」
鋭く黒い目をさらに細めながら、ジャンポールは私の顔を見た。
彼は正式な近衛騎士服を着ていることからわかる通り、今は仕事中なのだろう。物々しく帯剣もしているし……周囲へ放つ圧のようなものも強い。
「……ニーナ嬢。今夜が君の社交界デビュー日だとは、知らなかったな」
「手紙を返してなくて、ごめんなさい。最近はこのデビュタントの準備でずっと忙しくて」
私は手紙を貰っていたにも関わらず、返せていなかった彼に素直に謝った。
クルーガー男爵家に帰った私に、ジャンポールからの手紙は届いてはいたけれど、ドレスの支度やダンスの練習、社交界でのマナーの復習などで時間がなくて全く返せていなかったのだ。
「ハサウェイ様は、今夜はお仕事ですか?」
「ジャンポールで構わない。さっきもそう呼んだだろう?」
彼の嬉しそうな顔に、私ははっと手を口元に置いた。
つい、癖で名前を呼んでしまった。異性を名前で呼ぶなんて、彼と親しい関係を周囲にアピールしているようなものだ。
「あの……ここにジャンポール様がいらっしゃるということは、ラウル殿下も来ていらっしゃっているんですよね?」
それと……同僚の近衛騎士マティアスも、来ているということだろうか。出来るだけ会いたくない。
もしかしたら、彼は今夜は非番なのかもしれないけれど、確かジャンポールとマティアスの二人は、仕事ではいつも組んでいたはずだ。
「デビュタントたちとのラストダンスは王太子だけでは大変だからな、いつもラウル殿下も手伝って踊ってるんだ。知らなかったか?」
自分も冷たい飲み物が入ったグラスに口をつけると不思議そうに私の顔を見た。
「ええ。私も最後にフェルディナンド殿下と踊るものだと思っていました。ラウル殿下なら顔を知っていますし、想像していたほど緊張しなくてすむかもしれません」
ここまで緊張していたのが、力が抜ける。
ダンスを踊っている時に王太子の足を踏んだなら、それこそ伝説のデビュタントになって、ある意味ではとても有名になってしまう。
そんな心配をしなくても良かったと、肩を竦めて笑った。
「……踊らないか、ニーナ嬢。せっかくのデビューの夜だ。踊り疲れているなら、遠慮するが」
緊張しつつ、目の下を赤くして踊りに誘う人の顔を見て私は微笑んだ。
「もちろん。お誘いありがとうございます」
慣れた様子でそつなくダンスを踊るジャンポールを見て、前の時間軸では見れなかった彼に驚いた。
照れ屋で言葉が少ない人だとは思っていたけれど、貴族で嫡男だと言うし……公の場ではこんな、堂々とした態度なんだ。
「ジャンポール様は……ダンスがお上手なんですね」
「……仕事上必要だったので、必死で練習したんだ。正直に言えば、あまり得意ではない」
私と踊り終わりのお辞儀をして、苦笑したジャンポールは私の手を取ってダンスフロアから出た。
「ニーナ……彼は?」
「あ……ヴァレールお兄様。彼はジャンポール・ハサウェイ様。メイヴィス様の婚約者、第二王子ラウル殿下の近衛騎士です」
踊っている時から見ていたのか、私たちがここへ来るのを待っていたかのように、ヴァレール兄さんは現れた。
そして、私の隣に居るジャンポールを、値踏みかのように目を眇めた。
「ジャンポール様……私の二番目の兄、ヴァレールです」
「よろしく。妹がお世話になっているようで……」
「こちらこそ、はじめてお目にかかります」
「ところで、ハサウェイ殿には婚約者はいらっしゃるのか?」
「兄さんっ……」
私の非難めいた視線と言葉を軽くいなして、ヴァレール兄さんはジャンポールへ視線を合わせた。
「いいえ。そちらの方面には、私はとんと疎く、これから探す予定です」
「ならば、この妹はどうだ。わが妹ながら、美しく気立ても良いし、教育も行き届いている」
「……願ってもないことですが」
ジャンポールは、私の顔をちらっと見た。
片手を口に当てて、気まずそうだ。知り合いの女の子とただ踊っただけなのに、迷惑でしかないわよね。
「兄さん、もういい加減にして。ジャンポール様も、お仕事中だから」
私はジャンポールを急かすようにして、背中を押した。彼も短く挨拶を交わすと、颯爽と去っていった。
「お前……社交界デビューの意味を知っているか? 求婚者を募って、より良い縁談を纏めるためだぞ」
「だからと言って……あんなにまで、縁談について明け透けに言うなんて。妹が恥ずかしいです」
「貴族的なのは、まだるっこしいだろう。婚約者のいない将来有望な近衛騎士を、ここで逃す手はない」
「でも……ジャンポール様は」
「心配するな。あの男がお前に気があるのは、ただ踊っているところを見ていても良く分かった」
それを聞いて、私は頬にカッと熱が集まるのを感じた。ヴァレール兄さんは得意げな顔だ。
「ジャンポール……ハサウェイ伯爵の嫡男か。これは願ってもいない、良い縁談になりそうだな?」
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