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第18話 行雲流水 ⑥ ~鳥~
しおりを挟む「す、『ストイックの魔窟』ですって!? あの『神を喰らうもの』と呼ばれる魔龍『アイオーン』の巣じゃない! あんな所に行かなきゃなんないわけ!!」
バンボラの呟きを聞いたリカートが、全身を震わせて叫ぶ。
その震えは恐怖ではなく、嫌悪感から来るものだった。
普段はあまり表に出さないが、彼女も神に仕える神官。
『神を喰らうもの』に対して、友好的になれるはずがない。
「……でも、確かに異世界へ通じる穴といえば、あそこぐらいのものでしょうね」
この地上界は意図的に創られた世界。
知られざる神秘など存在せず、知られている神秘も三つしかない。
一つは、世界の中心にして聖地と呼ばれる『支衛の森』。
もう一つは、『神々の実験室』と称される『カプリチオ盆地』。
そして、その中心に穿たれた穴――それこそが『ストイックの魔窟』だった。
「西の果て、無と有の境界線上にたゆたいし暗黒。全てを飲み込み、全てを現わすもの。生にして死、万有にして虚無……賢者はそう語っています。何が起こるか、分かりませんよ」
変心を促す巫女頭の言葉は、鈴音の静かな微笑みによって、そっと受け止められた。
「ありがとうございます。ご心配いただいて…。でも、あたし、決めましたから。道を見つけて、走り出してしまった以上、止まりたくないんです。一瞬たりとも」
その華奢な身体のどこに、これほどの強さが宿っているのか。
鈴音の言葉には、意地も見栄もない。
ただ、自然な勇気があった。
「俺としても、乗りかかった船だ。途中で降りる気はねぇよ」
「『聖地』に行ってしまったからには、あとはどこ行ったって同じようなもの。どこまでだって付き合うよ」
バンボラとリカートもまた、静かに言い切った。
三人の瞳の奥には、風のように自然で、水のように澄み、炎のように激しい情熱が燃えていた。
「しかたありませんね」
巫女頭は静かに息を吐き、中庭を望む窓辺へと歩み寄る。
「あそこに叡智の化身、知識の番人たる黒鳥がいます。彼の背に乗れば、明日の朝日が昇る頃には『入り口』までは辿り着けるでしょう。……中へは、彼とて行きたがらないでしょうけれど」
慈しむような響きを帯びたその言葉とともに、大きく、それでいて軽やかな羽音が響き、銀色の鳴き声が耳をくすぐり、脳内をすり抜けていった。
「神獣ホアンホア・ロイド。この世の知識を知り尽くしたビロードの翼を持つこの鳥は、知識の神・エスティリアに勝負を挑んだ。戦いは幾日も続き、互いに一歩も譲らなかった。だが最後の日、女神が出した謎に、この鳥は答えを見つけられなかった。以来、この賢き鳥は、答えを探して彷徨い続けている――」
リカートが、夢の中にいるような瞳で、虚空を見つめながら語った。
「よく御存知ですね。この話しは一冊の本に数ページ書かれているだけ、しかも本はここにしかないというのに」
意外というより、興味をにじませた声が巫女頭の口から漏れた。
この物語が記された本は、世界に一冊しか存在せず、ここ三百年ほどは誰にも読まれていなかったのだ。
「本は焼けば失われますが、人の記憶と口を消し去ることは神とて不可能なこと。そうでしょ? あなた様にしても、先代から直接聞かされた物語や知識があるはずです」
巫女頭に対してはやや傲慢にも聞こえる言い方だったが、リカートにしては珍しく筋の通った意見だった。
もっとも、大半は長老の教えをそのまま繰り返しただけだったのだが。
「……なるほど。何もエスティリアの巫女だけが知識を得ているわけではない。そういうことですか」
巫女頭は気負うことなく、さらりと受け流した。
その視線の先には、首をかしげて考え込む鈴音の姿があった。
「どうかしましたか?」
この世の悩みや謎に対して、ただ一つの事柄を除いてすべて答えられるという自負を持つ巫女頭。
その彼女が、思わず声をかけた。
「……今になって気づいたんですが、あたしたちがやろうとしていることって、神々にしても魔王にしても、看過できない暴挙に思えるんです。なのに、どうして神々はあたしたちに協力的なんでしょうか?」
それは、鈴音にとっては素朴な疑問だった。
だが、巫女頭にとっては――存在そのものを揺るがしかねない、重大な問いだった。
もちろん、巫女頭はその答えを知っていた。
知っているからこそ、伝説の神獣ホアンホア・ロイドはここにいる。
だが、それは答えてはならない謎。
知らせてはならない秘密でもあった。
「それは……」
巫女頭は言葉を詰まらせた。
その温和な顔に、深刻を通り越した悲痛な表情が浮かぶ。
「いいじゃないか、そんなこと。神が協力的だろうと邪魔してこようと、俺たちには突っ走ることしかできねぇんだからな。理由なんて訊くだけ時間の無駄だ」
バンボラが口を挟む。
巫女頭を助けるつもりだったのかは分からない。
「そうですね」
もともと、なんとなく気になっただけの疑問だった。
鈴音は深く追求することなく、あっさりと引き下がった。
「話が済んだんなら、早く行こうよ。はやく、はやく!」
伝説の神獣の存在を『知っていた』。
『信じていた』わけでもなく。
ただ、『知っていた』だけ。
それでも、実際に見て、触れて、乗れるという期待に、リカートはすっかり子供のようにはしゃぎ、鈴音の腕を引いて急かす。
「はい、はい」
いつもとは逆の立場に、思わず微笑む鈴音。
巫女頭と巫女たちに軽く会釈をして、庭の方へと向かっていった。
やがて――大きな羽音とともに、鈴音、リカート、バンボラの三人を乗せた 黒鳥ホアンホア・ロイドが窓の外を飛びすぎ、あっという間に空へと溶け込んでいった。
「間に合ってくれるでしょうか?」
三人と一羽が空に溶けた後も、しばらく空を眺めていた巫女頭が室内に向き直り、先刻来ずっとそばにいた巫女に声をかけた。
だが先ほどまでとは口調が微妙に異なっていた。
目下のものへというよりも同格のものと接するかのような響きがある。
「間に合ってもらわなくてはね。もう、長くはもちそうにないですから」
ここにきて初めて口を利き、うつむきがちだった顔を上げた巫女。
もし今ここに鈴音が残っていれば、聞き覚えのある声と見覚えのある顔に気づき、声を上げていたことだろう『女神ラファエラ』、と。
「彼女らは、わたしたちに残された最後の希望ですからね。唯一の勇者を失った今となっては……」
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