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元彼というやつ
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先生から戻ってきたカルテには、やっぱり風邪の時に飲む薬の記載があった。嘘じゃなかったんだ、となぜかホッとした。
それと同時に、待合室に戻ってからの蓮見が咳き込んでいるのが気になる。彼はマスクをしていなかった。冷たい空気を吸うと、余計に咳が出ちゃうのに……。
「ハスミーン、じゃなくて、蓮見さぁん」
梨花が蓮見を呼んだ。会計を済ませ、財布をジーンズのポケットにしまう蓮見に、私はゆっくり近づいた。
「……蓮見、これ」
「ん?」
手渡したのは一枚のマスク。念の為受付にいつも置いてあるものだ。
「付けなよ。咳されるとこっちまで感染っちゃう」
「……宮下さん、マスクしてるじゃん」
「わ、私だけじゃなくて! ほら、他の患者さんに!」
「患者は俺以外いないけど……」
たしかにそうだった。蓮見が午前の診療の最後の患者だ。
蓮見は怪訝な表情で私を見ていたが、やがてフッと眉を寄せて困ったように笑った。その顔が懐かしくって、一瞬四年前にタイムスリップする。
「宮下さん、本当変わらないね」
「な、に……」
私の問いには答えずに、彼はすぐにいつもの無愛想顔に戻った。
「今週の金曜日、空いてる?」
「は? え……う、うん」
ふとカレンダーを見ようと思ったが、今週も来週もその先も、当分予定なんてなかった。そして咄嗟のことで、馬鹿正直に答えてしまった。
「じゃあ飲みに行こう。場所と時間はまた連絡する」
「え……いやいや、風邪ひいてるじゃん」
「大丈夫、治すから」
蓮見はそう言うと、足早にそのまま立ち去っていった。残された私は、意味もなくさっきの言葉を反芻する。
『飲みに行こう』
嬉しくないと言えば嘘になる。だけど手放しで喜べるほどのことでもない。ただあるのは、『戸惑い』だ。どうして……どうして今また彼と飲まなきゃいけないのか。けれども、そんな彼の誘いを断るほど、彼のことが嫌いなわけではない。
よっぽど複雑な顔をしていたのだろう、梨花が無駄に明るい声で「お昼にしましょ」と言った。
「で? あのイケメンは誰よ」
開口一番、京子さんは私に詰め寄った。
「イケメンって……そうでもないですよ?」
私はコンビニのサンドイッチを頬張りつつ答えた。
私たち三人は、裏のちょっとした控え室でお昼ご飯を食べていた。京子さんは健康そうなお弁当。梨花はキャラ弁。「自分で食べるのに凝る必要ある?」と聞いたら、「ハマってるんですぅ」と言われたことがある。そして私は、だいたいいつも隣のコンビニで調達していた。
「イケメンよ! 切れ長の目元に低い声、最高じゃない! しかも眼鏡フェチにはあの眼鏡姿たまらないわ!」
「京子さん……眼鏡フェチだったんですか……」
「そうなのよー! ほら、あの俳優も『君愛』で眼鏡かけてるじゃない? 一瞬で好きになっちゃって~」
京子さんの話が今期最大の人気を誇るドラマに逸れた。しめしめ、この調子で蓮見の話から遠ざけよう。
「あのドラマ、面白いですよねー」
にこやかに話を続けようとしたが、そうはいかなかった。──梨花だ。
「話逸れてますよぉ!」
梨花が勢いよくテーブルに手をつく。お弁当箱たちがカタタと揺れた。
「つまり、聞きたいのは、ハスミンとどういう関係なんですかぁ? ってことです」
仕方ない。白状するしかない。
「同級生ですよ、高校の時の」
「な──」
「なぁんだ」そう言って、京子さんは椅子の背もたれに寄りかかる。
「えー? それだけですかぁ?」
依然として疑いの眼差しを向ける梨花に「そうだよ」と一言返しつつ、最後に取っておいたツナサンドを頬張った。
「もー梨花ちゃんったら、『絶対あの二人何かありますよぉ』なんて言うもんだから期待しちゃったじゃない」
「あは、そっくり」
京子さんお得意の『梨花モノマネ』が炸裂したところで、この話は仕舞いになった。私と京子さんは歯磨きをするため立ち上がる。梨花ただ一人が、最後の卵焼きを口に入れることなくぼんやり座っていた。
「ハスミンは絶対気があると思うけどなぁ」
そんな声が後ろで聞こえた。
それと同時に、待合室に戻ってからの蓮見が咳き込んでいるのが気になる。彼はマスクをしていなかった。冷たい空気を吸うと、余計に咳が出ちゃうのに……。
「ハスミーン、じゃなくて、蓮見さぁん」
梨花が蓮見を呼んだ。会計を済ませ、財布をジーンズのポケットにしまう蓮見に、私はゆっくり近づいた。
「……蓮見、これ」
「ん?」
手渡したのは一枚のマスク。念の為受付にいつも置いてあるものだ。
「付けなよ。咳されるとこっちまで感染っちゃう」
「……宮下さん、マスクしてるじゃん」
「わ、私だけじゃなくて! ほら、他の患者さんに!」
「患者は俺以外いないけど……」
たしかにそうだった。蓮見が午前の診療の最後の患者だ。
蓮見は怪訝な表情で私を見ていたが、やがてフッと眉を寄せて困ったように笑った。その顔が懐かしくって、一瞬四年前にタイムスリップする。
「宮下さん、本当変わらないね」
「な、に……」
私の問いには答えずに、彼はすぐにいつもの無愛想顔に戻った。
「今週の金曜日、空いてる?」
「は? え……う、うん」
ふとカレンダーを見ようと思ったが、今週も来週もその先も、当分予定なんてなかった。そして咄嗟のことで、馬鹿正直に答えてしまった。
「じゃあ飲みに行こう。場所と時間はまた連絡する」
「え……いやいや、風邪ひいてるじゃん」
「大丈夫、治すから」
蓮見はそう言うと、足早にそのまま立ち去っていった。残された私は、意味もなくさっきの言葉を反芻する。
『飲みに行こう』
嬉しくないと言えば嘘になる。だけど手放しで喜べるほどのことでもない。ただあるのは、『戸惑い』だ。どうして……どうして今また彼と飲まなきゃいけないのか。けれども、そんな彼の誘いを断るほど、彼のことが嫌いなわけではない。
よっぽど複雑な顔をしていたのだろう、梨花が無駄に明るい声で「お昼にしましょ」と言った。
「で? あのイケメンは誰よ」
開口一番、京子さんは私に詰め寄った。
「イケメンって……そうでもないですよ?」
私はコンビニのサンドイッチを頬張りつつ答えた。
私たち三人は、裏のちょっとした控え室でお昼ご飯を食べていた。京子さんは健康そうなお弁当。梨花はキャラ弁。「自分で食べるのに凝る必要ある?」と聞いたら、「ハマってるんですぅ」と言われたことがある。そして私は、だいたいいつも隣のコンビニで調達していた。
「イケメンよ! 切れ長の目元に低い声、最高じゃない! しかも眼鏡フェチにはあの眼鏡姿たまらないわ!」
「京子さん……眼鏡フェチだったんですか……」
「そうなのよー! ほら、あの俳優も『君愛』で眼鏡かけてるじゃない? 一瞬で好きになっちゃって~」
京子さんの話が今期最大の人気を誇るドラマに逸れた。しめしめ、この調子で蓮見の話から遠ざけよう。
「あのドラマ、面白いですよねー」
にこやかに話を続けようとしたが、そうはいかなかった。──梨花だ。
「話逸れてますよぉ!」
梨花が勢いよくテーブルに手をつく。お弁当箱たちがカタタと揺れた。
「つまり、聞きたいのは、ハスミンとどういう関係なんですかぁ? ってことです」
仕方ない。白状するしかない。
「同級生ですよ、高校の時の」
「な──」
「なぁんだ」そう言って、京子さんは椅子の背もたれに寄りかかる。
「えー? それだけですかぁ?」
依然として疑いの眼差しを向ける梨花に「そうだよ」と一言返しつつ、最後に取っておいたツナサンドを頬張った。
「もー梨花ちゃんったら、『絶対あの二人何かありますよぉ』なんて言うもんだから期待しちゃったじゃない」
「あは、そっくり」
京子さんお得意の『梨花モノマネ』が炸裂したところで、この話は仕舞いになった。私と京子さんは歯磨きをするため立ち上がる。梨花ただ一人が、最後の卵焼きを口に入れることなくぼんやり座っていた。
「ハスミンは絶対気があると思うけどなぁ」
そんな声が後ろで聞こえた。
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