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三章 夏霞の2人

23.女神の薬が一本の理由

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 花をちゃんと送ったとアイデンへ報告を済ませた後、ゼネスの日々の流れが構築され始める。三層のいずれかの掃除と剣の探索を行い、頃合いを見て客間に帰還し睡眠を取り、身なりを整えた後、自らの力で作り出し花を手にシャルシュリアの元へと向かう。花は最初の一本のガーベラから、徐々に本数を増やし始めた。自分の力を発揮する機会が無かったゼネスは、四苦八苦しながらもシャルシュリアに似合う花を渡せるように、努力をする。

「シャルシュリア様。お加減はいかがでしょうか?」

 ピンク、黄、白の12本のチューリップを花瓶へと活け終えたゼネスは、ベッドで横たわるシャルシュリアに声をかける。

「左足はまだ動きが鈍い」

 地上の時間で大よそ一週間が経過し、時折眩暈を起こしていたシャルシュリアだが、体調は安定し、右目の視力はほぼ元の状態にまで回復した。対して左足の回復は遅く、二日前になってようやく感覚が戻り始め、足の指が少し動くようになった。

「魔術の女神から頂いた薬があるのですが、試されてはいかがでしょうか?」

 花瓶をテーブルへ置くと、ベッドの傍らに置かれた椅子へとゼネスは座った。懐から薬の入った小瓶を取り出し、シャルシュリアに見せる。

「怪我の治癒、解毒、疲労回復だそうです。俺が既に一口飲んでいますが、効能は確かで、毒ではありません」
「その薬は女神がおまえに与えたものだ。私は使えない。たとえ使えたとしても、この足は怪我と言い難いからな」

 既に怪我が治り、傷跡1つ残っていない首を触りつつ、シャルシュリアは言った。

「何故、シャルシュリア様は使えないのですか? 薬ですから、誰でも服用できますよ」
「女神との契約の一部にその記載がある。試しに、こちらへ瓶を渡してくれ」
「はい?」

 シャルシュリアの差し出された右手へ、ゼネスは小瓶を置いた。シャルシュリアが握り込んだ直後、ゼネスの目の前へと小瓶が現れた。

「なっ!?」

 ゼネスは慌てて小瓶を手に取る。見た目こそ何の変哲もない小瓶であるが、薄っすらと何かの力を感じた。

「魔術の類だ。所有者以外は、瓶に触れられないようになっている」
「俺がこの薬を誰かに飲ませようとした場合は、どうなるのですか?」
「瓶の中から液体は出てこない。相手に送る薬の場合、その者に合わせて調合しているからだそうだ」
「分からないでもありませんが……なぜ、そこまで徹底されているのですか?」

 薬は患者の症状や体質に合わせて調合される。しかし魔術の女神から贈られた薬の三種の効果は、誰にでも使う事が出来る代物だ。制限をかける必要が無いようにゼネスは思える。

「人間同士なら兎も角、おまえは神だぞ? 神の体はそれぞれ性質が異なるのだから、徹底する必要がある」
「あっ……確かに、そうですね」

 なぜそこに気づかなかったのか、とゼネスは自分自身に思う。
 権能をその身に体現する神もいれば、身体の内に秘めている神もいる。ニネティスが前者であり、シャルシュリアやゼネスが後者となる。その2人の間にも違いがあり、シャルシュリアの体は死人の様に冷たく、ゼネスは血が通った生物の様に温かい。傷を治す薬であっても、その体に合わせて調合する必要があり、細心の注意を払わなければならない。

「そういえば、薬をいただいた際に、冥界での服用について確認を取った所、魔術の女神の作った薬は一本しか使えないと知りました。亡霊や人の手に渡っては危ないと判断されたのですか?」
「危ない点では合っているが、理由は別にある」
「別?」
「生者と死者の領域を隔てる大河。その化身である忘却の神エーデへの一方的な対抗心から始まる厄介な話だ」

 忘却の神と魔術の女神の接点が全く想像できず、ゼネスはシャルシュリアの説明に耳を傾ける。

「エーデと彼の弟妹は運命の女神から生み出された。運命は神々であっても抗えず、その力を引き継いだエーデの掌より生み出される水には、神々さえも支配する力が宿っている。その力の1つが忘却だ。飲む量によって消える記憶の量は変化し、神やその血を受け継ぐ人間であっても効力を発揮する」

 大河エーデを中心に、弟妹である支流が地上から冥界へと流れている。弟妹にもそれぞれ力はあるが、エーデは特に強力な力を持っている。大河には様々な力が秘められているが、あまりに強すぎる為に人間が飲めば猛毒とされる。しかし、長時間浸かり続ければ不死の体になれると囁かれ、実際にそれを母によって実行され、得た英雄がいる。
 また大河の水は、天神の住まう霊峰にて神々が誓言する際に使用される。
 天神の娘である虹の女神が汲みに行き、これを飲み誓言をする。誓言に背けば約一年間仮死状態となり、その後9年間は霊峰へ足を踏み入る事が出来なくなる呪詛が体に張り巡らされる。
 人間を不死とし、神を仮死にする猛毒の様に強力な大河の水。
 ただし、神としてのエーデは祈りを受理した時にのみその力が顕現するので、望む者が得られるとは限らない。対価を払う必要な無いが、彼の気分次第の為に誰も予測がつかない。シャルシュリアとの協力関係は、極めて希有である。

「神々から英雄へとその話が伝わり、人間に紛れていた彼女の耳に入ったらしい。彼女も記憶を消せる薬を作っていたが、記憶喪失程の効力であり、時間経過や何かのきっかけで思い出してしまう場合がある。惚れ薬のように心ではなく、魂にまで影響する力に彼女は興味と対抗心が湧いた」

「それでも十分凄いですが、彼女は完璧な薬を作りたかったのですね」
「あぁ、そうらしい。忘却の水と同等の記憶を消す薬を作る為に、冥界の植物や生物を材料として使わせ欲しいと頼まれた。試薬を地上と冥界で乱用されては困るので、条件付きの契約を結んだ」

 あらゆる魔術の祖である女神は、世界に存在するモノを材料に作られた薬で、神の力を再現しようとしている。医療の神が死者の蘇生薬を作ろうとする様に、世界の理を超えようとする行為だ。

「村や町の住民が集団で記憶喪失にでもなったら、大騒ぎですからね。その判断は正しいと思います」

 神にとってそれは在ってはならない事であるが、抑圧すれば彼女は魔女達を使い秘密裏に薬の制作をしかねない。忘却の薬のみならず、多数の凶悪な薬が無作為に作られ、人間の手に渡ってしまえば被害と問題が発生する。 
 そのためシャルシュリアは監視下に置き、多数の条件の下で、薬の制作を許した。

「ですが使用できるのが一本って厳しい筈なのに、よく彼女は契約を結びましたね」
「至高の一本に絞れると喜んでいた」
「えっ……ものは考えようですね」

 良いのか悪いのか分からず、ゼネスは苦笑した。

「最近は地上にいる事の方が多い。地上の調査は、彼女に任せている」
「何か知らせはありましたか?」

 それを聞いて、ゼネスは前のめりになる様に訊いた。

「地上は冬だ。神も人間も動きは少なく、大きな変化は見られない。それらしい噂は無く、静かだそうだ」
「そうですか……」

 残念に思うが、仕方が無いとゼネスは思う。
 泉や霊峰の周囲は冬になれば雪に覆われる。戦争を除いて一年の中で、最も〈死〉に近い季節だ。降らない地域であっても、病気が蔓延しやすく寒さが厳しい時期である為、人間達は家にいる時間が多くなり、活動範囲が狭まる。人間と共にある神々もまた大人しくなり、ある意味では最も穏やかな季節だ。

「だが、冬の季節に隠れて何か企てる者がいないとは言い難い。エーデの弟妹も地上の調査に協力してもらっている。剣が見つかろうとも、しばらくは冥界で過ごした方が良いだろう」
「はい。何か決定的な情報が出ない限りは、申し訳ありませんがお世話になります」
「謝る必要は無い。おまえが清掃係を務める事で、その成果を記録し、今後の番人の配置へ参考にする予定だ」

 強靭な番人よりも非力な清掃係の方が、苦園の囚人達は横暴な態度を取るか、何かを聞き出そうと近寄ってきそうだ。反省の余地のない囚人、逃亡を目論む囚人を割り出すのが、より容易となる。
 また強固なまでの守りを誇る冥界の綻びを発見する係としても、細かな作業を巡回しながら行う清掃係は一役買うだろう。
 シャルシュリアの思考の深さに改めて驚きながらも、常に考え続けては精神が疲れないかゼネスは心配になった。人間に比べれば遥かに耐性のある神だが、それでも感じないわけではない。
 せめて花を見る時だけは、心静かであって欲しいと静かに願う。
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