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レーディング15(R15)・表現深化バージョン~刺激的な表現を含みます
第89話 最下層の討伐者たち ~糸に絡め取られた欲望~ 前編
しおりを挟む「この糸がねぇ?」
イクヨは、天井から垂れ下がる無数の糸束を見上げて、眉をひそめた。
どう見ても、ただの薄汚れた繊維の塊。
埃を吸い、湿気を帯び、ところどころに黒ずみが浮いている。
それでも、これが『貴重な素材』だというのだから、信じがたい。
『糸まみれの部屋』へは、あっけないほど簡単にたどり着いた。
マップはすでに完成していて、迷う心配もない。
モンスターの気配もなく、足音だけが静かに響く。
まるで、ダンジョンではなく、廃墟を散歩しているような気分だった。
けれど、どこかで感じていた。
この静けさが、異様に思えることを。
誰も口には出さなかったが、胸の奥に、うっすらとした不安が沈んでいた。
「何度見ても邪魔くさいわね、コレ」
イクヨは、縦横無尽に走る糸の束を見て、ため息を吐いた。
床にも天井にも、壁にも絡みつくように積もっている。
まるで、誰かの意図で『動けなくするため』に敷かれた罠のようだ――と、誰も思わなかった。
「でも、これがメッチャ貴重な『素材』だと思うと?」
「もうちょっと積み上がっててもいいと思うわ!」
女子B——エリの問いかけに、女子A——イクヨは即答した。
その目は、糸ではなく『金』を見ていた。
「うわ。ロコツ!」
「『現金な』って表現があるけど、まさにソレって感じ」
「金の亡者って、あんたのことだったのね」
「ぎゃははは、ピッタシすぎる二つ名だな!」
「確かに!」
笑い声が、糸の間をすり抜けてこだました。
その音が、何かを呼び起こすような気がしたが、誰も気にしなかった。
「はいはい」
リーダーが手を叩いて、空気を切り替える。
「二つ名が付いたお祝いは帰ってからにして、手を動かして!」
部屋は広く、糸の量は膨大だった。
歩くだけなら「邪魔」で済むが、回収となると話は別。
絡みつく繊維は、まるで意思を持っているかのように、手にまとわりついた。
「二つ名じゃないし。お祝いは儲けたらだし!」
女子Aはブツブツ言いながらも、誰よりも早く手を動かす。
金になるとわかれば、面倒でも働ける。
その姿は、欲望に忠実で、効率的だった。
糸集めは難しくない。
束の半ばを掴んで、ぐるりと回す。
回せば回すほど、糸は締まり、コンパクトになっていく。
まるで、何かを『封じ込める』ように。
「これ、ひと巻きでいくらになるのかなぁ?」
軽いステップで飛び回りながら、イクヨは誰よりも働いた。
『金の亡者』と呼ばれた彼女は、笑われても気にしない。
欲望に忠実であることが、彼女の強さだった。
「あんたんとこ、そんな貧乏だっけ?」
呆れたように、女子C——オソノが問いかける。
イクヨは、糸束を巻きながら答えた。
「今使ってるパソコン、兄貴のお古でさ。もうじきサポートが切れるのよ! ここらで最新鋭機を導入するんだ!」
「ああ、それで」
オソノは納得したように頷いたが、目は笑っていなかった。
チラリと周囲と視線を交わす。
誰もが、同じ疑問を抱いていた。
『探索者』をしていれば、パソコンくらいは余裕で買える。
それなのに、彼女は慌てて金を集めている。
その理由が、どうにも腑に落ちない。
周囲の者たちは、小さく首を振った。
「理解できない」という意思表示だった。
彼女の金銭感覚は、どこかズレている。
「臨時ボーナスがあれば、お母さんもお金をくれるはず!」
「あっ!」
その一言で、全員が納得した。
イクヨは、口座管理を母親任せにしているのだ。
『探索者』は、中学卒業時に自分の口座を持つ。
クエスト報酬の受け取り用であり、自己管理の第一歩。
それが『自立』の証でもある。
なのに、彼女は未だに親の管理する振込口座を使っている。
自分の稼ぎも、貯蓄も、把握していない。
金を欲しがるくせに、金の流れを知らない。
それは、依存だ。
自立心の欠如。
そして、どこかで『責任』を放棄しているように見えた。
「・・・なるほどね」
誰かが、そう呟いた。
その声には、少し冷たさが混じっていた。
「やっと終わったわ・・・」
イクヨが、深々と息を吐いた。
その声には、達成感よりも疲労の色が濃く滲んでいた。
作業開始から、すでに三時間以上。
誰もが無言で手を動かし続け、休憩すら取っていなかった。
「腕が、腕がつる・・・」「こ、腰がぁ・・・」「指がもう、感覚ない・・・」
あちこちから、悲鳴のような声が上がる。
笑いも冗談も、もう出てこない。
糸の回収は、想像以上に体力を削った。
「キレイになったし、ここで休憩にしましょう」
リーダーの声に、皆がほっと息をつく。
かつて糸で埋め尽くされていた部屋は、今やがらんどうの空間。
その静けさが、どこか不自然に思えるほどだった。
「賛成! あ、そだ。一応、これも回収しとこう!」
女子Aが、ふらつく足取りで部屋の奥へ向かう。
そこに鎮座していたのは、典型的な宝箱。
木製の外装に、ドーム型の蓋。
いかにも『ご褒美』といった風情。
「どうせビミョーなアイテムでしょーけど、売れば小銭にはなるしね」
彼女はそう言って、蓋に手をかけた。
誰も止めなかった。
誰も、疑わなかった。
この部屋には、モンスターはいない。
罠もない。
そう思い込んでいた。
それが、最大の油断だった。
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