11 / 51
熱した油と心の雲4
しおりを挟む虫の声さえ聞こえない夜の孤児院。
耳が拾うのは心臓の鼓動だけ。
瞳が映すのは、優しい無表情な少女だけ。
「……こんな、静かな夜だったんだ」
ぽつり、と静寂に言葉を浮かべる。
それは水面に生じた波紋のように響き渡った。
「私は泣いてたの。今日みたいにみっともなく」
声は食堂の木机に、手鍋に、天井の魔石に伝わって――私の正面、ルシルのもとへと届けられる。
「そんな私をなぐさめてくれたのはおじいちゃんだった。
体をやさしく抱きしめながら、ものすごい魔術で空の雲を晴らしてくれた」
白い髪のカーテンからのぞくは赤い瞳。
空に浮かんだ二つの、片割れと同じ色。
彼女は何も喋らない。うなずきもせず、相槌も返さない。
「あたたかい指で、怖い気持ちを溶かしてくれた。私を……助けてくれた」
指をひとつひとつたたみながら語るは、やさしい思い出。
“想い”を失った私が求めていた温もり。
「それでね、私を含めて“みんなを実の子どもだと思って愛してる”って言ってくれたの。
……でも。私は“私だけを愛してほしい”って思った」
私だけ。
それは許されない、心に湧いた独占欲。
「そのときは あやふやな感情だったけど、みんなで遊んでたときに想いが言葉になったの。
私以外がいなくなったら、おじいちゃんを一人占めできるんじゃないか……って」
邪悪な感情がつきまとって離れなかった。
優しく話しかけてくれるみんなの声に混じって、たまに聞こえるんだ。
闇を溶かした泥のような、暗いささやきが。
ルシルの瞳に私はどう映ってるのかな。
気持ち悪い、って思われちゃったかな。
「みんなのことを何も知らないのに、一瞬だけど“邪魔だ”って思っちゃった」
何にせよ、これで私は嫌われてしまっただろう。
もうここにも居られなくなるかもしれない。
「ごめんね。みんな気を使ってくれてたのに、優しくしてくれたのに」
詰まりそうな喉をこじ開けて。
言葉を、想いを伝える。
「私……こんなので、ごめんね」
みにくい感情もゆがんだ想いも、全ては彼女へと伝わった。
伝わって、しまった。
ルシルは何も言わなかった。
変わらない表情からは何の感情も読みとることができない。
ただ赤い瞳に私の姿を映して座っている。
これから紡がれる言葉を想うと恐ろしくて、喉が変な音を出しそうになる。
指先から全身にかけて、どんどん熱が失われていく。
けれど、もう涙は流さない。
私の失敗作を「いいものだ」と言って食べてくれた彼女のことだ。
涙を見ることで、もしかしたら同情をしてしまうかもしれない。
汚い感情を秘めた私を受け入れようとしてしまうかもしれない。
……そんなの、だめだ。
優しいみんなに汚い私はふさわしくないから。
私は、許されてはいけない。
「……辛かったね」
ルシルは目を細めてそう言った。
「……エイミーは私たちのことが嫌い?」
告げられたのは短い問い。
言葉は、私の失敗作を食べてくれたときのような、諭すように優しい口調で紡がれる。
「そんなわけ、ない」
首を振って否定する。
邪魔だって思っておいて、どの口が言うんだろう。
だけど私は、優しいみんなのことも好きなんだ。
酷いことを考えちゃったけれど……それでも、好きなんだ。
こんな自分がそばにいちゃいけないってわかってるのに。
料理に誘ってくれたことが嬉しくて。
三人でやったサージュの下ごしらえが楽しくて。
コロッケを食べてくれたみんなの笑顔がまぶしくて。
私の心は、ちぐはぐな想いを抱えていた。
変わらない。きっと変えられない表情の代わりに、ルシルは目を細めて言葉を紡ぐ。
とても、とてもやわらかい声で。
「……なら、いいんだよ。誰かの一番になりたい。誰かに愛されたいと思うのは、みんな同じこと。
行き過ぎたら別だけど、それを悪いことだなんて思わない」
赤い視線は、変わらず私を貫き続けてる。
その奥の光に嘘や同情は感じられない。
「……愛情はね、綺麗なだけじゃないの」
彼女は言葉を切り、目をつむる。
そして自分の胸に両手をあてながら継げた。
「……黒くて、重い。ドロドロとした感情も愛情。そんな想いを持つのは、みんな一緒だよ」
噛みしめるように一語一語を紡ぐ彼女の唇は、かすかに震えていた。
ルシルもかつて、私と同じような感情に悩んだことがあるのだろうか。
彼女は私の悩みを当然のことだという。
私は……信じてもいいのかな。
誰かに愛されたい。一番に想ってほしい。
そう願うのは、普通のことであると。
私も誰かを好きになっていいのかな。
好きだと伝えて、迷惑じゃないのかな。
「私も、誰かを好きになっていいのかな?」
強い想いは口から滑り落ちて、言葉になっていた。
ルシルの表情は相変わらず無表情だったけれど、
「……あたりまえ。私もみんなも、エイミーのこと、大好き」
親指を立てながら言葉をくれた。
次に人差し指を立てた彼女は それを私に突きつけて、笑う代わりに二度まばたきをする。
「……コリーあたりに言うと、勘違いして舞い上がるだろうから、気をつけて」
「あはは……うん。……うん」
もう涙は流さない。
そう、決めたはずなのに。
「ありがとう……」
「……ここは泣くところじゃなくて、笑うところ」
泣き虫な私を、彼女は もう一度私を抱きしめてくれた。
私のせいでぐっしょりと濡れてしまった胸元がひんやりとする。
私を許してくれた少女の胸は小さくて。
濡れて少し、冷たくて。
とてもやさしかった。
◆
「……大丈夫?」
「うぐ……、ごめんね。もう、ちょっとだけ」
相談を終えた私は、しばらくたった今も涙を流していた。
最初の決心はどこへやら。
安心したからなのか、恥ずかしいからなのかはわからない。
けれど、次から次へとあふれてくるのだ。
「…………」
そんな私を、彼女はいつまでも温めてくれた。
凍える心を包み込むように。
細い、小さな手で抱きしめてくれた。
けいれんしていた喉も落ち着いたころ。
お礼の言葉とともに離れようとすると、
「……怖いなら、一緒に寝る?」
私の瞳をのぞきこんで、優しい言葉をくれた。
ルシルが良いというのなら ためらう理由はない。
本当はまだちょっと、怖いから。
「お願い、します」
浅く頭を下げて頼み込む。
やがて気恥しいのをこらえて彼女の顔を見上げると、
「……まさか本気にするなんて」
口を両手で隠しながら驚きの言葉をつぶやいた。
あてがわれたそれは、どうやら開いた口を隠すためのものだったらしい。
もしかして……冗談だった?
「いや、あの、その、そんなつもりじゃ――」
顔から火が出そう。とは、まさにこんなときのためにある言葉なのだろう。
一気に温度が熱くなった頬を押さえ、彼女から離れようとした私は、いつの間にか腰に腕が回されてることに気が付いた。
「……逃げようとしてももう遅い。私は寝相が悪いから、覚悟しておくように」
そう継げたルシルの顔は相変わらずの無表情だったけれど、なんとなく心は笑っているように思えた。
弾んだ声音が、鳴らされる鼻息が、触れ合った温もりが。
変わらない表情の代わりに、たくさんのことを私に教えてくれていたから。
「ありがとうね。ルシル」
「……気にしない。家族なんだから、あたりまえ」
私の心には、もう悩みの雲は欠片も残っていない。
悩みを晴らしてくれた彼女と共に、私たちは食堂をあとにした。
◆
となりに温もりがある。
それはとても幸せなことだと実感した。
夜の薄闇も、いまは怖くない。
耳に届く小さな寝息が。触れている肩が感じる体温が。
たしかに、そこにあるから。
いつしかゆっくりと下りてきた黒い幕に私の意識は閉ざされる。
そこにもう、恐怖を感じることはなかった。
◆
まぶたに覆われた暗闇のなか、誰かの声がした。
痛みにあえぐ、悲痛な声が。
「うう……うぁ……!」
寝起きのおぼろげな意識が一気に鮮明になり、引き剥がすようにまぶたを開く。
“誰か”なんかじゃない。
私を優しく抱きしめてくれたルシルが、うなされていた。
月明りに照らされた彼女の額には、寝汗で白い髪がべったりと張り付いている。
「……ッァああ!!」
ルシルはそれがうっとうしいのか、指でかきむしりだした。
おぞましい、肉を引き絞る音が耳を埋める。
指には尋常じゃない力が込められているのだろう。先端は白く染まり、爪は皮膚を裂かんと突き立てられている。
このままではいけない、止めなければと思った私は跳ね起き、
「起きてルシル! 起きて!」
彼女を揺さぶり起こした。
肩を掴んで叫びながら、あざができてしまうほどに強く。
けれども、まぶたは固く閉じられたまま。
どうして? こんな状態で眠っていられるはずがない。
それでもルシルは自分の顔をかきむしり続ける。
ならばと腕を掴むも、彼女は無意識にそれを拒んだ。
もう一方の腕が襲い来て、私の右眼と鼻を強く打つ。彼女は一瞬ひるんだ私を蹴り飛ばすと、再び爪を、自身の頬へと突き立てた。
私は蹴られた下腹部を押さえ、充血し切った右目は閉じてしまう。血味を唇へと流す鼻は無視。
普通の方法では止められないことを理解した。なら、できることは一つだけ――
「ルシル…………ッ!!」
私は彼女が傷つかないように、自身の手で小さな顔を包んだ。
被せた手に幾重もの赤い線がはしるのがわかる。
切れ味の悪い刃物をねじこむような痛みに湧き出た苦鳴は、噛み合わせた歯で食い殺した。
やがて、違和感に気付いたらしいルシルの体が硬直した。
まぶたが震えた。
私の血で赤く塗れた指先も、くぐもったうめきを漏らす口も動きを止める。
そんな彼女を私は、私がしてもらったように抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫……怖くないよ」
噛んで口移すようにささやく。
安心させるために、少しだけ体を揺らしながら。
安定した振動は心を落ち着かせる。
これは、おじいちゃんにやってもらったことの受け売りだ。
しばらくそうしていると、彼女は小さな寝息をたてはじめた。
血と汗の混じったにおいのなか。瞳を閉ざす少女の顔に、もう苦痛のあとはない。
ルシルが抱えているものが何なのかはわからない。
けれど、それが何だったとしても、私は彼女の味方であり家族だ。
いつか打ち明けてくれる日が来たのなら。今日そうしてもらったように、私はすべてを受けとめよう。
昏い想いを受け入れてくれた彼女のために。
「大好き」と伝えてくれた彼女のために。
――苦痛に寄り添って、和らげたい。
私は彼女を抱きしめたまま、そんな未来を心に描いた。
ズキズキと傷む手の甲は辛いけど。
涙が出ちゃうほど、眠れないほど痛いけど。
それでも私は、寄り添っていたかった。
翌朝、太陽が山々を越えるまえ。
私はルシルが起きるよりも先に血痕を処理して、傷はおじいちゃんに治療してもらった。
余計な心配をかけたくなかったから。気に病んで、自分を責めてほしくなかったから。
……結局、シーツについた血のあとからバレてしまったのだけど。
涙の代わりにまつげを伏せて謝るルシルに、「お詫びの代わりに」と言って、この世界の料理を教えてもらった。
コリーやラピス、デンテルとおじいちゃんも呼んで、もう一度みんなで。
穀物粉を練ってパンみたいなのを作るのは、力が必要で大変だった。
塩抜きをしないで干し肉を挟んでしまって、食べたら舌が いーってなった。
それでも、みんなで作る料理は……楽しかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!
【完結】嫌われ公女が継母になった結果
三矢さくら
恋愛
王国で権勢を誇る大公家の次女アデールは、母である女大公から嫌われて育った。いつか温かい家族を持つことを夢見るアデールに母が命じたのは、悪名高い辺地の子爵家への政略結婚。
わずかな希望を胸に、華やかな王都を後に北の辺境へと向かうアデールを待っていたのは、戦乱と過去の愛憎に囚われ、すれ違いを重ねる冷徹な夫と心を閉ざした継子だった。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる