『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』

葉月奈津・男

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レーディング15(R15)・表現深化バージョン~刺激的な表現を含みます

第143話 霧の向こうで ~沙羅の想い~

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 手のひらが、まだ熱い。
 斬った瞬間の感触が、皮膚の奥に残っている。

 それは『行為』の記憶じゃない。
『真実』の証明。
 モンスターではない。
 仲間の、柔らかい命を斬ったという、消えない実感。

「しかたなかった」
 そう言い聞かせるたび、腕が重くなる。

 言葉が軽ければ軽いほど、
 罪は濃く、深く、重くなる。
 それは、心の底に沈んでいく鉛のように、沙羅を引きずり込んでいく。

『仲間を斬った罪』——それは罪ではなかった。
 罪は、『自分を欺こうとした』ことにあった。

 この一文が、沙羅の本当の罪を突きつける。
『斬った』ことではなく、『見なかったふりをした』こと。
『自分だけは違う』と思いたかったこと。

『彼を見殺しにした罪』、それは『自己肯定と自己保身という罪』だ。

 その罪は、誰にも見えない。
 だからこそ、誰よりも重い。

 そして、再び現れる『薫』――いや、『縫緋まとい』。

 白かったはずの上着が——赤い。
 長い舌が、沙羅の輪郭をなぞるたびに、何かが奪われていく。

 それは、罰ではない。
 それは、清算。
 沙羅が自ら差し出した『代償』。

 罪が軽くなる。

 意志が希薄になる。

 命が細くなる。

 悲鳴もなく、流血もなく、ただ、静かに沈んでいく。

 それは、沙羅が『自分を許す』ための儀式。
 けれど、赦しはない。
 あるのは、喪失だけ。

「私は、まだ人間?」

 問いは、声にならなかった。
 意識が遠のく。
 水の底に引き込まれるように。

 最後に見た薫の微笑みは、優しかった。
 それが、いっそう苦しかった。

 水が、耳を塞ぐ。
 音が遠くなる。
 世界が、静かになる。

「私は、まだ……」

 その言葉の続きを、誰も聞くことはなかった。

 薫の微笑みが、水の揺らぎに溶けていく。
 優しく、静かに。

 沙羅の瞳が閉じる。
 その瞬間、彼女の『人間としての灯り』が、ひとつ、消えた。

 ◇縫緋まといの思想◇

「戦うって、斬ることじゃないのよ」

 その言葉は、誰にも届かない。
 けれど、まといの中では確かな刃だった。

「戦うって、見つめること。見ないふりをしていたものを、見つめ直すこと。それが、私の戦い」

 人間は、垢を溜める。
 それは、罪でもあり、忘却でもある。

 誰かを見捨てた記憶。
 誰かを踏みつけた沈黙。
 誰かを守らなかった選択。

 その垢は、目に見えない。
 でも、まといには見える。
 感じられる。
 味わえる。

「だから、私はそれを食べる。それが、私の戦い」

 まといの舌は、武器ではない。
 それは、祈りの器官。
 罪の記憶をなぞるための触媒。

 ぬるり、とした舌が沙羅の頬をなぞる。
 耳の裏を撫で、首筋に絡みつく。
 その動きは、まるで『記憶を剥がす』ように丁寧で、どこか慈しみに満ちていた。

「人間との戦いは、罪との対話。あなたの罪を、私が味わう。あなたの痛みを、私が受け取る。あなたの沈黙を、私が語る」

 それは、赦しではない。
 それは、罰でもない。
 それは、記憶の継承。

 沙羅の罪は、苦く、熱く、懐かしい。
 まといの舌がそれをなぞるたび、沙羅の中の『人間らしさ』が、少しずつ剥がれていく。

「あなたが消えたら、誰が私を覚えているの?」

 その問いは、『喰らう者』の孤独から生まれた祈りだった。

 だから、彼女は斬らない。
 だから、彼女は叫ばない。
 だから、彼女は微笑む。

 その微笑は、かつての『薫』のものに似ていた。
 けれど、そこにあるのは支配ではなく、『共に沈む者』への共感だった。

「ゆっくり眠るといいわ。起きたら……仲良くできるかしらね?」

 その言葉は、呪いではない。
 それは、儀式の終わりを告げる祈り。

 沙羅が『沈む者』になることで、まといは『食む者』として完成する。

 水音が耳の奥で鳴る。
 それは、まといの心臓の音。
 制服の縫い目の鼓動。
 そして、沈んだ者たちの記憶のざわめき。

 彼女は戦っていない。
 彼女は儀式をしている。
 それが、縫緋まといという妖怪の『戦い方』。

 ◇『薫』から『沙羅』へ◇

 かつて、彼女は『火』だった。
 燃え上がるような言葉。
 焦がすような視線。
 触れれば痛い。
 でも、離れれば寒い。

 それが、沙羅だった。

 薫は、反発していた。
 水と火。
 冷静と激情。
 理解し合えないと、決めつけていた。

 でも今、まといとして彼女を見つめると――その『熱』は、ただの罪じゃなかった。

 それは、誰かを守ろうとした意志。
 それは、誰かを見捨てたくなかった痛み。

「反発する理由なんて、なかったのよね」

 まといの舌が、沙羅の輪郭をなぞる。
 ぬるりと、ゆっくりと、まるで『記憶の温度』を確かめるように。

 それは、罰ではない。
 それは、理解の所作。

「あなたは、ただ熱かっただけ。 私は、ただ冷たかっただけ。それだけのことだったのに」

 今、沙羅は沈んでいく。
 罪を食まれ、意志を薄められ、命を細くされながら。

 でも、まといは思う。

「起きたら、仲良くできるかもしれない」

 それは、希望ではない。
 それは、赦しでもない。
 それは、ただの可能性。

「あなたが沈んで、私が食んで、それでもまだ、あなたの熱が残っていたら――そのときは、少しだけ近づいてみてもいいかしら」

 彼女は微笑む。
 その微笑は、薫だった頃のものに似ている。
 でも、そこにあるのは反発ではなく、受容。

「火と水は混ざらない。でも、霧にはなれる。だから、もしあなたが目を覚ましたら――そのときは、霧の中で、少しだけ話してみたい」

 霧は、境界を曖昧にする。
 敵と味方、罪と赦し、人と妖怪――そのすべてを、少しだけ近づける。

 人の時はできなかったこと。
 人の時にこそ、試すべきだったこと。

 ——でも、私は見なかった。
 ——見ようとしなかった。

 人でなくなった今、それができる。
 皮肉だとは思うが、できないままよりはずっといい。

『妖怪』になって、『人間』がわかる。
 哀しいけれど、喜ばしい。
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