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雨の日の過ごしかた2

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 いくつ目かの甘いお菓子が舌の上で溶ける。
 溶け消えたあとに残る甘みを楽しんでから、お茶をひとくち。
 霧雨の降る外をながめながら、私は食堂でぼんやりとしていた。
 みんなも同じように ゆったりとした時間を楽しんでいるようだ。

 少しだけ重くなったまぶたに抵抗するかどうか悩んでいると、肩がぽんぽんとたたかれた。
 何だろう? 窓へと向いていた顔を動かすと、瞳は、うっすら輝く水色の髪を映す。
 その元をたどれば、ラピスの顔に行きついた。

「私も、問題を出してみていいかしら?」

 虹色のリボンで結えた、綺麗な髪を後ろに撫でつけてラピスは問う。
 照れていた影響だろうか。その頬はほんのり色づいていた。

 おじいちゃんの問題が終わってからしばらく。
 私がぼーっとしていた時間に、ラピスは新しい問題を考えてくれていたのだろう。
 彼女はとても素敵な提案をくれた。

 歓迎の言葉を伝えたあと。カッコつけに指を鳴らそうとしたのだけど、スカッという気の抜けた音が出るばかりだった。
 おじいちゃんみたいにしたかったのだけど、私には難しいらしい。

「ふふ。ありがとう」

 そんな私に、ラピスはお礼を告げてから指を鳴らした。
 軽快な音が響き、みんなの注目が彼女に注がれる。

「畑に、サージュが十株植わってます」

 十分に視線が集まったのを確認してから、ラピスはさくら色の唇を動かした。
 紡がれるのは新しい“なぞなぞ”だ。

「そのうちの半分をみんなで収穫すると、あとはいくつでしょう?」

「……五本。じゃ、ない!」

 ラピスが言い終わると同時にルシルは答え、同時に取り消した。
 まるで、しりとりで“みかん”と言ったあとに“ジュース”と付け足すような。
 思わず頬がゆるんでしまうような、可愛らしいやり方である。

 同じ間違いはしたくないのだろう。
 首を横に振ったあと、ルシルは黙って考え込みだした。

「半分……ってところに、何か意味があるんじゃないかな」

 デンテルの表情も真剣そのものだ。
 彼はひとつひとつ情報を積み重ねて、答えを導こうとしているのかもしれない。
 でも、引っかけ問題の場合、それは意味がなかったりする。
 そうやって真面目に考える人をもてあそぶのが、引っかけ問題なのだから。

 ……といっても、私にも答えはわかっていない。
 どうしてもルシルが言った通りに“五本”以外の答えが思いつかないのだ。
 ちらと おじいちゃんの顔をのぞくと、意味ありげな笑いが浮かんでいた。
 自信のある答えが思いついたか、もしくは既に答えがわかっていたのか。

 降りつづける霧雨をながめながら、私はラピスとの知恵比べを楽しんだ。

 …………

 …………

 しばらく経ったけど、私たちは誰も答えを言い当てられてない。
 コリーも今回はお手上げらしく、間違いと知ったうえで「五本!」と答えてバッテンをもらっていた。
 そんな彼は今、ぬるくなったお茶をちびちびすすりながら目をつむっている。
 きっと次なる回答を考えているのだろう。

 ――と、

「頭を使うのは もうたくさんだ……」

 ちょうど心折れたらしく、彼は力なくつぶやいた。
 机に伏した頭のうえ。ペタンと垂れた耳が、元気のなさを裏付けている。

「あら。コリー、もう降参なの?」

 そんな彼に、ラピスは楽しそうに笑いながら顔を近づける。
 とても、とても楽しそうに。

 心折れる友達の姿を喜ぶ彼女に、私は少しだけ違和感をもった。
 ただのじゃれあい。大したことはないのかもしれない。
 でも、そこに何か……

「――あっ!」

 迫るラピスに慌てるコリー。
 そんな二人の言葉をさえぎって、私は声を張りあげた。

「こほん。……えっと、いいかな?」

 ラピスがやっていたような品のいい咳払いをしようとして、失敗した。
 “こほん”って発音する人はなかなか居ないだろう。
 失敗を隠すため。なんでもないふうを装って問いかけると、こころよい返事がかえされた。

「答えは“たくさん”。これは、私たちの“あしあと”を訊ねてる問題なんだと思う」

 ならば、と。私は思いついた答えを伝えてみた。
 間違ってるかもしれないけど、私なりの答えを。

「……うん。大正解よ」

 おめでとう。
 そう言ってくれた彼女の胸元には やはり、指でつくられた輪っかがあった。
 ラピスは自分の問題を解かれたのが嬉しかったようで。
 光に輝く髪に負けないくらい、明るい笑顔で祝福してくれた。

「えへへ。コリーが“もうたくさん”って言ってくれたから、気づいたんだ」

 だから、これは私だけで出した答えじゃない。
 みんなで悩んだからだせた答えなんだと思うと、今度はみんなからの ほめ言葉も素直に受け止めることができた。

 今回は小さなことだったけど、みんなで何かをできるというのは良いものだ。
 私を料理にさそってくれたラピスも、こんな想いで手を差しのべてくれたのかもしれない。



 ◆



「次は俺が、エイミーに問題を出していいか?」

「私だけに? ……うん。いいよ?」

 三杯目のお茶を飲み終わるころ、コリーが問いかけてきた。
 「思いついた!」という叫びが問いのまえにあったので、きっと“なぞなぞ”なのだろう。
 そんな彼の問題を、私はカップのふちを舐めながら待った。

「この干し菓子の材料は何だと思う?」

 私の考えは間違っていたらしい。
 たぶん、これは“なぞなぞ”ではない。
 純粋なクイズだ。

「……お砂糖?」

 前の世界に無かったもの。
 似ているけど どこかが大きく異なるものの名前を、私は知らない。
 “本”や“お茶”という言葉が通じるのに、“魔石”や“サージュ”がわからないのは そのためだ。
 だから“お砂糖”という言葉もやはり通じなかった。

 そんな私の ちんぷんかんぷんな回答を、コリーは笑って流してくれた。
 たぶん転移者しか知らない言葉だと納得してくれたんだと思う。

「レージュの樹液を乾燥させた粉なんだぜ」

 少し得意げに彼は答えを教えてくれた。
 レージュは、この建物の周りに最も多く生えている木の名前だ。
 コールの実が採れる木と違ってただの針葉樹だと思ってたけど、こんなにおいしいお菓子になるなんて知らなかった。

 樹液が粉になるなんて、なんだかすごいなぁ。
 ドロッとしたあれが乾くと粉になるなんて、やっぱりこの世界ならでわのことなのかな。

 感心しながら干し菓子をながめていると、コリーは気を良くしたらしくて色々なことを話してくれた。
 レージュの木はパピルス作りに使えるし、灰は せっけん作りにも使えること。
 今年はもう終わってしまったけど、秋には収穫祭として色んなお菓子を作ること。
 お菓子を作るには他の材料も必要だから、それはおじいちゃんが街で買ってきてくれること。
 買い出しは年に数回行われること。


 話を聞いているうちに、私の心はレージュよりも街へとかたむいていた。
 私にとっての異世界の街とは、どんなところなのだろう。
 孤児院の外。それは私にとって、今はまだ恐怖の対象だ。
 けれども、大怪我を負ったときの心的外傷はだんだんと和らいでいるのを感じる。
 外へと出れる日も、そう遠くはないのかもしれない。

 よくよく考えてみれば、私はこの孤児院の敷地内のこと以外、ほとんど何も知ってない。
 あまり意識が外へと向かなかったのだ。
 それは心的外傷のせいもあるけれど、石の塀で囲まれた敷地はとても広くて、不便を感じなかったからかもしれない。
 塀の向こうには草原が。遠くには背の高い、緑の山々が見える。
 近くに街や村は見当たらないけど、コリーの話からするとどこかにあるのだろう。

「えっと。街って、どんなところなの?」

 手にしたカップを回しながら、思いついたことを口にした。
 心に湧いた興味のまま。ただ、何も考えずに。
 ……その瞬間、みんなの顔から笑顔が消えた。

 誰もが口をつぐみ、目を伏せている。
 温かさが残っていたカップまで急速に温度を失ったような、そんな恐怖が襲い来る。
 さっきまでは楽しそうにしていたはずだ。
 なぞなぞ で遊んで、真剣に答えを考え合って。
 みんなが黙ってた時間もあったけど、とっても居心地がいい雰囲気だったのに。

 ――場が、凍りついた 

「……エイミーは街、行きたいの?」

 張り詰めた空気のなか。対面に座るルシルが向き直って訊ねる。
 声こそ震えていないけど、瞳の奥の光は揺れていて、強い不安を物語っていた。

 絶対に行きたくない……と言ったら嘘になってしまう。
 知らない場所、新しい場所へ行くのは むかしは大好きだったから。

 けれど、みんなが嫌だと思うなら――

「そうじゃないの。ただ この世界のことを知らなかったから、なんとなく訊いちゃったんだ」

 自然な笑いを意識して、喉から声をだす。
 不安そうにしているのはルシルだけじゃない。
 コリーも、ラピスも、デンテルも同じだった。
 みんなをそんな顔にしてまで街に行くなんて、私は嫌だ。

「……いつかここを出て、街に行く日は来よう」

 悲しげに目を伏せ、おじいちゃんは語りだした。
 私に“元の世界に戻れない”ことを伝えたときみたいに、ひとつひとつの言葉を選びながら ゆっくりと。

「ただ、みんなが望むまで。それまでは……ここに居てもらえんか?」

 問う言葉は力なく、いつもの彼らしくない。
 街について訊ねるのは、ここではとてもいけないことなのだろう。

「……うん。変なこと聞いちゃって、ごめんなさい」

 悲しい目をしたおじいちゃんに。
 不安そうにするみんなに向けて、浅くおじぎをする。

 私はみんなの過去を知らない。
 けれど、あの夜のルシルや今の反応から少しだけ想像できる。
 きっと幸せな過去ではなかっただろうことが。
 そして“街”について訊くことは、それを刺激してしまうのだろう。

 私がみんなの過去を知る日は来ないのかもしれない。
 もし知ったとしても、なんの助けにもなれないのかもしれない。
 ……でも、それでも。

 私は、優しくしてくれたみんなに報いたい。
 苦しいことや辛いことがあるなら、それに寄り添って生きていきたい。
 みんなが望むなら、私は外の世界なんて知ることができなくてもいい。

 ――だからもう、悲しい顔をしないでほしい

 息苦しい沈黙のなか。
 辛そうなみんなの顔を見てたら、鼻の奥がツンとした。
 
「……ごめんなさい」

 次いでこぼれるのは言葉と涙。
 私はやっぱり、泣き虫だ。
 ここに来た日と何も変わってない。
 ぽろぽろとこぼれる涙は机におちて、小さな水たまりをつくる。

 霧雨じゃないけど、まるで雨が降ってるみたいだなぁ。
 そんな意味のない想いが心のなかに浮かんで、消えた。



 ◆



「……ありがとう。もう大丈夫だよ」

 ずっと背中をさすってくれていたルシルに短いお礼をして、私は涙をぬぐった。
 いつまでも泣いていたら、きっとみんなは気にしてしまうから。
 
 顔をおおって泣いていた私に、コリーは自分のせいでって謝り通しで。
 「そんなことないよ」って何度言っても聞いてくれなかった。

 おじいちゃんとラピスは暗くなってしまった雰囲気を何とかしようと、いろいろな話をしてくれた。
 敷地の外に出現するという魔獣のはなし。
 竜車という、前の世界の馬車に代わる存在のはなし。
 そして、次の買い出しのときにおいしいお菓子を買ってくる約束をくれた。

 まるで物語の中みたいな話に。
 しゅんとしていた私の心は、いつしか話の先を求めてわきたっていた。

「エイミー、お茶のお代わり……飲む?」

「あ、私が淹れようか?」

 気にしないで。
 そう言って、デンテルはカップを手に立ち上がる。
 さっきまで元気を失っていた彼も、もう回復したようだ。
 他のみんなも元の調子を取り戻してきたようで、コリーの耳も ピンと立っていた。

 私のせいで嫌な気持ちにさせてしまったことは本当に申し訳ないと思っている。
 もっとしっかり謝りたいけど、そう何度も謝られても きっと気分はよくならない。
 だからせめて、これからは気をつけることにしよう。
 今の私にはそれくらいしかできないのだから。


 コトリと置かれたカップを受け取ったあと。
 それを口に運ぶ前に、ふと外が静かになっていることに気がついた。

「エイミー、空」

 ぽんぽん とデンテルは軽く肩を叩いて、窓を見るように促す。
 言われるがままに顔を向けると、そこにあったのは日の光と――

「虹だ……!」

 高い空から降り注ぐ(ルビ:強調)、幾重もの虹だった。

 七色の光線が、緑の大地を突き刺すように降りている。
 現実のものとは思えないほどに大きなそれは。
 両手の指では数え足りないほど、たくさんの光で世界を満たしていた。

 風景をぼやかしていた白いもやは、かけらも残っていない。
 代わりにあるのは洗い清められたような、透きとおった空気。

 窓を開けて身を乗り出すと、やわらかい風が体の横を吹き抜けた。
 すん、と鼻をすすればお茶の香りの他に、雨上がりの清い匂いが体中をかけめぐる。
 
「…………」

 空を埋め尽くしていた雲も今はまばら。
 淡い青と七つの光ばかりが、世界を彩っていた。

 本当に凄いものを見ると、人は何も言えなくなる。
 想いを言葉で表わしきれないからなんだって、初めてわかった。

 体を包む風。
 鼻で味わう澄んだ空気。
 耳が音を拾わない、しずけさ。
 瞳が映す……世界。

 私にはすべてが大きすぎて。
 時の刻みを忘れて、言葉を失って。
 ――ただ、立ち尽くした。



 一分後か十分後か。……ふいに意識が、自分の手元へと帰ってくる。
 忘れていた息を吐く。
 それから、私がここにいるとみんなが見づらいことに思い至って、慌てて退いた。

「――あ」

 すると、後ろにいたルシルとぶつかってしまう。
 謝罪の言葉が喉から出るより先に袖が、ぐいと引っ張られた。

「……虹を見ておねがいをすると、光の神さまが叶えてくれる」

 そしてルシルは、とてもすてきなことを教えてくれた。
 流れ星に三回願うのは成功したことなかったけど、これなら私にもできそうだ。
 返事の代わりに袖につながった手を握り締めて、私は願い事を考えた。

 願い……願い、か。

「冬が来て、春が来て」

 元の世界に帰りたい。
 記憶をもとに戻してほしい。
 ……そんなことよりもっと、強く望むものがある。

「夏が来て、それで……もう一度秋が来て」

 この世界で生きたい。
 私は、みんなと一緒に生きていきたい。

「これからもずっと、ずっと、みんなが幸せでいられますように」

 みんなのなかには、私も含めて。
 ずっと、なんて無理かもしれない。
 転移してしまった私は、少し。ほんの少しだけ、世界の理不尽さを理解しているつもりだ。
 それでも、強い想いは言葉になっていた。

 私はみんなの過去を知らない。
 けれど、みんなの現在(ルビ:いま)は知っている。
 だから過去を消すんじゃなくて、現在を未来へと繋げていってほしい。
 ――遠く、はるか遠くまで。

 温もりと触れている手が、くいっと引かれる。
 つながった腕の先、ルシルの方に体を向けると、

「……エイミー、口に出す必要はない」

 目線を合わせずに、彼女は小さな声でつぶやいた。
 瞬間、顔が一気に熱くなる。

 ほっぺを抑えようと握った手を放そうとすると、握り返されていることに気づいた。
 その力は強く。何事かと思っていると、うるんだ赤い瞳が私を貫いた。

「……でも、私もそう思う」

 そして紡がれたのは優しい言葉。
 握りしめられた手から伝わる体温が、彼女の強い想いを伝えてくれた。

 私たちを見守ってくれていたみんなも、同じ気持ちだってわかってた。
 口から言葉が旅立つ前から、その表情が、瞳が。
 想いを運んでくれたから。


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