黒覆面の若旦那は嘘つき花嫁をほだして愛する

ワタリ

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第12話

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 連れていかれた場所は日本橋だった。
 老舗百貨店・美津越みつこしの正門に車をつけると、既にスーツ姿の店員が門の前にずらりと並んでいた。

「緒方様、お待ちしておりました」

 保胤と一葉が車から降りると、店員が保胤に近づてきた。“総支配人・川勝”と書かれた名札をつけていた。

「川勝支配人、今日はよろしくお願いします」
「奥様にお気に召していただける品々、沢山ご用意しております」
「それは楽しみです。ね、一葉さん」
「はあ……」

 一葉は呆気にとられながら保胤の後ろを付いて歩く。流石は一流商社の緒方商会。老舗百貨店での対応も普通じゃない。

 川勝支配人の案内で通されたのは売り場ではなく広い会議室だった。入ると鏡台や箪笥がずらりと並び、その他にも反物、草履、婦人用の洋服に洋靴、帽子、日傘など数々の品が陳列されていた。

 保胤は慣れた様子で皮張りのソファに悠然と座る。一葉はドギマギしながら遠慮がちにその隣に座った。

「一葉さん、ゆっくり見てきていいですよ。ここにあるものは全てあなたの為に揃えたものだから」
「えっ!? これ……全てですか……?」
「全て欲しいのならそうなりますね」

 何でもなことのように言ってのける保胤に一葉の顔は引きつった。

「あちらの鏡台は輪島塗で、蒔絵まきえ螺鈿らでんが大変美しいお品です。箪笥も取り揃えております。ぜひ、ご覧ください」

 川勝支配人に促されて、一葉は困った様子でちらりと保胤を見た。ひらひらと手を振って“ごゆっくりどうぞ”と言われてしまった。

 おずおずと立ち上がり、川勝支配人について回った。

「こちらは伝統民芸家具、山伏堂の重ね箪笥です。欅に漆を塗り重ねたお品です。収納力があり、洋服や反物、ハンカチなどの小物が一括収納できます」

「こちらは最高級の加茂桐箪笥でございます。全面朱の漆塗り。内部は桐材で出来ております。大名匠・菊川雲伯が手掛けた、日本に一棹しかない逸品でございます」

「そしてこちらは――」

 丁寧な説明に相槌を打つのが精一杯だ。とにかくもの凄いものなのだ、ということしか理解できない。どれもこれも目を見張るような高級品ばかりだった。

(値札がついてないのが恐ろしすぎるんだけど…)

 通された部屋は美津越の外商、つまりお得様専門の販売室だった。一般客とは異なり、並べられた商品は超一流。しかも、緒方商会の重役である保胤相手では値札すら不要というわけだ。

「一葉さん、気に入ったものありました?」

 ソファから立ち上がり、保胤が一葉に尋ねる。

「どれもこれも余りにも凄すぎて何が何だか……」
「気に入ったもの、なさそう?」
「そ、そうではなくて……私なんかにはもったいないです。この通り髪は短いし持っている着物も数着です。こんな立派な鏡台や箪笥が私に使われるんじゃ申し訳なくて……」
「髪の長さなんて関係ないですよ。よく手入れされた美しい髪じゃないですか」

 そう言うと、保胤は一葉の毛束を摘んで愛おしそうに見つめた。

(近い!)

 目の前に川勝支配人や他の店員の手前、あからさまに拒否することも出来ず一葉は保胤にされるがままになった。

「僕はこれとかいいと思うけど、一葉さんはどう思います?」

 保胤が指を指したのは、細かな掘りが施された鏡台だった。

「さすが緒方様、お目が高い。こちらは楠で出来た鏡台です。日光彫りであしらわれた桜の花が大変うつくしゅうございます。こちらは洋室向けで、椅子もついてございます」

 ささどうぞ!と、座るように促される。一葉は言われるがまま従った。

「うん。いいね」

 鏡越しで保胤は一葉に微笑む。どうせ自分では決められない。保胤がすすめてくれたものにしようと、一葉は遠慮がちに頷いた。

「では……こちらにいたします」

 箪笥も保胤が目を付けた総桐箪笥に決めた。とりあえず買い物が終わり一葉はほっと胸をなで下す。

 保胤が支配人と話をしている間、一葉は手持無沙汰で陳列された商品を見て回った。

(あ……これ)

 ふと、ひとつの髪飾りが目に留まる。

「どうぞ手に取ってご覧ください」

 女性の店員が一葉に声をかけた。一葉は遠慮がちにその髪飾りを手に取る。

(お母様の髪飾りに似てる……)

 高級品ばかりが並ぶ老舗百貨店の髪飾りを、実際に母が持っていたかどうかは怪しい。きっとよく似ているだけだろう。
 だが、母を想起させるには十分なほどそれはよく似ていた。

「それも買おうか」

 じっと髪飾りを見つめている一葉に気付き、背後から保胤が声を掛けた。

「い、いいんです! これは髪留めですし束髪のもので私の頭には付けられません」

 一葉の髪は結い上げるほどの長さがない。
 
「でも欲しいのでしょう?」
「いりません。いいんです、ちょっと見ていただけだから」
「遠慮しなくていいですよ。髪なんてまた伸ばせばいいじゃないですか」

 保胤の言葉に一葉はハッとして、自分の下唇を噛んだ。

 また、髪なんて伸ばせばいい……?

 この人は……私がどんな思いで……

「君、包んでくれる?」
「だからいらないって言ってるじゃないですか!!」

「……あ!」

 一葉の怒鳴り声に、シンと室内は静まり返る。保胤は呆気にとられた表情で一葉を見た。

「わ、私……お手洗いに……!」

 雰囲気を察した女性の店員がすかさずご案内いたしますと一葉を連れ出す。








「……ッ」

 トイレの個室に籠り、一葉は声を殺して泣いた。

(泣いちゃだめ……泣いちゃだめ……!)

 胸が張り裂けそうなほど痛くて苦しい。
 あの髪飾りを見て、母を思い出してしまった。
 そして、保胤の言葉にどうしようもなく傷ついた。

『髪なんてまた伸ばせばいいじゃないですか』

「……ぅ……ふ……」

 あの人は、どんな気持ちで私が髪を切ったのかなんて知らない。

 あの人は、世間話程度にした女の好みのために私が髪を切ったことなんか知らない。

 それは全部あの人のせいじゃない。

 分かってる。

 分かってる。

 分かってる。

 分かってる分かってる分かってる――

 一葉はぺちぺちと自分の頬を叩く。

(涙、止まれ止まれ……しっかりしろ……!)

 何度も何度も頬を叩いたせいで一葉の顔は真っ赤になっていた。










「お品は後日、ご自宅までお運びいたします」
「よろしくお願いします」

 川勝支配人は保胤に深々と頭を下げる。

「今、お車の手配を」

 駐車場にとめた車を正面玄関まで移動するため、支配人は店員に指示を出す。しかし、保胤が彼らを呼び止め首を振った。

「一葉さん」
「は、はい!」

 保胤の後ろで黙り込んでいた一葉に声を掛ける。

「疲れていなければ少し周辺を歩きませんか?」

 困惑しながらも一葉は保胤の誘いを承諾した。保胤は支配人に向き直る。

「車、少し預かっていただけますか」
「もちろんでございます。ごゆっくりどうぞ」

 美津越を出て、中央通りを歩く。
 行き交う人々、車、路面電車。
 一葉は物珍しそうな表情でその一つ一つを目で追いかける。

(こんな風に出歩くなんて何時ぶりかしら……)

 喜多治家にいた頃は、自由に外に出歩くことは許されていなかった。全ての時間を諜報員としての教育に費やされ、自分の時間など無かったに等しい。

 道路橋を渡って、京橋方面へと歩く。一葉は自分より少し先を歩く保胤の背中を見つめた。

(何も聞かないのね……その方が有難いけれど……)
 
 部屋に戻って来た時、一葉の目が赤く腫れていることに保胤は気づいていた。一葉の嫁入り道具を見ていた時はあれほど雄弁だったのに、一葉が戻ってきてからは会話はなく、店員との口数も少なくなった。二人の間には気まずい雰囲気が漂った。

(きっと怒っていらっしゃるのよね……)

 自分のために高級な嫁入り道具を用意して、さらに髪飾りも買おうとしたのに突っぱねられるなんて、保胤からしたら気分のいいことではないだろう。
 だが、一葉は母との思い出や失った髪と思うと、良かれと思ってのことだとしても保胤の言葉を素直に受け取ることは難しかった。

「きゃっ!」
「おっと、ごめんよ!」
 
 キキーッという自転車のタイヤの擦れる音が響く。
 気もそぞろに歩いていたせいで、一葉は蕎麦屋の岡持とぶつかりそうになった。

「大丈夫ですか?」 

 前を歩いていた保胤が一葉の傍まで戻ってきた。

「すみません、こんな都会に出てくることがないものですから慣れなくて……」
「喜多治家の住所は大森の山王あたりでしょう? そんなに田舎じゃないと思いますが」
「それはそうですが……さすがに日本橋とは訳が違いますから。美津越なんて入ったのも一体何時ぶりか……」
「そうなんですか?」
「こんな恰好で来てしまってあなたに恥を欠かせなかったか心配です」
「……ふ」

 あ、笑った。
 保胤の覆面から漏れた声に、またおかしなことを言っただろうかと一葉は心配になった。
 
「関係ありませんよ。それにその着物、僕は好きです」

 一葉が着ていた着物は、元々実母が着ていた半物だった。別れる前、唯一母から譲り受けたものだ。えんじ色で柄もなく派手さには欠けるが一葉にとっては一張羅であり、大切な着物だった。

「この先に行きつけの店があるんです。少し付き合っていただけませんか?」

 一葉はこくりと頷いて再び保胤の後ろをついて歩く。保胤の歩く速度が先ほどよりもゆっくりに感じられた。
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