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僕を好きになった人
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招待状をもらった時は、口から泡が出そうだった。
それはアイツの結婚式の招待状だった。相手の女性の名前は、僕もよく知っている地元の資産家の一人娘の名前。彼女の父親は、漁業組合をまとめている、周囲からも信頼の厚い人だ。
僕らの出身校は同級生でもそう数は多くない。きっと、クラス全員を招待したんだろう。場所は地元の老舗ホテル。ちょっとした同窓会みたいだ。
出席する気はなかったけれど、地元の友達から次々と電話がかかってきては、断りきれない。
仕方なし、上司に有給休暇をもらって、僕は帰郷した。
披露宴は17時からだ。まだ少し早い。
それまでの間に友達を捕まえて時間を潰そうと、僕がウロウロしていると、一番会いたくない相手にばったりロビーで出くわした。
「吾郎!」
花婿姿のアイツが立っていた。
今日の主役が、どうしてこんな所に一人で立っているんだろう。
逃げ腰の僕に構わず、アイツは僕に抱きついてきた。
「会いたかった!」
「…!」
そう言われて、僕は飛び上がらんばかりに胸が躍った。喜びなのか、驚きなのか、分からない。頭の中がパニックだ。
「お前…全然変わってないな。あの頃と同じだ」
それは褒め言葉だろうか。僕には分からない。
「ずっと会って、言いたかった事があるんだ…」
喜びに瞳を潤ませて、アイツは僕を見つめてきた。僕はぱくぱく口を開閉させるばかりで、何も言えないでいる。
この場面をずっと期待してた。
振ってしまって、その後で視線で追いかけて、胸でずっとずっと想って来た相手だ。
これが哲平だったら、きっともう僕にキスを仕掛けているに違いない。
「…っ」
こんな幸せな場面なのに、哲平の事を考えてしまうのは、二人が似ているからか。それとも、背徳心だろうか。
どっちに対して?それも分からない。
僕がずっと好きだったのはコイツであって、哲平じゃない…筈だ。
「吾郎。あの時は…」
「言わないでくれ!」
待ちに待ったシチュエーションなのに、僕は待ったをかけてしまった。コイツから愛の言葉を聞いてしまったら、僕は自分が長年妄想していたままに、飛びついてしまうかもしれない。
花婿を奪ってハッピーエンド?
そんな映画みたいな事が出来るわけがない。映画はそこで「THE END」だけど、僕の人生はまだまだ続いていくんだから!
困惑している僕に、コイツは首を傾げた。
「吾郎?」
優しい声だった。どうしようもなく好きだった声だ。変わってないのは、僕じゃなくてコイツだ。
「あの時の告白…まだ覚えてるのか…?」
「忘れたくても忘れられなかった…」
僕はこくりと頷いた。
そして、堰を切ったように喋りだす。
「男同士なんて気味悪くて、不潔だと思ったんだ。あの時は…でも、僕はあれからずっとずっとお前の事ばかり考えてた…。男同士の恋愛って、ありえるんだろうかって、そればっかり」
「随分、君を苦しめたみたいだね…。ゴメンよ」
「ううん。でも、やっと分かったんだ。僕はお前の事が…」
続きの言葉を、僕はどう言おうか考えてなかった。
この言葉の果てに、僕は彼に何を言いたいんだろう。
消えいく言葉に覆い被さるように、彼は楽しげに喋りだした。
「僕も勘違いしてたんだ。君の事をてっきり女の子の事を好きみたいに好き、だと勘違いしてしまってた…君に振られて目が覚めたよ」
「え……」
「君のおかげで、僕は今日の良い日を迎えられる」
にっこり笑顔で言われて、僕は呆気にとられて、何も言えない。
本当なら、胸が痛くて苦しくてしょうがない筈なのに、なのに僕は空回った自分がおかしいばかりで、悲しくはなかった。
何故か、ホッとした。
なんなんだろう、この安堵感。
「だから、あの日の事は無かった事にしてくれよ」
「え、あ、うん」
拍子抜けするぐらい早く、僕は頷いていた。
なんだなんだ…僕もやっぱり、コイツの言葉と同じ気持ちだったんだろうか。ずっと胸が苦しかったのは親友を傷つけたと思ってたからで、別に男に恋心を抱いてたわけじゃなかったのかもしれない。
そう考えに至ると、僕は自分のこれまでが酷く馬鹿らしく思えた。そうだよ、男同士で恋愛なんて成立するわけないじゃないか。こうやってコイツも道を踏み外さなかったんだから、僕も倣わないと。
招待状をもらってからは気分が重かったけれど、僕も改めて彼の門出を祝える気分になれた。
安心したら涙が出てきた。
「なんだよ。泣くほど嬉しいか?」
「ハハハ…」
やっと心が晴れた筈なのに、僕の脳裏には哲平の姿が離れない。男同士の恋愛なんて嘘っぱちだとここで証明されたってのに、どうしてまだ哲平を思い出してしまうんだろう。
「吾郎?しっかりしろよ」
手を伸ばされて、僕は何も拒まなかった。黙って彼の手を受け入れて、涙を拭ってもらうと、少し霞む視界の隅に、見知った姿が飛び込んできた。
あまりに脳裏に描きすぎて、そこから飛び出してきたのだろうか。そんな馬鹿な話はない。
「哲平っ…」
彼が振り返る。強張った顔の哲平に、彼は屈託なく笑いかけた。
「知り合いか?俺の従弟なんだ」
「従弟…」
どうりで似てる筈だ。
彼は「おや」と言う顔をして、僕を見た。
「同じ会社なんだ」
僕が説明すると、哲平は彼の横に並んだ。本当にそっくりだ。僕は二人の顔を、まじまじと見比べる。
哲平は僕を見て、ちらりと彼に視線を送った。彼が苦笑した。
「そう。こいつだよ、俺をずっと前に振った相手」
「へぇ…」
徐々に僕の額に汗が流れ出してきた。哲平が変な事を言い出さないか、気が気じゃない。頼むから、僕らの事を明かさないでくれと、心の中で祈った。
「な?吾郎」
「そうだ…。僕は男なんか好きにならない…」
その一言に、哲平の表情が一瞬崩れた。しかしすぐに笑顔になった。とても、悲しい笑顔だった。作り笑いだって、僕には分かる。
青くなっている僕に彼は軽く笑って言った。
「ホモだからってあんまり嫌うなよな、吾郎。哲平は良い奴なんだ」
頼むから仲良くしてやってくれよと言う彼の言葉を最後まで聞かず、僕はその場にいられなくなって、駆け出していた。
普通、こういう場面だったら、哲平の方が駆け出すもんじゃないのか。
でも、僕の方が弱かった。耐えられなかった。これ以上、哲平を苦しめたくなかった。
なんて僕は酷い奴だったのか、ようやく分かった。
僕はずっと、思い出の影に隠れて、本当の気持ちに気付かない振りをしていたんだ。本当はアイツじゃなくて哲平を見ていたのに、彼から言葉をいくらでも欲しかったのに、あの日僕がしてしまったように、拒絶されてしまうのが怖くて、僕は言葉を聞こうとしなかった。
大事な言葉を言おうとしなかった。
どうして一言、好きだと言う勇気がなかったんだろう。
セックスならいくらもしたし、キスもたくさんもらったけれど、一度も言葉をねだらなかった。
「遊びだったんだ」と言って終わられるのが怖くて、そう言って終われる逃げ道を作っておきたくて、僕は黙っていたんだ。
あの時も今も、僕は逃げてばかりだ。
真正面から、僕を好きになってくれた人と向き合おうとしていない。
「…哲平…」
そう、哲平はきっと僕が好きだった。
あんな風に優しくされて、好きじゃなかったなんて言わせない。その彼の優しさも愛情も全て僕がぶち壊してしまったんだ。
くそったれ!
僕は声を上げて、砂浜に飛び出していた。砂を蹴った音が後ろでして、僕はハッと振り返った。
そこには哲平がいた。
「吾郎…」
「く、来るなよ」
そう言う僕の顔は笑ってる。
僕は哲平が追いかけてきたって分かると、喜びが湧きあがってきて仕方なかった。
このシチュエーションなら、どうしても期待してしまう。あんなに哲平を傷つけた癖に、そんな甘い自分に腹も立った。
「僕が最低な男だって、分かっただろ!」
「ホント、さっきの言葉は最低だった」
皮肉たっぷりに哲平は言った。
ざざんざざんと波の音がする。潮の香りがきつい。昔は平気だったのに、こんなに潮って臭かったろうか。
明後日に僕が考えていると、ぽつりと哲平が問うた。
「アイツを振ったってのは本当か?」
「昔の話だ…」
思い出すたびにチクリと痛んだ胸の傷は、もう無い。今日の幸せな結婚式のおかげじゃない、哲平がいたからだ。だから、今度は別の痛みが僕にはある。
僕はいつも痛みを負っていないと、自分の愚かさに気付かないんだろうか。
「あの時は、僕は男同士で恋愛なんて成立しないと思ってたから…」
「今は?」
「今って?」
哲平が真っ直ぐに僕を見詰めてくる。
哲平はハァとため息を吐いて、首を振った。何を言われるのか、僕は怖くてたまらない。また逃げ出したい。そう思って一歩下がると、素早く近寄った哲平に手を取られた。
「俺もお前も、いい加減、言葉にしようぜ」
「…なんて言えばいいんだよ……」
僕は自分の気持ちがもうぐちゃぐちゃに絡んでしまっていて、何から説明すればいいか分からなかった。
一呼吸置いて、哲平は言った。
「実は俺…お前を知ってたんだ。アイツとの事も含めてな」
ヒクリと喉が鳴った。
「俺は昔っから男も女も好きだったから、アイツの相談相手にはうってつけでよ…、お前を好きになったと言われた時に言ってやったんだ。ちゃんと言葉で伝えろよって」
「……」
「それでもし相手が逃げたら、逃がしてやれって言った。男同士ってのは、お互いすぐに意地張るから、逃げ道を作ってた方が気楽なんだよ。いつでも気の迷いだったって笑えるように…」
まさに今までの僕らの関係じゃあないか。僕の胸がじくじく痛む。
「じゃ、じゃあ、なんで今追いかけてきたんだ…」
哲平はニッと不敵に笑った。さっきの傷ついた表情はどこにもない。
「本気で好きになったら…ハイ承知しましたなんて物分かりのいい振りは出来ねぇって、お前に会って分かったんだ」
それってどういう意味だ?長ったらしい言葉だったから、イマイチ、理解できなかった。頭が混乱しているせいだ!
「しかも相手が俺の事を好きだって知ってたら、余計にな」
「僕はまだ好きだって言ってない!」
「だったら、早く言ってくれよ」
「……」
言ってしまっていいのか、僕は迷った。僕には後ろめたい事がたくさんある。
哲平みたいに正々堂々、自分の性癖を言えない。ずっと哲平をアイツと重ねて見ていた。きっとこれからだって沢山、誤解をしてしまうに決まってる。
「僕はお前を傷つけた…。アイツの代わりをさせてた…」
「過去形だろ?」
哲平は笑っている。僕はまだ笑えない。
「きっとまたお前を傷つけるんだ…」
「何度でも傷つけていい。俺はそんな弱くねぇよ」
哲平なら本当に平気だろうと思う。こいつは大概タフなんだ。夜も…。
二人の性生活を思い出して、僕は赤面した。こんな時に僕は何を考えているんだろう。あぁ、でも、下手な言葉よりも濃厚に、僕らは言葉を交わしていたから、言葉にする必要が無かったんだって、やっと分かった。
だって、僕は目の前の哲平を信じられる。
あの時みたいに、哲平の気持ちや自分の気持ちを推し量る真似はしなくても、平気だった。
「一言で良いんだぜ、吾郎」
「……」
「俺を好きだって、言ってくれ」
アイツじゃなくて。
言外に含まれた言葉。疑っていたのは僕自身だ。
「俺はお前が好きなんだ」
哲平の優しい言葉が浜風に乗って僕の耳に届いたら、もう強がっていられなくって、僕はぽつりと言葉を落としてしまっていた。
「………好き、だ」
男同士の本気の恋愛なんて、心のどこかで否定していたんだろう。信じきれてなかった。それがやっと口に出して、その重い心の鍵を開けてしまったら、僕の気持ちが溢れるんじゃなくって、哲平がくれた愛情が僕の中に流れていく気がした。
素直に受け入れてしまうのが、こんなに気持ちいいものだなんて、ずっとずっと知らなかった。
「有難う、吾郎」
「それは僕が言うんだよ…哲平」
強く抱き締められて引き寄せられ、僕らはいつもみたいにキスをした。甘ったるくて、ベッタベタの、激しい口付けだ。
「んん……」
風が砂を舞い上げて、僕らの手元に潮が絡みつく。沈み始めた夕焼けは綺麗で、僕らは一枚の写真みたいに、体をくっつけていた。
ややあって、哲平が僕の耳元でぼそりと呟いた。
「ゴメン」
「え」
何を意味しているのか、言われずとも分かった。ここは浜辺。地元老舗ホテルのプライベートビーチだ。披露宴の式場はこの浜辺を臨むロケーション。
披露宴に出席していた僕の同郷の仲間達の視線が、僕らに降り注がれていると気付いたら、顔を上げられなくなった。
コテンと哲平の胸元に頭を寄せると、哲平は僕の顔を隠すように抱き締めて、皆に向かって笑ってピースサインを作ったのだった。
ホント、タフすぎる。僕はもう死にそうだ。
エピローグ
僕は初めて会った時の事を思い出して、哲平に詰め寄った。
「あのキスしていた男は誰だったんだ?」
「あれは…昔の遊び仲間だよ…。一緒に飲みに行って、その別れ際だったんだ…」
「ふぅん」
それ以上、詮索できない。あんまり藪をつつきすぎると、蛇が出てきそうで怖かった。こんな風に嫉妬するのも、なんだかみっともない気がした。
「妬いてくれてんの?」
「そうじゃない!もしお前にも忘れられない人がいたら、僕なんか構わずに出て行けよって言いたかったんだ」
随分、強がりなセリフだ。裸で哲平の胸に頭を擦り付けて言ったって、決まらない。
格好悪い僕に、哲平は笑いながら額にキスを落とす。
「安心しろよ。お前がもう男は嫌だって言ったって、俺はお前を離すつもりはねぇよ」
全然安心出来ない、不穏な言葉だ。
そもそも哲平は、あの結婚式で僕らの仲をみんなに盛大に暴露した。展開的にあんな事になってしまったけれど、哲平の性格を考えると、もともと披露宴会場で発表しようとしていた節がある。アイツに一度相談してみようか。いや、やめておこう。アイツにはあの後、色々と世話になったから、もう余計な心配はかけたくない。
それに…。
「どうした、吾郎?」
僕はじっと哲平を見詰めた。哲平が不思議そうに見返してくる。
さっき、僕が哲平に過去の男の事を聞いたのは、嫉妬だけじゃない、もうこれ以上、僕らの間に他の誰も絡んできて欲しくなかったからだ。
それはアイツだって例外じゃない。
こんなにも僕を好きになってくれたのは、アイツじゃなくて哲平なんだ。
いつまでも逃げていちゃ、哲平に申し訳が立たない。僕は意を決して、哲平に宣言した。
「会社の人にも言おう…。哲平は正直に話してるのに、僕が言わないのはフェアじゃない」
「いいよ、無理しなくて」
傷つけられる事が多い世界だと、哲平は呟く。隠しておけば僕を守れるのならと言ってくれる哲平に、僕は言い返した。
「僕が言いたいんだ」
哲平は、僕を好きになってくれた人で、僕が好きになった人。
どうしてこの気持ちを、言わずにいられるだろう!
どうも僕は突っ走ってしまう性格だと、カミングアウトした後にチーフに言われて気がついた。
どうしてこうも鈍いんだろうね。
おわり
招待状をもらった時は、口から泡が出そうだった。
それはアイツの結婚式の招待状だった。相手の女性の名前は、僕もよく知っている地元の資産家の一人娘の名前。彼女の父親は、漁業組合をまとめている、周囲からも信頼の厚い人だ。
僕らの出身校は同級生でもそう数は多くない。きっと、クラス全員を招待したんだろう。場所は地元の老舗ホテル。ちょっとした同窓会みたいだ。
出席する気はなかったけれど、地元の友達から次々と電話がかかってきては、断りきれない。
仕方なし、上司に有給休暇をもらって、僕は帰郷した。
披露宴は17時からだ。まだ少し早い。
それまでの間に友達を捕まえて時間を潰そうと、僕がウロウロしていると、一番会いたくない相手にばったりロビーで出くわした。
「吾郎!」
花婿姿のアイツが立っていた。
今日の主役が、どうしてこんな所に一人で立っているんだろう。
逃げ腰の僕に構わず、アイツは僕に抱きついてきた。
「会いたかった!」
「…!」
そう言われて、僕は飛び上がらんばかりに胸が躍った。喜びなのか、驚きなのか、分からない。頭の中がパニックだ。
「お前…全然変わってないな。あの頃と同じだ」
それは褒め言葉だろうか。僕には分からない。
「ずっと会って、言いたかった事があるんだ…」
喜びに瞳を潤ませて、アイツは僕を見つめてきた。僕はぱくぱく口を開閉させるばかりで、何も言えないでいる。
この場面をずっと期待してた。
振ってしまって、その後で視線で追いかけて、胸でずっとずっと想って来た相手だ。
これが哲平だったら、きっともう僕にキスを仕掛けているに違いない。
「…っ」
こんな幸せな場面なのに、哲平の事を考えてしまうのは、二人が似ているからか。それとも、背徳心だろうか。
どっちに対して?それも分からない。
僕がずっと好きだったのはコイツであって、哲平じゃない…筈だ。
「吾郎。あの時は…」
「言わないでくれ!」
待ちに待ったシチュエーションなのに、僕は待ったをかけてしまった。コイツから愛の言葉を聞いてしまったら、僕は自分が長年妄想していたままに、飛びついてしまうかもしれない。
花婿を奪ってハッピーエンド?
そんな映画みたいな事が出来るわけがない。映画はそこで「THE END」だけど、僕の人生はまだまだ続いていくんだから!
困惑している僕に、コイツは首を傾げた。
「吾郎?」
優しい声だった。どうしようもなく好きだった声だ。変わってないのは、僕じゃなくてコイツだ。
「あの時の告白…まだ覚えてるのか…?」
「忘れたくても忘れられなかった…」
僕はこくりと頷いた。
そして、堰を切ったように喋りだす。
「男同士なんて気味悪くて、不潔だと思ったんだ。あの時は…でも、僕はあれからずっとずっとお前の事ばかり考えてた…。男同士の恋愛って、ありえるんだろうかって、そればっかり」
「随分、君を苦しめたみたいだね…。ゴメンよ」
「ううん。でも、やっと分かったんだ。僕はお前の事が…」
続きの言葉を、僕はどう言おうか考えてなかった。
この言葉の果てに、僕は彼に何を言いたいんだろう。
消えいく言葉に覆い被さるように、彼は楽しげに喋りだした。
「僕も勘違いしてたんだ。君の事をてっきり女の子の事を好きみたいに好き、だと勘違いしてしまってた…君に振られて目が覚めたよ」
「え……」
「君のおかげで、僕は今日の良い日を迎えられる」
にっこり笑顔で言われて、僕は呆気にとられて、何も言えない。
本当なら、胸が痛くて苦しくてしょうがない筈なのに、なのに僕は空回った自分がおかしいばかりで、悲しくはなかった。
何故か、ホッとした。
なんなんだろう、この安堵感。
「だから、あの日の事は無かった事にしてくれよ」
「え、あ、うん」
拍子抜けするぐらい早く、僕は頷いていた。
なんだなんだ…僕もやっぱり、コイツの言葉と同じ気持ちだったんだろうか。ずっと胸が苦しかったのは親友を傷つけたと思ってたからで、別に男に恋心を抱いてたわけじゃなかったのかもしれない。
そう考えに至ると、僕は自分のこれまでが酷く馬鹿らしく思えた。そうだよ、男同士で恋愛なんて成立するわけないじゃないか。こうやってコイツも道を踏み外さなかったんだから、僕も倣わないと。
招待状をもらってからは気分が重かったけれど、僕も改めて彼の門出を祝える気分になれた。
安心したら涙が出てきた。
「なんだよ。泣くほど嬉しいか?」
「ハハハ…」
やっと心が晴れた筈なのに、僕の脳裏には哲平の姿が離れない。男同士の恋愛なんて嘘っぱちだとここで証明されたってのに、どうしてまだ哲平を思い出してしまうんだろう。
「吾郎?しっかりしろよ」
手を伸ばされて、僕は何も拒まなかった。黙って彼の手を受け入れて、涙を拭ってもらうと、少し霞む視界の隅に、見知った姿が飛び込んできた。
あまりに脳裏に描きすぎて、そこから飛び出してきたのだろうか。そんな馬鹿な話はない。
「哲平っ…」
彼が振り返る。強張った顔の哲平に、彼は屈託なく笑いかけた。
「知り合いか?俺の従弟なんだ」
「従弟…」
どうりで似てる筈だ。
彼は「おや」と言う顔をして、僕を見た。
「同じ会社なんだ」
僕が説明すると、哲平は彼の横に並んだ。本当にそっくりだ。僕は二人の顔を、まじまじと見比べる。
哲平は僕を見て、ちらりと彼に視線を送った。彼が苦笑した。
「そう。こいつだよ、俺をずっと前に振った相手」
「へぇ…」
徐々に僕の額に汗が流れ出してきた。哲平が変な事を言い出さないか、気が気じゃない。頼むから、僕らの事を明かさないでくれと、心の中で祈った。
「な?吾郎」
「そうだ…。僕は男なんか好きにならない…」
その一言に、哲平の表情が一瞬崩れた。しかしすぐに笑顔になった。とても、悲しい笑顔だった。作り笑いだって、僕には分かる。
青くなっている僕に彼は軽く笑って言った。
「ホモだからってあんまり嫌うなよな、吾郎。哲平は良い奴なんだ」
頼むから仲良くしてやってくれよと言う彼の言葉を最後まで聞かず、僕はその場にいられなくなって、駆け出していた。
普通、こういう場面だったら、哲平の方が駆け出すもんじゃないのか。
でも、僕の方が弱かった。耐えられなかった。これ以上、哲平を苦しめたくなかった。
なんて僕は酷い奴だったのか、ようやく分かった。
僕はずっと、思い出の影に隠れて、本当の気持ちに気付かない振りをしていたんだ。本当はアイツじゃなくて哲平を見ていたのに、彼から言葉をいくらでも欲しかったのに、あの日僕がしてしまったように、拒絶されてしまうのが怖くて、僕は言葉を聞こうとしなかった。
大事な言葉を言おうとしなかった。
どうして一言、好きだと言う勇気がなかったんだろう。
セックスならいくらもしたし、キスもたくさんもらったけれど、一度も言葉をねだらなかった。
「遊びだったんだ」と言って終わられるのが怖くて、そう言って終われる逃げ道を作っておきたくて、僕は黙っていたんだ。
あの時も今も、僕は逃げてばかりだ。
真正面から、僕を好きになってくれた人と向き合おうとしていない。
「…哲平…」
そう、哲平はきっと僕が好きだった。
あんな風に優しくされて、好きじゃなかったなんて言わせない。その彼の優しさも愛情も全て僕がぶち壊してしまったんだ。
くそったれ!
僕は声を上げて、砂浜に飛び出していた。砂を蹴った音が後ろでして、僕はハッと振り返った。
そこには哲平がいた。
「吾郎…」
「く、来るなよ」
そう言う僕の顔は笑ってる。
僕は哲平が追いかけてきたって分かると、喜びが湧きあがってきて仕方なかった。
このシチュエーションなら、どうしても期待してしまう。あんなに哲平を傷つけた癖に、そんな甘い自分に腹も立った。
「僕が最低な男だって、分かっただろ!」
「ホント、さっきの言葉は最低だった」
皮肉たっぷりに哲平は言った。
ざざんざざんと波の音がする。潮の香りがきつい。昔は平気だったのに、こんなに潮って臭かったろうか。
明後日に僕が考えていると、ぽつりと哲平が問うた。
「アイツを振ったってのは本当か?」
「昔の話だ…」
思い出すたびにチクリと痛んだ胸の傷は、もう無い。今日の幸せな結婚式のおかげじゃない、哲平がいたからだ。だから、今度は別の痛みが僕にはある。
僕はいつも痛みを負っていないと、自分の愚かさに気付かないんだろうか。
「あの時は、僕は男同士で恋愛なんて成立しないと思ってたから…」
「今は?」
「今って?」
哲平が真っ直ぐに僕を見詰めてくる。
哲平はハァとため息を吐いて、首を振った。何を言われるのか、僕は怖くてたまらない。また逃げ出したい。そう思って一歩下がると、素早く近寄った哲平に手を取られた。
「俺もお前も、いい加減、言葉にしようぜ」
「…なんて言えばいいんだよ……」
僕は自分の気持ちがもうぐちゃぐちゃに絡んでしまっていて、何から説明すればいいか分からなかった。
一呼吸置いて、哲平は言った。
「実は俺…お前を知ってたんだ。アイツとの事も含めてな」
ヒクリと喉が鳴った。
「俺は昔っから男も女も好きだったから、アイツの相談相手にはうってつけでよ…、お前を好きになったと言われた時に言ってやったんだ。ちゃんと言葉で伝えろよって」
「……」
「それでもし相手が逃げたら、逃がしてやれって言った。男同士ってのは、お互いすぐに意地張るから、逃げ道を作ってた方が気楽なんだよ。いつでも気の迷いだったって笑えるように…」
まさに今までの僕らの関係じゃあないか。僕の胸がじくじく痛む。
「じゃ、じゃあ、なんで今追いかけてきたんだ…」
哲平はニッと不敵に笑った。さっきの傷ついた表情はどこにもない。
「本気で好きになったら…ハイ承知しましたなんて物分かりのいい振りは出来ねぇって、お前に会って分かったんだ」
それってどういう意味だ?長ったらしい言葉だったから、イマイチ、理解できなかった。頭が混乱しているせいだ!
「しかも相手が俺の事を好きだって知ってたら、余計にな」
「僕はまだ好きだって言ってない!」
「だったら、早く言ってくれよ」
「……」
言ってしまっていいのか、僕は迷った。僕には後ろめたい事がたくさんある。
哲平みたいに正々堂々、自分の性癖を言えない。ずっと哲平をアイツと重ねて見ていた。きっとこれからだって沢山、誤解をしてしまうに決まってる。
「僕はお前を傷つけた…。アイツの代わりをさせてた…」
「過去形だろ?」
哲平は笑っている。僕はまだ笑えない。
「きっとまたお前を傷つけるんだ…」
「何度でも傷つけていい。俺はそんな弱くねぇよ」
哲平なら本当に平気だろうと思う。こいつは大概タフなんだ。夜も…。
二人の性生活を思い出して、僕は赤面した。こんな時に僕は何を考えているんだろう。あぁ、でも、下手な言葉よりも濃厚に、僕らは言葉を交わしていたから、言葉にする必要が無かったんだって、やっと分かった。
だって、僕は目の前の哲平を信じられる。
あの時みたいに、哲平の気持ちや自分の気持ちを推し量る真似はしなくても、平気だった。
「一言で良いんだぜ、吾郎」
「……」
「俺を好きだって、言ってくれ」
アイツじゃなくて。
言外に含まれた言葉。疑っていたのは僕自身だ。
「俺はお前が好きなんだ」
哲平の優しい言葉が浜風に乗って僕の耳に届いたら、もう強がっていられなくって、僕はぽつりと言葉を落としてしまっていた。
「………好き、だ」
男同士の本気の恋愛なんて、心のどこかで否定していたんだろう。信じきれてなかった。それがやっと口に出して、その重い心の鍵を開けてしまったら、僕の気持ちが溢れるんじゃなくって、哲平がくれた愛情が僕の中に流れていく気がした。
素直に受け入れてしまうのが、こんなに気持ちいいものだなんて、ずっとずっと知らなかった。
「有難う、吾郎」
「それは僕が言うんだよ…哲平」
強く抱き締められて引き寄せられ、僕らはいつもみたいにキスをした。甘ったるくて、ベッタベタの、激しい口付けだ。
「んん……」
風が砂を舞い上げて、僕らの手元に潮が絡みつく。沈み始めた夕焼けは綺麗で、僕らは一枚の写真みたいに、体をくっつけていた。
ややあって、哲平が僕の耳元でぼそりと呟いた。
「ゴメン」
「え」
何を意味しているのか、言われずとも分かった。ここは浜辺。地元老舗ホテルのプライベートビーチだ。披露宴の式場はこの浜辺を臨むロケーション。
披露宴に出席していた僕の同郷の仲間達の視線が、僕らに降り注がれていると気付いたら、顔を上げられなくなった。
コテンと哲平の胸元に頭を寄せると、哲平は僕の顔を隠すように抱き締めて、皆に向かって笑ってピースサインを作ったのだった。
ホント、タフすぎる。僕はもう死にそうだ。
エピローグ
僕は初めて会った時の事を思い出して、哲平に詰め寄った。
「あのキスしていた男は誰だったんだ?」
「あれは…昔の遊び仲間だよ…。一緒に飲みに行って、その別れ際だったんだ…」
「ふぅん」
それ以上、詮索できない。あんまり藪をつつきすぎると、蛇が出てきそうで怖かった。こんな風に嫉妬するのも、なんだかみっともない気がした。
「妬いてくれてんの?」
「そうじゃない!もしお前にも忘れられない人がいたら、僕なんか構わずに出て行けよって言いたかったんだ」
随分、強がりなセリフだ。裸で哲平の胸に頭を擦り付けて言ったって、決まらない。
格好悪い僕に、哲平は笑いながら額にキスを落とす。
「安心しろよ。お前がもう男は嫌だって言ったって、俺はお前を離すつもりはねぇよ」
全然安心出来ない、不穏な言葉だ。
そもそも哲平は、あの結婚式で僕らの仲をみんなに盛大に暴露した。展開的にあんな事になってしまったけれど、哲平の性格を考えると、もともと披露宴会場で発表しようとしていた節がある。アイツに一度相談してみようか。いや、やめておこう。アイツにはあの後、色々と世話になったから、もう余計な心配はかけたくない。
それに…。
「どうした、吾郎?」
僕はじっと哲平を見詰めた。哲平が不思議そうに見返してくる。
さっき、僕が哲平に過去の男の事を聞いたのは、嫉妬だけじゃない、もうこれ以上、僕らの間に他の誰も絡んできて欲しくなかったからだ。
それはアイツだって例外じゃない。
こんなにも僕を好きになってくれたのは、アイツじゃなくて哲平なんだ。
いつまでも逃げていちゃ、哲平に申し訳が立たない。僕は意を決して、哲平に宣言した。
「会社の人にも言おう…。哲平は正直に話してるのに、僕が言わないのはフェアじゃない」
「いいよ、無理しなくて」
傷つけられる事が多い世界だと、哲平は呟く。隠しておけば僕を守れるのならと言ってくれる哲平に、僕は言い返した。
「僕が言いたいんだ」
哲平は、僕を好きになってくれた人で、僕が好きになった人。
どうしてこの気持ちを、言わずにいられるだろう!
どうも僕は突っ走ってしまう性格だと、カミングアウトした後にチーフに言われて気がついた。
どうしてこうも鈍いんだろうね。
おわり
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【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
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