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全年齢対応・表現マイルドバージョン
第88話 宴(教師陣視点) ~酔わせる苦さ~
しおりを挟むこの時、本校の教師陣は『ダンジョン』の25と50階層にいた。
自校の生徒たちが『レイド』中に、他校の者に入られては困るから監視するという名目で、実質は俗世間を離れて羽目を外そうということだ。
全校生徒がダンジョンにいる。
校内にいてもやることがないというのも理由に挙げられるだろう。
彼ら、彼女らのほとんどは『元探索者』。
残りは座学を教える科目教師となる。
子供時代にダンジョンがなかった世代の者たちだ。
旧時代の遺物、などと謗られつつも役立てられている。
『ダンジョン探索』を旨として育てられる子供たちといえども、一般的な学問も教えないわけにはいかないからだ。
一割が卒業前に死に、五割が卒業後に死ぬとしても。
もう一つ、彼らが『ダンジョン』内にいる理由はある。
通信の中継だ。
『ダンジョン』内でも、スマホは使える。
ただし、通信圏は最大でも30階層まで。
それ以上は断絶する。
このため、中継器の持ち込みが必須となるのだ。
つまり、安定して利用しようと考えれば、25階層ごとに中継器を設置。
維持・管理しなければならない。
25階層ごとに中継器と、それを維持する人員が必要となる。
これは、『ダンジョン利用にかかわる安全基準』という国際ルールに則ったものなので例外はありえなかった。
同時に、通信の監視も行っている。
不用意に刺激の強すぎるライブ映像の配信などされては困るのだ。
学校側の検閲を受けないと、外部へは接続できなくする意図もある。
通常は、それも含めて生徒に行わせるものなのだが、今回は全生徒を上げて最深層攻略に出ている。
生徒から人員を割くわけにはいかなかったため、教員が請け負っているのだった。
ちなみにだが、教職員は『探索者』を引退したということになるので、『ダンジョン内』での狩りは許可されていない。
『レイド』への参加などもってのほかだ。
参加できるとしても、するつもりはないだろう。
彼ら、彼女らの能力は押し並べて低いのだ。
『ダンジョン』主体の世の中にあって、教師という職業を選択するしかなかったくらいに。
この『ダンジョン』は64が最深とされていたので、25と50の2か所に14人ずつ28人が逗留している。
その逗留地で、本来は禁止されているアルコール飲料の栓が抜かれていた。
『レイド』の失敗が確定した頃、25と50階層では『宴』が宴もたけなわだった。
前日に『ダンジョンマスター』討伐成功の連絡が入っていたのだ。
「世界初に乾杯だ!」
浮かれた調子で誰かが叫べば、すぐに全員が唱和して杯が傾けられる。
教師たちはすっかり出来上がっていた。
『レイド』の成功。
『ダンジョンマスター』討伐という快挙。
彼らにも恩恵がもたらされるはずだった。
指導者として。作戦の立案者として。
高く評価されることになるからだ。
片田舎の教師という立場から、世界に名を知らしめる立場になれる。
だからこそ、多少無理目の『レイド』を企画し実行させようという校長の話に乗ったのだ。
そして、それは成功しつつある。
今朝の定期報告によれば、『あとは、ダンジョンマスターのドロップアイテムを回収するだけ』とのことだった。
それなら、今日中にケリがつく。
じきに、回収成功の一報が届くはずだった。
「少し遅くないですか?」
赤いアルコールを、ちびちびと舐めるように飲んでいた女性教師がポツリと呟いた。
回収するだけなら、もう一報が届いていいはずだ。
そもそも、朝の定期連絡以降、通信が全く入っていない。
「奴らも『これで英雄だ!』ってんではしゃいでいるのだろうよ」
「もしくは、人間爆弾にビビったかだな」
どちらだろうと構いやしない。
どっちもくだらない。
そう突き放している。
教師たちの多くもまた、多感な十代を、死と隣り合わせで生きた者たちだ。
そして、同期の6割を亡くしている。
人の生き死にや感情に全く頓着しない・できない精神構造になっている。
そうでなければ正気ではいられなかったから。
同じ生き方を、現在の子供たちにまで求めることは正しいことか?
そんな疑問を彼らは持たない・持とうとしない。
「そうだとしても・・・」
静かすぎる。
女性教師の呟きは、喧騒に紛れて泡のように消えていった。
『ダンジョン内での宴』——それは、教師たちにとって『苦さ』の象徴だった。
かつて探索者だった頃、彼らもまた仲間を失い、命を削りながら階層を進んだ。
そして、討伐の成功や生還の報告が届くたびに、誰かが「祝おう」と言った。
だが、誰も乾杯しなかった。
誰も笑わなかった。
誰も、口を開かなかった。
酒はあった。
火もあった。
だが、言葉はなかった。
沈黙だけが、杯の中で揺れていた。
その記憶は、今となっては口にするのも思い出すのも嫌なものだった。
だから、教師たちは語らない。
語れない。
ただ、忘れたふりをする。
それでも、記憶と感情は追憶する。
泡のように、酔いの隙間から浮かび上がる。
誰かの笑い声に重なるように、誰かの泣き声が耳の奥で響く。
だからこそ、今の宴は『無責任』でなければならなかった。
酔いしれることでしか、あの記憶から逃れられない。
笑うことでしか、あの沈黙を塗りつぶせない。
「世界初に乾杯だ!」。
誰かが叫び、誰かが杯を傾ける。
その声は、かつての沈黙を押し流すように響く。
そして、誰も気づかない。
その沈黙が、今また『戻ってきている』ことに。
◇
盃を片手に、彼はまだ『職務中』だった。
宴の喧騒から少し離れた場所、仄暗い通路の端に設置された中継器の前。
酔いの回った足取りで、彼は機器のランプを確認し、軽く端末を叩く。
通信は、沈黙していた。
受信は、ないに等しい。
だが、『ないに等しい』は『ない』とは違う。
ログの片隅に、奇妙な断片が浮かんでいた。
まるで井戸の底から、泡が一つ、また一つと浮かび上がるように。
ノイズ混じりの信号。
送信されなかったデータ。
受信されることなく、ただ『待機』している何か。
内容までは覗けない。
文字化けしたコードの断片が、画面の端で瞬いては消える。
それでも、彼の背筋を一瞬だけ冷たいものが撫でた。
「・・・気のせいだ」
そう呟いて、彼は端末の蓋を閉じた。
背を向け、宴の明かりの方へと歩き出す。
手にしたボトルを、ぐいとあおる。
喉を焼く液体の熱が、さっきの違和感を押し流していく。
背後の中継器が、かすかに“ピッ”と鳴った。
誰も、それを聞いていなかった。
◇
宴の片隅、女教師はスマホの画面をじっと見つめていた。
そこには、ダンジョンを進む生徒たちの、少し前の映像。
その中の一人、緊張で引きつりながらも前を向く男子生徒の姿に、彼女は目を細める。
「きっと、心にも体にも浅くはない痛みを残して帰ってくるわね」
囁くように呟いた声は、どこか甘く、どこか冷たい。
まるで、怯える小動物を撫でるような優しさだった。
「どう慰めてあげようかしら」
その言葉には、慈しみのような響きと、観察者のような距離感が同居していた。
癒すというより、導く。
導くというより、仕上げる。
そんな『手入れ』のような響き。
彼女の口元が、ゆっくりと歪む。
笑っているのか、ほくそ笑んでいるのか、判別のつかない表情。
「おい、少しは隠せ。よだれを垂らしそうな顔になっているぞ」
隣から声が飛ぶ。
男性教師が苦笑しながらグラスを押し付けてきた。
女教師は不満そうに眉をひそめたが、すぐに『優雅な仮面』をかぶりなおす。
グラスを受け取り、涼やかな仕草で酒を口に含む。
その目は、もう一度スマホの画面へと戻っていた。
「・・・あの子、どこまで形を整えてあげられるかしらね」
その声は、誰にも聞こえないように、泡のように消えていった。
宴の片隅、女教師は静かに笑っていた。
グラスの中で揺れる琥珀色の液体を見つめながら、彼女の思考は遠く、校舎の奥へと沈んでいく。
彼女の家には、記憶が積もっていた。
几帳面に書かれたノート、丁寧に畳まれた制服。
決して破られることのない誓約書のコピー。
それらはすべて、かつて彼女の『指導』を受けた生徒たちの痕跡だった。
彼らはよく言うことを聞いた。
目を伏せ、声を潜め、彼女の言葉に頷いた。
まるで、彼女の望む通りに動く人形のように。
「教育って、素晴らしいわよね」
誰にともなく呟いたその声は、静かで、すこし寂しげだった。
彼女にとって『教える』とは、『整える』ことだった。
心を削り、形を揃え、余計な感情を削ぎ落とす。
そうして初めて、『完成』に近づく。
アルコールが喉を通り過ぎるたび、胸の奥に達成感が灯る。
それは酔いのせいではない。
彼女の中にある、静かな高揚。
誰かの未来を、自分の手で『整えて』いく充足感。
「・・・あの子も、きっと素直になるわ」
スマホの画面に映る生徒の顔を見つめながら、彼女は静かに微笑んだ。
その笑みは、優しさの仮面を被っていた。
けれど、仮面の下では、何かがじわじわと滲み出していた。
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