悪魔は天使の面して嗤う

汐月 詩

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メグルちゃん

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 何が起こったかわからず呆然と立ち尽くす私。同じく、目の前の彼女も目をパチクリさせ突っ立っていた。
 しばらくそうやって黙って見つめあっていたが、先に沈黙を破ったのは彼女の方だった。

「あ、の……どちら様ですか?」

「は? それは、こっちのセリフ──」

 そこまで言ってハッとした。この人、私に会いに来たんじゃないとしたら、たろちゃんに会いに来たんじゃないか?
 彼女を上から下まで舐めるように見る。
 染めたことのなさそうな墨のように黒い髪を、きゅっとキツく一つに結んでいる。適当に切りそろえられたパッツン前髪に、野暮ったいメガネ。サイズの合っていない安っぽいスーツ。歳も私とあまり変わらなさそうな……。
 なんて言うか、なんて言うか……たろちゃんとは破滅的に似合っていない。

「あの……たろちゃんなら今買い物に出ていますよ?」

 親切に教えてあげるも、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「た、ろちゃん……?」

「え……」

 そしてまた訪れる、沈黙。
 ──怖い! 怖すぎる!
 何が怖いって、この噛み合わなさだ。もしかして普通に部屋間違いだろうか。だとしたらサッサと帰ってほしいのに、なぜか目の前の彼女は動こうとしない。
 もうこちらからドアを閉めてしまおうか。そう思いドアに手をかけたその時、彼女がハッとした表情をした。

「そ、そうですっ! た、たろちゃんさんです!」

  キョロキョロと目が泳ぐ。明らかに動揺しているのが見て取れる。

「えーと……あの、本当にたろちゃんの知り合いですか?」

「そ、そ、そうですっ。あ、あの、私ったらすみません。ワタクシ、こういうものです!」

 そう言って肩にかけていた鞄をまさぐると、一枚の名刺を取り出した。別に欲しくもないのにズイっと目の前に差し出され、うっかり手に取ってしまった。
 ──えーと……
 会社名が全てアルファベット。単語なんだか略語なんだかよくわからない。要するに、全く読めないのだ。会社名は諦めて、中央の名前を見た。

『山口 巡』

「やまぐち……じゅん?」

「──めぐる、です」

 思考が停止する。
 ──今、なんて?
 彼女は固まったままの私を見ると、ぎこちなくはにかんだ。

「めぐるって……珍しいですよね。よく間違われます」

 よく見ると、彼女の小柄なシルエットは、先日ホテルの前でたろちゃんと歩いていた女と一致するような気がした。
 『メグルちゃん』だ。彼女は『メグルちゃん』なんだ──
 そう思うと、急に心臓の鼓動が早くなる。まさか『メグルちゃん』本人に会うことになるとは思ってもみなかったので、何を話せばいいかと頭の中が慌ただしく会議を始めた。
 結果、言葉は何も出てこなかった。私の代わりにメグルちゃんが口を開く。

「あ、あの……失礼ですが、あなたはたろちゃんさんの彼女さん……なんですよね?」

「え……」

 何を言い出すんだろう、この人は。これは宣戦布告なのだろうか。それとも何か? 『彼女がいても私構いません』系の人なのか? 

「え、と……違います。私、彼女じゃないです……」

「えっ?」

 今度は彼女が困惑する番だった。玄関で、二人して変な汗をかいている。
 今年度最大の気まずさの到来に、ただただ心の中で「たろちゃん早く帰ってきて」と叫んだ。その祈りが通じたのか、間もなくドアがガチャリと開いた。

「わ! びっくりー……メグルちゃん来てたの?」

「リ……たろちゃんさん! 探したんですよ! 連絡はつかないし、もうこうなったら探偵でも雇おうかと思ったくらいです! 雇うお金なくって結局私が探し出しましたけどねっ! 本当に本当に、今度こそちゃんとしてもらいますからねっ!」

 メグルちゃんは一息でそう言うと、まるで手錠でもかけるかのように、たろちゃんの手首をガッツリ掴んだ。
 私はと言うと、彼女の、その小柄な体からどうやって出したのかわからないパワーに驚くばかりで、唖然と口を開けるしかなかった。

「あはは、わかったわかった。次のはちゃんと行くから」

 さも日常ですと言わんばかりに、たろちゃんはケロッとしている。
 なんだろう、とりあえずわかるのは、この二人の雰囲気は『恋人』のそれではないということだ。たしかに、前たろちゃんが否定していたけれど、あれは本当のことだったんだ。

「絶対、絶対、絶対ですよ? 怒られるのは私なんですからね?」

「大丈夫、約束する。だから、ね? 今日はもう帰って? ほら、牛乳を冷蔵庫に入れないと、腐っちゃうからさ」

 たろちゃんは右手のビニール袋をメグルちゃんの目の高さに掲げた。中には私が頼んだ牛乳が入っているはずだ。

「え、牛乳……え、ちょっと待っ──」

 まだ何か言いたげなメグルちゃんを、たろちゃんは半ば強引に引っ張り出した。小柄な彼女は、いとも簡単に外に出される。

「ばいばーい、メグルちゃん」

 たろちゃんは最後にそう言うと、爽やかな笑顔のままドアをバタンと閉めた。笑顔だけど、その扱いは結構酷い。

「ね、ねぇ、いいの? たろちゃんのことすごく探してたみたいだけど……」

 なんだか急にメグルちゃんが不憫に思えてきた。やっとのことで会えたのに、すぐに締め出されるなんて。

「ああ。いーのいーの、メグルちゃんだから。それより──」

 たろちゃんは楽しそうに笑うと、私の右手をそっと握ってきた。
 一瞬漂う甘い空気に、ビクリと背中を震わせる。たろちゃんはそのまま私に顔を近づけてきた。息が、頬にかかる。
 ドキドキが最高潮に達した時、彼が耳元で囁いた。

「コレ、千春さんいらないでしょ? 貰っておくね?」

 何を? と聞くまでもなく、たろちゃんは私の右手からさっき貰ったばかりの『メグルちゃんの名刺』をかっさらっていった。

「え、ちょっと、どうするの……?」

「『どうするの?』って、こうするの」

 彼は私から離れると、ゴミ箱の前に直行した。そしてあろうことか、名刺をビリビリに破り捨てた。

「ええっ?」

 慌てて駆け寄りゴミ箱を覗くと、名刺だったもの・・・・・は見るも無残に粉々になっていた。

「なんでこんなことするの……」

「なんでって、千春さん、メグルちゃんの名刺欲しかったの?」

「え? いやぁ……」

 欲しいか? と聞かれたら別に欲しくない。きっと私が持っていてもすぐになくしてしまうと思う。
 だけどそれにしてもやり過ぎな気がするのだ。違和感。上手く言えないけれど、何かがおかしい。
 そして違和感はもう一つ存在した。私がメグルちゃんに「たろちゃん」と言った時のことだ。彼女は一瞬、戸惑いの表情を浮かべた。まるで『たろちゃん』を知らないとでも言うような。
 その顔がいつまでも胸にひっかかっている。
 彼女はたろちゃんを知らない? いや、そんなことはない。現に二人で会話をしていたのを見ている。じゃあ……。
 もしかして彼女は、たろちゃんの本当の名前を知っているのではないか──
 そう考える方が自然だ。全てがしっくりくる。

「千春さーん、どうしたの?」

 ぼうっとしていると、たろちゃんが私の顔を覗き込んできた。さっきと同じ失敗をしてなるものかと、すかさず距離をとる。

「なんでもない!」

 私はベッドに腰掛け、スマホを弄りだした。もうたろちゃんと会話しませんよ、という意思表示のつもりだ。それに気づいたのか、彼もそれ以上私に話しかけては来なかった。
 たろちゃんのペースに嵌っちゃだめだ。しっかりしなくちゃ。
 いろんなアプリを立ち上げつつ、考えることは一つだ。
 メグルちゃんは、彼女じゃないとしたら、たろちゃんとどういう関係なんだろう──



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