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プロローグ
しおりを挟む寝起きのまどろみのなか。
秋口の肌寒さから逃げるように、私は毛布を引き上げる。
頭の先までかくして、ゆっくり息をはくと……じんわりとした熱が身体を満たしてくれた。
いつもと変わらない平日の朝。
普段なら温もりに包まれて、幸せを噛みしめている時間だ。
ときにはもう一度目を閉じることもあるし、あわてて起き上がることもある。
……でも、起きぬけに不安な気持ちになるのは初めてだった。
いつもと同じはずなのに、いつもと違うような。
不思議な不安が心をざわめかす。
それは、違和感と言い換えられるかもしれない。
温もりを手放して目を開いた私は、窓際へと歩み寄った。
フローリングを伝う足先が冷気を拾ったけれど、今は気にする余裕がない。
「……ん、しょ」
慣れた手つきでカーテンを開く。
多少の抵抗を押しのけて、朝を部屋に呼びこんだ。
肩上に切り揃えた黒髪が乾いた風に撫でられる。
二階から見える風景はいつも通り。お父さんの勤める病院も。少し遠くに見える、私が通う小学校も。ずっと向こうに広がる海も。
それでも何かが違うのだ。絶対に。
心の内で説明できない、けれど確信的な感情がふくれ上がる。
原因を探してせわしなく動いていた視線は、やがて自分の体と結ばれた。
ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ怖くなってしまった私は、パジャマをたくしあげてお腹を見やる。
……なんともなっていなかった。どこも痛くはないし、急に太ったりもしてなかった。
もしかしたら、まだ違和感の正体は現れていないのかもしれない。
少なくとも私の周りはいつもどおりだった。
だから、これはきっと予感だ。何かが起きる予感。
“どうして”と聞かれたら困ってしまう。
上手く説明できないけれど、予感ってそういうものじゃないかな。
一応の納得をした私は、深く息を吸い込んだ。
乾いた空気が肺を満たして、古い空気が抜けてゆく。
呼吸を落ち着けたあと。足は、階段の方へと向かい出した。
パンが焼ける香ばしい匂いを味わいながら。
私は、予感について想いを馳せた。
◆
朝ごはんのときも、頭は予感のことでいっぱいで。
お母さんに叱られてしまうまで、私の心はふわふわとしたままだった。
「何か夢でもみたのかい?」
そう問いかけるのはお父さん。
私は「覚えてないの」と短く答えて、トーストに赤いジャムを塗る。
長い夢をみた気もするけれど、その内容は思い出せなかった。
でも、私の心はそこになくて、
「あのね……」
口を開いて、閉じる。
予感について話そうかと思って、やめたのだ。
だって恥ずかしいから。
上手く説明できなくて しどろもどろになる自分を想像すると、それだけで顔が熱くなってしまう。
「ううん。なんでもない」
ゆるく首を振ってから、私はジャムが塗られたトーストをかじった。
そして湯気が立つコーヒーで流し込む。
左手で持ったカップのなかみは、いつもより少しだけ苦く感じた。
「ねえ、コーヒー苦いよ」
苦いことに文句をつけるのは子供っぽくてなんとなく嫌だけど、苦いまま飲むのはもっと嫌だ。
すると長い腕が伸びてきて、スティックシュガーを半分だけ注いでくれた。
「あら、このくらい平気だと思ったんだけど」
小さく笑いながら、お母さんは余ったそれを自分のカップに注ぎこむ。
お母さんは私が大人ぶりたいことを知っていて、あえてそういうことを言ってくる。
いじわるだなあ。私は少しだけ甘くなったコーヒーをすすった。
食事を終えた私は、洗面所で身だしなみを整えてからランドセルを背負う。
もちろん鏡に映った私の後ろにおばけがいるとか、流した水が真っ赤だったとか、そんなホラーじみたこともなかった。
「いってきます!」
いつもどおりの挨拶をして家を出る。
友達と歩いた通学路も、学校についてからも。
頭のなかは、やっぱり予感のことが占めていた。
◆
学校の授業も、いつもと何も変わらない。
開いた窓から香る“きんもくせい”の匂いも。
塾で予習が終わってる算数の時間も いつもどおり。
黒板をぼんやりとながめながら考えるのは、朝から感じる予感のこと。
何か起きるのは放課後かな。
そんなふうに考えていたら、視界が揺れた。
「あれ……?」
地震じゃない。
周りの子も、先生も何も言わないのだから。
原因のわからない揺れはどんどん強くなってゆく。
やがて上から垂れてきた暗幕が、私の世界を黒く塗りつぶした。
……体に力が入らない。
いつもあたまのまぶしい先生がかけ寄ってくる音がする。
声を出したいのに、私は怖くてそれすらできなかった。
ああ、もしかして私はこのまま――
「……貧血ね。先生に伝えてくるわ」
保健室の先生は横たわる私に布団をかけて、さっさと出て行ってしまった。
もちろん熱を測ったり、口のなかを見たりもしてくれたけど。
貧血なんて初めてで驚いちゃったけど、友達にも何人か経験のある子がいる。
ありふれたことなのだと思うと怖さは半減だ。
さっきまでは死んじゃうかと思うくらい怖かったのに、今は教室に帰ったときのことが心配だった。
ちやほやされるのは恥ずかしいから、できれば休み時間に帰りたい。
いっそのこと早退だったらいいのに。
ベッドで一人寝かされることになった私は、なんとなく深呼吸をしてみた。
アルコール消毒の匂いと干されたお布団の香り。それと、もうひとつ。
胸をやさしく満たす この香りは、
「きんもくせい、かな」
私が好きな秋の匂い。
木がある場所はここの裏手。校舎の反対側だ。
それなのに香りはただよってきていた。
秋は好きだ。
こんなこと友達に話したら、きっと子供っぽいって笑われてしまうけど。
今よりもっと小さいころ。私はよく、おばあちゃんと神社でどんぐりを拾いあつめて、顔を描いて遊んだのだった。
もうどんぐりは無くなってしまったけれど、楽しかった思い出は残っている。
もちろん、冬も。春も。夏も。それぞれに思い出があって、良さがある。
それでも私は、秋が特別好きだった。
死んじゃったおばあちゃんとの思い出が一番多い、秋が。
……もし早退になったら、帰りにどんぐりを拾っていこうかな。
大人ぶっても私はまだまだ子どもなのかもしれない。
予感も貧血も、なんだかちっちゃな心配ごとに思えてきた。
もう一度深呼吸。
すぅーっと肺をきれいな空気が満たして、はき出されてゆく。
さあ、起き上がろう。
体調も悪くないし、けびょうをしてるみたいでなんだか申しわけなくなってきた。
布団をはいで身をよじると、ベッドが軋み声をあげる。
秋の匂いを楽しみながら、私は保健室のベッドを降りた――はずだった。
「……え?」
足が床を踏みしめることはなかった。
そこに空いた人一人分くらいの穴に、私の足は飲み込まれていたのだから。
階段を踏み外してしまったような感覚がいつまでも続く。
すとん、と心まで抜け落ち抜けてしまうような喪失感。
保健室の床をすり抜けて、土のなかを潜って、私の体は下へ下へと進んでいく。
いや、落ちているのだ。怖くて乗ったことはないけれど、ジェットコースターのように。
「…………! …………ッ!!」
風も切らず、音もない暗闇のなか。けれども私の身体は落ちている。
本当に怖いときは声もでなくなるのだと初めて知った。
何が起きているのかはわかるけど、どうしてこうなったのかはわからない。
鉄のようにこわばった体は思うとおりに動かない。
ひじを引いた両手は胸の前で固定され、折りたたまれたひざはお腹を押しやって密着する。
まるで何かに備えるように。
不安が、どうしようもない不安が全身を包み込んだとき。
食い殺された悲鳴に代わって耳鳴りが教えてくれた。
――私の終わりを
視界が開けた。
暗闇の向こうには地面が広がっていた。
空を裂き、ぐんぐんと迫りくるのは薄茶色の大地。
水気を感じさせない土はとても堅そうで、優しく受け止めてくれる気は少しもしない。
そこにたどりつく瞬間を見たくなくて。
私は固く、目をつむった。
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