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僕を好きになった人
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プロローグ
告白されたのは、とてもロマンチックな場所だった。なだらかな丘からは小さな町が一望出来て、町を越えた先には海が見える。銀砂の星が散らばる夜の空が、藍色の海に映っているのを見つめながら、カメラを構えている僕に言ってくれたんだ。
「好きなんだ」
言ってくれたのが、美少女だったら僕はどれだけ嬉しかったろう。いいや、平均的な一般女子でいい。もっと譲歩するなら、女子なら誰でもいい。とにかく、分類上、女であるなら僕だってもっとマシなリアクションはとれたろう!
悲しいかな、僕の目の前にいるのは、僕と同じ男子だ。僕より体も大きくがっしりしていて、爽やかなスマイルが似合う、言うなればアイドル系のイケメン。
同じ高校のカメラクラブに所属していて、何かと話が合う気のいい友達だったのに、どうしてこんな事になってしまったんだろう。
「…僕ら男同士じゃないか…」
言ってて、僕はぶるぶる体が震えてきた。何をどう言えばいいか分からなくて、男同士だと言う言葉ばかりが僕の頭の中をぐるぐる回る。恋愛に置いて、男同士ってのは深刻な問題なんだ。しょうがないだろう!
僕の態度を見て、彼は悲しそうな顔を見せる。泣きたいのは僕なのに、彼がそんな顔をするのは卑怯だと思った。
「ゴメン」
結局、彼は僕の返事を待たず、一言謝ると、背を向けて去っていった。僕は安堵の息を洩らす。
あぁ、良かった。変な事に巻き込まれなくて。
世の中に男の人を好きになる人がいるって分かっているけど、僕らが住んでいるような小さな漁師町じゃあ、そんな人は滅多にいない。そういう人種はテレビかインターネットでしか、会えない存在なんだ。
僕はそう思っていたんだ。その時までは。
1
残業続きで、僕は家に帰れずにいた。0時を過ぎてしまった所で、電車は諦めた。それでもタクシーで帰るぞと意気込んではいたんだ。
それなのにチーフが出張先から酔って帰ってきて、今からセミナーの準備をしろと資料だけをバサリと僕の机に置いて、自分は仮眠室に引っ込んでしまった。
「後藤田!朝までにレイアウトを済ませておけよ」
そんな鬼の一言を残して。
ここは小さなコンサルタント会社だ。必要であれば、文書の作成も写真も取材も全部一人で出来なくてはならない。しかも僕は高校の頃にカメラクラブにいて、グラフィック系のソフトを使えると皆が知っているから、グラフィックの仕事はたいてい僕に回ってくる。専門のクリエイターを雇えない、雇うまでもないセミナー用のチラシ作成だから、皆は僕の仕事の苦労を全然分かってない。
下っ端だから文句を言えなくて、日々フラストレーションばかりが溜まっていく。
高校卒の、ろくに学も技術も持ってない僕が、一応は福利厚生のしっかりした一般企業に就職出来ただけでも有り難いと思わなければと、僕は自分に言い聞かせている。僕のろくでもない地元の友達連中は、殆どがフリーターか無職なんだから。嫌なご時世だなぁ。
やっと仕事がひと段落着いて、僕は会社を出た。家に帰る気はもうなくて、僕はお腹が減っていた。コンビニでおにぎりでも買おうと、とぼとぼ暗がりの道を歩いていると、ふと、電柱の下で顔をくっつけあって、絡み合っている男女が見えた。こんな道端で恥ずかしい奴らだ。僕の故郷だったら、すぐに噂になっているだろう。
顔を合わせないように横を通り過ぎた時、僕はどきりと胸が鳴った。
男同士だった。
まさか!
でも、あの顔つきは女の子とは思えない。喉仏だってあった気がする。男同士だと思うと、僕はドキドキして、歩く速度が遅くなった。
僕はもう一度振り返って確かめようか。見られてばつの悪い思いをさせるかもしれないし、絡まれるかもしれない。きっと彼等は気分を害するに決まっている。それでも、僕は好奇心に勝てなかった。
そろりと振り返る。すると、電柱の下で自分より少し体格のある男を抱き締めながら、細身の男がちらりと僕を見て、目が合うと、薄笑みを浮かべた。
「!」
見られたと分かったら、僕は慌てて走り出した。
都会の空には星はない。暗闇の中、僕の足音一つきり。
はぁはぁはぁ。
少し離れた公園までやってくると、さすがに息が上がった。普段ろくに運動してないせいだ。それも会社の仕事が忙しいのが悪い。
荒い息を吐いて、僕はへなへなとその場にしゃがみ込んだ。
頭を抱える。ドキドキが収まらない。走ったせいもあるけど、まだ目の奥にさっきの光景が張り付いていた。
穏やかに笑った顔が、いつかのアイツの顔と重なって見えて、僕の心音はなかなか静かになりそうにない。完全に止まってしまったら困りものなんだけど、彼等のキスシーンを見た時は本当に息が止まるかと思った。
心を落ち着かせる為に僕は公園のベンチに座り、胸に手を当てて空を見上げる。空虚な天は妄想の余地がある。僕は穏やかじゃない胸に手を当てながら、そっと目を閉じた。
『好きなんだ』
未だ僕の心を去らない、アイツのセリフ。あの日から、僕はずっと彼の事を想っている。彼から僕の傍を離れて、部活も辞めて、転校までしてしまった。会えなくなってから、僕はどうしてあの日、あの告白を受けなかったんだろうと、考えてしまってる。
男同士なんて僕の頭になかったのに、あの日から、僕は男同士でも愛し合えるんだろうかと、そればかり考えてしまって、気付いたらもう女の子に興味をなくしてしまっていた。なのに、アイツは言うだけ言って消えちゃって、ホモになってしまった僕だけが残ってしまったんだ。畜生、責任を取れと、もしも再会出来たら言いたい。
フッと僕は笑った。
そんな事、言えっこない。だって、僕は彼を忘れられない。あんな心を込めて、僕に愛を告白してくれたのは彼だけだ。他の誰かを好きになろうと努力した事もあったけれど、結局男同士ってのがネックで田舎町ではそんな相手に出会えなかった。
働き出してからは忙しくて、それどころじゃなくて、次の恋が見つけられずにいる。
「羨ましい…」
ふと零れたのは、さっきのカップルに対しての言葉だ。男同士だってのに、人目憚らずにあんな場所でキス出来るなんて、能天気な奴らだよ。
「じゃ、アンタもする?」
「ひぃっ!」
後ろから声をかけられて、僕は飛び上がって驚いた。ベンチ越しに、さっきの男がいた。キスを仕掛けていた方の男だ。さっきは電灯の影でよく顔が見えなかったけれど、その顔を見て僕は心底驚いた。心臓が止まらないのが不思議なくらいだ。
アイドル系の優しい顔に、白い歯がむき出しの笑顔が似合う。
アイツに…そっくりだった。
「…ごくり」
生唾を飲み込んだのは恐怖からだったけれど、目の前の彼は僕が期待していると勘違いしたのか、遠慮もなく僕の体を引っ張って、ベンチに倒れかかる形の僕にキスをした。
キス!
男とキスなんて!
気持ち悪いと言う感想は出てこなかった。妄想の中では幾度もしていたからか、なんとなく想像通りだと感じていた。つまり、女の子みたいに良い匂いもしないし、唇だってぷるぷるじゃなくて、かさかさだ。腕と胸元をつかまれているから、息苦しくもある。けれど、これまで味わった事のない熱さを舌で感じた。
舌…そうだ。コイツは僕の口の中に、あろう事か舌を入れてきたんだ。外国映画じゃあるまいし、こんなディープキスには慣れてない。僕は慌てて男を押しのけようとしたけれど、逆に彼は僕をしっかりベンチに座らせて、身を寄せて抱き込んできた。彼の腕の中に囚われて、僕はろくに抵抗出来なかった。
「ん…は…」
どっちの声だろう。自分の声だとは思いたくない、濡れた吐息。僕は官能小説の中の住人のように、たかがキスで体が火照ってきたんだ。
それを察して、彼が喉の奥で笑ったのが分かった。唇を合わせているんだ、笑ったら振動で分かる。腹が立って僕が首を振って、キスから逃れた。今度はあっさりと彼は僕を解放した。
僕はベンチを盾にして、男と対峙した。
真正面から見ると、ますますアイツに似ていて、僕は動揺を隠せない。
「なっ、何するんだ!変態!」
「キスしてほしかったんだろ?」
いけしゃあしゃあと、なんて事を言うんだ!半分は正解だけど、僕にも男のプライドってもんがある。
「勝手に決めるな!このホモ!!」
ホモになってしまった僕の言えたセリフじゃないけど、コイツにはホモがバレてないんだから、まぁいいかと罵ってやれば、彼は全然応えた様子も見せずに、笑い返してきた。
「ホモって言うより、バイかな?俺は男とか女とか、気にしない。キスしたい相手がいたら、キスするだけ」
「僕はキスしたいなんて言ってない!」
「本当に?」
クスッと笑って、彼はあっさりとベンチの防壁を乗り越えて、僕の目の前にやってきた。逃げようとする腰を引かれて、僕は顔を背ける。彼はどんどん顔を近づけて、僕の耳元で囁いた。
「なら、どうしてそんな物欲しそうな顔で俺を見るの?」
そんな顔をしているわけじゃない。でも、彼の…アイツに似た彼の顔を見ていると、どうしてもうまく抗えない。
アイツを拒絶してしまってからずっと、次に会ったらアイツを受け入れようとばかり考えていたからか、似た顔ってだけで僕は拒絶しきれない。
「違う…」
かろうじて出た声はか細くて、武器にならない。
「違うんなら、それでもいいさ。俺はアンタにキスしてみたい」
「さっき…したじゃないか…」
「もう一度」
もう一度って言うなら、それで解放してくれるんならと、僕は目を閉じてしまった。閉じた瞬間に、彼は僕にキスの雨を降らせた。
恥ずかしい表現だったけど、まさにそんな感じだったんだ。小さなキスを幾度も僕に落としてから、くすぐったくて笑ってしまうと、その開いた唇に舌を差し込まれて、口の中を嘗め回された。ぬらぬら蠢く舌の感触は、最初は気持ち悪かったけれど、慣れてくるとやたら甘ったるく感じてきた。
「ん…む…」
薄い唇を食む。腰を更に引き寄せられて、胸元までぴったりと男と重なってしまった。男の手はもう僕の腰にはなくて、僕のお尻を支えている。心無しか、撫でられている気がするけど、キスで頭いっぱいの僕にはそれを確かめる余裕なんてなかった。
「はぁ…あ…」
長いキスの果てに、糸を垂らして僕らの唇が離れた。マトモに彼を見れなくて、僕は俯いた。
「良かった?」
無邪気に聞いてくる男に腹が立った。それ以上に、自己嫌悪に陥った。全く知らない初対面のホモ、いやバイのキスに酔ってしまうぐらい感じてしまうなんて、恥ずかしい。いくら男同士のキスを夢想していたからって、誰でもいいって事ぁないだろう!しかも、昔自分が振った男とそっくりな男だなんて、自虐趣味でもあるのか。
黙りこんでいる僕に男は少し迷ってから、僕の手を引いて、ベンチに座らせた。軽く僕の頭を撫でて、彼は去った。
ぽつん。
公園に残されて、僕は軽くため息を吐く。少し肌寒い。まだ夏は先だ。
頭の中はぐちゃぐちゃで、参っていると、頬に温かいものを押し付けられた。横を見れば、さっきの男が缶コーヒー片手に笑っていた。
「飲めよ」
「ありがとう」
僕は素直に受け取った。すっかり喉が渇いて、温かさが欲しかったんだと気付いた。従順な僕がおかしいのだろう、彼は僕をニコニコ笑いながら見つめてくる。僕は居心地の悪さを感じて、視線を逸らした。
本当にアイツに似ていて、嫌でもあの日を思い出す。
「そう警戒すんなよ。変な奴じゃないって言ってもフォローにならねぇけど、一応身元はハッキリしてるよ」
彼は懐から名刺を取り出した。見覚えのあるデザインだった。見覚えのある筈だ。この名刺のデザインは僕がしたんだから!
「!」
名刺の表を見ずとも、彼が何者か分かった。僕の同僚だ…。蒼ざめている僕に、彼は名刺を押し付けてきた。
『株式会社トゥギャザーコンサルティングコーポレーション 営業 戸高哲平』
絶句して何も言えない僕に、彼はにっこり笑って言った。
「今期から仲間になる戸高だ。よろしく、制作課の後藤田吾郎さん」
フルネームで名前を言い当てられて、僕は逃げも隠れも出来なかった。グゥと喉の奥で鳴いたのを、彼の唇に封じられてしまった。
告白されたのは、とてもロマンチックな場所だった。なだらかな丘からは小さな町が一望出来て、町を越えた先には海が見える。銀砂の星が散らばる夜の空が、藍色の海に映っているのを見つめながら、カメラを構えている僕に言ってくれたんだ。
「好きなんだ」
言ってくれたのが、美少女だったら僕はどれだけ嬉しかったろう。いいや、平均的な一般女子でいい。もっと譲歩するなら、女子なら誰でもいい。とにかく、分類上、女であるなら僕だってもっとマシなリアクションはとれたろう!
悲しいかな、僕の目の前にいるのは、僕と同じ男子だ。僕より体も大きくがっしりしていて、爽やかなスマイルが似合う、言うなればアイドル系のイケメン。
同じ高校のカメラクラブに所属していて、何かと話が合う気のいい友達だったのに、どうしてこんな事になってしまったんだろう。
「…僕ら男同士じゃないか…」
言ってて、僕はぶるぶる体が震えてきた。何をどう言えばいいか分からなくて、男同士だと言う言葉ばかりが僕の頭の中をぐるぐる回る。恋愛に置いて、男同士ってのは深刻な問題なんだ。しょうがないだろう!
僕の態度を見て、彼は悲しそうな顔を見せる。泣きたいのは僕なのに、彼がそんな顔をするのは卑怯だと思った。
「ゴメン」
結局、彼は僕の返事を待たず、一言謝ると、背を向けて去っていった。僕は安堵の息を洩らす。
あぁ、良かった。変な事に巻き込まれなくて。
世の中に男の人を好きになる人がいるって分かっているけど、僕らが住んでいるような小さな漁師町じゃあ、そんな人は滅多にいない。そういう人種はテレビかインターネットでしか、会えない存在なんだ。
僕はそう思っていたんだ。その時までは。
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残業続きで、僕は家に帰れずにいた。0時を過ぎてしまった所で、電車は諦めた。それでもタクシーで帰るぞと意気込んではいたんだ。
それなのにチーフが出張先から酔って帰ってきて、今からセミナーの準備をしろと資料だけをバサリと僕の机に置いて、自分は仮眠室に引っ込んでしまった。
「後藤田!朝までにレイアウトを済ませておけよ」
そんな鬼の一言を残して。
ここは小さなコンサルタント会社だ。必要であれば、文書の作成も写真も取材も全部一人で出来なくてはならない。しかも僕は高校の頃にカメラクラブにいて、グラフィック系のソフトを使えると皆が知っているから、グラフィックの仕事はたいてい僕に回ってくる。専門のクリエイターを雇えない、雇うまでもないセミナー用のチラシ作成だから、皆は僕の仕事の苦労を全然分かってない。
下っ端だから文句を言えなくて、日々フラストレーションばかりが溜まっていく。
高校卒の、ろくに学も技術も持ってない僕が、一応は福利厚生のしっかりした一般企業に就職出来ただけでも有り難いと思わなければと、僕は自分に言い聞かせている。僕のろくでもない地元の友達連中は、殆どがフリーターか無職なんだから。嫌なご時世だなぁ。
やっと仕事がひと段落着いて、僕は会社を出た。家に帰る気はもうなくて、僕はお腹が減っていた。コンビニでおにぎりでも買おうと、とぼとぼ暗がりの道を歩いていると、ふと、電柱の下で顔をくっつけあって、絡み合っている男女が見えた。こんな道端で恥ずかしい奴らだ。僕の故郷だったら、すぐに噂になっているだろう。
顔を合わせないように横を通り過ぎた時、僕はどきりと胸が鳴った。
男同士だった。
まさか!
でも、あの顔つきは女の子とは思えない。喉仏だってあった気がする。男同士だと思うと、僕はドキドキして、歩く速度が遅くなった。
僕はもう一度振り返って確かめようか。見られてばつの悪い思いをさせるかもしれないし、絡まれるかもしれない。きっと彼等は気分を害するに決まっている。それでも、僕は好奇心に勝てなかった。
そろりと振り返る。すると、電柱の下で自分より少し体格のある男を抱き締めながら、細身の男がちらりと僕を見て、目が合うと、薄笑みを浮かべた。
「!」
見られたと分かったら、僕は慌てて走り出した。
都会の空には星はない。暗闇の中、僕の足音一つきり。
はぁはぁはぁ。
少し離れた公園までやってくると、さすがに息が上がった。普段ろくに運動してないせいだ。それも会社の仕事が忙しいのが悪い。
荒い息を吐いて、僕はへなへなとその場にしゃがみ込んだ。
頭を抱える。ドキドキが収まらない。走ったせいもあるけど、まだ目の奥にさっきの光景が張り付いていた。
穏やかに笑った顔が、いつかのアイツの顔と重なって見えて、僕の心音はなかなか静かになりそうにない。完全に止まってしまったら困りものなんだけど、彼等のキスシーンを見た時は本当に息が止まるかと思った。
心を落ち着かせる為に僕は公園のベンチに座り、胸に手を当てて空を見上げる。空虚な天は妄想の余地がある。僕は穏やかじゃない胸に手を当てながら、そっと目を閉じた。
『好きなんだ』
未だ僕の心を去らない、アイツのセリフ。あの日から、僕はずっと彼の事を想っている。彼から僕の傍を離れて、部活も辞めて、転校までしてしまった。会えなくなってから、僕はどうしてあの日、あの告白を受けなかったんだろうと、考えてしまってる。
男同士なんて僕の頭になかったのに、あの日から、僕は男同士でも愛し合えるんだろうかと、そればかり考えてしまって、気付いたらもう女の子に興味をなくしてしまっていた。なのに、アイツは言うだけ言って消えちゃって、ホモになってしまった僕だけが残ってしまったんだ。畜生、責任を取れと、もしも再会出来たら言いたい。
フッと僕は笑った。
そんな事、言えっこない。だって、僕は彼を忘れられない。あんな心を込めて、僕に愛を告白してくれたのは彼だけだ。他の誰かを好きになろうと努力した事もあったけれど、結局男同士ってのがネックで田舎町ではそんな相手に出会えなかった。
働き出してからは忙しくて、それどころじゃなくて、次の恋が見つけられずにいる。
「羨ましい…」
ふと零れたのは、さっきのカップルに対しての言葉だ。男同士だってのに、人目憚らずにあんな場所でキス出来るなんて、能天気な奴らだよ。
「じゃ、アンタもする?」
「ひぃっ!」
後ろから声をかけられて、僕は飛び上がって驚いた。ベンチ越しに、さっきの男がいた。キスを仕掛けていた方の男だ。さっきは電灯の影でよく顔が見えなかったけれど、その顔を見て僕は心底驚いた。心臓が止まらないのが不思議なくらいだ。
アイドル系の優しい顔に、白い歯がむき出しの笑顔が似合う。
アイツに…そっくりだった。
「…ごくり」
生唾を飲み込んだのは恐怖からだったけれど、目の前の彼は僕が期待していると勘違いしたのか、遠慮もなく僕の体を引っ張って、ベンチに倒れかかる形の僕にキスをした。
キス!
男とキスなんて!
気持ち悪いと言う感想は出てこなかった。妄想の中では幾度もしていたからか、なんとなく想像通りだと感じていた。つまり、女の子みたいに良い匂いもしないし、唇だってぷるぷるじゃなくて、かさかさだ。腕と胸元をつかまれているから、息苦しくもある。けれど、これまで味わった事のない熱さを舌で感じた。
舌…そうだ。コイツは僕の口の中に、あろう事か舌を入れてきたんだ。外国映画じゃあるまいし、こんなディープキスには慣れてない。僕は慌てて男を押しのけようとしたけれど、逆に彼は僕をしっかりベンチに座らせて、身を寄せて抱き込んできた。彼の腕の中に囚われて、僕はろくに抵抗出来なかった。
「ん…は…」
どっちの声だろう。自分の声だとは思いたくない、濡れた吐息。僕は官能小説の中の住人のように、たかがキスで体が火照ってきたんだ。
それを察して、彼が喉の奥で笑ったのが分かった。唇を合わせているんだ、笑ったら振動で分かる。腹が立って僕が首を振って、キスから逃れた。今度はあっさりと彼は僕を解放した。
僕はベンチを盾にして、男と対峙した。
真正面から見ると、ますますアイツに似ていて、僕は動揺を隠せない。
「なっ、何するんだ!変態!」
「キスしてほしかったんだろ?」
いけしゃあしゃあと、なんて事を言うんだ!半分は正解だけど、僕にも男のプライドってもんがある。
「勝手に決めるな!このホモ!!」
ホモになってしまった僕の言えたセリフじゃないけど、コイツにはホモがバレてないんだから、まぁいいかと罵ってやれば、彼は全然応えた様子も見せずに、笑い返してきた。
「ホモって言うより、バイかな?俺は男とか女とか、気にしない。キスしたい相手がいたら、キスするだけ」
「僕はキスしたいなんて言ってない!」
「本当に?」
クスッと笑って、彼はあっさりとベンチの防壁を乗り越えて、僕の目の前にやってきた。逃げようとする腰を引かれて、僕は顔を背ける。彼はどんどん顔を近づけて、僕の耳元で囁いた。
「なら、どうしてそんな物欲しそうな顔で俺を見るの?」
そんな顔をしているわけじゃない。でも、彼の…アイツに似た彼の顔を見ていると、どうしてもうまく抗えない。
アイツを拒絶してしまってからずっと、次に会ったらアイツを受け入れようとばかり考えていたからか、似た顔ってだけで僕は拒絶しきれない。
「違う…」
かろうじて出た声はか細くて、武器にならない。
「違うんなら、それでもいいさ。俺はアンタにキスしてみたい」
「さっき…したじゃないか…」
「もう一度」
もう一度って言うなら、それで解放してくれるんならと、僕は目を閉じてしまった。閉じた瞬間に、彼は僕にキスの雨を降らせた。
恥ずかしい表現だったけど、まさにそんな感じだったんだ。小さなキスを幾度も僕に落としてから、くすぐったくて笑ってしまうと、その開いた唇に舌を差し込まれて、口の中を嘗め回された。ぬらぬら蠢く舌の感触は、最初は気持ち悪かったけれど、慣れてくるとやたら甘ったるく感じてきた。
「ん…む…」
薄い唇を食む。腰を更に引き寄せられて、胸元までぴったりと男と重なってしまった。男の手はもう僕の腰にはなくて、僕のお尻を支えている。心無しか、撫でられている気がするけど、キスで頭いっぱいの僕にはそれを確かめる余裕なんてなかった。
「はぁ…あ…」
長いキスの果てに、糸を垂らして僕らの唇が離れた。マトモに彼を見れなくて、僕は俯いた。
「良かった?」
無邪気に聞いてくる男に腹が立った。それ以上に、自己嫌悪に陥った。全く知らない初対面のホモ、いやバイのキスに酔ってしまうぐらい感じてしまうなんて、恥ずかしい。いくら男同士のキスを夢想していたからって、誰でもいいって事ぁないだろう!しかも、昔自分が振った男とそっくりな男だなんて、自虐趣味でもあるのか。
黙りこんでいる僕に男は少し迷ってから、僕の手を引いて、ベンチに座らせた。軽く僕の頭を撫でて、彼は去った。
ぽつん。
公園に残されて、僕は軽くため息を吐く。少し肌寒い。まだ夏は先だ。
頭の中はぐちゃぐちゃで、参っていると、頬に温かいものを押し付けられた。横を見れば、さっきの男が缶コーヒー片手に笑っていた。
「飲めよ」
「ありがとう」
僕は素直に受け取った。すっかり喉が渇いて、温かさが欲しかったんだと気付いた。従順な僕がおかしいのだろう、彼は僕をニコニコ笑いながら見つめてくる。僕は居心地の悪さを感じて、視線を逸らした。
本当にアイツに似ていて、嫌でもあの日を思い出す。
「そう警戒すんなよ。変な奴じゃないって言ってもフォローにならねぇけど、一応身元はハッキリしてるよ」
彼は懐から名刺を取り出した。見覚えのあるデザインだった。見覚えのある筈だ。この名刺のデザインは僕がしたんだから!
「!」
名刺の表を見ずとも、彼が何者か分かった。僕の同僚だ…。蒼ざめている僕に、彼は名刺を押し付けてきた。
『株式会社トゥギャザーコンサルティングコーポレーション 営業 戸高哲平』
絶句して何も言えない僕に、彼はにっこり笑って言った。
「今期から仲間になる戸高だ。よろしく、制作課の後藤田吾郎さん」
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